ベラルーシ情勢は、ルカシェンコ大統領がますます強硬姿勢を鮮明にする一方、反対派大統領候補だったチハノフスカヤが、ユーロニュースに対して「(政権側と反対派との)交渉に外国の仲介が必要になる場合、参加者の一つとしてロシアを考える用意がある。ロシアは有効で緊密な関係を持つ国家である」と述べる(8月29日タス通信)ように、ロシアとの無用な摩擦を避けようとする動きも報告されました。
 こうした中、プーチン大統領は8月27日、ロシアTVチャンネルとのインタビューに応じ、ベラルーシ情勢に臨む考え方を詳細に明らかにしました。プーチンの発言から浮かび上がってくるのは、①ルカシェンコがプーチンを巻き込もうとするのに対して一線を画していること、②反対派の行動に対して、暴力に訴えることには断固反対(ルカシェンコが暴力に訴えることにも明确に反対)しつつも、極めて冷静かつ理解する姿勢を示していること、③西側の二重基準に対する嫌悪と拒否、以上の3点です。大要を訳出して紹介します。

(質問) ベラルーシにおける展開をどう考えているか。
(回答) 欧州及びアメリカを含む他の国々よりも、ロシアはベラルーシの出来事に対してより抑制的、中立的である。ベラルーシをカバーする点で極めて客観的であり、あらゆる角度から、双方の言い分をカバーしている。この問題に対処するのはベラルーシの社会と人民であると確信している。もちろん、起こりつつあることに関心を寄せている。
 この国はロシアに極めて近く、多分もっとも近い。それは、人種、言語、文化、精神等々においてそうだ。数百万とはいわないまでも、おそらく数十万人の家族的つながりがあるし、産業協力も緊密だ。例えば、ベラルーシの農産物の90%以上はロシア市場向けに輸出されている。
 我々がもっとも望んでいることは、すべての関係者がコモン・センスを持って平和的に、極端に走らず、解決に到達することだ。もちろん、街に繰り出している人々を無視してはいけない。ベラルーシ大統領は、立憲的改革を行い、新憲法を採択し、新憲法に基づいて新たな議会及び大統領選挙を行う用意があると発言した。しかし、効力ある憲法を破ってはならない。ベラルーシ憲法裁判所は裁決を出している。それは、国家の基本法において想定されていない、かつ、権力を奪取しようとする超憲法的な機関を設立することは絶対に受け入れられない、というものだ。この裁決にあらがうことは難しい。
(質問) 33人のロシア人が拘留されたが、これは誰かの罠にかかったと見ているか。
(回答) 今は明らかになっている。秘密機関の仕業だ。33人は完璧に合法的な任務を受けた。彼らはラ米及び中東の第三国に行くと話されていた。ところがベラルーシに引っ張っていかれ、選挙期間中に情勢を不安定にする目的を持った攻撃部隊であるとされてしまった。
(質問) ウクライナの秘密機関か。
(回答) ウクライナの秘密機関がアメリカの仲間と組んで行った仕業だ。確実なことだ。これにかかわった者、よく情報を知る者が今は隠そうともしていない。
(質問) あなた(プーチン)との電話会談の後、ルカシェンコは次のように語った。軍事面で、ベラルーシはロシアとの間で、連合国家及びCSTO(旧ソ連邦諸国間の安全保障条約機構)の枠組みのもとの条約があり、ルカシェンコの要求に対してあなたは援助を提供することに同意したと、彼は言った。
(回答) 何ももみ消す必要はない。確かに、連合国家条約及びCSTOには、連合国家、と言ってもロシアとベラルーシだけなのだが、主権、国境及び安定を守るために互いに助け合う義務があると述べる条項が含まれている。これとの関係で、ロシアにはベラルーシに対して一定の義務があり、ルカシェンコが問題を組み立てた根拠だ。彼は、必要になった場合には、ロシアが彼に援助を提供して欲しいと言った。私は、ロシアはその義務を引き受けるだろうと答えた。
 ルカシェンコは、法執行人員から成る予備グループを作ることを求め、私はそうした。しかし我々は同時に、これは次の状況以外には使わないことでも同意した。すなわち、情勢が統制できなくなり、過激分子が政治スローガンを煙幕にして略奪放火を始め、行政機構を占拠しようなどとした場合だ。二人の話し合いでは、今は必要でなく、そして私は永久にその必要が来ないことを願っているという結論に達した。
 もう一度いいたい。我々は、ベラルーシにおける現在のすべての問題が平和的に解決されるという確信で動いており、当局側あるいは抗議者側のいずれかが法の枠組みを逸脱する場合には、法はそのいずれに対しても対応する。法は誰に対してでも平等でなければならない。ただし、客観的にいって、ベラルーシの法執行機関は、困難にもかかわらず、賞賛に値する自己管理を行使している。
(質問) ベラルーシにおける最初の2日間は多くの人々にとって恐ろしいものだった。
(回答) その点については考えることがある。欧州の国々でほぼ毎日、人々がやっていることは恐ろしいことではないのか。
(質問) ルカシェンコは、マクロンの仲介を拒否したとき、マクロンに対してイエロー・ベスト抗議者に対処するようにアドバイスした。
(回答) 車の中に3人の子供たちがいる目の前で、無防備の人間が背中を銃撃されたのは恐ろしいことではないのか(浅井注:アメリカの事件)。
(質問) 恐ろしいことだ。
(回答) ベラルーシ及びルカシェンコを非難する人たちはこうした行動を非難しただろうか。何も聞いた覚えがない。どうしてこんな差別になるのか。
 だから、次のように考えるのだ。問題はベラルーシに現在起こっていることにあるのではなく、一定の勢力がベラルーシに何か違ったことが起こって欲しいということなのだ。彼らはそのプロセスに影響力を行使し、彼らの政治的利益に合致するように情勢を持っていこうとしている。
 私が言いたいのは、ベラルーシの全般的な情勢は総じて改善に向かっているということだ。ベラルーシには確かに問題があり、さもなければ人々が街に繰り出すことはないだろう。私は、すべての問題が憲法及び法の枠組みのもとで平和的に解決されることを願っている。
 ベラルーシ情勢のこれまでの展開及びプーチンの以上の発言を踏まえるとき、以下に紹介する2つの文章に示された情勢判断は的確であり、2人が異口同音に提起している問題解決策(アルメニア・モデルを参考にすること)は理想的であることが理解できます。特にビルトの文章が示唆するように、問題はロシア(プーチン)にあるよりも、むしろ西側が二重基準に陥らず、抑制されたアプローチができるか否かにあることは明らかだと思います。
ラジャン・メノン:「ベラルーシの抗議は特に反プーチンということではない」(8月19日フォリン・ポリシーWS)
*メノンはニューヨーク・シティカレッジの国際関係教授、コロンビア大学戦争平和研究所シニア・リサーチ・フェロー。
 驚くことではないが、西側の注目するのはクレムリンであり、プーチンは何をするだろうか、彼はルカシェンコを助けに来るのか、来るとしたらどのように、といった憶測が始まっている。この憶測がまったく馬鹿馬鹿しいとは言えない。プーチンはルカシェンコの当選を祝福したし、蜂起が起こった場合には、「外部の圧力」からルカシェンコを守ると約束した。もっと重要なことは、プーチンは過去20年間の、西側が煽動したカラー革命の強迫観念があり、極東ハバロフスクの大規模デモにも対処中である。ベラルーシの抗議はロシアにおける政治的反対派を刺激するのではないかと、プーチンが恐れる理由はある。要するに、プーチンにとってベラルーシは極めて重要であり、2020年のベラルーシが2014年のウクライナに似た危機を生み出すかどうかに関心が集まるのだ。
 だが、その可能性は極めて低い。2つの民衆の蜂起の原因になった状況はまったく違う。まず、ベラルーシの抗議者たちはロシア支配から自由になるという願望によって動いているのではない。2014年のヤヌコヴィッチはモスクワの手先と見なされていたが、ルカシェンコはその類いであるとは見なされていない。
 また、ベラルーシの抗議者が街に繰り出したのはEU、NATOに加わるという夢を糧にしているわけでもない。キエフの場合に明确にあった反ロ感情はミンスクの町にはゼロである。さらに、ベラルーシでは、ベラルーシ語よりもロシア語の方がはるかに使われている。ベラルーシ語はロシア語と同じく公用語だが、ベラルーシ語を日常的に使うのは人口の1/4以下である。ウクライナでは(東部と西部との間で)言語的文化的分水嶺が画然としてあるが、ベラルーシにはそういうものはない。要するに、プーチンとしては、ベラルーシに反ロ政権がでっち上げられる心配をする必要はない。
 とはいうものの、ベラルーシの抗議の波及効果をモスクワが心配するだけの理由はある。しかし、その問題を解決するのに介入するのは答にならないだけではなく、むしろ事態を悪化させてしまうだろう。ベラルーシの抗議は大規模であり、社会のさまざまな層を含んでおり、ロシアが介入するとしたら大規模な軍事力が必要となるだろう。その結果、もともとは反ロ感情のなかった運動が反ロ的性格を持ってしまうことになる。戦術的には勝利するとしても、戦略的には敗北になるだけである。
 軍事介入にはもう一つの問題がある。ルカシェンコはすでに救いようがなくなっている。しかし、ルカシェンコが26年以上も独裁を強いてきたために、簡単には代わりが見つからない。仮に見つかったとしても、旧体制出身者では国内の政治的支持はまず得られない。ロシアはそんな指導者の後見人になることを強いられる。
 以上の成功の見込みのないシナリオの故に、ロシアのメディアは「ルカシェンコか西側の乗っ取りか」というルカシェンコの宣伝を鸚鵡返しに伝えることはしないのだ。それどころか、デモの様子は大きく報道されているし、政府対応の悪辣さも大きく報道されている。モスクワのベラルーシ大使館前での小さなデモも許されている。タス通信は抗議集会が数日にわたって行われていることまで報じている。
 要するに、プーチンはルカシェンコ支持一辺倒ではない。実は彼は長きにわたってルカシェンコ一辺倒ということではなかった。例えば、プーチンはベラルーシに石油を割引価格で売り続けることを拒否している。選挙期間中には、33人のロシア人がテロ攻撃を企てているとしてルカシェンコ政権に逮捕された。
 ベラルーシが2014年のウクライナではないとしたら、一体何なのか。アルメニアの2018年が良い比較になるかもしれない。アルメニアでは、2008年から2018年まで大統領を務めたセルジ・サルキシャンが2018年からは首相になることによって権力の維持を図ろうとした2017年の選挙に対して民衆運動が起こり、再度選挙が行われた。その結果、反対派リーダーのニコル・パシニャンの連合派が勝利した。その後、ロシアはアルメニアと緊密な軍事的結びつきを維持してきている。
 2017年のアルメニアと同じく、ベラルーシの蜂起もモスクワと決別して西側の一員になりたいという願望で動かされているのではない。彼らを動かしているのは、長期にわたって居座り、権力維持のために国民を隷従させようとする指導者に対する怒りである。
 西側専門家の中には、ロシアの軍事介入を警告するものもいるが、ロシアは2年前のアルメニアの台本にもっと傾いている。つまり、いかなる政権になるとしても、親ロであってくれることを期待して傍観するということである。こういうことを言うのは、ベラル-シ情勢が危険ではないということを意味するものではない。そうではなく、ある国家の危機が国際的危機になってしまうのを防ぐ一つの方法は、一方のロシアと他方のNATO/EUがコミュニケーションを維持することだ、ということなのだ。
カール・ビルト「ベラルーシにとってのアルメニア・モデル」(8月18日プロジェクト・シンジケートWS)
*ビルトは1991年-1994年スエーデン首相(スエーデンのEU加入を交渉)、2006年-2014年同国外相。旧ユーゴスラヴィアEU特別代表、ボスニア・ヘルツゴヴィナ担当上級代表、バルカン担当国連事務総長特別代表、デイトン平和会議共同議長を務めた。現在は欧州評議会対外関係共同議長。
 ベラルーシ人が空前の規模で街に繰り出し、国家の暴力に脅されることを拒否したとき、権力の座にいることを長引かせようとしたルカシェンコの狙いは失敗に終わった。どう見ても、彼が権力の座にいる日は長くない。多くの評者は、ベラルーシの状況を2014年のウクライナのオレンジ革命と比べようとしている。しかし、ベラルーシはウクライナではなく、オレンジ革命モデルをミンスクその他のベラルーシの都市の状況に当てはめるのはあまり有用ではない。
 ウクライナでも腐敗その他の国内問題が一定の役割を果たしたことは確かだが、決定的な要因は国家を欧州の懐に持っていきたいという願いだった。オレンジ革命は、ヤヌコヴィッチ大統領(当時)が欧州への統合という大義を放棄しようとしたことに対する直接的な反応だった。ウクライナの革命家たちは公然とEUの旗の下で動員をかけた。
 ベラルーシの蜂起は違う。もっとも大きな役割を担っているのは国内問題であり、EU志向かロシア志向かという問題はほとんど完全にそこにはない。ベラルーシ人は、ますますベラルーシ社会から乖離してきたルカシェンコの26年にわたる支配にうんざりしているだけである。革命の旗は禁止された白-赤-白のベラルーシ国旗であり、おそらく、1918年及び1991-1995年の時のように再び公の国旗になるだろう。
 とは言え、いかなる政治革命も自らの道を歩まなければならないが、外部の観察者がベラルーシは今後どうなるかを理解する上で参考になるモデルはある。ベラルーシに関しては、2018年春のアルメニアのケースが参考になるだろう。アルメニアでは、大衆のデモによってサルキシャン大統領が辞職し、新しい民主的時代が開始された。
 アルメニアもまた、歴史的戦略的理由に基づき、ロシアと常に緊密な関係を持っていた。2013年、アルメニアは、EUとの自由貿易協定にジョージア、モルドヴァ、ウクライナが加わったときに、自らは加わることを控えた。
 2018年当時も、ロシアが再度の「カラー革命」を未然に防ぐために介入するのではないかというもっともな懸念があった。しかし、アルメニアの地政学的方向性が変わらないと判断して、クレムリンは自制したように見える。
 最良の状況のもとでは、アルメニア革命がベラルーシに見本を提供するだろう。直近の目標は、過渡的政府が国際査察の下で新たな大統領選挙への道を付けることだ。スムーズなプロセスを保証するためには、ベラルーシの対外志向という問題はテーブルの上に乗せるべきではない。すなわち、選挙はデモクラシーだけについてのものにしなければならない。
 「アルメニア・モデル」のための条件を作り出すためには、EUは来たるべき制裁について慎重に用意しなければならない。すなわち、制裁の対象は選挙をねじ曲げ、次いで起こった抗議者に対する暴力的鎮圧に明確に関与した個人だけを対象としなければならない。ベラルーシ社会及びその経済にコストを課すような行動は生産的ではない。
 さらに、欧州その他の西側諸国は、新生民主ベラルーシが、少なくとも当分の間、経済的にロシアに依存することを受け入れる必要がある。ベラルーシ経済を現代化するという長らく必要とされてきた改革は、望むらくは、ユーラシア経済連合(EEU)の枠組みのもとで段階的にバランスがとれていくことになるだろう。
 また、ウクライナ方式によるEUとの連合協定は選択肢にはならず、ベラルーシをWTOに加わらせ、IMFを通じて支援することを優先するべきであろう。その両プロセスは国内的経済改革の条件を導入するだろうし、民主的政権が速やかに採用することが望まれる。アルメニアは、民主革命後も首都エレヴァン郊外でロシア軍基地を受け入れ続けた。ロシアはベラルーシにそのような軍事プレゼンスを持っていないが、安全保障上の関心は明らかであり、小規模な空軍の単位と2つの戦略的施設がある。これらの問題は誰にも脅威にならないのであり、既存の取り決めをそのままにしてはならないという理由はない。
 プーチンがアルメニア方式の政治的移行をベラルーシにも認めるか否かは分からない。プーチンの周りにはNATOによる乗っ取りを警告するものがいることは間違いない。民主的ブレークスルーを防止するための暴力的鎮圧を主張する勢力の気勢を削ぐため、西側は積極外交を行わなければならず、ロシアとの緊密な結びつきを選択する民主ベラルーシを支持することを明確にしなければならない。
 ベラルーシの情勢は地政学的闘争ではない。それは、ベラルーシ人民と正統性を失った政権との間の国内問題である。西側の巧みな外交だけが、ベラルーシ人民の民主的結果への到達を助けることができる。