安倍首相の退陣はあまりに遅きに失したことであり、なんの感慨も湧きません。また、石破、岸田、菅以下の誰が後継者になっても、日本政治の病理が染みついている本質においては安倍と同じであり、日本政治の展望が「首のすげ替え」で切り開けるとは思えません。しかも、衆議院小選挙区制と高級官僚人事権の官邸集中という、日本政治の矮小化を推し進めてきた制度的温床が維持される限り、事態打開の手がかりすら見いだされません。野党も日本政治の病理にどっぷりつかっています。日本政治を改めるカギは、私たち一人一人が個(尊厳)を確立し、執拗低音の縛りから我が身を解放し、主権者として日本政治の舵取りになるという自覚を我がものにするほかにはありません。
 私は今回出した『日本政治の病理』の「おわりに」で、次のように記しました。僭越ですが、今は一人でも多くの市民・国民が私の本を読んで欲しいと切に願います。日本政治の病理の根幹は執拗低音だからです。高い価格設定は恐縮ですが、読んでも損はないとあえて請け負います。

 この本の副題にもなっているとおり、私の日本政治に対する批判的思考は、丸山抜きには語れない。ただ、僭越を承知で実感を言わせてもらうと、私の思考は丸山のそれと「波長が合っている」と表現したい。
私は、執拗低音の働きを実務時代から痛感していた(「執拗低音」という言葉は知らなかったが)。日本政治の「特異性」「後進性」という問題意識も、実務体験を通じて早くから培っていた。1994年に、『国際的常識と国内的常識』というタイトルの本を出したのも、そういう問題意識を温めていたからだ。
丸山が「未開社会」・日本、「未開民族」・日本人と喝破する見事さには恐れ入った。しかし、それ以上に、丸山の卓見が私の日本政治に関する問題意識のモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくれた、というのがより正確である。
 丸山がこの本を読んだとしたらどのような反応を示すか、正直、見当もつかない。勝手な解釈を加えるな、と怒られるかもしれない。この本はあくまでも私の日本政治論であることをお断りするゆえんである。
 安倍政治、というより安倍晋三は執拗低音のかたまりである。新コロナ・ウィルス問題は、「いま」をやり過ごすことしか念頭にない安倍の本質を際立たせている。
 その「いま」の核心は何か。新自由主義に基づく人命軽視の制度「改革」を行ってきた米欧日医療体制がコロナ来襲に直面したことだ。
米英仏伊西等諸国の惨状は、新自由主義・医療「改革」の結末を物語る。ひとり新自由主義に一定の留保をつけたドイツはなんとか事態を制御してきた。ただし、トランプ・アメリカは論外として、英仏伊西等は人命最優先にギア・チェンジし、大量検査による感染者洗いだし、医療従事者の献身・自己犠牲、そして国民のロック・ダウンへの自発的協力によって難局克服に総力を挙げて取り組んでいる。
韓国の場合は、SARSの教訓を生かした、早期発見、早期隔離、早期治療の取り組みが成功した。「韓国モデル」として世界的に高い評価を得ているゆえんである。
 ところが安倍政権は、「改革」を経て痩せ細った医療体制の崩壊阻止を前面に押し出した。人命は二の次だ。医療負担を軽減するためには、入院患者を減らすことが至上命題となる。そのため、PCR検査を受ける「資格」を厳しく設定し(37.5度以上の発熱が4日間以上続くこと!)、PCR検査対象をクラスター関係に限定した(クラスター以外の感染者を放置!)。
 コロナ抑え込みに無為無策の安倍政権がやったことは、非常事態宣言と「三密回避」などの国民の自覚的行動「要請」だ。国民が協力しなければ感染爆発は避けられないとまで脅迫する始末だ。
「政府は何もしないで、すべてを国民に押しつける」やり方は、「個」「主権者意識」が確立している米欧諸国では通用する代物ではない。日本人の「お上」意識を読み込んだ安倍ならでは(?)の対応だった。
安倍政権の以上の対応に、日本が英仏伊西等の後を追うのは時間の問題、と世界は予想した。私もそう判断していた。しかし、日本に感染大爆発は起こらず、緊急事態宣言は解除された。
米欧メディアはこの不可解な「奇跡」を当惑気味に報道した。米欧メディアの報道に気をよくした安倍は「日本モデルの力を示した」と自慢した。
 日本に感染大爆発が起こらなかった原因はいくつか考えられる。米欧諸国のようなスキンシップの習慣がない。インド、ブラジル等における住民密集のスラムが今の日本にはない。中東湾岸諸国、シンガポールでは、出稼ぎ外国人労働者密集住宅が感染急増の中心スポットだが、日本にはそれもない。
それらの幸運に加え、安倍が織り込んだ「お上」に弱い日本人の存在があった。米欧メディアには理解不能の、日本という執拗低音の世界(「未開社会」・日本、「未開民族」・日本人)ならではの要素の働きと言えるだろう。 しかし、それは「日本モデル」として自慢できるような代物ではあり得ない。有頂天になる安倍の浅はかさを際立たせるだけである。
 医療崩壊防止を最優先し、感染者洗い出しに及び腰の日本は、今後も「クラスター」発生に脅かされ続けるだろう。感染者洗い出しを最優先する世界(それでも「第二波」「第三波」を予想)との最大の違いはここにある。 「お上」に弱い日本人の行動の問題点を浮き彫りにしたのは、医療従事者に対する差別が顕在化したことだ。パブリック(「個」を前提にした集団的つながり)の観念が浸透している欧米では、医療従事者への連帯を表す自発的行動(夜8時にみんなが一斉に拍手する等)が各国で行われてきたという。
広く報道されたとおり、日本では医療従事者及びその家族に対する差別が公然化した。「お上」の意思(「要請」)には従うが、それ以外では「私」がまかり通る。「未開民族」・日本人の本性がさらけ出されるのである。
 ワクチンが開発される(WHOは最速でも1年~1年半はかかると予想)、集団免疫を獲得する(スエーデン以外は懐疑的)などの展開があればともかく、新自由主義「改革」を経て痩せ細った医療体制の崩壊阻止を大前提にする「日本モデル」の前途は暗い。私たちの精神的「開国」のみが状況を打開するエネルギーを生み出すことを改めて確認する思いだ。
 安倍政治は、二つの学園問題、「桜」問題、法務省人事問題、そして今回のコロナ問題と、その専横ぶりと反人権・反デモクラシーの体質がますます露わになっている。末期症状と言って過言ではない。この本が刊行される予定の8月15日以前に安倍政権が野垂れ死にしていることを願う。