創立75周年を迎えた国連について、この75年間特に米ソ冷戦終結後の約30年間の国連の活動をどのように評価するか、また、多極化が進行する国際情勢の下における国連の役割をどのように位置づけるかをめぐってさまざまな議論が行われています。実績に対する厳しい評価は国際の平和と安全に主要な責任を負う安全保障理事会のいわゆる「機能不全」(特に5大国の拒否権)に集中する観があります。これらの厳しい評価に共通するのは、西側(特にアメリカ)が安保理で主導権を握ることを無条件に「正」「善」とし、これに異を唱えるロシア(以前のソ連)及び中国の行動が安保理の機能不全を招く原因になっている「否」「悪」とするロジックです。しかし、このような評価に関しては、さまざまな視点(モノサシ)からの批判的検討が不可欠だと思います。
 米ソ冷戦時の安保理は、①米ソ対立の影響をもろに受けてほぼ全面的な機能麻痺に陥った、その中で②わずかにハマーショルド事務総長が「6章半」の行動として編み出した平和維持活動(PKO)が「落ち穂拾い」的役割を果たした、というのが国際的にほぼ確立した評価と言ってよいと思います。
 米ソ冷戦終結後の安保理の活動に関しては、極めて大雑把ですが、1990年代、2000年代そして2010年代以後の3つの時期に分けることが可能です。すなわち、事実上のアメリカ「一極支配」の1990年代、「国際テロ戦争」とその矛盾が顕在化した2000年代、アメリカ(米欧)と中ロの国際関係のあり方にかかわる認識上の対立が顕在化した2010年代以後、ということです。
<アメリカ「一極支配」と国連>
 ソ連崩壊は内部矛盾の爆発によるものであり、アメリカをはじめとする西側にとってはいわば青天の霹靂でした。突如として「唯一の超大国」になったアメリカ(ブッシュ(父)政権)は、「新世界秩序構想」をぶち上げはしましたが中身が伴わず、この新しい事態に即応する準備がなかったことをさらけ出しました。
忽然として現れたこの国際的な「力の空白」に乗じたのはイラクのサダム政権でした(湾岸危機・戦争)。しかし、サダム政権のクウェート侵攻は戦争を違法化した国連憲章(第2条4項)に対する第二次大戦後初のしかも明白な違反です。国際の平和と安全に対して主要な責任を有する安保理が国連憲章第7章に基づいて対処することになったのは当然でした。この場合本来であれば、安保理は「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動」(第42条)すなわち集団的措置(第1条1)を取るべきです。しかし、長く続いた米ソ冷戦のもとで、安保理が"自前の軍事力"を備える条件はなく、イラクに対して国連(安保理)が主体的に行動することは不可能でした。
 アメリカ・ブッシュ政権は、イラクに侵略されたクウェートを解放するべく、同盟国、友好国を広く募っていわゆる多国籍軍を編制し、集団的自衛権(第51条)行使に訴えました。そして安保理は、ソ連賛成、中国棄権(反対したのはキューバとイエメン)のもと、「クウェート政府と協力している加盟国」に対して「国際の平和と安定回復のために、必要な手段を全て使うことを許可する」決議678を採択して、アメリカの行動にお墨付きを与えたのです。私たちが忘れてはならないのは、ブッシュ政権は同盟国・日本に対しても軍事協力することを強要してきたことです(「カネだけではなく血も流せ」)。日本におけるいわゆる「軍事的国際貢献」をめぐるその後の国内の激しい議論の発端でした。
 安保理決議678には重大な問題(私に言わせれば法的に許されない問題)があります。かつて(第一次大戦前まで)戦争は「政治の延長」であり、国家の政策目標実現手段として国際的に合法でした。第一次大戦の惨禍に学んだ国際社会は、国際聯盟規約、不戦条約を経て国連憲章で、自衛のための場合(第51条)を除き、最終的に戦争を違法化(第2条4)し、違反者に対しては国連(安保理)が最終的に集団的措置によって取り締まる集団安全保障体制を採用しました。これは、国内法で、暴力装置を国家に集中し、個人の暴力は緊急避難・正当防衛に限って認めることに対応しています。暴力行使の問題に関して、国際法は第二次大戦後にようやく国内法のレベルに近づいたとも言えるでしょう。
 しかし、国連憲章第51条は自衛権として「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を認めました。国内法の緊急避難・正当防衛は個人に対して例外的・限定的にのみ認められます。ところが憲章第51条は、個々の国家のみならず、国家の集団に対して自衛権の行使を認めるのです。国連憲章作成交渉当時(1945年)はすでに米ソ対立が激化しており、伝統的な軍事同盟を作る場合の合法性を担保する規定を憲章に忍び込ませる必要がありました。集団的自衛権という「固有の権利」は正にそれでした。
 しかし、国連の集団安全保障体制と例えば日米安全保障体制とは法的にまったく異なるシステムです。乱暴に例えるならば、国連の集団安全保障体制に対応する国内のシステムは警察(公的暴力)であるのに対して、日米安全保障体制に対応する国内のシステムは暴力団(私的暴力)です。安保理決議678の深刻な法的問題は、アメリカが集団的自衛権を行使して組織した「多国籍軍」のイラクに対する軍事行動を国連の集団的措置としてお墨付きを与えたことです。再び乱暴に例えるならば、無力な日本の警察が山口組に治安維持・執行を丸投げするのと同じです。当時の国連事務総長デクエアルが「これ(湾岸戦争)は国連の戦争ではない」と慨嘆したのは正にそれ故でした。
 ところが、1990年当時のソ連は崩壊寸前、また、中国は天安門事件で国際的に受け身に立たされていたため、自らの軍事行動を正当化するために安保理決議678の成立を推進したアメリカに拒否権を発動して成立を阻むことはありませんでした。国際的に「認知」された「多国籍軍」方式は爾後おおっぴらに多用されることになります。
 ちなみに、ソ連の崩壊は軍事同盟NATOの存在理由を根底から問いただすものでもありました。1991年11月のNATO首脳会議は「同盟の新戦略概念」と題する文書を発表しました。文書は、①ソ連に代わる備えるべき脅威として「(同盟国の安全に対して)予想し、評価することが難しいさまざまな形のリスク」の存在を挙げ、②変化する環境に応じて新戦略を作るチャンスが生まれていると提起し、③NATOの任務として、従来の防衛任務を維持しつつ、脅威の変化に対応し、平時、危機、戦争に応じたさまざまな任務(域外地域における紛争予防および危機管理)を遂行することを加え、国連の任務にも兵力を提供する用意があるとしました。NATOが打ち出したこの方向性は1994年のいわゆるナイ・イニシアティヴとしてアメリカの対日政策に受け継がれ、1996年の日米安保共同宣言及び1997年の日米防衛協力指針(ガイドライン)見直しによる日米軍事同盟の変質・強化を生み出しました。
 1992年に国連事務総長に就任したガリは、1992年の安保理サミットが「国連の予防外交、平和創造及び平和維持に関する能力を‥強化する方法」への勧告を求めたことに応えてPKO改革を推進し、特に「平和強制部隊(平和執行部隊とも)」方式を編み出したことで知られています。その要諦は、部隊の調達は従来のPKO方式によりながら、活動についてはPKO活動の拠って立つ三原則(主たる紛争当事者の同意、不偏性・公平性、自衛以外の実力不行使)という「制約」を振り払い、国連本来の集団的措置を可能にする仕組みの実現を目指したと言えるでしょう。ガリは、1993年に登場したクリントン政権の対外戦略(一国主義と多国間主義の使い分け、選択的介入)と歩調を合わせ、ソマリア内戦に当たって、安保理決議814に基づき最初の平和強制部隊の組織・運用に指導力を発揮しました。
 ガリが平和強制部隊方式を推進できたのは、アメリカ・クリントン政権の対外戦略と無縁ではありません。「一国主義(アメリカ優先)」はトランプ政権の代名詞になっている観がありますが、実はクリントン政権が、唯一の超大国・アメリカを背景に打ち出したものです。「アメリカが多国間主義でいくか、あるいは一国主義でいくかを決める決定的要因はアメリカの利害だ」(レーク補佐官-当時-)という言葉にクリントン政権の対外戦略が凝縮されていました。クリントン政権は軍事力行使に関しては「選択的介入」の政策を露骨に推進しました。すなわち、アメリカの利害に直接かかわる時はアメリカが主導する、それ以外の時は「手抜き」して国連等に出番を与え、アメリカは支援・協力に回るとするものです。同政権にとって、ソマリア内戦は正に後者に該当する最初のケースでした。
 アメリカは当初、ソマリアの飢餓を救い、国連監視団の活動環境を作り出すべく、安保理決議794に基づいてアメリカ主導の多国籍軍による「人道的介入」を試みましたが、うまくいきませんでした。そして、登場したばかりのクリントン政権とガリとの間での駆け引きを経て、国連が主導し、アメリカが協力する形でソマリア情勢に対処することを内容とする安保理決議814が成立し、最初の平和強制部隊が組織されることになりました(1993年3月)。しかし、平和強制部隊は早々と一回の戦闘で死者23人を出すというPKO史上最大の被害を出すなど出足から躓きました(6月)。また、アメリカ兵士の犠牲も相次ぎ、アメリカ兵士の死体が引き回される姿が放映される(10月)にいたってアメリカ軍撤退を求めるアメリカ世論が沸騰し、クリントン政権はそれに従う決定を余儀なくされました。その結果、ソマリアにおける国連の任務も縮小され、平和強制部隊もPKO的活動に縮小されました(1994年2月安保理決議897)。
<「国際テロ戦争」と国連>
 2001年に登場したブッシュ(子)政権はクリントン政権にも増して「一国主義」が顕著です。また、対外戦略の輪郭は必ずしも明確ではありませんでしたが、主たる関心がアジアに向けられていたことは確実です。特に、台頭しつつある中国を警戒し、対中軍事包囲網を形成することに強い意欲を示していました。
 しかし、同年9月11日に起こった同時多発テロ(いわゆる「9.11事件」)を契機に、ブッシュ政権は国際テロリズムとの戦いを前面に押し出す戦略にのめり込んでいきました。アメリカ主導の下で、国連安保理は事件直後に決議1368を採択し、国際協力によって国際テロリズムと対決することを定めるとともに、加盟国の自衛権行使の権利を確認しました。アメリカは、"事件の容疑者も、容疑者をかくまう国家も同罪"と断定し、この決議を根拠としてアフガニスタンに対する"自衛権行使"としての軍事行動を開始しました。NATOは1999年のユーゴ空爆で最初の軍事行動を取りましたが、アフガニスタンに対する軍事行動にも積極的に加わって現在に至っています。
 9.11事件が国際社会に与えた衝撃は極めて大きく、中国及びロシアも安保理決議1368に賛成しましたし、アメリカのアフガニスタンに対する軍事行動にも異を唱えませんでした。アメリカがアフガニスタンに対して起こした軍事行動が「自衛権の行使」として正当化されるのかという本質的問題も素通りされてしまいました。しかし国際法上、自衛権の行使には一定の条件が満たされることが必要であるとされています。
 例えば、国連憲章第51条は「武力攻撃が発生した場合」、「安全保障理事会が‥必要な措置をとるまでの間」に限って自衛権の行使を認めます。慣習国際法上はもう少し緩やかです。すなわち、切迫性(imminence)、必要性(necessity)、比例性(proportionality)を満たすことが必要であるとされています。日本政府は従来、「①我が国に対する急迫不正の侵害があること、すなわち武力攻撃が発生したこと、②この場合にこれを排除するために他の適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」をもって「自衛権発動の3要件」と説明してきました。(ちなみに、「集団的自衛権の行使は違憲ではない」とした2014年7月の安倍政権による閣議決定では、「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、または我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」をもって「新3要件」としました。)
 以上を踏まえるとき、ブッシュ政権のアフガニスタンに対する軍事行動は自衛権の行使として正当化することは大いに疑問です。アメリカがアフガニスタンに対する軍事行動を起こしたのは9.11事件が起こってから1ヶ月近くたってからでした。切迫性(緊急不正)の要件を満たしていません。またブッシュ政権ははじめから軍事行動ありきであり、必要性(他の適当な手段がないこと)の要件も考慮していません。最大の問題は、ブッシュ政権ははじめからアフガニスタン・タリバン政権の崩壊を狙っていたことです。比例性(必要最小限度)の要件を完全に逸脱しています。ところが、安保理もアナン事務総長も早々とアメリカの行動を是認する立場を明らかにしました。中国、ロシア及び国連がもっと厳格な立場を堅持していたならば、2003年のイラク戦争にももっと毅然とした対応が可能だったと思われます。
 ブッシュ政権は2002年1月の一般教書演説で、大量破壊兵器を開発し、国際テロリズムを支援している国家としてイラク、イラン及び朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、サダム政権が大量破壊兵器を保有している(からアメリカにとって脅威である)として、2003年3月に対イラク戦争を起こしました。サダム政権が大量破壊兵器を「保有している」という主張は当初から国際的に疑問視され、後にウソであることが明らかにされました(大量破壊兵器調査のデービッド・ケイ団長による2004年1月28日の米上院軍事委員会公聴会での証言)。アメリカは安保理がイラクに対する軍事行動を容認する決議を採択するように工作しましたが、仏ロ中が強く反対したために決議成立の見込みはたたず、結局アメリカはイギリス等の参加の下で開戦を強行しました。
 ロシアと中国がブッシュ政権に警戒を強めたことは確かですが、中ロの大国協調を重視する基調に変化がないことは朝鮮半島非核化問題に対する対応で確認されました。朝鮮が核兵器を開発しているのではないかといういわゆる「核疑惑」は1990年代以来のものです。クリントン政権が朝鮮の核施設を標的とした軍事行動を計画し、一触即発の事態に至ったのは1993年でした。「第二の朝鮮戦争」は辛くも回避され、1994年に米朝の「核枠組み合意」(朝鮮による核開発凍結・解体の見返りにアメリカが軽水炉型原子炉を提供することが基本内容)が成立しました。しかし、2002年にブッシュ政権は朝鮮の「核開発疑惑」を持ち出して枠組み合意を破棄しました。危機感を持った中国の働きかけで南北米中ロ日のいわゆる6カ国協議が起動し、2005年には共同声明(朝鮮の核兵器計画放棄及びNPT復帰の見返りにアメリカが朝鮮攻撃侵略意図のないことを確認し、5カ国が朝鮮に対するエネルギー協力を行うことを約束し、朝鮮半島の非核化を段階的に実現する筋道を定めたもの)ができました。その後、以下に述べるような朝鮮によるミサイル関連の行動と核実験があり、2007年にアメリカが朝鮮によるマカオでのマネー・ローンダリング「疑惑」を持ち出したことに朝鮮が反発し、6カ国協議は結局不調に終わりました。
 アメリカが主導するもとで安保理は、朝鮮のミサイル関連の行動及び核実験に対して強硬な決議で締め付けを図りました。すなわち、安保理は2006年7月、朝鮮のミサイル発射実験に対して決議1695で非難し、弾道ミサイル計画の全面停止を要求しました。しかし、ミサイル発射実験を禁止・規制する国際法や取り決めはなく、日本や韓国を含む各国が行うミサイル発射実験に対して安保理が異議を唱えたことはありません。中国とロシアが朝鮮だけを糾弾するこの決議の採択に賛成したことには重大な問題があります。朝鮮はこの決議に反発し、同年10月に核実験を強行しました。これに対して安保理は決議1718を全会一致で採択し、憲章第7章第41条に基づく経済制裁実施を決定します。以後、2009年4月に朝鮮は人工衛星の打ち上げを発表し、5月に第2回核実験を行ったのに対して決議1874、2012年4月に朝鮮が人工衛星打ち上げ(失敗)を行ったのに対して議長声明(人工衛星打ち上げをもミサイル発射と見なし、決議1718及び1874に違反すると断定)、2012年12月の弾道ミサイル発射実験に対しては決議2087、2013年2月の第3回核実験に対しては決議2094、2016年1月の第4回核実験に対しては決議2270、2016年9月の第5回核実験に対しては決議2321、2017年における一連の弾道ミサイル実験に対しては決議2356及び2371、2017年9月の核実験に対しては決議2375、2017年11月の大陸間弾道ミサイル実験に対しては決議2397と、中国及びロシアの同調のもとで次々に制裁決議が採択されました。
<米対中ロの対立顕在化と国連>
 中国は1989年の天安門事件によって国際的孤立を強いられ、ロシアもソ連崩壊後のエリツィン政権の失政に苦しみ、一極支配を謳歌するアメリカとの同調を迫られました。しかし、その状況は次第に変化します。中国は改革開放政策の成功で経済大国として台頭します。2010年には日本を抜いて世界第2位の経済大国に躍進しました。2012年に総書記に就任した習近平のもとで、中国の対外政策はますます自主独立の姿勢を強めています。ロシアもまた、2000年にプーチンが大統領に就任し、強いリーダーシップを発揮してロシアの内外政策を牽引してきました。中ソ対立の苦い教訓に学んだ中ロ両国は21世紀にふさわしい新型大国関係の構築を進め、国連憲章の諸原則(主権の対等平等、内政不干渉、武力不行使と紛争の平和的解決)に基づく国際関係の民主化をともに標榜し、対外政策においも緊密な協力関係を築いています。
 21世紀に入ってからのアメリカは、ブッシュ、オバマ、トランプと政権が交代してきましたが、アメリカ中心(「一国主義」)のパワー・ポリティックスを根底に据える国際観はまったく変わっていません。対外戦略に関しては、ブッシュ政権は「対テロ戦争」に終始し、振り回された観があります。オバマ政権は経済的躍進が著しいアジア太平洋を重視し、「関与と拡大」戦略を推進しました。トランプ政権がオバマ以前の歴代政権と決定的に違うのは、徹底した商売人的損得勘定に基づいて、アメリカの対外戦略の重要な部分を構成していた国際主義という要素を徹底的に排除した点にあります(例:パリ協定離脱、WHO脱退、WTO紛争処理機能麻痺等)。また、トランプ外交はオバマ以前の歴代政権が採用してきた政策にことごとく反対するという、合理的説明がつかない要素を含んでいます(例:イラン核合意(JCPOA)脱退、対朝鮮政策)。
 米中関係はオバマ政権時代から微妙の度を加えていましたが、双方が決定的対立を避ける最低限の基本的スタンスを維持していました。しかし、トランプ政権にとっての中国ははじめから利害打算の対象でしかなく、新型コロナ・ウィルスをめぐる対立からトランプ政権の中国を狙い撃ちした再選戦略に発展して、今や全面的対立にまでエスカレートしました。
 米ロ関係もオバマ政権時代から微妙でしたが、歴代政権の政策をひっくり返すことに執着するトランプ政権はむしろプーチン政権に対して好意的姿勢をにじませてきました。プーチン政権もそうしたトランプ政権のアプローチを評価しています。しかし、アメリカ国内の伝統的なロシア不信感は強固であり、トランプ大統領の個人的好悪感情だけで米ロ関係を動かすことはできませんでした。
 トランプ政権の反国際主義は対国連政策においても露わです。その典型は対イラン政策です。JCPOAはオバマ政権が参加して成立し、安保理のお墨付き(決議2231)も得た国際合意です。しかし、トランプ政権は一方的にJCPOAから脱退しただけではなく、イランに対する制裁措置まで復活発動する始末です。これは単にJCPOA違反であるだけではなく、「国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する」と定めた憲章第25条にも違反する、前代未聞の行動です。しかし、国際法を歯牙にもかけないトランプ政権にとっては国連憲章もなんの重みを持たないのです。
 ただし、トランプ政権は自らにとって都合のよい国際法を「つまみ食い」することを恬として恥じません。イランと朝鮮について典型的事例があります。
 トランプ政権がJCPOAを脱退したのは、そうすればイランも対抗してJCPOAを脱退する、そうなればアメリカはイランに対してありとあらゆる制裁措置に訴えることができるという読みがあったからです。ところが一枚上手のイランはアメリカの手に乗りませんでした。するとトランプ政権は、アメリカもJCPOAの「参加国」であるという安保理決議2231にある文言を根拠に、JCPOA上の制裁復活措置条項(いわゆる「スナップバック」)に訴えることができるはずだという議論に訴えたのです。しかし、中ロ両国とイランがその珍妙な主張に反対しただけではなく、英仏独を含めた安保理13カ国もこぞって、JCPOAを脱退したアメリカがそのような権利を主張できないと却下しました。
 トランプ大統領は金正恩委員長との個人的関係構築によって米朝関係の打開を図ったことはよく知られている事実です。しかし、ハノイ会談決裂後のトランプ政権は、韓国・文在寅政権が南北関係打開に動くことを厳しく制限しています。南北間では開城工業団地再開、金剛山観光事業復活、南北を結ぶ鉄道及び道路の連結等に関する重要な合意が成立しています。開城工業団地閉鎖は朴槿恵政権が安保理決議と関係なく取った措置です。金剛山観光事業が中止になったのは安保理決議以前の、不幸な事件の余波です。南北連結事業も安保理制裁決議によって自動的に遮断される筋合いのものではありません。だからこそ文在寅政権はこの合意を行ったはずです。ところがトランプ政権は、以上の事業に対して、安保理決議を根拠にしてストップをかけているのです。中国とロシアは安保理諸決議を見直すことを盛んに主張していますが、トランプ政権は頑として応じません。
<安保理評価の視点>
 長々と振り返ってきましたが、要すれば、西側特にアメリカの視点で安保理を評価するのは間違いであり、実事求是で安保理のあり方を評価することが必要であることをお分かりいただいたのではないかと思います。特に米ソ冷戦終結後の安保理に関して実事求是の評価が大切だと思います。私が特に重要だと思うのは以下の二点です。
 第一、アメリカには「国連重視」という基準ははじめから存在しないこと。アメリカは常に「アメリカ第一」であり、安保理以下の国連は、利用できる時は利用するが、利用できない時・都合の悪い時は無視する存在でしかない。
 第二、習近平・中国及びプーチン・ロシアは、アメリカ・西側のパワー・ポリティックスに対抗する根拠として国連憲章の諸原則に立脚した国際関係の民主化を標榜していること。好き・嫌いの問題ではなく、中国とロシアが正しい行動を取るかどうかを評価の基準に据えるべきである。
 私たちは、安保理における大国の拒否権を問題視する傾向が強いのですが、この問題についても実事求是のアプローチが必要です。
 第一、5大国が自らの拒否権を放棄する国連憲章の改正に応じる可能性は予見しうる限りの将来においてまず存在しないこと。その限りにおいて、拒否権を云々する議論は非現実的であることを免れない。
 第二、アメリカのパワー・ポリティックスを制約する上で、中国及びロシアが国連憲章の諸原則に基づいて拒否権を行使することは、国際関係の民主化及び国際の平和と安定にとって肯定できること。私たち(国際世論)が監視するべきは、拒否権行使そのものではなく、拒否権が国連憲章諸原則と合致するように行使されるかどうかである。
 第三、拒否権の問題以上に重大な問題は大国の「なれ合い」による安保理決議の乱用であること。大国の「なれ合い」によって、国際法(宇宙条約)上すべての国家に認められている宇宙の平和利用の権利が朝鮮に対しては否定された事例を私たちは重く見なければならない。
 最後に蛇足ながら、日本の安保理常任理事国入り問題が日本国内では当たり前のごとく議論される傾向がありますが、戦争責任をまともに直視しない日本はその資格をまったく欠いていることを指摘しておきます。国連憲章は第二次大戦の結果を承認する前提に立っていますし、それは正当なことです。日本(戦後歴代政権)はその結果を認めようとしない異様な存在です。日本がこの立場に固執する限り、歴史が浅く、歴史問題には無頓着なアメリカを除き、中国及びロシアが日本の常任理事国入りを支持することはあり得ません。私たちに求められるのはそうしたまっとうな歴史認識です。