8月14日は韓国の国家記念日「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」です。この日は1991年8月14日に故金学順(キム・ハクスン)さんが旧日本軍の慰安婦だったと初めて名乗り出た日であり、2017年に文在寅政権のもとで、「慰安婦問題を国内外に知らせ、慰安婦被害者をたたえる」ことを目的として国家記念日に制定されました。今年は1991年から30年に当たり、行われた式典には文在寅大統領がビデオ・メッセージを寄せました。
 メッセージの日本語全文がネットでも見つかりませんので、各メディアの細切れの紹介を拾ってみました。大統領は、「おばあさんたちの名誉を回復して痛みを治癒することは一人の光復(解放)を成し遂げることであり、完全な光復に一歩近づく道」と強調しました(韓国中央日報)。大統領はまた、「問題解決の最も重要な原則は『被害者中心主義』だ」と指摘しました(ロイター通信)。また、元「慰安婦」らの証言が「国際社会で女性の人権と平和の価値の実現を大きく前進させた」と評価し、「和解の未来」を強調するとともに、「被害者中心の問題解決という国際社会の原則を守り、(一人一人の)名誉を回復し、心の傷がいえるように支援する」とともに、「人間の尊厳と権利を守るためには、歴史を正しく受け止めるべきだ」とも述べました(朝日新聞)。日韓両国の若者らが互いを理解し、「『歴史の正義』につながる連帯の道を共に歩めるよう努力する」という発言もありました(日本テレビ)。
 また私は、大統領が「(元「慰安婦」の)証言と市民団体、学会の努力による歴史的な真実の土台の上に、許しと和解の未来が花咲くようにしていく」(朝日新聞)と述べたことに引っかかるものを感じました。それは、同じ14日付の「30年前、世の中を目覚めさせた日本軍「慰安婦」被害者の金学順さんを偲んで」と題するハンギョレ社説(韓国語原文は8月13日21時53分入力)と「初の「慰安婦」被害証言の日から30年、もつれた糸をほどく難しい課題」と題するキル・ユンヒョン記者署名文章をあわせ読んでいたことによるものです。社説では特に次の部分が重要だと感じました。

 「30年が経った今、私たちは反歴史的退行に直面している。日本政府は、被害者たちが要求してきた公式謝罪と賠償を拒否し、教科書で慰安婦関連の内容を削除している。「歴史の教訓として直視し…歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を長く記憶にとどめる」とした河野談話まで揺れている。2015年、朴槿恵政権と安倍晋三政権での「12・28合意」は10億円で全ての問題が「最終的かつ不可逆的に解決済み」だとして、忘却を強要しようとした。韓国社会がこれを拒否して見直しを始めると、日本は韓国が「約束を守らない国」だと強弁している。盗人猛々しいと言わざるを得ない。
 日本政府の公式謝罪や賠償、被害者の尊厳の回復、そして再びこのような悲劇が起こらないように将来世代に正しい歴史を教え、完全に記憶するという原則を守らなければならない。韓国社会で解決策について共感を形成し、韓日市民社会の連帯の上で前進し続けなければならない。」(強調は浅井。以下同じ)
 キル・ユンヒョン文章はかなりの長文ですが、私は以下の部分に注目しました。
 「この問題解決のための「社会的環境」はいつにも増して劣悪だ。日本政府は2015年12月28日の合意から「1ミリも動かせない」「国家間合意は政権が変わったとしても守られなければならない」(7月13日の外務省文書)という強硬な立場を固守し、‥問題解決に向けた戦いの動力が大きく落ちた。…
 朴槿恵政権は、「中国の浮上」に対抗するには韓米日が共同対応しなければならないという米国の圧力に押され、2015年末「12・28合意」を結んだ。安倍晋三前首相はこの合意で、自分たちが認めるのが「法的責任」なのか「道義的責任」なのかを明らかにしないまま「責任を痛感する」と宣言し、10億円の政府予算を基金に拠出することにした。韓国は代わりに慰安婦問題の「最終的で不可逆的な解決」を約束した。12・28合意は韓国市民社会の圧倒的な抵抗に直面したが、文在寅政権は2018年1月、「日本に再交渉を要求しない」と宣言した。
 被害者と遺族たちは、韓国の裁判所を通じてこの問題が日本の国家犯罪であることを認められるよう努力を傾けた。今年1月8日に出た一つ目の裁判の判決は原告勝訴だったが、4月21日の二つ目の判決は敗訴だった。「主権国家は他国の裁判権に服従しない」という「国家免除(主権免除)」原則の適用をめぐり、裁判所の判断が分かれたためだ。
 どうやってこの膠着局面を突破すべきか。慰安婦問題の解決に向けて努力してきた学者と活動家たちは、これからは韓国社会が目標とする「問題の解決」とは何かという社会的共感を確保し、日本に向かって一つの声を上げる方向に向かっている。変化を触発したきっかけは、東京大学の和田春樹名誉教授、内田正敏弁護士など日本社会の有識者7人が3月24日に発表した声明だった。彼らは12・28合意が「不十分なもの」だったという事実を認めながらも、両国政府にこの「合意の精神をもう一度高めるための努力を要請」した。
 韓国でも対話文化アカデミーとソウル大学日本研究所を中心に、この要請に誠実に答えなければならないという動きが始まった。5月26日と6月30日には、慰安婦問題の解決に向けそれぞれ立場で努力してきた学界・市民団体の関係者らが集まり、虚心坦懐に胸の内を話し合い、討論会を推進した。これまでは12・28合意を補完していこうという側と、廃棄した後で新しい合意を試みるべきだという側の間の溝が深く、このような機会すら持てなかった。
 討論会の出席者は韓日間の真の和解のための「有用な出発点」として河野談話に注目した。12・28合意は「最終的かつ不可逆的」という表現を通じて慰安婦問題の「忘却」に重点を置いているが、河野談話はこの問題の記憶・伝承・継承(「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」)の重要性を強調したためだ。討論会の実務責任を担っているソウル大学日本研究所のナム・ギジョン教授は「(日本の有識者たちが提示した)12・28合意を補完していこうという点については参加者の意見が分かれたが、河野談話の意味を再確認し、そこから新たに始めようということには多くの参加者が共感した」と述べた。」
 韓国の学者と活動家たちが「一つの声を上げる方向に」向かう「変化を触発したきっかけ」として、キル・ユンヒョン記者が紹介している「日本社会の有識者7人が3月24日に発表した声明」とは、和田教授、内田弁護士等8人による「<共同論文>慰安婦問題の解決に向けて 私たちはこう考える-ソウル地裁判決と文在寅韓国大統領の年頭所感を受けて」のことです。私は7月20日のコラム「日韓関係悪化の原因を考える-「日韓従軍慰安婦合意」(12・28合意)-」の最後で、「日本の知識人、法曹人、ジャーナリストたちが18日、「オンラインで「慰安婦問題、いかに解決するか」というテーマでシンポジウムを開催した」ことに言及し、和田教授と内田弁護士の発言を取り上げ、特に和田教授の発言に疑問を呈しています。このシンポジウムは正に3月24日に発表された共同論文の延長線上にあるものです。
 私が特に注目したのは、「これまでは12・28合意を補完していこうという側と、廃棄した後で新しい合意を試みるべきだという側の間の溝が深く」、話し合いすらできなかった双方に対して、この共同論文が「韓国の学者と活動家たちが「一つの声を上げる方向に」向かう「変化を触発したきっかけ」と」なったとするキル・ユンヒョン記者の指摘です。しかし、 双方による討論会で「多くの参加者が共感した」のは、「河野談話の意味を再確認し、そこから新たに始めようということ」であり、「(日本の有識者たちが提示した)12・28合意を補完していこうという点については参加者の意見が分かれた」という事実は重要です。つまり、12・28合意を廃棄した後で新しい合意を試みるべきだという立場の側からすれば、「「12・28合意」は10億円で全ての問題が「最終的かつ不可逆的に解決済み」だとして、忘却を強要しようとした。韓国社会がこれを拒否して見直しを始めると、日本は韓国が「約束を守らない国」だと強弁している。盗人猛々しいと言わざるを得ない」(ハンギョレ社説)からです。
 ちなみに、文在寅大統領がメッセージで「(元慰安婦の)証言と市民団体、学会の努力による歴史的な真実の土台の上に、許しと和解の未来が花咲くようにしていく」と述べたのは、日韓双方の以上の動きも念頭に置いた可能性があります。ですから、私は引っかかるものを感じたのでした。
 私は共同論文が韓国国内の以上の新たな動きを導いたことは評価します。しかし、共同論文の主張・立場は「市民団体、学会の努力による歴史的な真実の土台」(文在寅)となりうるだけの内実を伴っているかという点に関しては大いに疑問があります。特に次の2点は私自身首肯できませんし、韓国側を納得させることはさらに難しいと思います。
○共同論文は、文在寅の年頭会見での発言(共同論文は、「(徴用工判決の現金化は)日韓関係においては望ましいとは思わない」、「(元慰安婦裁判の判決には)正直困惑した」、「(2015年の合意は)日韓両政府の正式な合意だったと認める」、「原告が同意できる方法を両国政府が協議し、韓国政府が原告を最大限説得する」の部分を抜き出しています)を、「日韓関係の改善に向けた、大きなチャンス」と捉えています。しかし、「12・28合意は韓国市民社会の圧倒的な抵抗に直面した」(キル・ユンヒョン)のであり、韓国国内の12・28合意を批判する側は、"文在寅発言は考え方・立場が動揺した、「日和った」もの"と厳しく批判してきました。したがって、この発言を積極的に受け止め、日韓双方の議論の前提・出発点としようとする共同論文の立場は、12・28合意を廃棄して新しい合意を考える韓国国内の議論との間に接点を持ちません。私自身も、大統領の年頭発言に接したとき、従来の彼の発言(2017年12月31日のコラム参照)に鑑みても大いに疑問を覚えました。そもそも、尊厳・人権を基本に据えるものであれば、それをないがしろにするような発言・考えを「チャンス」と捉える発想はあり得ないはずです。
○共同論文は、1995年のアジア女性基金と村山富市首相談話について、「加害の歴史を認めようとしない保守的な政治勢力が強い中で行われた、戦後民主主義派の努力の結果」と主張します。そして、「歴史への反省と謝罪は、「(小渕・金大中)日韓パートナーシップ宣言」(1998)、‥韓国併合は朝鮮の人々の「意に反して」行われたことを認めた「菅直人総理談話」(2010)へと至った」と指摘します。その上で、「2015年の合意は、たしかに不満が残り、不十分なものでした。しかし、そこにはこれまでの歴史認識と謝罪の流れを一歩進める側面があったことも見逃すことはできません。このよい側面を生かし、さらに補充し、高めていくほかに問題解決の道はないのではないでしょうか」として、「私たちは、日韓両国政府に対し、まず「2015年合意」を再確認し、その合意の精神をさらに高めるための努力を要請します」というのです。すなわち、共同論文は12・28合意があたかも「戦後民主主義派の努力の結果」であるかのごとき印象を与えようと努めています。しかし、12・28合意の本質は「オバマ米政権の両政府への仲介、後押し(というよりゴリ押し)」に対する安倍政権の渋々の妥協の産物であることは公知の事実です。しかも、安倍-菅政権は日本政治でますます支配力・影響力を強めている極右反動政治の系譜であり、「戦後民主主義派の努力の結果」をすんなり受け入れるはずがありません。12・28合意を日韓共通の出発点にしようとする共同論文の訴え・「要請」は、12・28合意を批判する韓国国内世論に対して説得力ゼロといわざるを得ません。
 以上の論点を踏まえて私が和田教授等に考えていただきたいのは以下のことです。
 第一、12・28合意そのものが韓国の民主勢力に分裂を持ち込んでいることを厳粛に受け止め、この合意を日韓共通の出発点とする「要請」を撤回すること。
 第二、「従軍慰安婦」問題の根源にあるのは右翼的反動的歴史観にしがみつく日本の保守政治であることを直視すること。
 第三、日韓の連帯と協力が目指すべきは日本の保守反動政治の徹底的批判であり、「従軍慰安婦」問題の真の解決は日本の保守反動政治に引導を渡すのに足るだけの内外の力を結集してはじめて可能となることを認識し、そういう方向で12・28合意に関する日本国内の議論を整理すること。特に、韓国側で認識が一致している河野談話の意義を再確認し、同談話を運動の基軸に据える方向で議論を集約すること。