新コロナ・ウィルス対策に成果を収めている中国と感染爆発におびえる日本とを分けるのは、「最悪の事態を考えて小さなことも見逃さない」中国と「最悪の事態を考えず目先のことしか扱わない」日本との基本姿勢の違いにあります。そのことを教えてくれる文章に接しましたので紹介します。
 7月27日の人民日報は、中国が新コロナ・ウィルスに対する戦いで勝利を収めているのは、「高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たる」(中国語:"用大概率思惟応対小概率事件")という考え方を全国が共有しているからであるとする、浙江工業大学マルクス主義学院の藍漢林院長署名文章を掲載しました。私にはとても胸にストンと落ちる、目からウロコの文章でした。
 私がコラムで何度も紹介している医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏も同日付で、「「コロナ第2波」日本に決定的に足りない対応策」と題する文章を東洋経済WSに発表しています。同氏は、伝染病予防法に基づく日本の「感染症法対策は、クラスターが発生すれば、徹底的に「治療」するが、クラスターの「予防」(浅井注:無症状者への検査)には無頓着だった」と指摘しています。藍漢林の表現をもじっていうならば、「低い確率で起こる可能性は無視し、大きな確率の問題だけを扱う」(私流の中国語:"用小概率思惟応対大概率事件")ということになるでしょう。
上昌広氏の提言は「第2波を抑制するには早急に感染症法を改正する必要がある。そうしなければ、公費で検査ができない。予算措置でやれる範囲は限られている。ところが、厚労省にその気はなさそうだ。無症状者への検査は不要としているのは前述のとおりだ。これでは日本はいつまでも感染症後進国のままだ。いまこそ、国民目線で感染症対策を見直したほうがいい。」ということです。これは正に藍漢林のいう中国成功の秘訣である、「高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たる」(中国語:"用大概率思惟応対小概率事件")という考え方を日本でも採用するべきだというに等しいと思います。上昌広氏の文章は長いので、さわり部分を紹介します。

<藍漢林文章:「高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たる」(中国語:"用大概率思惟応対小概率事件")>
 新コロナ・ウィルスの突如来襲に際して、党中央は人民の生命安全及び身体健康を第一とし、全国が一丸となって、全面、厳格、徹底で防疫コントロールに当たり、重要な戦略的成果を上げた。今回のことが啓示するのは、経済社会発展のプロセスにおいては、「高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たる」(中国語:"用大概率思惟応対小概率事件")ことに巧みである必要があるということである。
 低い確率の事件とは確率ゼロということではない。長期的時間を取ってみれば、関係する要因と条件が具われば、低い確率の事件が実際に起こる可能性がある。また、低い確率の事件は偶発的ではあるが、いったん起こってしまえば大きな影響を引き起こす可能性がある。低い確率の事件が起こった後は、ドミノ効果を持つ場合もある。その影響は時間的空間的に局限的なものにとどまらず、人類社会の発展に深甚な影響をもたらす可能性があるのだ。
 したがって、低い確率の事件を孤立的、静止的に見ることはできず、大きい確率という思考アプローチで対応するべきである。そうする上では、弁証法的思考、戦略的思考で物事の発展傾向を予測判断し、その規律性を把握する必要があるし、ボトムライン思考、統計学思考で物事の発展傾向を分析し、必然性と偶然性との間の関係性を発見し、最悪の可能性に対する予防を行う必要がある。これがすなわち「高い確率思考アプローチ」である。
 高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たるに際しては、潜在的なリスクを高度に重視し、問題の表面の背後に隠れている、より深層にあり得るリスクの可能性に注意し、関連して起こりうるさまざまな可能性を予測し、経済社会の常態的運行に影響しないようにすると同時に、関連する準備工作を怠りなく行い、物事に先だってピンポイントの対応措置を確定する必要がある。高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たれば、低い確率の事件の発生を低くすることに有利であり、矛盾が芽を出す前に解消することができるし、低い確率の事件が起こったとしても、初期に有効に対応でき、受け身から主動に転換できるわけで、マイナスの影響を最小限にすることができる。
 今日の中国は、外に対しては新コロナ・ウィルスの流入を防ぎ、内においてはその再流行を防ぐ必要があるとともに、経済社会発展の各工作も行う必要があるのであって、そのためにはますます、高い確率で物事が起こるという考え方に基づいて、小さな確率の問題に当たるアプローチを行い、雨が降る前に窓や戸を修繕し、災いを未然に断つべきである。発展というものはそもそも、さまざまな矛盾が交錯し合い、相互に作用する総合的な結果であり、前進途上で我々が逢着するリスクと矛盾はますます複雑になる一方である。思想的深みにおいて、低い確率の事件というリスクを防止し解消するべく、緊張を絶やさず、試練の中から経験を吸収し、応急管理システム及び能力における欠陥や漏れを補填し、さらに十全で威力あるものとすることにより、我々はいかなる試練、困難も乗り越え、さまざまな困難と挑戦に従容として対応することができるようになるのである。
<上昌広「「コロナ第2波」日本に決定的に足りない対応策」>
 私が感じた最大の問題は検査してから結果がわかるまで時間がかかりすぎることだ。現在、医療機関でコロナのPCR検査を受けた際、陽性の場合には48時間以内に結果を伝えることになっているそうだ。…
 コロナのパンデミックによりPCR市場は急拡大している。世界中で技術革新が進行中だ。英科学誌『ネイチャー』は7月17日号で、「パンデミックを終焉させることに役立つ新しいコロナ・ウイルス検査の爆発的な発展」という記事を掲載した。この記事では、PCR法やその亜型であるLAMP法の発展だけでなく、遺伝子編集技術であるCRISPR法を用いた新法の開発が進んでいることなどを紹介している。…
 PCR検査に頼るしかないが、日本の検査能力は、中国の1日378万件、アメリカの50万件はもちろん、ドイツの18万件、フランスの10万件を大きく下回る。‥検査体制が貧弱なため、検査を待つ検体が「渋滞」しているのだ。
 これこそ、日本が第2波の抑制に失敗した原因だ。社会活動を再開すれば、感染者が増加するのは日本に限った話ではない。‥感染者を早期に診断し、隔離(自宅、ホテルを含む)するしか方法がない。そのためにはPCR検査体制の整備が重要だ。
世界は、どのような対応をとっているだろう。中国・北京市では、市内の食品卸売市場「新発地市場」で感染者が確認された6月11日以降、検査の規模を拡大し、1日当たり100万を超えるサンプルを処理した。
北京市の発表によると、感染発覚以降、7月3日までに合計1005万9000人にPCR検査を実施し、335人の感染が確認されている。北京市の人口は約2000万人だから、およそ半数が検査を受け、陽性率は0.003%だ。7月4日、終息宣言が出ている。…
 ところが、このことは日本国内ではほとんど報じられない。PCR検査の必要性を否定する報道まであり、感染症の専門家による発信もある。
彼らの主張でユニークなのは、PCR検査は擬陽性が多いと強調することだ。尾身茂・コロナ感染症対策分科会会長は、擬陽性を1%として議論を進めている。
いったい、どういうことだろうか。感染率が1%の1000人の集団を、感度(検出率)70%のPCR検査でスクリーニングするとしてご説明しよう。
この集団の本来の感染者は10人だ。ただ、検査の感度が70%だから、診断されるのは7人になる。つまり、3人を見落とす。これは前述したとおり、PCR法の限界だ。
一方、擬陽性が1%出るため、本来感染していない990人のうち1%が誤って陽性と判断されてしまう。その数、9.9人だ。この結果、陽性と判断されるのは16.9人だが、このうち本当の陽性は7人、つまり陽性と判断される人のうちの約4割ということになる。陽性と判断されても、半分以上は間違いだ。 この理屈を聞けば、厚労省や尾身氏らの主張はもっともらしく聞こえる。
では、どうして世界でPCRの活用が進んでいるのだろう。擬陽性を我慢して、とにかくスクリーニングしているのだろうか。そうではない。実はPCRはほとんど擬陽性を生じない。コロナは環境中に存在しないし、適切にプライマーをセットすれば、ヒトの遺伝子と交叉反応することはないからだ。
さらに、国立感染症研究所の方法は、2種類の遺伝子配列を増幅させる「マルチプレックスreal-time PCR」という方法だから、誤って別の配列が増幅される確率は1%どころでなく、限りなく0に近い。だからこそ、世界は繰り返し検査をして、感染者の見落としを減らそうとするのだ。
実は、PCRの精度に関する見解の相違が、コロナ・ウイルス対策に決定的な影響を与えている。PCRの擬陽性が問題となるなら、事前確率が高い、つまり大部分が感染していると予想される集団にしか使えないからだ。事前確率が50%、つまり、コロナ感染が限りなく疑わしいケースにPCR検査を実施した場合、詳細は省くが、擬陽性の確率は1.4%だ。一方、0.1%の感染者しかいない集団の場合には擬陽性率は93%になる。
 一般的に無症候の人の感染確率は低い。7月16日、政府のコロナ感染症対策分科会は、無症状の人に対するPCR検査について、公費で行う行政検査の対象にしない方針で合意、政府に提言している。尾身会長は、7月17日に配信されたウェブメディアのインタビュー「必要なのは、全ての無症状者への徹底的なPCR検査ではない。尾身会長『100%の安心は残念ながら、ない』」(BuzzFeedNews)に登場し、検査の拡大に反対している。
このことが日本の新型コロナ・ウイルス対策を大きく歪めていると私は考えている。中国やアメリカでPCR検査数が多いのは、無症状の人が多く含まれているからだ。これはPCRの精度の評価が日本とは違うからだ。擬陽性がなければ、どんなに事前確率が低い集団にPCRをかけても、問題は生じない。ところが1%も擬陽性が起こるという立場に立てば、無症状者にスクリーニングすれば、大量に擬陽性を作り出して、社会を大混乱に陥れる。
実は、世界で議論される無症状者の中には、医療従事者や介護従事者はもちろん、保育士や教員、警察官などのエッセンシャルワーカーが含まれる。
医療従事者や介護従事者が感染すれば、患者や入居者にうつす。高齢で持病を抱える彼らは致死率が高い。第1波では永寿総合病院(東京都台東区)などの院内感染で大勢が亡くなった。院内にコロナ・ウイルスを持ち込んだのは、医療従事者や出入りの業者だろう。彼らがPCR検査をしていれば亡くならずに済んだかもしれない。…
もちろん、私は日本全国の医師や医学生全員が定期的にPCR検査を受けるようにしろと言っているわけではない。岩手県のような感染者がいないところでは必要はない。ただ、東京など一部の地域は危険だ。医療従事者が定期的にPCR検査を受けなければ、第2波でも院内感染が多発するのは避けられない。すでに京都市立病院や鹿児島県与論町の総合病院で院内感染が報告されている。
 ケアすべきはエッセンシャルワーカーだけではない。社会的弱者への対応も重要だ。彼らは感染しやすく、彼らの健康を守るだけでなく、周囲に拡散させないためにも早期に適切な対応が必要だ。…
 社会的弱者はホームレスだけではない。性労働者もそうだ。差別の対象となり、感染が拡大しやすい。今回の歌舞伎町での感染拡大を「夜の街」と評するようなものだ。
感染者は「被害者」なのに、「犯罪者」のように扱われてしまう。英『ランセット』誌は7月4日号で「性労働者をコロナ対策で忘れてはならない」という論考を掲載している。一方、日本の状況はお寒い限りだ。新聞データベース『日経テレコン』で「コロナ」「セックスワーカー」あるいは「性労働者」で検索したところ、主要全国紙5紙に掲載された記事は朝日新聞の2つだけだ。あまりにも弱者に厳しい社会と言わざるをえない。
これは今に始まった話ではない。日本の感染対策の宿痾といっていい。コロナ対策は感染症法に基づいて実施されている。この法律では、感染拡大を防ぐため、感染者が確認されれば、濃厚接触者を探し出し、検査を受けさせることが規定されている。積極的疫学調査といい、実施するのは感染研と保健所、地方衛生研究所だ。その費用は公費で賄われる。
実は、この仕組みは一般の保険診療とはまったく異なる。保険診療では、医師が必要と判断すれば、その検査を実施することができ、費用は保険および自己負担で支払われる。コロナ流行当初、PCR検査の基準を「37.5度4日間」と定義して、多くの「PCR難民」を生み出したのは、そもそも積極的疫学調査が国内の感染者を診療するために設計されたものではないからだ。
明治に作られた伝染病予防法に始まる国家が感染者を見つけ、隔離するという思想に基づくものだ。‥当時、伝染病対策を担当したのは内務省の衛生警察だ。感染者を強制隔離し、自宅を封鎖した。この考え方が今も生きている。
従来の感染症法対策は、クラスターが発生すれば、徹底的に「治療」するが、クラスターの「予防」には無頓着だった。諸外国が重視する院内感染防止のため医師や看護師、あるいは介護士や、社会的弱者としてホームレスなどへの対応が感染症法で規定されておらず、公費で検査費用を負担できない。
この結果、PCR検査数は伸び悩み、コロナ感染は拡大した。真夏の北半球で、コロナ感染が拡大している先進国はアメリカ以外には日本くらいだ。欧州やカナダ、さらに韓国や中国は抑制に成功している(浅井補足:WHOのテドロス事務局長は27日、「中国、カナダ、ドイツ、韓国はすでに大規模な流行を抑え込んだ。カンボジア、ニュージーランド、ルワンダなども大規模な流行の出現を回避している」と述べました)。
第2波を抑制するには早急に感染症法を改正する必要がある。そうしなければ、公費で検査ができない。予算措置でやれる範囲は限られている。ところが、厚労省にその気はなさそうだ。無症状者への検査は不要としているのは前述のとおりだ。これでは日本はいつまでも感染症後進国のままだ。いまこそ、国民目線で感染症対策を見直したほうがいい。オープンな議論が欠かせない。