3月23日の「フォリン・アフェアズ」WSは、リチャード・ハース及びチャールス・カプチャンによる「大国の新協調システム」("The New Concert of Powers")と題する文章を掲載しました。私が久々に興奮を覚える、極めて野心的、大胆なかつ私にとっては大いに納得のいく、21世紀国際秩序形成に関する提案が盛り込まれていました。この提案は、1815年の欧州協調システムに範をとって、21世紀版の大国協調システムの構築を提起するものです。ハースは外交問題評議会議長(President of the Council on Foreign Relations)、カプチャンはジョージタウン大学教授であり、国際問題及びアメリカの対外政策に関する有力な論者です。彼らはともにパワー・ポリティックス的発想に立つ点で、アメリカのエスタブリッシュメントの有力メンバーでもあります。その二人が、パックス・アメリカーナの時代は終わり、もはや元に戻ることはないという冷徹な認識に立ち、中国(及びロシア)が今後ますます国際関係において存在感と影響力を強める必然性を承認した上で、21世紀国際関係の平和と安定を展望する上では、中国とロシアを含む大国協調システムを構築することが唯一の現実的選択肢であることを提起しているのです。
バイデン政権が相も変わらずパックス・アメリカーナの国際秩序の回復を指向し、中国及びロシアとの対決(政権としては「競争」と表現しますが)を前面に押し出す対外政策を追求しようとしている状況を目の前にするとき、ハースとカプチャンの提起の重要性をいかに強調してもしすぎるということはないでしょう。私は早くから、アメリカのエスタブリッシュメントがアメリカの一極支配の時代が終わりつつあることを承認しない限り、21世紀の国際関係が平和と安定そして発展を実現することはできないことを主張してきました。ハース・カプチャンの文章が重要でかつ画時代的なものであるゆえんは、アメリカのエスタブリッシュメントの中からそういう時代(歴史)認識を明確に明らかにし、パックス・アメリカーナに代わる大国協調システムを積極的に提起している点にあります。
 かつて米ソ冷戦の終了を受けてフランシス・フクヤマは、高揚感をあらわにしながら『歴史の終わり』を宣言しましたが、その誤りは彼自身がいまや認めるとおりです。私は、ハース・カプチャンの提起こそ、21世紀の国際関係の本質・特徴を、パワー・ポリティックスの立場から、冷静に見極めたものであり、この文章こそ歴史の検証に耐えうる内容を持っていると思います。私自身はパワー・ポリティックスを是認するものではありませんが、冷静かつ客観的な国際情勢認識を行うリアリストの真骨頂を見せつけている点では、キッシンジャー、グラハム・アリソン(2月25日のコラムで紹介)と並んで、今回のハース・カプチャン文章は出色だと思います。
 ハース・カプチャンが提起している世界協調システムの最大のメリットは、中国とロシアにとっても受け入れ可能な(という以上に、歓迎できる)、したがって十分に実現可能な提案であるということです。ロシアはかねがね、バランス・オブ・パワー(勢力均衡)に代わるバランス・オブ・インタレスト(利益均衡)を基軸とする国際関係のあり方を提唱しています。ハース・カプチャンの提唱する協調システムは大いに歓迎できるものでしょう。中国が目指すのはウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックスであり、パワー・ポリティックスを基底におくハース・カプチャンのアプローチとは「イデオロギー」的に本質が異なりますが、その具体化として中国が提唱する「新型大国関係」の内実は「大国協調システム」のそれと近接しています。
 ハース・カプチャンが認めているように、彼らの提案の個々の部分については大いに異見が出る可能性があります。また、「大国による国際関係支配」というこの提案の出発点に対しても、国際的に厳しい批判が出るであろうことは容易に想像できます。しかし、ハース・カプチャンが最後にリマインドしているとおり、「世界協調システムは万能薬ではないが、これに代わりうる代替案もない」という指摘には、私も大いに同感です。結論的にいえば、ハース・カプチャンの提案にもっとも反対するのはアメリカ自身であり、なかんずくバイデン政権であろうことは容易に想像できます。私が心から願うのは、アメリカのエスタブリッシュメントの中から出てきたこの提案がアメリカ国内で影響力を持つようになること、そして、バイデン政権の硬直した発想・アプローチに風穴を開ける役割を果たしてくれることです。この文章が「アメリカはこれを契機として国際情勢認識及び対外政策における根本的転換に向かうことになった」という歴史的評価を受ける日が到来することを願わざるを得ません。以下に大要を訳出・紹介します。

 国際システムは歴史的転換点にある。アジアが経済的上昇を続けているとき、パックス・ブリタニカ及びパックス・アメリカーナという西側による2世紀に及ぶ世界支配は終わろうとしている。西側は物質的支配のみならずイデオロギー上の優越性も失いつつある。世界の至る所で、民主主義は反自由主義とポピュリズムの餌食になっており、その間に中国は好戦的なロシアの助けを得て、国内及び国際のガヴァナンス双方における西側の権威及び共和主義的アプローチに挑戦しようとしている。
 バイデン大統領は、アメリカン・デモクワシーを一新し、世界におけるアメリカのリーダーシップを回復し、壊滅的な人的経済的結果をもたらしたパンデミックを押さえ込むことにコミットしている。しかし、バイデンの勝利の可能性は五分五分だ。大西洋両岸における怒れるポピュリズムと反自由主義的衝動は簡単に収まる気配はない。さらに、仮に西側デモクラシーが分裂を克服し、反自由主義に打ち勝ち、経済的反転を成し遂げるとしても、多極的でイデオロギー的に多様な世界の到来を防ぐことはできないだろう。
 歴史が明らかにしているように、このように混迷した変化の時期には大きな危険が伴うものだ。支配及びイデオロギーをめぐる大国の争いは通常大きな戦争に繋がってきている。このような結果を回避するためには、第二次大戦後の西側主導のリベラルな秩序で21世紀における世界の安定をつなぎ止めることはできない、ということを率直に認める必要がある。
 21世紀の安定を促進する最善の手段は大国による世界協調システムである。19世紀の欧州協調システムの歴史が証明するように、主要国による集団的統御によって多極化に伴う地政学的イデオロギー的争いを取り締まることができる。
協調システムが持つ二つの特徴は、いま現れつつある世界の状況にマッチしている。二つの特徴とは政治的包容性と手続き的略式性(political inclusivity and procedural informality)である。包容性とは、政権のタイプには関係なしに、地政学的に影響力があり強力な国家で(協調システム内に)いるべきものをシステムに入れることを意味する。そうすることにより、内政上のガヴァナンスにかかわるイデオロギー的違いと国際協力問題とを切り離すのである。略式性とは、拘束的強制的な手続き・合意を回避することを意味する。略式性という特徴は、協調システムと国連安全保障理事会との違いを際立たせるものである。国連安保理は拒否権を持つ常任理事国間の争いで常に麻痺させられている。協調システムはそれとは対照的に、コンセンサス作りのためのプライベートな場を提供する。このような場は、主要大国が共通かつ競い合う利害を持つが故にマストなのである。世界協調システムは、真の意味での持続的な戦略対話のための手段を提供することで、地政学的イデオロギー的に避けることができない対立を現実的に和らげ、やりこなすことができる。
 世界協調システムは決定機関ではなく、協議機関という性格になるだろう。そこでは出現する危機を扱うが、物事を扱う順番は緊急性よりも重要性に基づくことになるであろうし、現存する規範及び制度の改革を重視することになるだろう。そこでは、新しいルールを編み出し、集団的イニシアティヴを形成することを助長し、具体的な運用事項については国連その他の既存の機関に委ねることになる。運用事項とは、例えば平和維持活動、パンデミック救済、気候問題の新しい取り決め等である。したがって、協調システムは決定を行い、その実施は他の機関に任せることになる。つまり、協調システムは現存の国際的仕組みに取って代わるのではなく、その上または背後に座るものであり、現存の仕組みにはない対話の機能を営むことになる。国連は大きすぎ、官僚的にすぎるのであり、また、形式的すぎる。G7あるいはG20は役には立つが、恐ろしいほどに力不足である。というのは、コミュニケ作りに大半のエネルギーが割かれるからだ。首脳間、外相間の電話会談に関して言えば、まれにしか行われないし、取り上げるテーマにおいて狭すぎることが多い。
 外交を導く国際的な規範について大国間のコンセンサスを編み出すこと、リベラルな政府もリベラルでない政府も正統かつ正式として受け入れること、危機に対して共有されるアプローチを採用すること、多極世界のもとで平和を保全するために欧州協調システムが依拠したのは以上の重要な新機軸だった。21世紀の世界協調システムは、19世紀の欧州協調システムから教訓を引き出し、同じことをすることができる。協調システムは、同盟その他の条約で形を与えられたものに具わる確実性、予見性、強制性には欠ける。しかし政策立案者は、地政学的な流動性の中で平和を保全するためのメカニズムを工夫することによって、望ましいけれども不可能なことよりも、実行可能で達成可能なことのために努力するべきである。
<21世紀の世界協調システムとは>
 世界協調システムは中国、EU、インド、日本、ロシアそしてアメリカという6者で構成されるだろう。民主国家も非民主国家も平等な立場であり、包容性の基準は価値観や政権のタイプではなく、力及び影響力に基づく。6者の合計で世界のGDP及び軍事支出の約70%を占める。協調システムにこれら6つの重量級を含むことで、地政学上の重要性が備わると共に、厄介なおしゃべりクラブに堕することを防止することもできる。
 構成員・国は世界協調システムの本部に外交的に最高級クラスの常設代表を送り込む。アフリカ連合(AU)、アラブ連盟、ASEAN、米州機構(OAS)の4つの地域機構は、協調システムの正式メンバーではないが、本部に常設代表部を置く。これら4つの機関はそれぞれの地域の代表として協調システムの議題設定を支援する。これらの地域に関係する問題を議論する際には、システム構成国・員はこれら機関の代表等の会合参加を招請できる。例えば、中東紛争を扱うときには、アラブ連盟、イラン、イスラエル、トルコといった関係国に参加を要請できる。
 世界協調システムは成文化されたルールは避け、コンセンサス形成のための対話に依拠する。欧州協調システムのときと同じく、領土的現状維持及び主権の考え方を尊重する。したがって、国際的なコンセンサスがある場合を除き、既存の国境を変更し、政権を倒すための軍事力使用その他の強圧的手段は用いない。こういう比較的保守的な基本線を設けることは全構成員の賛同を得やすくするだろう。同時に協調システムは、主権に対するグローバリゼーションの影響とか、とんでもない行動に出る国家に対して主権免除を認めない必要性とかに関する議論を行うのには格好の舞台を提供するだろう。国家のとんでもない行動とは、ジェノサイドを行う、テロリストをかくまったりそのスポンサーになったりする、熱帯雨林破壊によって気候変動を極端に加速させる、などが含まれるだろう。
 世界協調システムはユニラテラルな動きが破壊的でなくなるようにすることもできるだろう。利害が絡む紛争はなくなりそうもないが、大国間外交に特化する新しい手段はこうした紛争を管理しやすくするだろう。構成員は原則として規範が支配する国際秩序を支持するだろうが、協力については限界があることを承知の上でいわば冷めた期待感で臨み、互いの立場の違いを問題ごとに仕切るようにするだろう。19世紀の協調システムでは、例えばギリシャ、スペインなどにおける自由主義的反乱にいかに対応するかをめぐって、システム構成国間のしつこい立場の違いに直面することがしばしばだったが、対話と妥協を通じて食い止めた。これら大国が1853年のクリミア戦争で戦場に戻ることになったのは、1848年革命がナショナリズムの潮流という攪乱要因を生み出したからだった。
 世界協調システムのもとでは、国内のガヴァナンスに関しては構成国・員に大幅な抜け道が与えられるだろう。デモクラシー及び政治的権利の問題については、同意しないことに同意することによって、立場の違いが国際協力を妨げないようにするだろう。アメリカ及びその民主的同盟国・員は中国、ロシアその他の反自由主義に対する批判をやめないし、民主的な価値及びプラクティスを広める努力を放棄することもない。それどころか、普遍的な政治的人道的権利を防衛するため、声を上げ、影響力を行使し続けるだろう。同じように、中国とロシアは民主的構成国・員の国内政策を自由に批判し、自分たちのガヴァナンスのビジョンを公然と広めようとするだろう。しかし、協調システムとしては他の国の内政に関する越えてはならない干渉の限界について共通の理解を持つように動き、そうすることによって対立を回避するのである。
<大国常設グループは最善の選択>
 以上のような世界協調システムを設立することは、第二次大戦後に世界の民主主義陣営が開始した自由化プロジェクトの後退を認めることとなるだろう。共和主義的なガヴァナンスを広め、自由主義的な国際秩序をグローバル化するという西側の長期的目標からいえば、以上に述べた常設的グループが目指すものは障害となる。しかし、21世紀の地政学的現実を踏まえるとき、西側の期待を後退させることは避けることができない。
 一つには、国際システムは二極化及び多極化という特徴を明らかにしている。ここにはアメリカと中国という2つの競争相手がいる。しかし冷戦時とは異なり、両者間のイデオロギー的地政学的競争は世界をまたぐものではない。それどころか、EU、ロシア、インド、さらにはブラジル、インドネシア、ナイジェリア、トルコ、南アフリカ等の大国は2超大国を引き離す役割を担い、大幅な自立性を確保しようとする。中国及びアメリカも、戦略的関心が低い不安定ゾーンに対する関与を制限し、紛争管理を他国に任せ、あるいは放置するだろう。中国はもともと賢明に遠く離れた紛争地帯から政治的距離を置くようにしてきたし、アメリカの場合は高い授業料を払った後に中東及びアフリカから身を引こうとしている。
 したがって、21世紀の国際システムは19世紀欧州協調システムと似ている。当時もイギリスとロシアという2大国とフランス、プロシャそしてオーストリアというより低いランクの3大国がいた。欧州協調システムの主要目標は、1815年のウィーン会議で達成した領土問題解決へのコミットメントを通じて構成国間の平和を保全することだった。この約束が依拠したのは、契約的合意ではなく信義であり、共有された義務感だった。協調システム構成諸国は特に欧州の周縁部をめぐって利害の対立があることを認識していたが、グループの団結を損なわないように違いを管理するように努めた。
 世界協調システムも、欧州協調システムと同様、多極化のもとで安定を促進することに向いている。協調システムは構成員を管理可能なサイズに制限する。システムのインフォーマルなスタイルは状況の変化に適応できるようにするし、拘束力のあるコミットメントを各国が遠ざけるようにもする。19世紀そして今日も広がっているポピュリズムとナショナリズムという条件のもと、大国は固定的なフォ-マット及び義務よりも緩やかなグループ分け及び外交的弾力性をより好む。実際に、諸大国はすでに困難な挑戦に取り組むに当たって協調システム的なグルーピングあるいはいわゆるコンタクト・グループの方向に向かっている。その例としては、北朝鮮の核計画のための6者協議、2015年のイラン核合意を交渉したP5+1、ウクライナ東部の紛争の外交的解決を目指してきたノーマンディ・フォーマットがある。協調システムは世界的範囲の常設コンタクト・グループと理解することができる。
 21世紀は政治的及びイデオロギー的に多様である。中東及びアフリカにおいては安定的なデモクラシーを見つけることは難しい。実際、デモクラシーは世界的に退潮傾向であり、この流れは続くかもしれない。来たる国際秩序においてはイデオロギー的多様性の余地を残さなければならない。協調システムはそうするために必要な略式性と弾力性を備えている。そこでは国内ルール上の問題と国際的チームワーク上の問題とが区別される。19世紀では正に、政権のタイプについての不干渉的アプローチによって、イギリス及びフランスという自由化を志向する国家がロシア、プロシャ及びオーストリアという絶対君主制に固執する国家と協働することを可能にした。
 最後に、現在の国際構造の不完全さということも世界協調システムの必要性を裏書きしている。米中の対立は急激に過熱しており、世界は壊滅的なパンデミックに見舞われ、気候変動は進行しており、サイバースペースの発展は新たな脅威をもたらしている。これらの挑戦を前にするとき、現状維持に固執し、既存の国際規範及び制度に寄りかかろうとすることはナイーヴ極まりない。1815年の欧州協調システムが作られたのは、ナポレオン戦争がもたらした数年にわたる破壊の後だった。今日においては大国間の戦争がないからと言って、勝手に安心する理由にはならない。また、世界は数十年にわたる多極化を経験してきたけれども、グローバリゼーションの進展はグローバル・ガヴァナンスにおける新しいアプローチを必要としているし、その重要性も増している。パックス・ブリタニカの時代にグロ-バル化が進展し、第一次大戦まではロンドンが仕切っていた。暗い戦間期の後、アメリカが世界のリーダーシップを握って21世紀に至っている。
 しかし、パックス・アメリカーナはいまや空っぽになろうとしている。アメリカ及び伝統的な友好国は、相互依存的な国際システムをつなぎ止めることも、第二次大戦後に作り上げた自由な秩序を普遍的なものにする能力も意思もない。新コロナ・ウィルス危機におけるアメリカのリーダーシップの欠落は際立っていた。各国はバラバラだった。バイデン大統領はアメリカを再びチーム・プレーヤーにしようとしているが、アメリカ国内問題優先そして多極化進行により、ワシントンがかつてほしいままにした影響力は望むべくもない。とは言え、世界が再び地域的ブロック化に向かうことも、二極構造に向かうことも最初から論外だ。アメリカも、中国もそして世界も、国民経済、金融市場そしてサプライ・チェーンが不可逆的に結びついている状況を完全に元に戻すことはできるはずがない。盟主のいない中で統合されている世界を管理するには、大国常設グループが最善の選択である。
<大国常設グループに代わるオプションはない>
 (考え得るオプションとして、国連特に安全保障理事会、米中共同統治(コンドミニアム)、パックス・シニカを検討して、いずれも問題が多すぎるあるいは極めて非現実的と結論)
<大国常設グループの現実的メリット>
 (世界協調システムはグローバルな課題に対処することに向いているとして、核拡散防止問題、気候変動問題、地域問題などについて検討)
<世界協調システムに対するあり得る批判>
 (あり得る批判として、提案されている構成国・員が適当か否か-特に英仏独を外してEUを持ってきていること、ロシアは軍事大国かもしれないが経済力で見劣りすること-、大国の影響範囲を認めることになってしまうのではないか、あまりにも国家中心の考え方に立っているのではないか、略式性・弾力性を重視しながら、国常設グループを考えるのは矛盾ではないか、などの論点を上げた上で、そうした批判は当たらないとする。)
<世界協調システムは万能薬ではないが、これに代わりうる代替案もない>
 世界協調システムは万能薬ではないだろう。世界の重量級を一堂に会させることができるとしても、彼らの間でコンセンサスが常に保証されるとは限らない。欧州協調システムもクリミア戦争でダメになった。ウクライナ問題に関するノーマンディ・フォーマットも見るべき成果を挙げるに至っていない。しかしながら、大国間の協調を推進し、国際の安定を維持し、ルールに基づく秩序を促進する上で、世界協調システムは最善かつもっとも現実的な方法だ。アメリカ及びその民主的友好国としては西側の団結を回復したいという理由に事欠かないだろう。しかし、第二次大戦後の世界秩序を回復できるなどと考えることはやめるべきだ。西側はまた、リーダーシップの放棄は混乱と果てしのない競争にまみれたグローバル・システムに再び戻ることになる、という現実に冷静に向き合うべきであろう。世界協調システムは、理想主義的ではあっても非現実的な野心と様々な危険な代案との中間に位置する現実的な方法なのだ。