アメリカの「台湾・南シナ海防衛コミットメント」戦略の見直しを正面から論じる文章に出逢い、①その主張には大賛成(中国も大歓迎間違いなし)、しかし②ゴチゴチのパワー・ポリティックスに基づく議論展開と他者感覚ゼロ(ここでの他者とは中国と台湾)の自己中な発想(アメリカにとってのメリット・ディメリットしか念頭にない-台湾はいわば「使い捨てぞうきん」の-考え方)には閉口・げんなり、とは言え③反中意識の燃えさかるアメリカの既成エスタブリッシュメントを説得するには、こういう説得の仕方しかないのかもしれない(ひょっとすると、この論者はそこまで考えた上でこの文章を発表したのかもしれない)という複雑な感慨等々、いろいろなことを考えさせられました。その文章とは4月28日付けで、『フォリン・アフェアズ』WSに掲載されたチャールス・グレイサー(Charles L. Glaser)署名の「台湾及び中国について難問を回避するワシントン」("Washington Is Avoiding the Tough Questions on Taiwan and China")と題する文章です。著者はジョージタウン大学教授。
 グレイサーの議論の出発点にあるのは、中国との対決を前面に押し出すバイデン政権が台湾及び南シナ海について従来からの「防衛コミットメント」戦略を固執する上では、①中国との全面的軍事対決(核戦争)という最悪の事態をも覚悟しなければならない、しかし②最悪の事態を「見て見ぬふり」でやり過ごしているのは危険である、という認識です。私が4月18日のコラムで紹介した環球時報社説はこの点を突いたものであり、グレイサーの問題意識は至極まっとうなものです。
 この問題意識に基づくグレイサーの主張の要点は、①アメリカにとって何が死活的利益かを判断基準に据える、②日本・韓国は死活的利益であるので防衛コミットメントの対象であることを確認する、③台湾・南シナ海は死活的利益ではないので防衛コミットメントから外す、ということです。この結論は中国にとって大歓迎間違いなしですが、パワー・ポリティックス的発想全開の代物であり、使い捨てにされる台湾からすれば「たまったものではない」と悲鳴が上がるに違いありません。とは言え、「アメリカ第一主義」の発想に凝り固まっているアメリカ国内では、こういう議論の仕方でないと誰も見向きもしないのかもしれません。
 しかし、グレイサーガ中国の台湾・南シナ海にかかわる立場・主張・政策を理解しているならば、「死活的利益」などと大上段に構えた(悲壮な?) 議論をする必要はないはずです。中国は台湾・南シナ海についてゴリ押しするアメリカに身構えることを余儀なくされているだけのことです。アメリカ(バイデン政権)がグレイサー流の「物わかりの良さ」を示せば、中国は警戒心を解きます。アメリカに「見捨てられる」(アメリカという後ろ盾を失う)台湾(民進党政権)は「台湾独立」の野心を捨てざるを得ず、中国の説く「一国二制」を呑むことで生き残りを図るほかなくなるでしょう。中国は台湾には香港・マカオ以上に緩い「一国二制」で臨む用意がある(極端な言い方をすれば、「中華民国」の看板さえ下ろせば、あとは三権及び軍隊を含めて今までどおりで良い)と言っているのです。香港の民主化要求を弾圧した中国の言葉・約束は「当てにならない」という指摘はあるでしょう。しかし、香港の「民主化」運動の後ろにはアメリカがいて糸を操っていたから、中国はその糸を断ったのです。アメリカ(バイデン政権)がグレイサーの主張に沿って台湾政策を大転換すれば(台湾のバックにいることをやめれば)、中国は「荒っぽい」外科的解決に訴える必要はなくなります。台湾がその気になるまで、「百年でも、二百年でも待つ用意がある」のです。それが歴史の民・中国です。
 以上の中国の立場を踏まえる私からすると、グレイサーのパワー・ポリティックス全開の議論には苦笑せざるを得ませんし、正直言って、閉口・げんなりです。しかし、「中国の立場を踏まえた」議論をアメリカ(バイデン政権)に対して行っても「馬の耳に念仏」であろうことは私にも察しがつきます。したがって、パワー・ポリティックスに凝り固まったアメリカ(バイデン政権)に「聞く耳」を持たせるためにはグレイサー流の「話のもっていきかた」しかないのかもしれません。他者感覚を持ち合わせていないアメリカ(バイデン政権)に対しては、私たちが最大限に他者感覚を働かせて(アメリカ的発想を我がものにして)「話を持っていく」工夫が必要なのでしょう。グレイサーの文章は、私たちがパワー・ポリティックス的発想で物事に接していく訓練をする上での「生きた教材」とすることができると思います(グレイサーが「我が意を得たり」と言うか、目を白黒させるかは定かではありませんが)。グレイサーの文章(大要)を訳出して紹介するゆえんです。

 中国に関してアメリカの政策決定者はほぼコンセンサスに達している。すなわち、中国は10年前以上よりも大きな脅威となったし、そういう中国に対してはますます対決的政策で臨まなければならないということだ。議論がほとんどないのは、如何にしてアメリカのクレディビリティを高めるか、中国とのバランスをとる上でアメリカの同盟国はどんな役割を担うべきか、北京の経済的圧力を潰すことは可能かといった問題である。しかし、もっとも重大な問題がほとんど見過ごされている。すなわち、中国との戦争の危険性を少なくするために、アメリカは東アジアにおけるコミットメントを切り詰めるべきではないか、という問題だ。
 グローバルなバランス・オヴ・パワーが大きく変化しているときはいつでも、どのコミットメントは続け、どのコミットメントは切るかという問題に直面する。台頭国家は以前には得られなかった目標を獲得し、新たな目標を抱くことができるようになる一方、下降国家はこれまでのコミットメントを維持することが高くつき、リスクもより大きくなる。今日の中国とアメリカがそのケースだ。
 北京は数十年前には手に届かなかった軍事力を獲得した。中国は、米軍が中国領近辺で活動するのを防止するための「アクセス防止・エリア拒否」("anti-access/area-denial" A2/AD)能力を構築している。中国は今や台湾をめぐる戦争で勝つ確かな可能性を手にしているし、南シナ海における海軍力を維持する能力を獲得しつつある。同時に、中国の指導者はますます挑発的になっており、台湾統一は差し迫った目標であることをことさらに明確にしている。中国の軍事力向上は、アメリカのデタランス能力を弱め、緊張した海洋紛争の増大は偶発のリスクを高めている。その結果、世界の二つの大国間の本格的戦争という恐るべき可能性がますます現実味を帯びようとしている。
<コミットメントの問題>
 東アジアにおけるアメリカのコミットメントを評価するためにまずしなければならないことは、アメリカにとっての利益をランク付けするとともに、中国がそれらを脅かす能力を評価するということだ。他の条件が等しいとした場合、ワシントンとしては、二義的利害を守るコミットメントよりも死活的利害を守るコミットメントを切り詰めてしまう、ということにはより慎重であるべきである。幸いなことに、米本土の安全という真の死活的利害は危険にさらされていない。米中は広大な大洋で分け隔てられており、通常戦力による侵略はほぼ不可能である。また、中国は核戦力を現代化しつつあるとはいえ、アメリカの核戦力ははるかに強大かつ先を行っている。ワシントンがデタランスを維持することは簡単である。
 アメリカの利害の階段で次に来るのは東アジアの同盟国(主に日本と韓国)を守ることである。アメリカは数十年にわたって日韓との安全保障同盟を大切にしてきた。アメリカの指導者は今日も、中国がこの地域を支配するのを防止し、韓国と日本が核兵器を取得するのをストップし、アメリカのグローバルなリーダーシップを保全する上で、これらの関係が不可欠であると認識している。欧州及びペルシャ湾からの兵力引き上げを主張する学者でさえ、アメリカがアジアで同盟関係を維持することは必要だとしている。
 これらの利害を防衛する見通しも視界良好である。中国がアメリカの同盟国を脅かす能力は増大してはいるが、アメリカの支援のもとで日本が中国の攻撃を退けられることは間違いない。数百マイルの海洋を越える侵略というのはもともと簡単ではないが、先進的監視テクノロジー及び精度の高い通常兵器のお陰でますます敷居は高くなっている。中国が日本を孤立させて圧力をかける意図に基づいて封鎖を実行することは以前よりは容易になっているかもしれないが、これもおそらく失敗するだろう。日本は中国のA2/AD能力が効果的に働く範囲の外に位置しており、東側に位置する港湾から供給を受けることができる。中国により近い韓国は日本よりも脆弱ではあるが、アメリカの支援があれば勝ちを収めるだろう。
 アメリカの利害の階段のさらに下に来るのは台湾である。1979年に中国を承認して以来、アメリカは台湾当局と非公式な関係を維持してきた。ワシントンは、中国が進んで攻撃を仕掛ける場合に対して台湾を防衛することについて若干曖昧なコミットメントを表明してきたし、数百億ドルに達する武器を台湾に売却してきた。日本及び韓国に対するアメリカのコミットメントと比較した場合、台湾に対する義理を尽くすことはよりリスキーである。北京は台湾を力尽くで支配下に収めることに関する動機とますます増え続ける手段とを持っている。中国の指導者は台湾を中国の一部と考えており、台湾は大陸から110マイルしか離れていないので、中国の通常兵力に対してますます脆弱である。
 台湾はアメリカの死活的利害ではない(サイズ及び富は主要国以下のレベル)が、2300万の島民を擁する、活力あるデモクラシーである。日本及び韓国とは異なり、台湾がアメリカの安全保障という枠組みの中で位置づけられることはほとんどない。というより、アメリカが台湾を守るという理由付けはイデオロギー的かつ人道的なものである。すなわち、デモクラシーは総じて守られるべきであり、特に台湾に関しては、中国の権威主義支配に落ちた場合には終わらされるに違いない貴重なサクセス・ストーリーとして、守る価値があるということだ。1980年代から、北京は「一国二制」を言い始めた。それに基づけば、台湾は大陸に統一された後も、従来のシステムで統治されることになる。この概念はもともと怪しげだった。最近の中国による香港弾圧で、「一国二制」はまったく現実性が失われた。
 イデオロギー的及び人道的に台湾を守るという理由付けはまっとうなものであるが、多くの論者はさらに進んで、アメリカの基本的な安全保障上の利害が危険にさらされると論じている。彼らの論法に従えば、ワシントンが台湾に対するコミットメントを終了させると、地域全体におけるアメリカのクレディビリティが損なわれるというのだ。そういう猜疑心を抱くアメリカの同盟国は北京に付く誘因に駆られるだろう、とされる。次のような主張をつけ加える論者もいる。すなわち、中国が台湾を支配すれば、攻撃型潜水艦及び核搭載潜水艦の基地を台湾に置くことで、中国の軍事的勢力範囲を広げることができる。そうなれば、アメリカの通常兵力の中国に対する影響力は損なわれるし、核攻撃に対する中国の対応能力も増大するだろう、というわけだ。
 しかしこの終末論的シナリオには疑問符をつけるべき十分な理由がある。台湾に対するコミットメントを終わらせても、日本と韓国に関するアメリカのクレディビリティは保全することができるだろう。両国は、アメリカにとって台湾が両国ほど重要ではないこと、そして、台湾を守ることのリスクはより高いことを間違いなく理解するだろう。台湾を手放しても、ワシントンの東京及びソウルに対するコミットメントの強いことにはなんの影響もない。さらに、アメリカは日韓に対するコミットメントを強化する措置も講じることができる。例えば、インド太平洋への兵力増強、同盟国との軍事計画・作戦のいっそうの統合等。中国の台湾支配がアメリカとの戦闘能力に及ぼす影響についてもそれほど心配する必要はない。仮に中国の核兵器搭載潜水艦が新たに太平洋へのアクセスを得るとしても、その活動範囲の広がりは生き残り能力を高めるかもしれないが、アメリカの報復能力が損なわれることはない。アメリカの核デタラントは極めて効果的な状態を保つだろう。通常兵力による脅威については評価がより難しいが、中国の潜水艦による脅威はより大きくなるとしても極めて大きくなるということはないだろう。中国の陸上及び海上兵力はすでに、中国周辺では米軍に対する脅威となっている。さらに、米海軍は対潜水艦用戦闘資産(攻撃型潜水艦、海洋パトロール航空機、海洋監視船艦など)を配備することで、中国の潜水艦が台湾から出動する能力を大幅に減らすことができる。以上を要するに、中国が台湾を支配する結果としてその通常戦力が増大するとしても、それは大して重要なことではない。というのは、アメリカはもはや台湾防衛にコミットしていないのだから、中国との大規模戦争の確率は大幅に低くなるからである。
 東アジアにおけるアメリカの利害の階段で台湾より下に来るのは南シナ海である。多くの論者によれば、ワシントンは中国が貿易の流れを妨害することを防止することに利害を有するとされる。アメリカは長らく、南シナ海における航行の自由を保全すると公言し、フィリピンの海洋権益を保護するという曖昧なコミットメントをし、中国が南沙諸島に基地を建設することを非難してきた。
 ここでもまた、コミットメントを終了することの危険性が誇張されてきた可能性がある。もちろん、平時においては、すべての国々はシーレーンがオープンであることに利害を持っている。しかし、戦時となって中国が南シナ海を閉鎖したとしても、マラッカ海溝から南シナ海に入っていた船舶は、南シナ海をバイパスし、インドネシア及びフィリピンの群島海域を経て日本及び韓国に達することができる。逆に中国はより困難な状況に陥るだろう。中国の交易品の多くはインド洋を航行する必要があるが、インド洋は相変わらず米海軍が支配しているからである。
<譲歩のいろいろなケース>
 すべての利害は等しい価値で作られているわけではなく、そうした利害に対する脅威についてもまた然りである。そうであるとすれば、東アジアにおける様々な利害を、アメリカはなぜ同等に扱うべきなのだろうか。日本及び韓国との同盟関係は重要かつ相対的にロー・リスクであるから、ワシントンは引き続き両国を守るべきである。しかし、台湾と南シナ海に対するコミットメントに関しては、現行政策のロジックを支えることは難しい。これらのコミットメントに関しては取り下げるべきである。
 これらの利害について譲歩する上では様々な形をとることができるだろう。もっとも魅力的なのはグランド・バーゲンである。つまり、中国が南シナ海の紛争について他の権利主張者と解決することに同意する見返りとして、アメリカは台湾に対するコミットメントを終了することに同意するというものだ。もっとも、そういう地政学的な妥協を行うタイミングはもう過ぎてしまった。中国は南シナ海及びアメリカの東アジアにおける役割に関する立場を硬化させたからだ。
 次善の選択肢はアメリカのコミットメントを一方的に取り消すことだ。この選択肢における一つの形は宥和政策であり、相互主義を期待しないで中国の拡張志向を満足させる譲歩である。しかし、北京を満足させるためにはアメリカが東アジアから完全撤退することが要求されるだろうから、宥和政策は最悪の賭けとなるだろう。もっとマシな賭けは縮小政策だろう。つまり、アメリカはただただ紛争を回避するためだけに、台湾に対するコミットメントを終了し、中国の自己主張の政策に対する反対を引っ込めるのだ。ここでアメリカが追求するのは、第二義的、第三義的な利害のために招きかねない危機ないし戦争の危険性を低くするということになるだろう。縮小政策の成功は、中国の目標が制限的なものであるかどうか、あるいは、中国がアメリカの譲歩の目的についアメリカと合意するかどうかによって左右されることはない。
 縮小政策は実際にはどんなものになるだろうか。アメリカは修正した立場を公にすることにより、中国が台湾を攻撃する場合に干渉を要求する対外政策エリート及び公衆の圧力を最小限にする足場を固めることになるだろう。アメリカは引き続き台湾征服のための中国による武力行使は国際規範に違反することを明确にするだろうし、征服をより困難にするために台湾に対する武器売却を続けることになるだろう。縮小政策は必ずしも防衛費カットを意味することにはならない。実際には、ワシントンは日本と韓国を防衛する能力を保全し、高めるための支出を引き上げることもできるだろう。これらの投資は中国及び日韓に明確なシグナルを送ることになるだろう。すなわち、アメリカはカットしないコミットメントについては断固として守るというシグナルである。
<難しい選択>
 東アジアにおけるアメリカのコミットメントをすべて守るという現行戦略のもとでは、中国との全面戦争のリスクは小さいけれども、増大しつつある。したがって、途方もない結果を伴う出来事については、ありそうではないとしても深刻に捉える必要がある。米中戦争のコストは巨大であり、核戦争ともなれば大惨事となる。ところがこれまで、政策決定者はそういう戦争が想定されるコミットメントを縮小することにほとんど関心を示してこなかった。
 縮小政策は、世界の超大国というアメリカの自己認識と衝突するために、当然得て然るべき支持を得られないでいる。アメリカは冷戦の勝利者、自由な国際秩序の創始者かつ指導者、保護の価値がある物事の保護者と考えている者にとって、縮小政策は耳障りな雑音以外の何ものでもない。これは危険な反射神経である。特定のアイデンティティに対するこの手の傾倒は政策を修正することに対する障害となることがある。その結果、アメリカにとっての重要利害は反対方向を指しているのに、アメリカはステータス・クオに固執することになりかねない。中国が台頭しているからといって、アメリカがデモクラシーを含めた自らの価値観を変えることにはならないが、セルフ・イメージをアップデートし、ステータスがいささか損なわれていることを受け入れる必要はある。
 アメリカは慎重な政策を行っていると信じている者が多いようだが、その中身は既存のコミットメントを維持しているだけだ。しかし、落ち目の大国(a declining power)がステータス・クオに固執すると、極めてリスキーな行動に陥ることがしばしばだ。アメリカが今やっていることはそういうことである。アメリカの当局者は認識もないままで大変なリスクを背負い込み、東アジアのバランス・オヴ・パワーが変化しているのに古くさくなったコミットメントに執着している。現行政策を支える責任はその推進者が負うべきである。彼らは、その政策に伴うリスクの所在を認めた上で、その政策がなぜ必要なのかを説明するべきである。しかるに、コース変更の期限はとっくの昔に過ぎているというのに、行われるべきディベートもないままに、アメリカは東アジアにおけるコミットメントを後生大事にして自動操縦席に座り続けようとしている。