最近、ドイツとフランスがアフリカ大陸で過去に起こしあるいはかかわったジェノサイドについて責任を公式に認める行動を取ったことが報道されました。ドイツはナミビアを植民地支配していた時代の20世紀初めに自ら行ったジェノサイドについて、また、フランスはかつて植民地だったルワンダにおける1994年のジェノサイドに同国が関与したことについて、国家としての責任を認めたものです。独仏両国のこうした行動は、国際人権法の確立という背景抜きにはあり得ないことです。日本政府は「南京大虐殺はなかった」と言い張っていますが、こうした国際的、歴史的な潮流は日本の異常さを際立たせます。
 私が特に関心を持つのは、ドイツが植民地支配時代に犯したジェノサイドについて国家としての責任を承認したことです。実は、コラムでも紹介しましたが、私は「梨の木ピース・アカデミー」のネット講義を受け持ってきたのですが、そこで議論にしばしば取り上げられたのは「日本の朝鮮半島に対する植民地支配時代の国家犯罪(「従軍慰安婦」、強制徴用等)をどう考えるか」、さらには「日本は朝鮮半島に対する植民地支配そのものをどのように認識するべきか」という問題でした。人権にかかわる問題については、国際人権法の発展を背景に積極的に日本の責任を問うべきであることは共通の認識になる趨勢にあります。しかし、植民地支配そのものに関しては、国際法の定立に今日なお影響力が大きい米欧諸国の多くが植民帝国だったこともあり、第二次大戦後もいわば「開かずの扉」で封印されてきたという経緯があります。
 しかし、2008年にイタリアがリビアに対する植民地支配について謝罪し、補償として25年間で50億ドルの投資を行う協定(ベンガジ協定)を行った(前にコラムで取り上げたことがあります)のに続いて、今回、ドイツが植民地支配時代のジェノサイドについて責任を認めたということは、この「開かずの扉」をこじ開ける歴史的な流れがいよいよ始まったのではないか、という予感を抱かせてくれます。もちろん、ドイツは責任を認めながらも「賠償」を行うことには頑強に抵抗しています。私の想像では、植民地支配そのものについて責任を認めること(責任を認めれば、それにかかわる請求権の問題が必然的に問題として取り上げられることになる)に対しては、今後も米欧諸国(そして日本)はスクラムを組んで頑強に抵抗することが容易に想像できます。とは言え、「歴史は自らを貫徹する」という歴史的弁証法の真実を確信する私としては、今回のドイツの行動には多大な関心を抱くに充分な理由があるというわけです。
 以上の問題意識を背景に、今回のドイツとフランスの行動について諸報道をまとめてみました。

1.ドイツ政府:ナミビア植民地支配時代の「ジェノサイド」承認

 5月28日の"Pars Today"(イランのニュース・ウェブサイト)は、ドイツがナミビアを植民地支配していた時代にヘレロ及びナマという2つの部族に対してドイツの現地軍隊が行った大量殺戮(1904年-1908年)について、マース外相が同日、「この事件を、今日的捉え方における「ジェノサイド」であることを公的に明らかにする」と述べたと伝えるとともに、ナミビアのヘイジ・ガインゴブ大統領の報道官が「ジェノサイドが行われたことをドイツが認めたことは正しい方向に向けての最初の一歩だ」と述べたと紹介しました。同時に、ヘレロ部族の酋長が、この「合意」はナミビア政府による完全な「裏切り」(sellout)であると激しく非難したとも伝えています。
 同日の中国中央テレビWSも、ドイツの植民部隊がナミビアの2つの部族に対してジェノサイドを行ったことをドイツ政府が正式に承認したと報じるとともに、事件の概要及びドイツ政府とナミビア政府との間のこれまでの交渉経緯に関して次のように伝えました。
 ドイツ・メディアによれば、1884年から1915年までの間、ナミビアはドイツ帝国の植民地であるドイツ領南西アフリカだった。この間に、ドイツ帝国の軍隊は現地民衆の抵抗を残酷に鎮圧し、数万人に及ぶ人々が殺害に遭遇した。すなわち、1904年から1908年にかけてドイツ軍はヘレロで起こった蜂起を鎮圧するために派遣され、歴史家が広く認めるところによると、当時同地に居住していたヘレロ人約8万人のうちの65000人、ナマ人約2万人の内の少なくとも1万人が命を失った。
 ドイツ政府は2015年以来ナミビア政府と、いわゆる「未来志向によるドイツ植民地統治の再評価」について交渉を行ってきた。ドイツ政府の声明は、5年余に及ぶ交渉の目的は「真の和解に向かう方式を探求し、被害者を追憶する」ことであると述べている。声明の中でマース外相はさらに、「ドイツの歴史的道徳的責任に鑑み、「ナミビア及び被害者遺族に寛恕(forgiveness)を求める」、「ドイツが作り出した計り知れない困難を承認する姿勢」として、ドイツは総額11億ユーロの基金を設立し、現地の社会福祉事業に用い、被害を受けた原住民地域コミュニティの民生発展を改善する、と表明した。
 マースは6月初にナミビアに赴いてこの声明に署名し、ドイツのシュタインマイア-大統領はナミビア議会でドイツの罪行について正式に謝罪するという。
 同日のアメリカのPOLITICO・WSもこの問題を取り上げています。ドイツの基金は向こう30年間にわたって支出されるとしているほか、以下の指摘が注目されます。
○歴史家によると、この虐殺は20世紀における最初のジェノサイドである。
○声明は賠償金(reparations)という用語を意識的に避けている。マースは、この資金拠出は「法的な補償請求」("legal claims for compensation")に向けた扉を開けるものではないと強調した。
○両国議会は協定を批准しなければならない。ドイツ議会は9月の総選挙前に批准する見込みであり、シュタインマイア-大統領はナミビア議会での儀式の際に寛恕(浅井:上記中国中央テレビは「謝罪」と報道しましたが、正確さを欠いていると思われます)を求める予定である。
○ナミビアの新聞New Eraによると、3人の酋長がこの取引を拒否している(として、上記イラン・メディアの報道を確認)。
○補償(compensation)という厄介な問題が交渉の中心テーマだった。ドイツは、賠償金という表現は、ホロコースト後のイスラエルとの交渉でも回避したこと、当該用語を用いるとほかの国々からの請求要求に扉を開ける懸念があることなどから、避けようとしてきた。
 ドイツとナミビアとの本件交渉に関しては、2020年1月3日のワシントン・ポストWSがルイサ・ベック(Luisa Beck)署名の詳しいレポートを掲載しています。注目される内容を紹介します。ちなみに、ルイサ・ベックはカリフォルニア大学バークレー校を卒業し、現在は同紙ベルリン支局のレポーターです。アメリカ人は歴史感覚に乏しいというのが私の偏見的理解ですが、以下に紹介するように、ベックは確かな歴史感覚を備えています。しかも、アメリカ人にとって敏感な人種問題が絡む本件の場合、ドイツがホロコーストと同じ次元で扱うことに抵抗する姿勢の中に「人種差別」的要素を嗅ぎつけるベックの指摘は極めて鋭いものがあると感じました。
○20世紀最初のジェノサイドについての謝罪(apology)の交渉を任命されたドイツの外交官ポレンツは、「過去に起こったことに関する共通の理解」を確立することが必要だと述べた。ポレンツの使命を述べたドイツ政府が使った言葉は'Vergangenheitsbewältigung'、すなわち「過去を克服すること」であり、第二次大戦後のドイツ国家のDNAに組み込まれた任務である。
○ドイツは歴史における暗い時期に関する責任を直視し、その責任を取る国家として賞賛されているが、植民地時代の問題についてはいまだに葛藤している。ホロコーストについて償ったことは植民地時代の問題に関する和解調停をより難しくしている面がある。つまり、(ナミビア側の)期待値を高め、(ナミビア側に)厄介な比較材料を提供するということだ。ナミビアのナマ及びヘレロ部族の活動家たちからすると、ジェノサイドから1世紀以上も後に開始され、すでに4年間以上も続いている交渉の難航は、ホロコーストの記憶に対してドイツが払った関心(ブラント首相がワルシャワのゲットで行った、ひざまずいての謝罪;ベルリンだけでも36以上の記念碑と博物館;ドイツの歴史書における中心的扱い)と応じた金銭(800億ドル以上の賠償金)と著しいコントラストをなすと見なされている。ナマ及びヘレロの子孫たちは、彼らに向けた公的謝罪、賠償金、ドイツ史における承認が必要だ、と主張している。
○ドイツ政府は、公的謝罪の文言については交渉中であるが、責任をシンボリックに認めることについては2004年以来その用意があることを明らかにしてきた。すなわち、ヘレロ反乱100周年を記念する行事に際して、ドイツの当時の開発相(Heidemarie Wieczorek-Zeul)は、「我々ドイツ人は、当時、ドイツ人によって引き起こされた罪行に対する歴史的道義的責任を引き受ける」「主の祈りの言葉のもと、我等が罪(trespasses)についてあなた方の赦しを請う」と述べた。現開発相(Gerd Müller 2020年1月当時)もナミビアに赴いた際に、次のように同様の言葉を発した。「1904年と1908年に、ドイツは、特にヘレロとナマに対して恐るべき犯罪を行った。我々は当然ながら今日もなおこのことに対して責任を負っている。」
○しかし、ドイツは開発援助を提供する意思はあるけれども、「賠償金」という表現については拒否している。ドイツは、ナミビアでの殺戮が「ジェノサイド」であることを認めつつも、1948年の国連ジェノサイド条約で確立した法的意味合いはそれ以前に起こった大量殺戮に対しては適用されない、と主張している。ポレンツは、「我々は「ジェノサイド」と呼ぶべきだと認めている」、しかしそれは厳格には「政治的道義的」意味合いであって法的意味合いではない、と指摘した。
○2016年にナミビアの首都で行われたポレンツとナミビア代表との会合は、ホロコーストとの比較が適当かどうかをめぐって決裂した。ポレンツはワシントン・ポストとのインタビューで、「私は彼らに対して、ドイツ人にとってホロコーストは、人類に対する特別な犯罪であるという点において、我々のアイデンティティの一部である」、「我々はホロコーストを相対化したくない、それはそれ自体のものなのだ」と述べた。ナマの活動家(Paul Thomas)は、「ポレンツにとっては、黒人の生命はそれほど重要ではないということだ」と受け止めた。
○ドイツの学校における植民地時代の扱いからも同じような印象が引き出される。アフリカでの帝国最盛期には、ドイツはイギリス、フランスに次ぐアフリカ大陸第3位の植民地大国だった。しかし、専門家の調べによると、学校のカリキュラムではドイツの植民地の歴史は簡単に触れられるだけだ。ナマ及びヘレロのジェノサイドを扱う教科書もほとんどない。アフリカに対するドイツの支配に関する扱いが少ないことの説明材料の一つは植民地支配の時間が短かったということだ。しかし、歴史家(Paulette Reed-Anderson)によれば、時間の短さはドイツの免責理由にはならない。現地の人々が反乱を起こしたのに対して、南西アフリカのドイツ軍人は皆殺し命令を出した。ドイツ軍はヘレロ及びナマの人々を殺害し、強姦し、拷問にかけた。迫害を逃れた人々は砂漠に追いやられ、飢餓と脱水で亡くなった。ほかの人々は強制収容所に集められ、死ぬまで働かされた。フンボルト大学の歴史家(Andreas Eckert)は、「それは荒々しい20世紀の始まりを多くの点で象徴している。」「全人口を絶滅させることができるように見えた初めての出来事だった」と述べた。犠牲者の頭蓋骨はドイツに送られ、「民族的純血」、種族的ヒエラルキー証明の研究に供されたが、それは第三帝国が第二次大戦で大量殺人を正当化する際に用いた擬似科学そのものだ。
○しかし、これまでで最大の論争となったのは金銭的補償の問題である。ヘレロ及びナマの子孫たちは2017年、アメリカ人でないものが国際法違反に関連して請求を行うことを認める法律である「外国人不法行為法」(the Alien Tort Statute)に基づいて、アメリカで訴えを起こした。しかし、2019年3月、ニューヨークの判事は主権免除原則によって訴えは認められないと判示した。原告は控訴している。
 ドイツ政府は、法的先例を作りたくないという理由で「賠償金」という言葉を拒否している。実は、ギリシャとポーランドは第二次大戦中に被った被害についてドイツに対して賠償金を要求している。しかしドイツ政府は、イスラエルのケースを除いて、そういう要求を拒否している。アフリカにおける歴史的正義を求める試みに対しては、ポレンツは「歴史を巻き戻すことはできない」、「しかし、暗い出来事が二度と起こってはならないという結論は引き出すことができる」と述べた。
○1990年にナミビアが独立して以来、ナミビア政府を批判する人々は政府が社会的経済的不平等について何もしてこなかったと批判する。世界銀行によれば、ナミビアは世界で所得不平等が最高の国の一つだ。ドイツ植民者の子孫は植民時代に取り上げた土地を相変わらず所有しており、土地を追われた者はそれを回復できていない。ナマの活動家は、「自分の国なのに土地がない状況が続く限りは和解することはできない。まずは正義、その後に和解だ」と述べている。

2.マクロン大統領:ルワンダにおけるフランスの「ジェノサイド」加担承認

 5月28日の新華社WSは、ルワンダ首都キガリ電として、フランスのマクロン大統領が27日に同地で、1994年にルワンダで起こった大虐殺にフランスが責任を負っていることを承認したと報じました。この報道によれば、マクロンは同国を国賓として訪問し、キガリ大虐殺記念館を見学して献花した後に演説を行い、「本日、私はあなた方の傍らに立ち、謙虚かつ敬意をもって私たちの責任を承認する」、フランスは歴史に直面する責任がある、しかし事実の真相を凝視するということについて沈黙することが長すぎたことがルワンダ人民に苦痛をもたらしてきたことを承認するべきだ、大量虐殺を犯してフランスに潜んでいる者を法で処罰するスピードを上げるなどと述べました。
 この報道では、1994年4月から7月にかけて起こったツチとフツの2大民族間の大規模な暴力衝突で、50万~100万人が虐殺されたこと、ルワンダ政府は2008年に、フランスがこの大虐殺に対して「政治、軍事、外交そしてロジスティックスに関して援助」を提供して、大虐殺の発生に責任を負っているとする報告を発表したこと、当時のフランス政府は即座にそれに反駁したこと、20年以上にわたって両国間ではこの問題をめぐって緊張が続いてきたこと、本年3月にマクロンが依嘱した歴史家の委員会が当時のフランス政府の「重大な責任」を指摘する結論を出したことなどを紹介しています。
 ネットで検索したところ、マクロンのルワンダ訪問を直前に控えた5月26日のAPキガリ電も事実関係を報道していました。それによれば、マクロンは2017年に大統領に当選して以来、両国関係を改善するために一連の努力を重ねてきたといいます。特に、本年3月と4月に完成した2つの報告がマクロンのルワンダ訪問(フランス大統領としては11年ぶり)の障碍を取り除く上で重要だったと指摘しています。3月の報告とは2019年にマクロンが諮問した委員会が発表した報告で、フランスの関与自体は否定しつつ、大虐殺への流れに関してフランスが「重大かつ圧倒的な責任」を負うことを指摘しました。これに対して4月の報告はルワンダ政府の諮問によるもので、フランスは事件を「ストップさせるために何もしなかった」とし、「予見できるジェノサイドを容易にした」点で「重大な責任」を負うと指摘しました。
 AP電はまた、マクロンのルワンダ訪問に先だってフランスを訪問したルワンダのカガメ大統領は、両国関係をリセットする希望を表明したと紹介しています。AP電は、1300万人の人口のルワンダにおいてはジェノサイドの記憶は強いままで、毎年これを追憶する行事が行われていること、マクロンのルワンダ訪問に対するルワンダ人の受け止めが複雑であることを紹介した上で、ルワンダ人学者(Christopher Kayumba)の次の発言を紹介します。
 パリとキガリにおける関係回復に向けた動きは、正義感よりも政治的考慮によって動かされている。「フランスはジェノサイドに大きな役割を担ったが、ジェノサイドそのものは共謀していないという主張には疑問があり、それは真実の解釈に基づいてはいない。」「それ(関係回復に向けた動き)はフランス及びルワンダにおけるコンセンサスに基づいておらず、カガメ及びマクロン両大統領の政治的意意思及び協力に基づいている。」
 以上の発言を締めに持ってきたこの記事の発信者の意図はキガリ大統領に対する批判をにじませることにあるようです。すなわちこの記事は最後に、カガメは1994年以来ルワンダの事実上の指導者、2000年からは大統領で、秩序回復、経済発展及び保健衛生に功績があったとして海外で評価されているが、人権監視団体、反体制派その他はカガメの厳しい支配を非難している、と指摘しています。
 以上のAP電で紹介されているフランス側の報告に関しては、"The African Report"、"Republicworld.com"、"POLITICO"等のサイトで紹介していることを確認しました。最初のサイトはこの報告全文(浅井:覗いてみましたが、残念ながらフランス語で太刀打ちできず)をリンクしています。内容的には、フランスの植民地支配に対するマクロンの関心の所在も含めて説き明かそうとしているPOLITICO WS掲載文章が秀逸ですので、以下に紹介します。
 マクロンは大統領になってから、アフリカにおけるフランスの植民地支配の過去及び植民地支配以後の出来事に立ち向かおうとした。それは、それぞれの時期における事実に基づいた言説を提供することにより、(フランスが背負ってきた)負荷を解き放ち、フランスの利益を促進し、多くのアフリカ青年層で増大しつつある反仏感情に対抗したい、という意図によるものだった。
 報告は結論として、ジェノサイドに対処する上で、フランスは政治的、軍事的、外交的、行政的、知的及び倫理的に失敗があったことを見いだした。報告者は、当時の大統領府はルワンダのフツ指導部との緊密さ及び「人種的ナショナリスト的妄想」によって眼が曇らされていたと述べた。
 1994年のジェノサイドでは、約100万人のツチと穏健派フツがフツ軍によって殺害されたが、問題となったのは、フツ当局を支援する点でフランスが演じた役割についてだった。ミッテラン大統領(当時)はルワンダの相手であるハビャリマナ大統領(当時)と緊密な個人的関係があり、報告は、この緊密さが「(フランスの)政策に影を落とした(looms over)」ことを発見した。
 報告は次のように述べる。「フランスはツチのジェノサイドの共犯者であるか。この問いがジェノサイド作戦への参加意志を意味するとすれば、文献の中にそれを証明するものはない。しかし、フランスは長い間、人種的虐殺を煽る政権にかかわってきた。フランスは、この政権のもっとも過激な連中によるジェノサイドを準備することに対して盲目だった。フランスは、一方で大統領に代表される「フツ同盟」に反対しながら、他方でRPF(ルワンダ愛国戦線)の代名詞である「ウガンダのツチ」という敵にも反対する二元的立場を採用していた。フランスは、ジェノサイドを行ったルワンダ暫定政府と袂を分かつことに逡巡し、RPFの脅威をアジェンダのトップに置き続けた。」「以上の調査に基づき、(フランスの)重大かつ圧倒的な責任の所在を明らかにした。」
 マクロンは報告の以上の結論を歓迎した。フランス大統領府のプレス・リリースは次のように述べている。「大統領は、委員会が成し遂げた素晴らしい科学的仕事に敬意を表し、ルワンダにおけるフランスのかかわりを理解し、記述する点で報告はかなり前進したと強調した。」「フランスは、ジェノサイドに責任があるものたちが刑罰を免れていることに対して闘う努力を進める。」
 マクロンは、独立を獲得するためのアルジェリアの1954-1962年の戦争の後に生まれた最初の大統領であり、ルワンダのジェノサイドのときはティーンエイジャーだった。そのため、彼は事件から距離を置き、事件に立ち向かうことが可能だった。彼は、秘密文献へのアクセスを許可し、フランスがこれまで否定してきた、犯罪に対するフランス国家の責任を承認することで実際にそうした。このことは、フランスが130年以上にわたって暴力的に植民地化したアルジェリアについて特にそうである。これらの問題は、フランスの植民地時代の過去をどのように教えるべきかが繰り返し議論されてきたように、フランスの公共の言論において今もなお悩ましいものであり続けている。ルワンダ委員会は国家のアーカイブについて従前以上のアクセスが与えられたが、報告は「これらの文献だけでは、ルワンダにおけるフランスの関与の歴史及び役割を徹底的に説明するには十分ではなかった」と指摘している。理由はいろいろあるが、文献の中には紛失したものや、そもそもアーカイブの中に収められなかったものもあることが考えられる。
 5月29日の環球時報もマクロンのルワンダ訪問について報道しました。この記事は特にマクロンのアフリカ外交重視の背景について、ニューヨーク・タイムズ及び「ドイツの声」(Deutsche Welle)の論評を引用する形で次のように述べています。
(ニューヨーク・タイムズ)
 2017年に大統領就任以来、マクロンはアフリカ諸国との関係をリセットしようとしてきたが、今回のルワンダとの和解は、彼が中国、ロシア、トルコなどと争ってきたアフリカに対する影響力という点でもっとも成功した試みである。今日の世界において、大国がアフリカを舞台にして競争することは何も新しいことではない。しかし、アフリカ大陸では、20カ国近くがフランス語を話し、14カ国が西アフリカ・フラン(通貨)を使い、数カ国はフランス軍に頼っている。しかも、ドゴール時代に署名された条約が多くのアフリカ諸国で今日なお効力を持っている。こういうことを考えると、メディアの中には「フランスとアフリカとの共栄」は再現しないとするものもあるが、マクロンのアフリカに対する野心を過小評価するべきではない。
(「ドイツの声」)
 アフリカにおけるフランスの旧植民地は独立して60年以上になるが、フランスの影響力は依然として及ばないところがない。アフリカの多くの国々の政治制度はフランスから導入され、フランスはアフリカにかなりの軍事力を擁してアフリカ諸国の政権を支え、安定に貢献している。フランスはアフリカ大陸に約1100の会社、約2100の子会社を持ち、英米に次ぐ第3位の投資者の地位を占めている。フランスはまた、いくつかの国において自然資源の優先権を持っている。にわかに信じがたいことだが、いくつかの国の教科書の内容は相変わらずフランスが決定しており、過去においてアフリカ諸国の外貨準備の65%がフランス国家に預けられていたこともあった。西アフリカ・フランは現在も8つの西アフリカ諸国と6つの中央アフリカ諸国で使用されている。フランスは最近、8つの西アフリカ諸国との間で西アフリカ・フランに代わる西アフリカ単一通貨の採用に合意した。