梨の木・ピース・アカデミーでの戦後日中関係をテーマとするお話しの第4回は、ベルリンの壁崩壊で米ソ冷戦に「勝利」した(と勘違いした)アメリカが、アメリカにとって都合の良い形での世界「一極支配」を追求した1989年から2012年頃までを取り上げます。1989年は中国で天安門事件が起きた年でもあります。中国とソ連/ロシアが国際関係で守勢に追い込まれていたことがアメリカの「一極支配」追求を助長する国際的な要因として働いたことは否めません。加えて、ロシアのエリツィンはやみくもに西側諸国との協調による国内困難の打開を求め、中国の鄧小平は改革・開放路線を採用し、対外的には「養晦韜光」(ボトムラインは堅持しつつも、突出したことは隠忍自重する)の方針を打ち出したことも、アメリカが自らの「勘違い」に気づくことを妨げました。経済重視の中国が対米協調・対日重視の外交を基本としたことは当然です。  この20年余の期間において国内政治がもっとも不安定に推移したのは日本です。小泉政権の6年間を除けば、自民党、民主党を問わずいずれの政権も短命でした。アメリカは、いずれの政権も日本に対して軍事的役割を増大すること(集団的自衛権行使への踏み込み)を迫りました。長期政権の小泉首相がブッシュ政権の対テロ戦争に積極的に協力するべく「有事法制」を成立させ、イラク派兵を強行することで、集団的自衛権行使に実質的に踏み込んだのは、いわば必然のなりゆきでした(残されたのは9条改憲で集団的自衛権行使を「合憲」とする「作業」のみであり、安倍政権が閣議決定による「解釈改憲」に踏み切ることになります)。 その小泉首相は靖国参拝を重ね、日中共同声明及び日中平和友好条約の拠って立つ土台(歴史認識)にあからさまに挑戦しました。また、民主党政権は尖閣の領有権に関する日中首脳間の「棚上げ」合意の存在そのものを否定し、尖閣を「国有化」するという暴挙に出ました。中国は、日米軍事同盟の変質強化を懸念・警戒しつつも、1998年の日中共同宣言(江沢民訪日時)及び2008年の日中共同声明(胡錦濤訪日時)で、日中共同声明及び日中平和友好条約を再確認し、日中関係の拠って立つ諸原則を日本政府が遵守することを懸命に働きかけました。しかし、小泉首相及び民主党政権の「愚行」は日本国内の反中/嫌中感情を逆に煽る結果になり、これら諸文書で日本が中国に厳粛に約束した諸内容が忘れ去られるという重大な結果を招きました。  今回お話しする内容のあらましは以上のとおりです。レジュメを添付しますので、関心のある方はご覧ください。↓

第4回 アメリカ「一極支配」と日中関係