9月9日の第10回東アジア・サミット外相会議で発言した中国の王毅外交部長は、南海(南シナ海)諸島に対する中国の主権及び主権的権利、特にいわゆる九段線(中国語:"断续线")に言及して極めて重要な発言を行いました。私が承知する限り、九段線の国際法的意味に関する公的見解が示されたのはこれが初めてです。これで、中国の南海に関する法的立場の全容が明確にされることになりました。
<曖昧だった九段線の法的含意>
 私は2015年12月15日のコラム「南沙諸島問題:「航行の自由」に関する米中の確執」で中国の法的立場を検証した上で、「中国にもっとも求められるのは九段線に関する説得力ある法的立場を明らかにすることである」と指摘したことがあります。また、2016年3月30日のコラム「南シナ海問題と九段線(中国専門家見解)」においては、中国海洋研究中心の郁志栄研究員署名文章「「南海仲裁」 戦術的に如何に対応するか」を紹介して、九段線の法的地位に関して、彼が次のように述べていることを紹介しました。

 「南海仲裁案」の最終解決に当たっては「九段線」の法的地位を迂回することはできず、カギとなるのは、中国が「九段線」によって南海に境界を引くことができるか否かということであり、「九段線」は最終的に「国連海洋法条約」と矛盾し、対立し、調和できないのか、それとも統一的であり、相容れるものであり、調和できるものであるかということだ。我々が「九段線」の存在の合法性、「九段線」に基づいて線引きを行うことの可能性及び「九段線」の含意に関する歴史的性格について、国際的にさらに説得力ある説明ができないとすれば、類似の「仲裁案」を今後も回避することはできない。
 いかなる状況のもとにおいても、我が国は「九段線」が南海における管轄海域の外部境界線であることを堅持するべきである。すなわち、中国は線内の島嶼に対して主権を有し、すべての支配権を行使でき、線内の上部水域及び海底に対して主権的権利及び管轄権を有し、外国は上空を飛行する自由、海上を航行する自由及び海底ケーブルを敷設する自由を有し、また、予め申請し、我が国政府の批准を経た外国は南海海底を探査し、海底資源を開発することができる。我が国と南海の近隣諸国との海上の境界線は必ず「九段線」を基礎とし、線内の島嶼、上部水域、海底の法律的地位の解釈に関しては、海洋法条約の領海制度、排他的経済水域制度及び大陸棚制度を借用することができるが、後二者の引用に当たっては200カイリという距離概念は排除しなければならない。
<2016年の中国政府声明>
 2016年7月12日、フィリピンの提訴を受けて設置された南シナ海仲裁裁判所が裁定を下したのに対して、中国外交部WSは同日、「中華人民共和国政府の南海における領土主権及び海洋権益に関する声明」(以下「中国政府声明」)及び「中華人民共和国外交部のフィリピン共和国の請求で設置された南海仲裁案仲裁法廷が行った裁定に関する声明」(外交部声明)を発表しました。外交部声明は、この仲裁の無効性を主張するものですので省略します。中国政府声明は次のように述べています。
一、中国南海諸島は東沙群島、西沙群島、中沙群島及び南沙群島を含む。中国人民の南海における活動は2000年以上の歴史がある。中国は南海諸島及び関連海域をもっとも早く発見し、命名し、及び利用してきたし、南海諸島及び関連水域に対してもっとも早くから持続的、平和的かつ効果的に主権及び管轄を行使し、南海の領土主権及び関連する利益を確立した。
 第二次大戦終結後、中国は日本が中国侵略戦争期間中に不法に侵犯占拠した南海諸島を回収し、主権行使を回復した。中国政府は南海諸島に対する管理を強化するため、1947年に南海諸島の地理的名称を審査修正し、『南海諸島地理志略』を編纂し、南海断続線で区分した『南海諸島位置図』(中国語:"标绘有南海断续线的《南海诸岛位置图》")を制作し、1948年2月に正式に公布し、世界に表明した。
二、中華人民共和国政府は1949年に成立して以来、南海における領土主権及び海洋権益を断固擁護してきた。1958年「領海に関する政府声明」、1992年「中国領海接続水域法」、1998年「排他経済水域及び大陸棚法」、1996年国連海洋法条約批准决定等において、南海の領土主権及び海洋権益をさらに確認した。
三 中国人民及び中国政府の長期的実践及び歴代中国政府の一貫した立場に基づき、中国国内法及び国連海洋法条約を含む国際法に基づいて、中国の南海の領土主権及び海洋権益は以下のものを含む。
(一) 中国は、東沙群島、西沙群島、中沙群島及び南沙群島を含む南海諸島に対して主権を有する。
(二) 中国南海諸島は内水、領海及び接続水域を有する。
(三) 中国南海諸島は排他的経済水域及び大陸棚を有する。
(四) 中国は南海において歴史的権利を有する。
 中国政府声明は、郁志栄署名文章の問題提起にある程度まで答える内容を含んでいますが、九段線の国際法的意味合い、なかんずく「九段線の中の水域全体の法的性格」については述べていません。つまり、中国政府声明は「中国南海諸島は内水、領海及び接続水域を保有する」という記述はありますし、「南海断続線で区分した『南海諸島位置図』を制作」という表現での九段線に関する言及もあるのですが、肝心の九段線そのものの国際法的意味合いについては何も述べていないのです。
<今回の王毅発言>
 王毅の今回の発言は、中国外交部長が九段線の法的意味あいについて有権解釈を行ったものであり、これにより、南シナ海に関する中国の法的立場は基本的に明確にされたと思います。まず、王毅発言を紹介します。
 中国の立場に対するアメリカ側のさまざまな中傷に焦点を合わせて、いくつかの基本的事実について陳述しておく。
 第一、中国の南海諸島に対する主権及び主権的権利は歴史的及び法理的に十分に依拠するところがある。(まず)国連海洋法条約を含む国際法に基づき、各国の歴史的権利は尊重されるべきである。(次に)中国政府は1948年に正式に南海断続線を公布し、南海諸島が中国の領土であることを明確にした。(さらに)中国は2016年7月に政府声明(浅井注:上記「中国政府声明」)を発表し、南海における中国の領土主権と海洋権益を明确に闡明した。中国の主張は一貫しており、変化はなく、また変化はあり得ない。拡大したことはなく、また、縮小することもあり得ない。中国は断続線内の海域を自国の内水及び領海としている、と言い立てる者がいるが、これは下心を持って概念を曖昧にするものであり、中国の立場に対するわい曲である。
 第二、中国は善隣友好の周辺政策を堅持し、南海問題で建設的役割を発揮することに一貫して力を尽くしている。…中国は、南海で石油天然ガス資源を自主的に開発する能力を完全に有しており、その必要もあるが、紛争海域で一つの油井もボーリングしたことはなく、ひたすら根気よく「紛争棚上げ、共同開発」を唱導している。我々はこの枠組みのもとで、沿岸国のエネルギー需要を重視し、共嬴及び多嬴を追求している。中国がここ数年いくつかの島礁で建設を進めているのは、居住条件を改善するため、南海における公共財を提供するためであり、自国の安全保障上の必要によるものでもある。域外国が不断に軍事圧力をエスカレートさせることに対しては、主権国家としての基本的自衛権を持つのは当然である。
 第三、中国は一貫して、国連海洋法条約を含む国際法を重視することに力を尽くしている。…周知のとおり、領土紛争に対しては、海洋法条約は管轄の機能を有しない。海洋境界紛争については、中国政府は2006年に国連海洋法条約の規定に基づき強制的紛争解決手続きを排除する政策声明を発表した。中国が当事国の同意を経ていない仲裁を受け入れず、参与しないというのは、充分な理由と法的根拠を有する。平和と安定は、中国の南海における最大の戦略的利益であり、中国及びASEAN諸国の共同の戦略的要求である。南海は地縁政治の競技場ではなく、ましてや大国が闘うリンクになるべきではない。アメリカを含む域外諸国が地域諸国の意向と期待を充分に尊重することを希望し、ひたすら緊張を作り出し、そこから私利を図ることがないことを希望する。
 以上の王毅発言の中で特に重要なのはもちろん第一の部分です。第二及び第三の部分に関する発言内容は以前にも行われたことがあり、格別目新しいわけではありません。ここでは第一の部分の王毅発言をさらに検証します。
「中国政府は1948年に正式に南海断続線を公布し、南海諸島が中国の領土であることを明確にした」及び「中国は断続線内の海域を自国の内水及び領海としている、と言い立てる者がいるが、これは下心を持って概念を曖昧にするものであり、中国の立場に対するわい曲である」とした王毅発言は、"九段線はその中に所在する東沙、西沙、中沙及び南沙群島は中国の領土であることを示す境界線に過ぎず、中国が九段線で囲まれるすべての水域を中国に属する内水・領海と主張しているわけではない"という点をはじめて明確にしたものと言えます。
繰り返しますが、2016年の中国政府声明では、九段線にかかわって、「中国政府は‥南海断続線で区分した『南海諸島位置図』を制作」という記述がありました。また、中国政府声明には「中国南海諸島は内水、領海及び接続水域を保有する」という記述もありました。したがって、今回の王毅発言は中国政府声明と矛盾するというわけではありません。
 しかし重要なことは、以上の中国政府声明からは、"九段線は南海諸島が中国領土であることを示す境界線を表すに過ぎず、それ以上の法的含意を含まない(=境界線の内側の水域全体が中国の内水・領海を構成することを意味しない)"という結論が必然的に出てくるとは言えません。つまり、中国政府声明は九段線の中の水域全体の法的性格、つまり九段線の国際法的意味合いについては何も語っていなかったのです。今回の王毅発言はその点を初めて明確にしたと言えるのです。
 王毅発言にいう「南海における領土主権と海洋権益」とは、中国政府声明がすでに明確にしていました。具体的には、「領土主権」の対象となるのは「東沙群島、西沙群島、中沙群島及び南沙群島を含む南海諸島」であり、「海洋権益」の対象となるのは「内水、領海及び接続水域」と「排他的経済水域及び大陸棚」であることが確認されます。また、九段線の内側すべてが内水・領海ではありませんが、東沙群島、西沙群島、中沙群島及び南沙群島の各ブロックそれぞれは内水・領海及び接続水域を保有することが確認されています。したがって、九段線の内側にある海域でも、中国の領土主権と海洋権益に対象となる以外の海域は「公海」であるということです。かくして、王毅発言は郁志栄が提起した問題点に対しても一般論的に回答を与えたことになります。
<王毅発言と中米対立>
 今回の王毅発言は、2015年12月15日のコラムにおける私の問題提起に対しても、5年弱の時間を経てようやく客観的に回答したことになります。私からすれば、九段線の法的意味合いに関する王毅発言は、正直言って「遅きに失した」印象が否めません。私はむしろ、"どうして中国はもっと早くに今回のような明確な立場を示さなかったのだろう"、"何がそういう立場表明を引き延ばしてきたのか"という疑問が膨らみます。例えば、2016年の中国政府声明において今回の王毅発言の内容を含めていたならば、その後の米中対決自体は避けられなかったとしても、アメリカが域内諸国さらには日本・オーストラリア・インドを巻き込んで「南シナ海問題」を対中軍事対決エスカレーションに利用するという最悪の事態は避けることができたのではないか、と思うのです。
 残念ながら、私の以上の疑問に答える手がかりは、私が目にしてきた限りの中国側文献からは得られません。今の段階で考えられるのは、「九段線の内側の海域全体に対して中国の"主権的権利"を主張できる、主張するべきだ、とする考え方が中国内部で存在している(いた)」という可能性です。しかし、これは私のまったくの憶測でしかありません。とは言え、今回の王毅発言が行われたという事実は、仮にそういう主張が中国内部にあった(ある)としても、ASEAN諸国をこれ以上アメリカ(及び日本を含むアメリカの同盟諸国・友好諸国)側に「追いやる」ことを回避することが戦略的に決定的に重要、という判断が習近平指導部において共有されたことを示唆するものかもしれません。
 今回の王毅発言に対する反応は、私の目にとまる限りでは、中国内外いずれからも出ていません。しかし、南海の法的地位に関する中国の公的立場は今や明确になりました。中国が南海で防空識別圏を設定する可能性という問題は残りますが、アメリカ以下の軍事的デモンストレーションに対する中国側の対応は今後、「領土主権及び海洋権益」を基準としたよりきめ細かいものになる可能性があります。この点を含め、さらに観察していきたいと思います。