尾身茂会長の国会答弁を新聞紙上で見て、その厚顔無恥に怒りを通り越して呆れ返りました。
 彼は3月15日の参議院予算委員会で、首都圏で感染の下げ止まりがある現状について、「見えない感染源があるのではないかというのが我々の判断」と説明。「そのことを放置したままにただ(緊急事態宣言の)延長、また解除をしても本質的な解決にならない。重要なことはしっかりした現状の把握だ」とし、これまで以上に感染調査を徹底することが必要との考えを示した、といいます(朝日新聞)。
 また、3月16日の参議院予算委員会の中央公聴会で、共産党の小池書記局長が、感染拡大の予兆をつかむために(モニタリング」検査を拡大する必要性を提起したのに対して、尾身会長は「いま検査のキャパシティを格段に増やす絶好の機会だと思う。国が高い目標を持って決意を示してやることが重要だ」と答えました。また、変異株の実態を把握するために検査を大規模に広げていく技術的な障碍はあるかと小池氏が尋ねたのに対して、尾身会長は「技術的なことは障害にはならない。国がしっかりやるという意志を持てば、技術的には可能な状況だ」と答えたそうです(しんぶん赤旗)。
 私は昨年(2020年)4月22日のコラムで次のように指摘しました。

 「安倍政権及び御用学者がやってきたことの犯罪性は、「しらみつぶしで見つけ出す」ことには力を注入しないで、私たち国民に対して接触機会を減らすことの重要性だけを強調する(接触8割減にならず、感染者が減らないのは国民のせいだといわんばかり)点にあります。PCR検査を受けたい人も受けられない、受けたときにはすでに重症化が進んでいる(ということは命を失う危険性がすでに高まっているということ)、受けられないままに行き倒れになってしまう人まで現れているという点に、その重大な犯罪性が存在するのです。これほど人命軽視の取り組み方を平然と行い続けているのは、世界を見渡しても日本だけです(貧しくて十分な取り組みを行いたくても行えない国は除きます)。私はそこが我慢できないのです。」
 「御用学者によって国の行き方を誤らせるのをこれ以上許すわけにはいきません。原子力行政における御用学者の犯罪的役割は福島第一原発事故でようやく明らかになりました。しかし、今回の新コロナ・ウィルスに関しては、御用学者の犯罪的役割は日々実証されているのです。御用学者ではない良心的な専門家諸氏は、集団催眠から一刻も早く目を覚まし、警鐘を乱打して、安倍政権の犯罪を国民に知らしめ、人命第一の取り組みに大至急かつ抜本的に転換させなければなりません。」
 尾身会長が言う「見えない感染源があるのではないかというのが我々の判断」に関して言えば、私は早くから無症状感染者(私のいう「一匹狼」)を一網打尽にすることがコロナ対策の要諦と口を酸っぱくして言ってきましたし、中国のコロナ対策成功のカギも正に無症状感染者を徹底的に探し出すことにあることもコラムで何度も紹介したとおりです。クラスターだけに着目し、無症状感染者は野放しにしてきたのは尾身会長以下の厚労省医療技官なのです。よくもヌケヌケとこんなことが今更言えるものだと、開いた口が塞がりません。
 尾身会長以下の厚労省医療技官主導のコロナ対策に対する上昌広氏の根本的批判については、昨年5月15日のコラムで紹介しました。尾身会長の最近の発言がいかに自己反省を欠いた、厚顔無恥なものであるかを理解するために、再読をお薦めします。
 もちろん、尾身会長が検査の重要性を指摘していることは、あまりに遅きに失したとは言え、重要であるのはいうまでもありません。しかし、私として我慢ならないのは、今日の深刻な事態をもたらした根本原因が、尾身会長をはじめとする厚労省医療技官主導のコロナ対策にあることについて頬被りし、深刻な反省と謝罪(8700人近い死者を出しているのです)をまったくしないままで、のうのうと職責に居座るその厚かましさです。自らに都合の悪い過去については知らぬ存ぜぬを押し通すのは、いわゆる「従軍慰安婦」問題、強制連行問題に関する自民党政治のやり口ですが、コロナ問題に関する尾身会長以下の言動も正にその類いといわなければなりません。
 最近は日本のコロナ対策のいい加減さに物言いする気持ちも失せていたのですが、この数日目にする尾身会長のあまりの厚かましさに、どうしても一言なかるべからずと気持ちを振り絞った次第です。