私のデモクラシー・人権にかかわる基本認識は、"デモクラシー・人権は普遍的価値である。しかし、その各国における態様・現れ方はそれぞれの国の歴史、文化などの要素のもとで様々であり得る、つまり「多様な顔」を持つ"というものです。8月6日のコラムで、「中華文明知識体系の本質的特徴の一つは「現実の人を以て主体となす」ことにある」のに対して、「西側文明知識体系の本質的特徴の一つが「原子化された個人」という人・人間の捉え方にある」と指摘した姜義華の論考を紹介しました。また、8月11日のコラムでは、中国における「安楽死」法制化の問題にかかわって、中国最高法院(注:日本の最高裁判所に当たる)の常務副委員長を務めた沈徳咏の文章を取り上げ、「尊厳」という欧州起源の人権概念における根幹に属する問題に対する中国の最高知識人の認識・アプローチの一端を紹介しました。この二つの文章を紹介したのは、私のデモクラシー・人権にかかわる上記の基本認識と一致するものであるからです。
 12月14日付けの環球時報社説(WS掲載は13日)「中米:価値観の衝突ではなく利益の争い」は、「中国が繰り返し言う「人類共同の価値」は西側の言ういわゆる「普遍的価値」の含意と極めて接近している」という認識を示しました。私もこのコラムのどこか(具体的な日にちはチェックでいていませんが)で同様の認識を記したことがありますが、管見による限り、このような認識の公式表明は、環球時報社説をはじめとする中国側文献では初出です。それはともかく、中米対立の根源は価値観の対立にあるのではなく、アメリカは経済的利害の対立をカモフラージュするために価値観の対立と描き出している、とするこの社説の提起は基本的に正しいと思います。バイデン次期政権も「価値観の衝突」という冷戦時代からの呪縛に囚われたままでいることに鑑み、この社説に示された米中対立の本質に関する中国側提起をバイデン政権で対中国政策を担う人々が熟読玩味してほしいものだと思います。社説を紹介するゆえんです。

 人類史という長河の中で、異なる社会、地理的単位の間、異なる文明及び国家の間の差異は縮小しているのか、それとも拡大しているのであろうか。我々は次第に縮小しつつあると考える。その原因は、経済文化の交流が不可逆的かつ持続的に増大し、グローバル化は経済及び情報の領域だけで生まれているのではなく、全面的な影響を生み出しているからである。人類は次第におおむね同じ技術を用いるようになり、生活様式はますます似てくるようになり、同時的に同じような話題に注目するようになるという、まったく新しい時代に入りつつある。
 西側指導者は「価値観」という概念を用いることを好み、西側と中国との摩擦を「価値観の衝突」と定義し、反中同盟統一戦線を「価値観の同盟」と強調する。中国の価値体系と西側社会(の価値体系)とはまったく相容れないかのごときこの「言葉(価値観の同盟)の罠」に引きずり込まれないようにするべきだ。なぜならば、中国が繰り返し言う「人類共同の価値」は、西側の言ういわゆる「普遍的価値」の含意と極めて接近しているからだ。ただ、普遍的価値という言葉の使用は西側の拡張主義に付き従っており、それは単なる概念であるに留まらず、より以上に政策に近いものである。
 「共同の価値」という言葉はむしろ中立的で客観的である。現実には、中国の価値体系と西側の価値体系の違いは深刻なまでに誇張されている。民主、自由、法治、平等などの西側社会が重視する価値は中国社会主義の核心的価値観の中にまとめられてきているし、中国社会は本気で追求している。法治の建設は中国が本気で取り組んでいるものであり、平等は中国民間でもっともアピール力が強い政治概念の一つであり、公平と正義の追求は近年の中国世論におけるやむことのない内在的動力である。
 政治制度及び発展段階の違いにより、中国と西側の価値体系が社会実践を導く上での具体的な方法においては違いが存在するが、中国と西側なかんずく中国とアメリカの間の摩擦を二つの価値体系における対立として描き出すことはまったく事実に符合しない。それは西側中心主義に基づく今日の世界に対する誤った判断に基づくものである。仮にこのような誤った判断が世界範囲で広まってしまうと一連の過激な反応を導き、多くの民間交流がこの猜疑によって互いに価値観を浸透させようとする媒体になってしまう危険性がある。
 中国と西側との違いはイデオロギーにかかわるものの方が大きい。イデオロギーという概念の出現は価値観よりも遅く、その定義は必ずしも定まっていないが、大雑把に言えば、それは国家利益を実現する上部構造に属し、価値観はこれに影響するが、政治制度がこれに押す刻印の方がより大きい。
 異なる社会、団体の間の交流及び人際交流がある限り、価値観の接触も発生する。イデオロギーが影響力を発揮するのは通常は国家権力の範囲内においてであり、権力の支持を離れると、イデオロギーの張力は大きく減少する。言い換えると、イデオロギーの拡張は強力な軍事、経済及び文化に依拠している。過去数十年間において、西側は間違いなくイデオロギー拡張の主要な担い手であり、それと異なるイデオロギーが自らを拡張することは至難であった。
 今日における西側全体の軍事、経済及び文化の影響力と比較すれば、中国の影響力は間違いなく総体的に劣勢にある。中国と西側の価値観の違いは誇張されすぎており、中国人の民生面の状況が西側に近づくにつれて、双方の価値観の違いはもはや埋められないというほどのものではなくなっている。イデオロギーの競争という角度から見る時、中国は明らかに守勢にある。あるいはこうも言える。すなわち、我々はやっとのことで西側のイデオロギー攻勢に抵抗することはできたが、西側に対して反転攻撃するだけの能力はまったく備えていないし、中国人にはそうする意思も欠けている。
 我々からすれば、中米間の主要な争いは利益に関するものであり、アメリカがイデオロギー的攻撃を行う真の意図は自らの覇権的地位を守ることにある。アメリカは、二種類の政治制度の本質は社会ガヴァナンス方式の違いであり、地球上で併存し得ないと主張するが、このような主張は馬鹿げている。そのことは中国と欧州の関係を見れば直ちに明らかだ。中国と欧州との間にも摩擦はあるが、双方の関係の基本は協力にある。
 アメリカは不断に中米のイデオロギーの衝突を激化させ、これを中国と西側との価値観の対立と歪曲するが、中国がその罠にはまることはあり得ない。中国は不断に人類の共同価値を大いに発展させるし、中米間及び中国と西側との間のイデオロギー上の摩擦を冷静に処理する。中国が進んでそれをエスカレートさせることはなく、実事求是でその影響を位置づける。つまり、中米の利益上の争いをいわゆる「価値観の衝突」の中から浮かび上がらせて本来の状態に戻し、その後で、国際社会立ち会いの下で管理制御しする(というのが中国の基本方針である)。