イスラエルとアラブ首長国連邦(UAE)がアメリカ・トランプ政権の仲介で国交樹立に向けた3国共同声明を出しました(8月13日)。中東情勢はさまざまな問題が入り組んでいてとても複雑です。イスラエルとUAEとの今回の動きに関しても、中東情勢全体の脈絡の中でその意味を考えることが不可欠です。私もそのことは分かるのですが、悲しいことに中東に「土地勘」がない私の手の及ぶところではありません。
 8月18日の環球時報が掲載した、中国現代国際関係研究院中東研究所の牛新春所長署名文章「中東主要矛盾の変化と新たなゲームの始まり」は、もつれにもつれている中東情勢を極めて明快に論点整理しており、快刀乱麻の形容がぴったり当てはまります。中東問題専門家の「プロ」の視点からはいろいろ批判が出るだろうことは想像できますが、「プロ」ではない私たちの頭の整理にはとても役に立つ内容だと思います。訳出して紹介します。

 イスラエルとUAEはアメリカの斡旋のもとで和平協議を達成し、正式な国交樹立は指呼の間に入った。この事件の歴史的意義は、パレスチナの参与がない状況の下で、イスラエルがアラブ国家と国交樹立することにある。イスラエルの情報部長は8月16日、バーレーンとオマーンもイスラエルと国交樹立する可能性があると公言した。
 2002年のアラブ連盟サミットが採択した「ベイルート宣言」は、パレスチナ問題の解決及びパレスチナの独立・建国がアラブ国家にとってイスラエルと国交樹立する前提条件であると定めた。2009年、ネタニヤフがイスラエル首相再選後に提起したのは、パレスチナ問題を解決する前にアラブ国家と国交を樹立することができるということだった。当時は、ネタニヤフは現実離れした世迷い言を言っている、常軌を逸し、道理に背いた発言をしている、という受け止めがほとんどだった。ところが今や、ネタニヤフの「世迷い言」が現実となったわけであり、このことは中東情勢が変わったということを物語っている。好きか否かに関係なく、新しい情勢を直視しなければならず、新しい情勢と付き合う必要がある。
 第一、パレスチナ問題は今や中東政治における核心ではなく、基礎でもなくなったこと。1948年以後、4回の中東戦争は中東政治の変遷を主導し、中東政治のパラダイムを作り出しただけではなく、米ソの中東における競争もそれとかかわって行われた。長い間、人びとはパレスチナ問題が中東のすべての問題のキーであると考え、パレスチナ問題を解決すればほかの問題も簡単に解決することができると考えてきた。だが今や、UAEはパレスチナの頭越しにイスラエルと国交樹立しようとしており、それによってパレスチナ問題の基礎としての地位は揺らぎ、今後は中東問題の一つでしかなくなった。
 第二、イラン問題は中東政治における重要性を高め、全局に影響を及ぼすようになっていること。イランは中東のすべての矛盾の台風の目となっている。中東の4大矛盾とは、イスラエルとアラブ諸国との矛盾、スンニ派とシーア派との矛盾、改革派と保守派との矛盾、そして親米派と反米派との矛盾であるが、イランは4つの矛盾において一方の主役である。現在、イラン経済は最大限の圧力に遭遇しており、アメリカとイランの争いはますます激しく、イラン核問題は出発点に逆戻りしかねず、イランとサウジアラビア、イスラエル等周辺大国との関係は緊張を深めている。これらの問題は相互に入り組んでおり、一つが動けば全体が動き、中東に対して全局的影響を及ぼす。UAEとイスラエルの国交樹立は明らかにイランに対抗するという意味を持っている。
 第三、一つのまとまりとしてのアラブ諸国の中東政治における地位は低下し、非アラブ諸国の影響力が上昇していること。アラブ民族は中東人口において最多数を占め、アラブ国家の数も絶対多数であり、長期にわたって、中東とはアラブ人の中東ということで、非アラブ国家の影響力は限定的だった。しかし今や、3つの非アラブ国家の中で、トルコはシリア、イラク、カタール及びリビアに駐留軍を有し、イランはテヘラン、ダマスカス、ベイルート、サヌア(イエメン)及びバグダッドの5首都を支配していると称され、イスラエルはエジプト、ヨルダン、シリアそしてレバノンに対して力を見せつけている。アラブ国家について言えば、内戦の最中にあるもの、政局が動揺しているものもあれば、サウジアラビアとカタールは内ゲバであり、地域における影響力の減退は明らかである。
 第四、パレスチナ問題がアラブ政治の中で占める重要性が低下していること。パレスチナ問題はかつてアラブ諸国にとっての最重要の政治問題であり、一貫してアラブ連盟の最重要テーマだった。しかし今や、イランの挑戦、シリアの内戦、石油危機、経済衰退、青年の失業といった問題が重みを増し、アラブ諸国が直面する問題はますます多岐にわたるようになっており、パレスチナ問題はますます脇に置かれるようになっている。1978年にエジプトがイスラエルと国交樹立したときには、アラブ連盟加盟21カ国の中の18カ国がエジプトと断交したが、UAEの動きに対して断交に出るものはない。
 第五、宗教及び汎アラブ主義の中東政治における影響力が低下し、人々の関心はますます国内問題に注がれるようになっていること。イスラエルとの間で領土問題を抱えていないアラブ国家に関して言えば、これらの国々がパレスチナ問題に関心を持つ主要な動機はイスラム信仰と汎アラブ主義だった。しかし、1967年の中東戦争以後、汎アラブ主義は次第に退潮し、イスラム主義が復活してきた。しかし、2010年の「アラブの春」以後はイスラム主義も低調となっていった。宗教的信仰及びアラブの団結は、アラブ人民が直面する政治経済問題を解決できなかったのであり、人々の注意はますます国内ガヴァナンスの問題に注がれるようになってきた。近年になって、アメリカ・トランプ政権がエルサレムをイスラエルの首都として認め、イスラエルがヨルダン川西岸のパレスチナ領を正式に版図に収めることを認め、UAEとイスラエルの国交のお膳立てをしても、アラブ人民の大規模な抗議は起こるに至っていない。このことはアラブ人民の関心がすでにほかの問題に移ってしまっていることを充分に物語っている。
 第六、イスラエルの経済力及び科学技術力がアラブ諸国を引きつける力が大きくなっていること。人口若年化及び早すぎる脱工業化により、アラブ諸国は軒並み失業、低い労働生産性等の問題に直面している。この分野でイスラエルはひとり抜きん出ており、科学技術イノベーション能力に関しては世界一流であり、アラブ諸国にとってイスラエルと協力することのメリットは極めて多い。例えば、2009年に国際再生可能エネルギー機関が設立されたとき、イスラエルはその国際影響力を行使して、同機関本部をUAEに置くことに尽力し、UAEの国際影響力は向上した。
 第七、中東はもはや大国が絶対に影響力を競い合う土地であるとは言えなくなったが、アメリカは相変わらず最大の「プレーヤー」であること。歴史的に見ると、地縁政治的重要性により、中東はかつて大国が争奪を競うお決まりの地域であった。しかし今や、アメリカの対中東戦略は縮小傾向にあり、ロシアは戦略的に慎重であり、欧州と中国は戦略的真空を埋めようとする意図はなく、こうして中東ははじめて大国が二の足を踏む地域となっている。パレスチナ問題に関して言えば、2002年以後、国連、アメリカ、ロシア及びEUが「中東問題4者」となり、集団で調停の役割を担うことになった。ところが今日、アメリカがアラブとイスラエルとの関係を一手に取り仕切っても、他の大国は形勢観望を決め込んでいる。この事実もまた、中東における大国政治の変化がいかに大きいかを示すものである。
 第八、アメリカの支持も当てにならず、アラブ諸国は自らの出口への道を模索する必要があること。長期にわたり、アメリカは湾岸諸国に対して安全保障を提供してきた。しかし2011年以後、国内金融危機、イラク戦争による苦境、エネルギー的独立、「アラブの春」における失敗等の影響を受け、アメリカの中東戦略は縮小に向かっている。2019年にサウジアラビアの重要石油施設が攻撃を受けた際にも、アメリカは軍事報復を行わなかった。湾岸諸国としては自らの生きる道を模索せざるを得ないということである。UAEがイスラエルと関係正常化しようとするのも安全保障に関する新しい試みと言える。
 第九、占領と圧力に立脚する「平和」構築の運命がどうなるかは、時間の回答を待つほかないこと。アメリカ、UAE及びイスラエルの8月13日の三国共同声明は、この外交上のブレークスルーは中東和平を推進するといっている。しかし、誰の平和であり、どれほど長続きするかを問わなければならないところだ。間違いないのは、パレスチナ人の平和ではないということである。仮に平和であるというとしても、それはパレスチナ人の基本的権利の犠牲の上での平和である。イスラエルは広範なアラブ人の内心の同意も獲得していないだろう。将来的にいえば、政治的和解は精神的和解につながるかもしれないが、政治と精神との分裂がテロリズムを生み出す可能性も排除できない。和平協議は「アブラハム協議」と称されるだろうとする向きがある。アブラハムはユダヤ教、イスラム教及びキリスト教の共同の祖先であり、中東地域の文化的宗教的和諧を象徴する。しかし少なくとも現在のところ、それは一つの麗しい想像と希望でしかない。