国連の活動は多岐にわたっており、安保理が主要な責任を担う分野(紛争解決)に加え、とりわけ経済社会理事会が担当する経済社会文化保健人権の分野における活動も極めて重要です。この点に関しては、コロンビア財務大臣及び国連事務次長を務めた経歴を持つジョセ・アントニオ・オカンポ署名文章「国連75年を祝う」("Celebrating 75 Years of the United Nations" 9月21日付けProject Syndicate WS掲載)が簡にして要を得た評価を行っていますので紹介したいと思います。この分野における国連の75年の活動は特筆大書すべきものがあるという筆者の実事求是の評価に、私も多くを学び直したというのが偽りのない実感です。特に、新自由主義が世界を席巻した結果が今日の世界的混迷であることを考える時、新自由主義に理念的に対抗するさまざまな概念(新国際経済秩序(NIEO)、特恵貿易システム、ベーシック・ヒューマン・ニーズ、持続可能な開発等々)を生み出し、その世界的実現を唱導してきた経済社会理事会の役割を今一度確認する必要は大きいと思いました。

国連が75周年を迎える今、世界は混迷している。新コロナ・ウィルスはこれまでに100万人の死者をもたらしており、抑え込む見込みは立っていない。世界経済は1930年代の大恐慌以来最悪の不況を経験している。洪水から森林火災まで、異常に厳しい自然災害は多くの国々に恐ろしい破壊をもたらしている。そしてアメリカは、長らく多国間協力の世界的かつ指導的な推進者だったが、友人及び仲間を拒否し、いらだたせている。国連及び国連が体現している世界的連帯の信念が今ほど重要な時はない。
 国連は3つの柱の上に築かれた。一つは平和である。そのもっとも重要な目的は、失敗に終わった前任者である国際聯盟の任務、つまり二度と世界大戦を繰り返さないという任務を引き継ぐことである。冷戦開始時に設立された国連は対話の基本的なフォーラムとなった。ベルリンの壁崩壊後は、いくつかの国で平和構築の役割を担った。
 第二の柱は人権である。1948年に国連総会は世界人権宣言を採択した。世界人権宣言は初めて、市民的、政治的、経済的、社会的そして文化的な権利を含む基本的権利を定め、すべての国々は守ることを義務づけられた。国連がこれらの権利を守るために作った仕組みが残した記録はさまざまだが、人権を国際的優先度が高いものにした点で世界人権宣言は重要な里程標である。
 第三の柱は開発である。加盟国は国連憲章に従い、「一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること」(前文)にコミットしている。開発の行動計画には、非植民地化を通じることを含め、諸国間の不平等を削減するという目標を含んでおり、これはまた第二次大戦後の行動計画の一部でもある。
 国連は開発を促進するため、1947年から1973年にかけて5つの地域的委員会を作り、開発途上国を技術援助で支援することになった。ちなみに、この活動は1965年に国連開発計画(UNDP)設立で制度化された。さらに国連は1961年1月、1960年代を最初の「開発の10年」に決定したが、これはケネディ大統領のイニシアティヴで推進されたものである。
この行動計画の不可分の一環として、国連は、進歩を共有することを可能にするより公正な世界経済システムの創造を支援することを追求した。非植民地化プロセスが進むに伴い、そしてますます多くの途上国が国連加盟国になるにつれて、国連は世界経済秩序の変革を議論し、実行に移すための世界でもっとも重要な舞台となった。1964年に創立された国連貿易開発会議(UNCTAD)がこのプロセスを支援した。その成果としては、途上国向けのグローバルな「特恵」貿易システムの導入がある。
 国連はその後、途上国が必要とする金融にアクセスできるようにすることに焦点を広げていった。カナダのモントリオールで行われた、IMFと世界銀行が支援した2002年開発金融国際会議はこの分野における里程標である。2002年に設定された行動計画を進展させるため、2008年にカタールのドーハ、2015年にエティオピアのアディスアベバでも会議が行われた。国連はまた、新コロナ・ウィルス危機に途上国が対応するための金融問題の議論においても中心的な役割を担っている。
 しかし、経済発展は開発問題の一部を構成するに過ぎない。そういう認識は1978年に初めて現れた。その年、ILOは途上国の人民の「ベーシック・ニーズ」を定義する研究を発表した。ベーシック・ニーズとは、食、衣、住、教育そして公共交通からなる。ここから、後にUNDPが人間開発報告書において展開する「人間開発」概念への道が開かれた。例えば、1995年に開催された第4回世界女性会議は北京行動宣言行動計画を作成したが、これは女性の権利を増進するためのもっとも進歩的な青写真である。2011人1月には、これらの目標を促進するために「国連女性機関(UN Women)」が設立された。
 国連女性機関は、社会開発に向けた国連の関与を反映する一連の専門機関の最新の事例に過ぎない。専門機関には、UNESCO、WHO、UNICEF、FAO等がある。ILOは国連システムに組み込まれた。このネットワークのもう一つの基本的な結び目にあるのは1972年にストックホルムで行われた国連人間環境会議で設立されたこ国連環境計画(UNEP)である。その後、1992年にリオデジャネイロで開催された環境開発会議から2015年にパリで開かれた気候変動会議(COP21)に至る一連の国連後援の会議は、気候変動と戦い、生物多様性を保護し、砂漠化を防止するための歴史的な合意を生み出してきた。これらの成果は地球を保全するためのより所である。機構変動の影響がますます明らかになりつつある現在、こうした努力の重要性はいくら強調しても足りない。
 事実において、「持続可能な開発」という概念を唱導したのは国連である。それは、健全かつ長期的な開発は経済的、社会的及び環境的な課題に答えるものでなければならないことを承認する。2002年に国連は、ミレニアム開発目標の設定に主動的役割を果たし、それは2015年の持続可能な開発目標へと続いた。持続可能な開発目標は今日における世界の主要な枠組みとなっている。
 国連は極めて影響力のある機関であり続けている。さらに重要なことは、すべての人民は基本的な尊厳にふさわしく、そのための唯一の道はともに働くことであるという人類最良の信念を国連が体現していることにある。誕生から75年を経た今、世界は、アメリカをはじめとして、この信念を復活させ、その信念が内用するマルティラテラリズムにコミットしなければならない。