私はアメリカにおける民主党政権の登場によって、トランプ政権を震源とする根拠のない「中国脅威」論が少しは収まるのではないかと期待していましたが、米日豪印(クアッド)首脳会談、米日及び米韓の「2+2」に向けたブリンケン国務長官、オースティン国防長官等の発言を見ていると、物事はそれほど簡単・単純ではないことに鼻白む思いがしています。私のバイデン政権に対する当初の期待は、感情の赴くままに行動するトランプ政権に比べれば、バイデン政権ではもう少し「理性が働く」ようになるのではないか、という期待感でしたが、ポンペイオの「中国は新疆ウイグル族に対してジェノサイドを行っている」という非難をブリンケンが肯定するのを目の当たりにして、私の当初の見立てがいかに根拠のないものかを思い知らされました。
 改めていうまでもなく、「ジェノサイド」(集団殺害)は、国連総会が「国際連合の精神と目的とに反し且つ文明世界によよって罪悪と認められた国際法上の犯罪」(1946年国連総会決議96号)と定め、「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約)」で防止と処罰について定めた、れっきとした国際法上の犯罪です。条約第2条は、この条約にいう「集団殺害」とは、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて行われた行為」であり、その「行為」として、(a)「集団構成員を殺すこと」、(b)「集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること」、(c)「全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること」、(d)「集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」、(e)「集団の児童を他の集団に強制的に移すこと」の5つを掲げています。また、処罰の対象となる行為として、「集団殺害」、「集団殺害を犯すための共同謀議」、「集団殺害を犯すことの直接かつ公然の教唆」、「集団殺害の未遂」及び「集団殺害の共犯」が挙げられています。
中国が新疆ウイグル自治区でウイグル族に対して「ジェノサイド」を行っているという非難は、2020年6月にアドリアン・ゼンツ(Adrian Zenz)という人物が発表した文章をもとに、主要欧米メディア(AP、CNN、BBC等)が、「激減するウイグル族出生率」及び「強制的出産制限」は中国の「ジェノサイド」政策の証拠であると一斉に声を上げたことが発端になっていると言われます。トランプ政権時代にポンペイオ国務長官は、ゼンツの文章が発表されたわずか数日後に、「ゼンツの衝撃的な暴露」を評価し、中国の「強制的断種、強制的中絶、強圧的家族計画」政策を非難する声明を発表しました。バイデンも当時(2020年8月)、一連のメディア報道をもとに中国によるジェノサイドに対する非難を支持しました。こうして、「中国が少数民族のウイグル族に対してジェノサイドを行ってきた」という「定説」ができあがったというわけです。国務長官に就任したブリンケンも、新疆で「ジェノサイド」が行われていると発言しました。
 以上の事実関係を報道したアメリカの独立ニュースWSの「グレー・ゾーン」(以下「GZ」)は、ゼンツが反共極右のイデオローグであり、また、彼が証拠として挙げた事例が科学的批判に耐え得ないものであることを具体的に指摘する文章を掲載しました(2月18日付け)。GZによれば、ゼンツは共産主義犠牲者記念基金(the Victims of Communism Memorial Foundation)及びワシントンDCにあるネオコンのジェームスタウン基金に属するドイツ人研究者です。ゼンツの雇用主である両基金は、ゼンツのことを「チベット及び新疆に対する中国政府の政策に関する世界の指導的学者の一人」と紹介していますが、実際は極右キリスト教原理主義者であり、自らのことを「神に導かれて」中国政府に反対しており、同性愛及びジェンダーの平等性を慨嘆し、もっぱら福音派神学団体で教えてきた、とGZは紹介しています。GZは、西側主要メディアはゼンツが札付きの反共極右である事実をわきまえているのに、その事実には頬被りし、彼の中国非難の主張を全面的に垂れ流す姿勢を厳しく批判しています。私がそれ以上に無視できないのは、いかに得体の知れない人物によるいかに内容的に科学的批判に耐えない代物であっても、中国非難(「レッテル貼り」)に利用できる材料であれば何でも利用して恬として恥じないバイデン政権の姿勢です。アメリカもジェノサイド条約批准国です(ちなみに、日本は未批准)。中国の「ジェノサイド」を非難するのであれば、ジェノサイド条約に定める犯罪としての要件に該当するか否かをチェックすることは同条約批准国としての最低限度の法的道義的モラルでしょう。しかし、バイデンもブリンケンもそうした最低限のモラルすら持ち合わせていないのです。
 なお、3月15日付けの環球時報は、復旦大学中国研究院研究員の鄭若麟署名文章「新疆の実話を語った法学者 ひどい仕打ちに遭う」を掲載しています。この文章によれば、フランス・ストラスブール法学院院長が、新疆訪問(2019年9月)の見聞(対テロ対策、職業訓練、民族融合等)をメディアのインタビューで語り、欧州及びフランスも中国に学ぶべきだと語ったところ、メディアの激しい攻撃の対象となり、ついに職を辞することを余儀なくされた、というのです。鄭若麟は、西側社会において言論は「社会の大多数の観念に合致」しなければならないという風潮が支配的になっており、くだんの法学者氏も「新疆でジェノサイドが起こっている」とする「社会の大多数の観念」に反する言論を行ったためにこういう仕打ちに遭うことになったと指摘しています。
 鄭若林の説明が100%正しいかどうかはともかく、ゼンツの主張が米欧でまかり通り、良心的発言をした法学者氏が苛烈な攻撃に逢着するという事態は、米欧諸国の対中ヒステリーがいかほどの次元に達しているかを理解するには十分なものがあると思います。クアッドにのめり込む菅政権、日米「2+2」の「対中対決姿勢」を手放しで礼賛的に報道する日本メディアの現状を見るとき、対中ヒステリーという点では日本も同じ次元にあるのではないかと思います。