優れた内容の文章に出会うととても豊かな気持ちを味わうことができるものです。特にその内容が日頃暖めている問題意識に正面から答えるものである場合には、達成感、充実感、満足感等が入り交じった、得も言われぬ感情が内からこみ上げてくるものです。私の場合、丸山眞男の文章に接する中で、幸福にもそういう経験を何度も味わってきました。今回紹介する上海・復旦大学の姜義華(「文化栄誉教授」という紹介があります)の論考「現実の人を以て主体となす:中華文明知識体系の本質的特徴」も正にそれでした。
 私は、中国・中国人の人・人間の捉え方は西側諸国の捉え方とは本質的に違うという理解を長年にわたって暖めてきました。私自身は、欧州の歴史に起源を持つ「尊厳を具えた個」としての人・人間という捉え方を我がものとしていることを隠す気持ちはありません。したがって、「人権」に関する理解も政治的市民的権利を重視する立場にあります。しかし、中国の場合「尊厳を具えた個」とする捉え方は希薄、というより無縁であり、私流の表現でいえば「生身の人間」という捉え方がでんと中心に座っている、というのが、私が長年の中国観察の中から得た理解、というより確信的印象です。「人権」に関していえば、政治的市民的権利以上に経済的社会的文化的権利を重視するのは、ある意味当然だと言えるでしょう。
 私が8月15日に世に問うことにしている新著(『日本政治の病理』70頁及び138-141頁)でも、日本あるいは欧米との比較の中で、この問題意識を何度か披瀝しています。しかし、残念ながら、また正直に言って、中国・中国人の人・人間の捉え方に関する私の理解・印象を確証する資料・材料には出会うことがありませんでした(私の勉強不足が原因ですが)。したがって、私の一方的理解と受け取られる可能性を否定できない叙述になってしまっています。
ところが、8月3日付けの光明日報に掲載され姜義華の論考は、中華文明知識体系の本質的特徴の一つは「現実の人を以て主体となす」ことにあると明快に指摘しています。ちなみに彼は、西側文明知識体系の本質的特徴の一つが「原子化された個人」という人・人間の捉え方にあると指摘しているのです。私が言う「尊厳を具えた個」が姜義華のいう「原子化された個人」に対応し、私が言う「生身の人間」が姜義華の「現実の人」に対応することは、いかなる疑問を差し挟む余地もありません。私は、姜義華の論考において私の理解・確信的印象が正しいことを確認することができました。
 それだけではありません。姜義華の論考は、中華文明知識体系の本質を理解する上では、この人・人間の捉え方を踏まえることが不可欠の前提であることを示しています。卑近な例でいえば、私たちは往々にして、香港、新疆、チベット、さらには天安門事件などを取り上げて、中国を批判します。しかし、それは畢竟するに、西側のモノサシで中国を判断しているということなのです。文明の多元性を承認するもの(私はその一人)である限り、そういう一元的な見方は厳に慎むべきです。姜義華の論考からは、そういう重要なポイントを学ぶことができます。また、そこにこそ、この論考の最大・最重要の価値があるのです。
 私として大いに悔やまれるのは、新著を書き進めているときにこの論考に出会うことができなかったことです。この論考に出会っていたのであれば、私はもっと中身のある記述ができたのではないかと思います。幸いにして、新著を読んでみようと思ってくださる方があれば、上記2カ所を読まれる時にはぜひ、この姜義華の論考をもう一度読んでいただきたいと思います。
 なお、姜義華の論考はかなり長いので、以下は要旨の紹介であることをお断りしておきます。

 「知識」とは、人が外部世界及び自己の内心世界に対して持つ、確定性、系統性及び統合性を有する認知であり、一種の精神的産物である。実践及び実験で直接または間接の経験によって獲得するものにせよ、経験観察に先んじた推理または演繹に依拠して獲得するものにせよ、知識はすべからく複製、伝授、伝播が可能であり、大きい範囲で交流し、再生産再創造することが可能である。
 「知識体系」とは、一つの文明におけるすべての知識の総和である。文明の進化及び変遷に従い、知識体系自体には大きな変化が生まれるが、文明を構成する基礎となる知識体系の主要な命脈あるいは遺伝子は、通常、持続していく。(浅井注:日本文明知識体系の命脈・遺伝子とは、丸山眞男が指摘する「執拗低音」にほかならないでしょう。ただし、「執拗低音」は「普遍」を知らない日本社会・日本民族の「未開性」に根拠があります。真の「開国」を通じて「普遍」を我がものとし、「未開性」を克服することができれば、「執拗低音」という命脈・遺伝子をも克服できるし、克服しなければならないというのが丸山眞男の説くところです。)
 中華文明は、数千年にわたって連綿として途絶えることがない。これを世界の他のさまざまな文明(早くに中断した古い文明を含む)と比較するとき、知識体系についていえば、中華文明に特有の、現実の人を以て主体とする特質は深く研究する価値がある。

 いかなる知識の生産もすべて、知識生産者、知識生産対象及び知識生産手段の三者の結合及びインタラクションである。知識生産者は異なる民族、異なる地域、異なる文明に属し、往々にして文明発展の異なる段階に位置し、擁する知識構造と知識蓄積も異なる。知識生産対象もまた往々にして一様ではなく、知識生産において利用できる手段、条件、環境、資源、基礎も異なる。したがって、知識生産過程において大きな違いが生み出され、知識生産の結果である生産物も自ずからそれぞれの特徴を形成することとなる。以上から、知識及びその総和としての知識体系は、客観性、公共性、普遍性を備えるとともに、必然的にそれぞれの主観性、個別性、特殊性をも備えることとなる。
 世界の圧倒的多数の古代文明における知識体系を縦覧するとき、支配的地位を占めるのはほとんどが宗教神学である。宗教神学は、かつて長期にわたって欧州全体の知識体系を支配した。欧州でルネッサンス運動が起きるに至って、知識体系に対する宗教神学の全面支配はようやく覆され、知識の重点は世俗的生活及び人々の社会実践に方向を変え、宗教もこれにしたがって世俗化へと方向を変えることとなった。
 中華文明形成当初は、巫祝が宗教神学を通じて知識の創立と伝授を独占した時期があった。しかし、商代の巫祝はすでに自然神崇拝から次第に血縁祖先崇拝、英雄人物崇拝へと次第に方向を変えていった。さらに農業が社会生活において地位を上昇するに従い、天然現象に関わる占いがますます多くなっていった。ということは、商代の巫祝はすでに人々の世俗生活に関心を寄せるようになっていったということを示している。
 周代に入ると、周公の制礼作楽を標識として、知識体系に対する神学及び巫祝の独占的地位は終わりを告げることとなった。「百姓を以て国家の根本となし、根本安定すれば、国家すなわち安寧なり」(民惟邦本,本固邦宁)。現実の人が知識体系において支配的地位を占めることとなったのである。巫祝は西周時代以後においては祭祈を司るだけの祈福儀式の専門職となった。

 宗教神学が知識体系全体を主導していた時代、知識の最高使命は、人が現実の世俗的世界を離れ、現実、世俗を超越し、生死を超脱して彼岸の世界に到達することを助けることであった。マックス・ウェーバーは1904年以来、プロテスタンティズムと資本主義の精神との内在的関係について研究を行い、そこからカソリック、道教、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラム等の宗教研究に向かっていった。ウェーバーが発見したのは以下のことである。すなわち、儒学には超験的な絶対者は存在せず、神聖世界と現実世界、彼岸世界と此岸世界という対立も存在せず、儒家の経典が唱えるのは実社会の俗人の倫理道徳である。儒家は、宇宙と人類社会を含む現存の世界秩序を肯定し、俗世にある人は小心謹慎、克己守礼を心がけ、この世界及びその秩序習俗に適応するべきであり、秩序のある和諧と平衡を破壊する非理性的情感を意識的に抑制するべきである。儒家は人の本性は善であると考えており、その倫理観には原罪という概念は未だかつてなく、したがって宗教的救済という概念もない。ウェーバーの以上の描写は儒学の実際をおおむね反映している。すなわち、全体としての中華文明の知識体系がもっとも関心を向けるのは現実の人であって現実世界を超越した神ではなく、人の現実生活、現実の社会的交際、社会的ガヴァナンスであって、人の観念及び意識世界にのみ存在する神霊に対する無条件の服従と信仰ではない。
 西周及び春秋戦国時代の知識体系はすでに全体が現実世界に向き合い、さまざまな社会の実際問題に向き合うようになっていた。春秋戦国時代の大多数の諸子百家は、鬼神ではなく人を主体とし、人の世の政事日用、工商農耕を関心の中心主題とし、社会実践で蓄積した経験(歴史的蓄積による経験を含む)に合致するか否かを以て是非判断の基準とした。諸子学の最重要の貢献の一つは、現実の人を中心とする一元世界を以て、かつての巫術の下における人神分裂の二元世界に置き換えたことにある。人はなにゆえに万物の霊長になることができるのか。人は社会集団の一員であり、他の動物が持たない社会性を備えており、社会集団の中の人は社会集団の中の他の人に対して「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」(己所不欲,勿施于人)を行うことができる。ここにこそ、現実の人が実体、主体、万物の霊長となる根本原因がある。
 孟子はさらに、「民為贵,社稷次之,君為軽」と述べた。孟子は、人の本質に言及するとき、人の社会性を特に重視し、人と人の交流を重視した。荀子は知識体系における人の主体及び実体の地位を堅持した。人は社会を構成するが、社会とは人と人との分業合作にほかならない。荀子は人と人との分業合作がなければならないとしただけではなく、人類社会と自然環境もまた互いに助け合い、協調し合わなければならないとも強調した。ここでいう人は、現実社会における人であるだけではなく、人の社会と自然環境とが形成する良性のインタラクション関係の中の人でもあるのだ。
 中国古代の知識体系は、知識は客観世界の変化に基づいて変化し、社会実践の発展に基づいて更新するべきであるという立場を堅持した。『周易』には、「剛柔交错,天文也;文明以止,人文也。観乎天文,以察時变;観乎人文,以化成天下」とある。その趣旨は、"知識体系の形成は、天然現象の運動を真剣に観察することによって季節、気候、自然の変化の法則を理解することに源を有する。それはまた、現実社会の人倫秩序を真剣に観察し、教化を通じて人々の行為を文明に合致させることに源を有する"ということである。『周易』の以上のくだりは、中華文明知識体系の起源に関する最初の概括である。天文にせよ、人文にせよ、両者は独立しているとともに相互に緊密に依存し合っており、互いに相まって統一体をなしている。中華文明の知識体系は、本質として、開放的な、無限の発展を許容する体系である。

 中華文明知識体系は歴史的経験を特別に重視し、参考にする。なぜならば、歴史変遷の真実のプロセスを理解し、歴史的経験の不断の蓄積と総括を尊重することは、人々が社会の現実に立脚し、思想及び行為の理非曲直を明らかにし、何が正しい価値であるかを理解することの助けとなるからである。『春秋』『左伝』『世本』から『史記』に至る膨大な著作は、人々が人の現実の存在及び生活並びに世俗社会を復元する上で有益である。
 仏学の伝入は中華文明知識体系における重要な変革を引き起こした。仏学は性理学説に独特の造詣があり、宋及び明の儒者は仏学の演繹方法及び思辨化された理論構造を吸収し、伝統的な儒学、道学等を混ぜ合わせることによって、「存理去欲」あるいは「存心去欲」の修養論、「格物」あるいは「格心」の認識論、格物致知・誠意正心・修身整家治国平天下の社会実践論を構築した。知識体系におけるこの変革はそれまでの即物的・現実的な知識体系に対して大きな衝撃を与えた。ただし、即物的・現実的な伝統は広範な大衆の間では引き続きしっかり根を下ろしており、大衆は相変わらず現実の人を主体とし、社会の実践が蓄積した経験、特に歴史が蓄積した経験を是非判断の基準とする立場を堅持してきた。また士人の間でも、経世致用を唱道し、「実学」に務めるものの勢力は相変わらず侮れないものがあった。

 近代に入って、中華文明知識体系はさらに深刻な変革を迎えることとなった。この変革を引き起こしたのは、中国が直面したいまだかつてない危機であり、資本主義及び工業革命に伴って成長してきた西側知識体系の全面的挑戦であった。この西側知識体系は、ルネッサンスが現実の人を本位として確立した以後に形成されてきたものである。しかし、科学技術及び機械大工業が作り出した世俗世界は、資本の統治のもとで高度に原子化された個人を作り出した。原子化された個人は利益最大化の追求に追いやられることとなり、生産、流通及び消費の全面的な社会化との間に尖鋭な二元対立を形成した。また、自然資源の破壊的略奪的な開発と強奪は、生態保護及び持続可能な発展との間でも二元対立を引き起こした。
 中国の先進分子は、国家存亡の危機を救うべく、一度は西側知識体系をそのまま持ち込もうと試みたが、実践の中で瞬く間に西側知識体系と中国固有の知識体系の間には極めて大きな違いがあることを見いだした。すなわち、知識体系を全面的に欧化することによっては救国という現実的要請には対応しがたく、中国固有の知識体系は、西側知識体系のさまざまな優れた成果を吸収して自らを充実させ、高めることはできるが、自らを失うことはできず、現実の人、現実の世界を知識体系の基礎とする伝統を放棄することもできず、現実の人、現実の社会、現実の社会集団を価値の主体とするところの中華文明の生命の土台、力の源泉を放棄することはできなかったのである。
 西学は中国に伝わる中で、中華文明知識体系における弱点、すなわち、自然科学及び技術科学の基礎理論研究が一貫して弱く、工芸や技術の研究も全面的、系統的、精密的ではないという弱点に対して積極的な役割を果たした。これらの領域の多くの分野において、西学はすでに前を進んでいたので、中国は一から始める必要がなかった。もちろん、これらの領域において革新、突破、超越を成し遂げるためには西洋崇拝・丸呑みではダメであり、自然科学、技術科学の基礎理論および実際の応用の分野で地道な努力を行う必要がある。
 以上と同時に、西学は中国に伝わる中で、中華文明知識体系とは非常に異なる一連の価値体系及び制度体系をも伝えた。西側諸国の人文社会科学は、資本の強力な支配のもと、原子化された個人を本位とする価値体系を形成し、利益の最大化を追求する合理性を擁護し、自由競争を核心とする経済、政治、社会の各制度を全面的に構築することを推進した。一部の中国人はこれらの価値を羨み、模範としようとしたが、中国に強固に根を下ろした家庭本位、集団本位、社会本位、家国共同体本位を根本から改めることはついにできなかった。
 10月革命後、マルクス主義が中国に広く伝わり、中華文明知識体系の変革に決定的な影響を及ぼした。マルクス主義は、西側知識体系の優れた成果を十分に吸収すると同時に、西側知識体系に存在する根本的な問題に対しても全面的かつ深刻な批判を行った。中華文明知識体系は正にマルクス主義の中に中西双方の知識体系の精華を融合する最良の切り口を見いだした。マルクス主義は現実の人、人と人との現実の交流をすべての知識の出発点とすることを堅持し、人の本質は社会関係の総和であることを堅持し、もっとも広範な人民大衆を人類のすべての活動の主体とすることを堅持する。このことは、現実の人を基礎とし、集団としての人を基礎とし、個人から家庭、社会、国家ひいては天下に至る共同体を以て最高価値とする中国固有の価値体系と極めて自然に互いに裏付け合い、融け合う。マルクス主義は実践第一を堅持し、すべてを現実から出発することを堅持し、現実生活の中で実証的科学を開始することを堅持する。このこともまた、中国伝統の実践主義、経験主義、歴史主義の知識体系と非常に容易に結合する。マルクス主義の方法論は唯物弁証法であり、これは、『周易』の「一陰一陽これを道という」、『道徳経』の「道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む」、及び儒家の唱道する「中とは天下の大本なり。和とは天下の達道なり」における弁証的思惟と非常に容易に符合するのである。マルクス主義の徹底した革命精神と批判精神もまた、「湯武革命、天に順い、而して人に応ず」とする中華文明知識体系の中に、容易に根を下ろして芽を発し、開花して実を結ぶ豊富な土壌を容易に探し出すことができる。一種の知識体系であるマルクス主義は中国固有の知識体系と深々と結合した。このことは中華文明知識体系の内発的発展の必然的結果であるとともに、マルクス主義の中国化、時代化、大衆化における当然の本義でもある。