中国で、尊厳ある死を迎えるための安楽死立法化を推進している最高人民法院(日本の最高裁に当たる)の元常務副委員長・沈徳咏の発言記事に接する機会に恵まれ、本当に多くのことを考えさせられました。「尊厳」は私における「普遍」そのものであること(8月刊行の新著の第4章のテーマ)。欧州起源の「尊厳」という概念を中国はどのように受け止めるのかという重要な問題を内包していること(新著138-141頁で考察)。沈徳咏の発言内容から彼が中国の最良の知性を代表する人物であることが伝わってくること(特に最後の彼の死生観は圧巻)。
 8月6日のコラムで、中華文明知識体系と西側文明知識体系について論じた姜義華の論考を紹介しました。「現実の人を以て主体となす」中華文明知識体系は、「原子化された個人」を主体として捉える西側文明知識体系のいわば嫡出子とも言える「尊厳(個)」をどのように受け止めるかという問題は、実に胸がわくわくするテーマです。沈徳咏の発言を見るとき、「現実の人」においても、「原子化された個人」におけると同じように、尊厳ある生・死は最重要なテーマであると認識されていることがしっかり伝わってきます。
 中国社会主義は、資本主義経済システムの根幹をなす「市場原理」を資源配分の最良のメカニズムとして採用しつつ、市場原理に支配される資本主義とは異なり、それによって振り回されない(利用するが支配されない)ことにおいて「中国らしさ」を思い切り発揮しています。「尊厳」も西側起源ですが、社会主義中国における「現実の人間」は「尊厳」を我がものとすることになんの抵抗もない。よいものはよい。起源がどこかということは関係ない。沈徳咏の発言からは、そういうメッセージが伝わってくるような気がします。
 また、尊厳死・安楽死という問題は日本でも大いに論争がある重要なテーマです(新著131-132頁)。正直言って、日本における議論は皮相的であるというのが私の強い実感です。それに対して沈徳咏の発言からは、死という問題に正面から向き合う姿勢がしっかり伝わってきます。この点でも実に読み応えがあります。
 以下、この記事の抄訳を紹介します。

2020年7月20日付け『中国新聞週刊』No.956掲載 徐天記者署名文章「沈徳咏:安楽死立法推進-濫用リスク減少-」
 本年(2020年)の第13期全国政治協商会議(政協)で、「臨終時の思いやり及び尊厳ある死亡に関する調査研究を強化するとともに、適切な時期に規制を行うことに関する提案」が注目を集めた。提案者は元最高人民法院常務副院長で、現在第13期全国政治協商会議法制委員会主任の沈徳咏である。
 彼は提案の中で、安楽死に代えて尊厳ある死(中国語:尊厳死亡)を使っている。彼は次のように指摘した。すなわち、臨終時の思いやり及び尊厳ある死は現在すでに回避できない社会問題、法律議題となっており、関係部門がこの問題を重視し、関係する問題に関して早急に研究、論証を組織し、適切な時期に立法規制を行うことを建議する。
提案に関する報道が行われると、北京生前預嘱推広協会の創始者で、羅瑞卿(注:建国元老の一人)の娘である羅点点がネット上で次のように問題提起した。すなわち、国内外のコンテクストのもとでは、尊厳ある死とは事実上、安寧療護(英語Hospice Careの中国語表現)を指し、安楽死とは異なる。さまざまな障碍がある安楽死の立法規制に挑むより、安寧療護の法律法規制定に力を注いだ方がよいのではないか。沈徳咏はこの提起に積極的に反応した。二人の「スター」による理性的な論争はますます大きな社会的関心を集めた。そこで『中国新聞週刊』は安楽死をテーマとして沈徳咏に単独インタビューを行った。
(質問)今回の政治協商会議でこの提案を行ったのはなぜか。
(回答)私の関心があったのは安楽死問題だったが、このテーマはセンシティヴなので、尊厳ある死という概念を使った。
 かつて私は、身内、友人さらには社会的人物がさまざまな疾病または偶発的な死により、死ぬときに非常な痛みを伴っていたことに関心があった。当時、私は外国に安楽死制度があることを知って、関連資料を調べたことがある。しかし、法院の仕事が多忙だったので、この問題を集中して研究することはなかった。
 2018年に法院から政協に仕事が移って、6人のグループで安楽死及びその立法化を研究することとした。メンバーは全員法律関係で、刑法、民法、医師法等を研究している。グループには4つの研究課題がある。第一の提案は今年政協で行った。第二のテーマは安楽死立法化に関する理論的考察であり、すでに完成したが、発表するには至っていない。第三のテーマは、本に集大成することであり、現在は資料収集及び研究段階だが、基本的フレームワークはすでにまとめた。第四は、以上の基礎の上で立法に関する専門家としての建議を提出することであり、それをグループの最終成果とするつもりだ。
(質問)安楽死の定義如何。安楽死と安寧療護、尊厳ある死との関係は?
(回答)まず、尊厳ある死は安楽死ではないとする羅点点の観点に私は賛成だ。私は、安楽死は一種の死亡方式であり、尊厳ある死は死亡状況に対する一種の描写であると考えている。
 我々の初歩的研究によれば、厳格な安楽死概念は次のように表現することができる。すなわち、病人が現在の医学的条件の下では治療の可能性が皆無であり、かつ、医学条件が治療可能となるまで生存する可能性がないとき、加えて、病人が耐えがたく、克服しがたい痛みに襲われている場合、行為能力を有する本人が提出する誠実で明確な要求に基づき、資格ある医院の医師による審査批准同意により、病人の臨終時の苦痛を緩和する目的で実施する、病人の無痛、穏やか、速やかな死亡を促す医学的措置のこと。
 安寧療護に関する現在の普遍的認知とは以下のことである。すなわち、死亡を加速することも遅延させることもなく、苦痛及び症状不適合を解除する方法を提供すること。安寧療護は重要な医学的措置であることは疑いないが、リニアな観点からいうと、安楽死が終局的選択である。いかなる安寧療護の下にあるとしても、安らかな尊厳ある死を遂げられない人はどうしてもいるものだ。そういう彼らにとっての最終的選択は安楽死のみである。
 したがって、安寧療護と安楽死とは必ずしも矛盾しない2つの道筋であり、両者が指向する死はいずれも尊厳ある死というべきである。
(質問)安楽死立法には安寧療護は含まれるのか否か。
(回答)我々の研究の結果だが、安楽死には主動的安楽死と受動的安楽死とがある。我々が現在研究しているのは主に狭義の主動的安楽死である。将来的に受動的安楽死を含めるかどうかは現在なお調査研究中だ。受動的安楽死と安寧療護との間には一定の混じり合う部分がある。
(質問)先ほどの安楽死に関する定義には前提条件が非常に多いが。
(回答)安楽死の定義には核心的概念が2つある。自主及び尊厳である。
 安楽死の大前提は生命の自主権である。自主とは、安楽死を取るか否か及びいかなる安楽死の措置を取るかはともに本人の選択及び決定を必要とする、ということである。
 公布された民法典第1002条は、「自然人は生命権を有する。自然人の生命安全及び生命の尊厳は厳格な法律の保護を受ける。いかなる組織または個人も他人の生命権を侵害することを許されない」と規定する。つまり、自然人は生命権を享有し、これには生命安全権及び生命尊厳権を含む。生命尊厳権において、人は生の尊厳を有するが、死の尊厳は有するのか否か。現在のところ、法律上は明確ではない。
 我々が考えるに、死の尊厳を法律の範囲の中に収めるべきであり、このことが安楽死立法化の土台である。自然人がこの権利を有することを承諾することによってのみ、当該自然人は生命自主権を有することができ、安楽死の違法性を排除することができる。これが第一の核心的概念、自主である。
 生命尊厳権はもう一つの核心的概念、尊厳にかかわってくる。グループの研究では、尊厳とは何か、尊厳にはいかなる基本点があるか、死との関連においては、いかなる状況の下で尊厳を有し、いかなる状況の下で尊厳を有しないか等々について、さらに研究し、定義していく。
 我々が安楽死に関して提起した前提条件は、安楽死のプロセスにおける人の自主及び尊厳を、各方面から厳格に規範し、保障するものである。各方面とは、主体の権益、本人の意向、医師の資格、審査批准手続き、監督管理メカニズム等であり、(各方面にかかわるということは)安楽死がなぜ法律を通じて規制する必要があるかということの原因でもある。
 例えば、人はいかなる状況の下で安楽死を行うことができるか。安らかで無痛の死ではあっても、畢竟するに生命を奪うのであるから、法律で規制し、厳格な条件を設けなければならない。厳格な条件という中には「最善の利益」原則に基づくということがある。つまり、患者がいかなる生命の段階にあるかを分析判断し、治療の可能性の有無、苦痛の程度等々を判断するのである。
 そのほかにも、扱い方の手続き、監督管理のメカニズムを定める必要がある。我々の認識では、安楽死は必ず資格ある医師が独立した判断を行った後、少なくとも他の一人の医師の意見を求め、その上で法律に基づいて設置する監督管理委員会が審査を行わなければならない。私の知るところでは、オランダではこうしている。当然ながら、以上の内容については今後医学界の意見を聴取する必要がある。
(質問)安楽死の合法化には大きなリスクがあるとする専門家の意見があるが、貴見如何。
(回答)リスクには二種類のものがある。一つは盗用、すなわち、安楽死の方法を使う殺人だ。このリスクについては無視してよいと考える。なぜならば、厳格な法律の規制がある条件のもとでは盗用の可能性は非常に小さいからだ。殺人を考えるものにとって方法は多様であり、なにゆえにかくも複雑な方法を使って殺人しようとするだろうか。一歩下がって考えるとしても、確率が極めて低い「盗用」という可能性のために先進的な制度を否定するというわけにはいかない。すでに安楽死を実施している国家・地域においては、これまでのところ、安楽死を盗用する方法で殺人を行った事例はない。もちろん、今までにないからといって将来もないということではない。だから我々は防止するべきだが、法律を作ることを制止するべきではない。法律で規制を加えることが最良の防止措置である。
 もう一つのリスクは濫用だ。濫用防止のための最重要の前提条件は本人による自主選択である。本人の意向に合致しない場合は一律に安楽死適用を排除する、というのが我々の研究結果だ。例えば、本人が疾病あるいは突発事情によって自主決定能力を喪失している場合、家族または医師が決定を幇助できるか。我々は不可と考える。
 そのため、重要な補助制度、すなわち生前預嘱(英語living willの中国語表現)を導入する必要がある。すなわち、完全な行為能力を備えている人は、意向がある限りにおいて、存命中のいかなる段階においても安楽死に関する預嘱を行い、預嘱執行人を指定することができるというものだ。預嘱の進行は公証後に発効する。突発的状況が発生した後、本人が自主決定の意識及び能力を失った場合には、預嘱執行人が申請を提出し、預嘱に基づいて安楽死の審査批准及び執行の手続きに入る。
 濫用防止のもう一つの前提条件は医学判断である。医学判断には厳格な基準及び手続きを設け、異なる医師及び監督管理委員会が判断を行う。
 総じていえば、安楽死立法を推進することは、有効な法律的規制を行うことに有利であり、むしろリスクを減らすことにも有利である。
(質問)中国は安楽死立法を行うべき時に至ったと考えるか。
(回答)ほぼ毎年、全国人民代表大会及び政治協商会議開催期間中に、安楽死立法にかかわる建議と提案が行われている。現実にも、数十の「安楽死」案件が司法によって処理されている。法院の有罪判決が出るたびに、広範な世論の注目と議論を引き起こしており、道徳、倫理、法律等多方面にわたる問題であるために、大いに議論があるところだ。
 また、我々は1000人以上を対象にネット上でアンケート調査を行った。82.2%の人が安楽死に対して基本的に賛成の態度であり、84.2%の人は中国が安楽死に関する立法を行う必要があると考えている。  以上から分かるとおり、安楽死はすでに回避しようがない問題である。中国が最終的にこの医療制度を導入することを最終的に決定する場合には、健全かつ整然として運用されることを保証するため、必ず法律を通じて規制を加えなければならない。
 ただし、何時立法できるかについては予想できない。西側が安楽死を推進する上での最大の障碍は宗教である。我が国で安楽死を推進する上での最大の障碍は伝統文化、倫理道徳観念だ。安楽死は法律問題、医学問題であるとともに倫理道徳問題でもあり、推進できるか否かのカギは思想解放と観念刷新にある。したがって、5年、10年が必要となるかもしれない。私としては、生きている間に安楽死の法律ができることを見届けたいところだ。
(質問)死に関する見方は如何。
(回答)ある哲学者が言っていたことだが、この宇宙に唯一真に存在する法則があるとすれば、それは死であり、存在するものすべてが最終的に死に至る。私の認識の中では、将来において生活を完全に自分では処理できなくなるか、耐えがたい苦痛に直面した場合、その人生にはもはや語るべき尊厳と幸せはない。この時、古代ギリシャ人が述べたように、「幸せの中で死ぬこと」が私の追求する理想である。クオリティと尊厳のない生命は、私は一日たりとも長く過ごしたいとは思わない。その時に至ったとき、私にハッキリした意識があるか否かにかかわらず、私は安楽死の方法を使って前倒しで我が生命を終えることを希望する。そのことにより、家族の足手まといになることを軽減するし、国家及び社会が有限な医療資源を節約することにもなる。これが私の預嘱とも言える。課題研究が終了する暁には、羅点点の生前預嘱推広協会に赴き、この預嘱を行うことになるかもしれない。