「戦狼外交」とは、日本を含む西側世界では、"大国主義・覇権主義を露わにしている習近平時代の中国外交を形容する言葉"として用いられています。「南シナ海で軍事プレゼンスを強める中国の動き」、「中印国境紛争における中国の好戦的な動き」、「西側の批判を無視して香港で民主化を弾圧し、一国二制を踏みにじる中国の動き」、「日本の領土である尖閣諸島近辺海域で軍事プレゼンスを強める中国の動き」、ひいては「戦後国際秩序に挑戦する中国の動き」などについて、自己主張を強める中国外交を批判的に特徴づける言葉として用いられています。
 「戦狼外交」における「戦狼」という言葉は、中国映画「戦狼」に由来します。中国で大ヒットしたこの映画は2015年と2017年に作成されました。特に2017年の「戦狼2」では中国古典の名言が多く用いられましたが、その中の一つ、「中国を犯す者は、遠きにありても必ず誅する。我が国人を傷つける者は、すべて我が敵となる。」という西漢時代の将軍・陳湯の言葉はこの映画の広告にも登場し、ネット・ユーザーからはこの言葉を「中国外交のスローガンとする」ことが要求されたといいます(以上、検索サイト「百度」でヒットした解説による)。
 1978年に改革開放を打ち出した鄧小平時代の中国外交を特徴づける言葉は「韜光養晦」(才能を隠して、内に力を蓄える)でした。例えば、1980年当時の中国と日本のGDP比は、日本が中国の約3倍でした。習近平は2012年に中国共産党総書記になりましたが、中国と日本のGDP比は2010年に逆転し、2015年には中国が約2.5倍、2019年には約2.9倍になっています。11月1日のコラムで紹介しましたように、習近平・中国は、「二つの大局」に関する戦略的判断に立って、「責任ある大国」として国際関係に積極的姿勢で臨む立場を打ち出しています。習近平・中国は国際関係における「大国」の地位・役割・責任を明確に認識しています。「韜光養晦」外交は「責任ある大国」となった中国にはもはやふさわしくないことを自覚しているのです。
1990年代の日本は、世界第2位の経済大国(当時)でありながら、国際関係では相変わらず対米追随の小児病であり、アメリカ等に「フリー・ライダー」という批判を浴びました。習近平・中国の外交は1990年代の日本の轍を踏まないことを意図したものとも言えます。ところが、アメリカをはじめとする西側諸国は、そうした中国外交に対しては「戦狼外交」とレッテル貼りをするのです。すぐ後で紹介するように、中国外交部の楽玉成次官は「「戦狼外交」とは実際には「中国脅威論」の複製品だ」と指摘しましたが、実に的を射た表現であると思います。仮に中国が「西側の一員」と見なされているのであれば、その積極外交は大いに賞賛され、歓迎されているでしょう。逆に言えば、西側諸国の社会主義・中国に対する認識は、「社会主義=悪」とする冷戦時代から一歩も抜け出せていないのです。
ちなみに、私のように、人間の尊厳を物事の判断のモノサシにしているものからすれば、市場万能の資本主義(特に新自由主義)は人間の尊厳を無視するものであり、被治者の解放を目的とする社会主義こそが人間の尊厳との親和性が高いと考えますし、「社会主義=悪」とする西側諸国の考え方には到底ついて行けません。しかし、西側諸国の硬直した認識はもはや「つける薬はない」域にまで入り込んでいることを思い知らされます。閑話休題。
 12月5日、第3回「中国シンク・タンク国際影響力フォーラム」で基調演説を行った中国外交部の楽玉成次官は、「戦狼外交」という西側によるレッテル貼りに言及して、次のように述べました(中国外交部WS)。

 中国に対して「戦狼外交」というレッテル貼りをするのは、少なくとも中国外交に対する誤解であると言うべきである。中国は従来から礼儀の国であり、和を以て貴しとなし、未だかつて主動的に他者を挑発したことはなく、他人の家の入り口で、ましてや他人の家の中で事を荒立てたこともない。現在起こっていることは何かといえば、他人が我が家の入り口に来て武力をひけらかし、我が家のことに乱暴に干渉し、さらに絶え間なく中国を侮辱し、罵って、泥を塗るということだ。我々としては退くべき道もなく、やむを得ず奮起して自衛し、確固として国家の利益と尊厳を守っているのである。明らかなことは、「戦狼外交」とは「中国脅威論」の複製品であり、「言葉の罠」であるということであり、その目的とするところは、叩かれても叩き返さず、罵られても罵り返さず、抗争することを放棄しろということだ。(「戦狼外交」とあげつらう)人々は100年前の古い夢からまだ目が覚めていないのではないかと疑ってしまう。
 12月10日の外交部の定例記者会見において、ドイツの『ターゲス・シュピーゲル』紙が中国の「戦狼外交」を批判した記事を取り上げた記者の質問に対して、華春塋報道官は次のように述べました。楽玉成の発言を踏まえつつ、「中国の主権と安全、発展と利益を守るため、国家の名誉と尊厳を守るため、国際の公平と正義を守るためには、「戦狼」であることに何の差し支えがあるだろうか」とまで言い切っています。中国外交の自信、自負をのぞかせるものだと思います。
 中国が「戦狼外交」をやっていると批判する人たちに問いたいのは、ディズニーのアニメ「ライオン・キング」を見たことがあるかということだ。さまざまな疑惑、非難そして攻撃の中で成長し、大人になっていった可愛いライオン・シンバのことを彼らはなんと評価するのだろうか。
 思い出してみて欲しい。これまでの一定期間の中で、中国はいくつかの国との間で問題が発生した。しかし、これらの問題の中で中国が先に挑発した事件があっただろうか。どの事件で中国が他国の内政に干渉しただろうか。どの事件で中国が他国の利益を脅かし、傷つけただろうか。
 ウィルスにおけるレッテル貼り、コロナの政治化、中国に対する汚名かぶせにしても、国家の安全という名目を乱用して中国企業に打撃を加え、正常な人的交流、経済貿易及び科学技術の協力を破壊することにせよ、いわゆる人権、デモクラシー、自由を名目にして中国内政に干渉するとか、国際関係の基本原則に公然と違反して中国の政治制度をあしざまに攻撃し、さらには何かといえばすぐに一方的に制裁を行うとかにしても、自分たちは中国の「権利」を気ままに誹謗し、攻撃し、泥を塗り、傷つけることができるが、中国には事実真相を説明する権利もないとでも言うのだろうか。公民は法に依拠して正当防衛の権利を行使することはできるが、主権国家として主権、安全、発展の利益そして国家の名誉と尊厳を擁護する権利は中国にはないとでも言うのだろうか。「ありもしない」罪名で中国を口で誅し筆で伐つことは欲しいままにできるが、中国は「沈黙した子ヤギ」であることしかできないとでも言うのだろうか。
 根本的に言って、「戦狼外交」にかかわる非難は「中国脅威論」の今ひとつの複製品であり、中国にあつらえた「言葉の罠」である。こういう人たちは「教師面」することに慣れてしまい、人を顎で使うことに慣れてしまっており、人が反駁することに慣れていないのだ。彼らの目的は、中国が殴られても殴り返さず、罵られても罵り返さず、中国に「戦狼外交」という帽子をかぶせて中国を脅迫、恫喝し、中国が事実、真相を語る権利を放棄するように仕向けるということだ。
 しかし、これらの人々は、中国はもはや100年前の中国ではないということを認識しなければならない。中国は未だかつて他者をだまし、いじめたことはないが、中国人には原則があり、気骨がある。中国外交が代表し、守るのは世界の1/5の人口を占める14億中国人民の利益と尊厳である。中国の主権、安全、発展の利益そして国際の公平正義等、原則上の是非にかかわる問題に関しては、中国外交は必ず断固としてあらゆる悪意ある挑発に対して有力に反撃し、国家の利益と尊厳を有力に守り、国際の公平と正義を守る。
 強調しておきたいのは、中国は一貫して独立自主の平和外交政策を堅持するということだ。居丈高に人に対することは中国の外交的伝統ではない。しかし、腰を低くしてへりくだることも中国人の気骨ではない。覇権といじめに対して、毛沢東はかつて「人が我を犯さずば、我も人を犯さず。人仮に我を犯せば、我必ず人を犯す」と述べたことがある。中国は主動的に事を起こさないが、事を恐れることはなく、脅迫され、いじめられるままにはならない。中国が底なしの攻撃、中傷、罵りに対して反撃し、事実と真相を説明するからといって、中国外交は「戦狼外交」を行っていると称する者がいる場合、中国の主権と安全、発展と利益を守るため、国家の名誉と尊厳を守るため、国際の公平と正義を守るためには、「戦狼」であることに何の差し支えがあるだろうか。
 華春塋報道官は翌日(12月11日)の定例記者会見でも、EUの在中国大使が「EUとアメリカは認識を統一し、中国の「脅迫的外交」に対抗し、中国の「戦狼外交」に「ノー」というべきだ」と発言したことに対するコメントを聞かれた時にも、次のように答えました。
 中国の図体が大きいというだけで、中国が事実と真相を話し、自国の利益と尊厳を守ることをもって「脅迫」であり「戦狼」であると考えるとするのであれば、明らかに不公平であり、中国外交に汚名をかぶせるものである。昨日も言ったことだが、普通の公民には法に基づいて正当防衛を行使する権利があるのに、主権国家の中国には自国の主権、安全、発展の利益を擁護する権利もないとでも言うのだろうか。
 EUは多国間主義の成果そのものであり、一貫して多国間主義をもって栄誉としている。これまでの一定期間、EUもまた一国主義の被害者であり、戦略的自主の立場を常に強調してきた。原則的な是非にかかわる問題については、是非に基づいて立場を述べるべし。我々としては、EUが事実を尊重し、客観的公正の立場に立ち、ダブル・スタンダードを行わず、独立自主を堅持し、開放協力を堅持することを希望する。