10月10日の朝鮮労働党創立75周年に際しての金正恩委員長の演説については、私は彼の人民に向かって行った発言に何よりも驚きを感じました。金正恩が執政を開始して以来の発言は、朝鮮中央通信に掲載されたものをすべて読んできたつもりですが、今回のような発言は私の記憶の中にはありません。ちなみに、10月12日付けの韓国右翼紙・朝鮮日報日本語WSの記事は次のように紹介しています。

 「金正恩委員長はこの演説の冒頭で「どんな言葉から言えばいいかいろいろ考えてみたが、本当に我が人民に打ち明けたい心の中の告白、心の中は真情は『ありがとうございます』この一言だけ」と言った。この言葉を皮切りに「ありがとう」という表現が12回、「感謝」という表現が6回飛び出した。「苦労」「すまない」という表現も少なくとも5回使った。7700字に達する演説のうち、最初のあいさつ(370字)や軍事力アピール(1200字)などを除くと、このように「ありがたい」「すまない」という気持ちを表現するのに大部分(約5000字)を割いた「人民礼賛」だった。 金正恩委員長は「防疫戦線と自然災害復旧戦線で人民軍将兵が発揮した愛国的献身は、感謝の涙なしに接することができない」と言った部分では涙を見せた。三重苦を経た人民に対して「面目がない」と自分を責める場面もあった。演説の最後も「変わらず我が党を信じてくれる気持ちに忠心から感謝申し上げる」という言葉で締めくくった。」
私は朝鮮の国内問題には素人ですので生半可な考え(金正恩の人民中心の思想は中国の「以人民為中心」思想と相通じるものがあることに注目)を披露することはできず、それ故にこそ、私がかねて評価してきたハンギョレ新聞のイ・ジェフン先任記者及び中国の朝鮮問題の権威・李敦球がこの点について解説してくれるのを鶴首して待っていたのですが、私が関心あるこの問題についてはおろか、金正恩の演説についても両者の解説・分析に接することはできていません。
 これまでのところ、私がチェックした限りで網に引っかかったもののなかでは、10月10日付けの中国網に掲載された山東大学東北学院の畢頴達副院長署名文章「労働党75周年における金正恩講話の政治的含意」が注目されます。畢頴達は私には初見ですが、内容的には首肯できるものでしたので、要旨を紹介しておきます。
 金正恩が発表した重要講話は多くの重要な情報を発しており、外部の注目を集めている。
 まず、金正恩の講話の内容は多くの国内政治的含意を含んでいる。彼はまず軍隊の地位及び役割を肯定した。とは言え、このことは朝鮮が先軍路線に回帰することを意味するものではない。金正恩は「党が最強の平和維持軍事力を作り出した」「革命武装力は朝鮮労働党の革命思想で武装している」ことを明确に強調し、党の軍隊に対する領導関係を浮き彫りにした。このことは、今後も党が国を治める路線を確固として歩むことを意味している。
 今次講話の中では、金正恩は人民大衆の核心的主体的地位を集中的に強調すると同時に、人民の支持に対して何度も謝意を表明し、人民によい日々を送らせることができないことに対して詫びる意思を表明した。これらの内容は金正恩の親民的なイメージを表しており、このイメージは大衆のさらなる支持を獲得することに大いに裨益するだろう。
 注目に値するのは、今次講話が朝鮮の今後の主要任務と方向性を明確にしたことである。金正恩は、朝鮮は自らの要求と時間表に従って軍隊の現代化建設を推進し、すでに「現在当面する及び将来当面する可能性のあるいかなる軍事的脅威をも管理コントロールできるデタランスを十分に備えた」と強調した。このことは、現在の軍事力が朝鮮人民及び国家の安全を守るのに十分であることを意味している。朝鮮労働党の次なるそしてさらに重要な任務は、革新を通じて経済建設及び民生改善を大いに推進することである。この点を、金正恩は講話の中で、「現在残っており、やるべきことは、我国人民に再び苦をなめさせず、思う存分豊かで文明的な生活を享受させることである」と明确に表現した。明らかなことは、朝鮮が引き続き「力を集中して経済を発展させる」道を歩むということであり、労働党第8回大会を通じてさらに明確な方針と路線を画定するだろう。
 金正恩の講話はまた多くの国際政治的な含意を含んでいる。その中で注目されるのは朝鮮が韓国との関係を改善する意思があることである。講話の中で金正恩は「親愛なる南側の同胞」という言葉を使い、「南北が再び手を携える日が到来すること」を期待した。多くの世論はこれに対して懐疑的だが、総合的に分析する時、金正恩がこの「柔和的なシグナル」を送ったことには大きな真実味がある。それは以下の理由による。
 第一、朝鮮は力を集中して経済を発展させる必要があり、安定的な環境を必要としているということだ。世論の圧力の下で文在寅政権の政策が保守化すれば、そのことは朝鮮に対する新たな圧力を生み出すであろうし、そのようなことは朝鮮の「力を集中して経済を発展させる」方針と合致しない。
第二、韓国の進歩勢力が引き続き執政を担うことは朝鮮にとって有利である。非核化交渉が膠着状態に陥って以来、朝韓関係には頻繁に齟齬が発生した。とはいうものの、文在寅政権は双方の関係を改善する努力を放棄したわけではなく、不断に「善意を示す」行動に出てきた。この状況の下で、仮に朝鮮が相変わらず動くことがなければ、文在寅政権はさらなる世論の圧力に遭遇する可能性があり、そのことは進歩勢力が今後の政治活動において布石を打つことに不利になるだろう。特に、ソウル及び釜山の市長選挙を間近に控えており、仮に進歩政党がこの二大都市を失うことになれば、来たるべき韓国大統領選挙の局面は非常に不利になるだろう。韓国の進歩勢力が執政するもとで朝鮮が受ける圧力は非常に減少したこと、特に進歩勢力執政下の韓国の政策基調は朝鮮が経済建設を進める上で極めて有利であることを、朝鮮はよく理解している。朝鮮が今回柔和なシグナルを発出したのは、文在寅政権及び進歩政党に対する正面からの回答である。
 第三、アメリカ大統領選挙の先行きは不透明であり、将来的な対朝鮮政策が予知不可能な状況の下、対韓関係を改善することは、朝鮮が将来的に対米関係を処理する中で有利な地位に自らをおくことを可能にするだろう。  第四に、良好な朝韓関係を発展することによってのみ、朝鮮の経済発展は韓国からの資金及び技術支援を獲得することが可能になる。
 さらに金正恩講話は、朝鮮が防御的軍事戦略を実行し、軍事力を発展させることはいかなる者に対するものではないことを明確にした。講話では朝鮮の核ミサイル政策に言及しなかったが、引き続き戦争デタランスを強化し、「核脅威を含むすべての冒険的企て及び威嚇的行動を圧制し、統御する」ことには言及しており、朝鮮が少なくとも当面核ミサイル計画を放棄しないことを暗示した。
 講話の中では「アメリカ」に明確に言及していないが、軍事パレードでは火星-15よりも新型のICBM及び北極星4号潜水艦発射ミサイルを登場させており、この挙はアメリカに対する圧力を加える意図に出るものである。ただし、その表現方式はかつてのように直接的ではなく、深夜に軍事パレードを行うように、「ロー・キー」で処理するテクニックを選んでいる。
 以上をまとめると、金正恩の講話には多くの政治的含意が含まれており、特に力を集中して経済を発展させる戦略方向を明らかにした。しかし、この目標がスムーズに実現するか否かに関しては、朝鮮自身の積極的な努力に加え、アメリカが対朝鮮政策を実務的に調整することを必要としており、さらには周辺諸国が協力し、対応することを必要としている。