上昌広氏(医療ガバナンス研究所理事長)の二つの文章

2020.05.15.

ネットでYahoo!・ニュースを何気なく見ていて、「上昌広:「医系技官」が狂わせた日本の「新型コロナ」対策」という記事を偶然見かけました。読んでみてびっくり。私がコラムで度々指摘してきた、日本のコロナ対策の間違いは安倍政権が厚労省と御用学者の言うままになっているからだという主張(私自身は、今回のやり口が原子力行政とうりふたつなことからそう判断したのですが)がドンピシャだったことを、上昌広氏が詳細に明らかにしていたからです。実は、「御用学者」というのも正確ではなく、上昌広氏は「クラスター班」の面々は厚労省の「身内」なのだと、事実に基づいて正確に記述しています。
 また上氏はこの記事の中で、東洋経済オンラインで彼が執筆した「PCR躊躇しまくった日本がこの先に抱える難題」という文章を紹介していますので、私も早速ネットで検索して読んでみました。そこには、私がコラムで度々指摘してきた、安倍政権がPCR検査に消極的なのも厚労省の「医系技官」主導の仕業であることが詳細に明らかにされていました。「クラスター」に拘って一匹狼・忍者(市中を自由に徘徊するコロナ感染者)を野放しにするという初動のミスが分かった後でも、謝罪もしない厚顔ぶりについてです。
 上氏はさらに私が気づかなかったことも指摘しています。医系技官主導の安倍政権は、「新型コロナを感染症法の指定感染症の「二類感染症並み」に政令指定」したのですが、その指定の結果、「感染者はすべて入院になる」のです。しかし、コロナ感染者の多くは無症状です。ということは、PCR検査の数を増やせば、入院者が激増して医療体制崩壊に直結するということです。したがって、「37.5度以上が4日間続く」とする馬鹿げた基準を設けることによって「一般の発熱患者に対してPCR検査を厳しく抑制することに繋がった」ということです。つまり、「医系技官」主導の安倍政権は二重の致命的誤りを犯しているのです。
 しかも、間違った判断に基づいて緊急事態宣言を出し、その結果、多くの中小企業、個人事業者に塗炭の苦しみを味わわせることにもなりました。先進諸国では、休業と手厚い補償がセットになっているのですが、安倍政権はその手当すらやっつけ仕事で怠ったわけです(いま、あくせくと補正予算を組むことに走っていますが、すべては後出しで、しかも、これまた官僚主導のおざなり仕事です)。
 なお、上氏が、医系技官が予算に権限を持っているので医療関係者は批判できないと指摘しているのも重要です。これも原子力行政の場合と同じです。要するに「ムラ支配」なのです。
 すでにお読みの方もいると思いますが、以下に、二つの文章のさわり部分を紹介します。Foresightおよび東洋経済オンラインのサイトに全文が載っていますので、念のため。
 ちなみに上昌広氏の経歴は次のとおりです。
 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。

<PCR躊躇しまくった日本がこの先に抱える難題>
人口1000人あたりのPCR検査数は1.4
いろいろ議論はあるだろうが、日本はPCR検査の数を絞ってきたと言われる。4月18日現在、日本の人口1000人あたりのPCR検査数は1.4で、イタリア22.1、ドイツ20.9 (4月12日現在)、韓国10.8、アメリカ11.2、フランス7.1 (4月14日現在)と比べると、相対的に見て明らかに少ない。
PCR検査はウイルス感染の標準的診断方法だ。PCRをしなければ診断できない。
最近になって感染者数が増えたのは、PCRの検査数が増えたことによって、感染していると診断される人の数が増えたことによる可能性がある。…
もちろん、それだけが理由ではない。3月後半に大学病院など医療機関の検査数が増加したのは、院内感染が増えたからだ。例えば、4月4日現在、東京都では779人の感染が確認されていたが、このうち154人(19.8%)は院内感染だった。
院内感染と市中感染の対策は全く違う
院内感染と市中感染の対策は全く違う。院内感染を抑制するために、緊急事態を宣言し、都市機能だけを抑制しても意味がない。
緊急事態宣言が有効なのは、市中感染が急増している場合だ。本当に、今になって日本で市中感染が急増しているのだろうか。都市の活動を抑制しなければならないのだろうか。…
私は、日本でも今、発表されている数字よりもはるかに大きな数の新型コロナウイルス感染者が市中にいる可能性があると考えている。…
今年の1月半ばよりインフルエンザの流行は勢いを失い、2月以降は昨年の4分の1以下だ。ところが、8、9週には超過死亡が確認され、例年以上に多くの方が亡くなっている。
2月と言えば、4日には、タイ保健省が、1月下旬に日本に旅行した夫婦が新型コロナウイルスに感染していたと報告した時期だ。この夫婦は日本滞在中に体調が悪くなった。
また、WHOは2月12日に発表した「コロナウイルス・シチュエーション・レポート」において、韓国で日本から持ち込まれた感染があったと報告している。 いずれも極めて重要な情報だが、日本ではほとんど報じられず、厚労省も無視したと見られる。このころから日本国内で感染が蔓延し始めていたと、私は推測している。
PCR検査抑制、クラスター対策一辺倒への疑念
その後、厚労省は一貫してPCR検査を抑制してきた。当初から政府の専門家会議は、「すべての感染者を見つけるのではなく、クラスターさえ見つけていれば、ある程度の制御ができる」「PCRの検査を抑えていることから日本は踏みとどまっている」という認識を示してきた。…
感染症対策の基本は検査と隔離だからだ。3月16日、WHOが「疑わしいすべてのケースを検査すること。それがWHOのメッセージだ」と発信したのは、このような背景がある。
一方、厚労省や専門家会議は、「クラスター戦略」という自らの主義主張にこだわった。
院内感染の致死率はケタ違いに高い
PCRを抑制したことで、少なからぬ人たちが命を落とした。4月11日現在、東京の永寿総合病院(東京都台東区)で感染した入院患者20人が死亡している。院内感染の致死率は20%を超える。今後も院内感染に端を発した感染者の死亡は相次ぐ可能性がある。ますます、致死率は高まってしまいかねない。市中で若者が感染したときの致死率は1%以下。これでも決して低いとは言えず、死者も一定数出てしまうので市中の感染対策ももちろん不可欠だが、はるかに致死率の高い院内感染対策がいかに重要かわかるだろう。
ちなみに4月14日時点の国内の死者数は162人。院内感染の死者は36人で、高齢者施設を入れると64人となる。実に死者の4割にも及んでいる。日本の致死率を減らすのは高齢者施設を含む院内感染対策にかかっていると言っても過言ではない。…
専門家会議は院内感染には関心がないように見受けられる。4月15日の記者会見で、対策がなければ最悪の場合、40万人以上が死亡するというシミュレーション結果を発表し、「感染拡大の防止には人との接触を減らすことが有効だ。外出を極力控えて人との接触をできるかぎり避けてほしい」と求めた。
彼らは感染者数から重篤化する患者数、および死者を推計している。その際、「人工呼吸器が足りず、必要な治療が受けられなくなり、中国でも重篤患者の半数が死亡しているという研究」の存在を考慮したようだが、都市機能が崩壊した湖北省と日本を同列に議論するのは適切だろうか。
院内感染の高齢者と市中の若者を一緒くたにしていいのか
また、院内での高齢者の感染と市中の若者の感染を一緒くたにしている点にも疑問がある。4月24日現在の中国の感染者数は8万4338人で、死者数は4642人。
人口規模が10分の1の日本で、どうやったら40万人の死者が出るのだろう。私は医学的な見地から大いに問題がある解析と考える。本来、1つの仮説として、医学会で議論すべきレベルのものだ。
ところが、このようなレベルの推計が国策を決める根拠となっている。感染状況に関する前提条件が曖昧ななか、緊急事態が宣言され、飲食店経営者など多くの国民が塗炭の苦しみを味わっている。
では、どうすればいいのだろうか。ポイントは感染症法の解釈だ。新型コロナウイルス対策は、感染症法に基づき実施されてきた。この法律を従来通り、新型コロナウイルスに当てはめた。
専門家会議が認識を示しているように、新型コロナウイルスの特徴は無症状の人が多く、彼らが周囲に感染させることだ。致死率は低いが、感染者が多いため、死者数は増える。かつて、日本は、このような感染症と対峙したことがない。
鎖国を続けてきた日本が本格的に伝染病対策に乗り出したのは、明治時代になってからだ。明治30(1897)年に制定された伝染病予防法が、その基本である。感染症法は平成10(1998)年に伝染病予防法が廃止され、その後を継いだものだ。
「クラスター対策」で対応できた過去の伝染病と違う
このような法律が念頭においてきたのは、コレラやチフスなど古典的な感染症だ。このような伝染病は潜伏期が短く、下痢など特徴的な症状を呈する。患者の診断は容易で、見落とすことは少ない。感染者を隔離し、周囲をスクリーニングするという「クラスター対策」で対応できた。
この方法は新型コロナウイルスには通用しない。クラスターをいくら探しても、すべての患者を網羅することなどできないからだ。
厚労省は1月28日に新型コロナウイルスを感染症法の「2類感染症並み」に指定した。感染症は、感染力と罹患した場合の重篤性等に基づく総合的な観点から見た危険性によって、「1類感染症」から「5類感染症」までの5段階に分類される。「1類感染症」と「2類感染症」は入院(都道府県知事等が必要と認めるとき)しなければならない。「3類感染症」以下は就業制限等の措置が取られる。
新型コロナウイルスはSARS(重症急性呼吸器症候群)と同じ2類感染症に分類された。新型コロナウイルスは感染力が強く、感染者の2割前後が重症化するため、隔離するのが望ましいとの判断からだろう。
一方で、やっかいなことに8割が軽症・中等症あるいは無症状とされる。その点について1月24日には、香港大学の研究者たちが英『ランセット』誌に、無症状の感染者の存在を報告していたが、厚労省が明確な認識を表明したのは1月30日。武漢からの帰国者の中に無症状の感染者がいることが報告されたのを受けて、緊急記者会見を開き、「新たな事態だ。潜伏期間にほかの人に感染させることも念頭において、対策をとらねばならない」と説明した。
自宅やホテルでの療養のハードルを上げた
にもかかわらず、従来の法的措置を杓子定規に当てはめたことで、感染症法で規定していないPCR検査の拡大や、自宅やホテルでの療養のハードルを上げた。たとえ無症状であっても、PCR検査で感染が判明すれば、強制的に入院させるしかなくなる。それ自体はいいが無症状者・軽症者で病床が埋まってしまうと、重症者・重篤者への対応が難しくなる。
専門家会議が「PCRの検査を抑えているということが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」と主張するのは、このような背景があるからだ。ただ、これはあくまで厚労省の都合だ。
当初の判断には疑念が残る。ところが、このことはほとんど議論されない。日本の経験不足によるものだがこれを糧にしなければ、また同じことを繰り返す。
韓国が早期からPCR検査を実施したのは、同じコロナウイルスであるMERS(中東呼吸器症候群)の感染を経験しているからだ。知人の韓国政府関係者は「PCR検査をしないと対応できなくなる」と早期から言っていた。
では、どうすればいいのか。新型コロナウイルスに対応するには、病院や介護施設を守りながら、一般人が免疫を獲得するのを待つ「集団免疫」作戦か、緊急事態宣言を出し、早期に感染を収束し、ワクチンの開発を待つ「ロックダウン」作戦しかない。
前者の代表はスウェーデン、後者は中国だ。前者は経済的なダメージは小さいが、感染管理は難しい。後者はその逆だ。
民主主義の伝統が根付く北欧で「集団免疫」作戦が採択され、当初、イギリスやドイツもこの方針を採ったのは、欧州の歴史が影響しているのだろう。一方、共産党一党独裁の中国は「ロックダウン」作戦を採りやすかった。
日本の対応はどうか。クラスター対策に固執し、PCR検査を抑制して、病院や高齢者施設を守らなかったため、市中に新型コロナウイルスを蔓延させてしまった。
これまでの感染者数の推移もどこまで正確なのか
問題は、これだけではない。PCR検査を十分に実施できていないので、これまでの感染者数の推移も正確にはわからない。クラスター対策班のシミュレーションは、もし、前提が間違っていれば、全く意味がなくなってしまう。このような推計を基に、緊急事態を宣言するのは危険ではなかったか。また、検査が十分ではないのだから、緊急事態の効果の評価についても、額面通りに受け止めていいのか疑問は残る。
新型インフルエンザ等対策特措法が改正され、新型コロナウイルス対策の司令塔が官邸と厚労省の二頭立てになると、メディアの関心は官邸へと移った。厚労省は、それまで否定してきた抗体検査やドライブスルーPCRなどを推し進めている。
このような対応は国民にとって結構なことだ。ただ、改正特措法以降、感染者が急増し、緊急事態宣言となった。これが本当の患者増なのか、見かけ上なのか、あるいは両方の影響があるのかは、もはや誰も判断できない。ところが、このような議論は誰もしない。
新型コロナウイルスの蔓延を声高に叫ぶことで、官邸は権限を強化でき、厚労省にも予算がつく。割を食うのは、失業する国民だ。これでいいのだろうか。
<「医系技官」が狂わせた日本の「新型コロナ」対策>
「新型コロナウイルス」対策が迷走している。
 政府は5月6日に期限を迎えた緊急事態宣言を5月いっぱい延長した。その上で本日(14日)、「特定警戒都道府県」以外の34県に対しては宣言を解除する方針を発表する見込みである。
 中国、韓国は勿論、欧州や米国も感染拡大はピークアウトし、問題となっているのはアフリカ、トルコ、ロシアなどだ。なぜ、日本ではこのような議論の迷走が起きているのだろうか。
 私は、議論の前提、つまり厚生労働省が発表する感染者数に問題があると考えている。…
■「東大」なき「クラスター対策班」
 最近の議論をリードしているのは「クラスター対策班」だ。これは厚労省の新型コロナウイルス対策本部に属する総勢30人程度の組織である。
 この組織は、国立感染症研究所が担当する「データチーム」と東北大学が担当する「リスク管理チーム」に分かれ、「リスク管理案の策定」が本務だ。  この2つの組織以外に国立保健医療科学院、国立国際医療研究センター、北海道大学、新潟大学、国際医療福祉大学などが協力している。
 オールジャパンに見えるが、この手の研究につきものの東京大学の名前がない。
 誤解を与えないために言っておくが、私は他大学が東大より劣っていると言いたいわけではない。政府と密接な関係である東大の名前がないことは、この集団を考える上で示唆に富むからだ。組織は畢竟人事である。
 クラスター班の影響力は絶大だ。
 4月15日、記者会見を開き、検討結果を公表した。彼らは、まったく対策をとらない場合、最悪で約41万8000人が亡くなると予想し、「接触8割減の徹底」を求めた。
 安倍晋三政権は翌16日、4月7日に東京、大阪など7都府県に発令していた緊急事態宣言を全国に拡大する方針を明らかにした。
 記者会見を仕切ったのは西浦博北海道大学教授(理論疫学)だ。…
 霞が関と記者クラブの関係は多くの癒着を生んできた。研究者が記者クラブと昵懇になることは、ピアレビューを基本とするアカデミアが一線を超え、行政の一員と化していることを意味する。
 記者クラブは霞が関の主張を、そのまま報じる。裏とりの必要がなく、手間が省ける。海外メディアのように独立した識者のコメントを取らないことが多い。
■問題は「院内感染」なのだが
 私は情報工学の専門家ではない。臨床医として気になるのは、対策の優先順位だ。
 日本で新型コロナが問題となっているのは院内感染だ。4月14日時点で、国内では162人が死亡しているが、64人が病院あるいは高齢者施設だ。厚労省がPCR検査を規制してきたため、院内感染が蔓延した。「接触8割減の徹底」は院内感染には効かない。
 なぜ、こんなことになるのだろう。
 それは新型コロナ対策の中核を基礎医学者と数理学者が担っているからだろう。落ち着いて考えてみれば、これはかなり異様だ。
 プロ野球で、監督に代わって、トレーナーとデータマネージャーが記者会見を繰り返しているようなものだ。新型コロナ対策で優先すべきは国民の命であり、ウイルス学もモデリングも判断する際の1つの基準に過ぎない。…
 院内感染対策は、早期発見・早期隔離を繰り返すしかない。ところが、クラスター対策班は、このような配慮が皆無だった。「クラスターの早期発見・防止拡大」さえすれば、PCR検査は不要という立場をとり続けてきた。
 3月22日に放映された『NHKスペシャル:"パンデミック"との闘い~感染拡大は封じ込められるか~』に出演した押谷教授は、
「すべての感染者を見つけなければいけないというウイルスではないんですね。クラスターさえ見つけていれば、ある程度の制御ができる」
「PCRの検査を抑えているということが、日本がこういう状態で踏みとどまっている」
 と述べている。その後、私の知る限り、押谷教授は、自らの学説が間違いであったとは認めていない。
■最新の研究を盛り込まない「対策」
 多くの研究により、このウイルスの見方は変わってきている。
 このウイルスは潜伏期間にも排菌され、周囲を感染させる。特に症状が出る直前の1~2日間に排菌量が多い。
 ウイルスは鼻腔・咽頭だけでなく、唾液や便にも含まれる。その際、従来の接触、飛沫から感染するだけでなく、エアロゾルのような形で長時間にわたって空中を浮遊し、周囲の器物に付着する。このような粒子が感染力を持つ。
 4月27日には中国の武漢大学の研究者が、病院の患者用トイレが新型コロナの浮遊RNAの溜まり場だったと英『ネイチャー』誌に報告している。
 一方、同じく中国の研究者が、記録が残る7324人を調べたところ、1例を除き全例が屋内で感染していた。屋内でのエアロゾルによる感染対策が重要であることがわかる。
 このような研究は、専門家会議が提案した「3密」対策の重要性を支持する一方、濃厚接触者にウェイトを置いたクラスター対策の限界を示している。早急に方向転換すべきである。…
 多くの患者が院内感染で命を落とし、多くの国民が緊急事態宣言で失業した現在、その見通しの甘さを国民に謝罪するならともかく、「このままでは40万人以上が亡くなる」と国民を脅すなどあり得ない。なぜ、こんなことが罷り通るのだろうか。
 それは押谷教授や西浦教授が医系技官の主張を代弁しているからだ。私は迷走の主犯は医系技官だと考えている。…
 では、検査や診断の基準を決定した厚労省の医系技官とは、どんな人々なのだろう。それは医師免許を持つ厚労省のキャリア官僚だ。次官級ポスト1つ、局長ポスト1つを有する総勢約200人の一大勢力である。…
 では、彼らはどこで間違ったのだろうか。それは初期対応だ。まずは、この件について簡単にご説明しよう。
十分議論せずに政令指定
 1月16日、武漢から帰国した日本在住の中国人の感染が確認されると、厚労省は翌17日、国立感染症研究所に積極的疫学調査の開始を指示した。
 積極的疫学調査とは、感染者が確認されたらその周囲の「濃厚接触者」を探し出し、彼らも検査することだ。感染が確認されれば、感染症法に基づき、強制入院させ、そうでなければ一定期間の自宅待機を要請する。…
 確かに、この方法はコレラやペストなど古典的な感染症には有効だ。潜伏期が短く、特徴的な症状を呈するからだ。コレラの場合、潜伏期は1日程度で、「米のとぎ汁様」と言われる下痢を生じる。感染者を見逃すことは少ない。無症状の人が周囲にうつす新型コロナウイルスとは対照的だ。
 法律の運用は難しい。時に予期せぬ影響をもたらすからだ。今回の措置を発動すれば、検査を中国から帰国した感染者と濃厚接触者に限定することになってしまう。潜伏期や不顕性感染の患者からの感染は無視することになる。
 ところが、厚労省内でこの点が十分に議論されたとは言いがたい。
 1月28日には新型コロナを感染症法の指定感染症の「二類感染症並み」に政令指定した。この結果、感染者は、たとえ無症状であっても、つまり医学的には入院の必要性がなくても、感染症法に基づいて強制入院させられることになった。
 さらに、このような措置がPCR検査の拡大を難しくした。『選択』5月号の「日本のサンクチュアリ 厚労省・結核感染症課」という記事には、以下のように書かれている。少し長くなるが引用しよう。
〈このような対応は濃厚接触者を徹底的に検査する一方で、一般の発熱患者に対してPCR検査を厳しく抑制することに繋がった。感染症法では想定していなかったPCR検査の対象の拡大や、無症状や軽症患者の自宅やホテルなどでの隔離には躊躇し、放置した。
このことは単なる過失では済まされない。1月17日に始まっていた積極的疫学調査の方向転換の機会を逸し、PCR検査の拡大や軽症者の病院以外での隔離の道を閉ざすダメ押しとなったからだ〉
世界の議論を「見落とし」?
 実は、このような対応をとったのは日本だけだ。新型コロナに関する研究が世界各地で進んでいたにもかかわらずだ。
 たとえば1月24日には、香港大学の研究者たちが英『ランセット』誌に、無症状の感染者の存在を報告している。
 医学はグローバルなコンセンサスが形成されやすい世界である。世界の議論をリードするのは、『ランセット』誌や『ネイチャー』誌などの学術誌だ。日本ではあまり議論されないが、このような雑誌の編集長こそ、新型コロナ対策をリードしている。
『ランセット』誌が無症状の感染者に関する論文を掲載するということは、世界の専門家たちが、このことを重大視していることを意味する。ところが、このような情報は日本の政策には活かされなかった。…
問題は、新型コロナ対策担当者が、世界で最も権威ある医学誌をフォローできていなかったことだ。これではまともな対策など打てるはずがない。…
 問題はこれだけではない。過ちを認め、軌道修正できなかったことが被害を拡大させた。
 新型コロナ対策で試行錯誤をするのは当たり前だ。
 行政が間違っても、誠実に対応すれば国民は批判しない。
 求められるのは、組織としての誠実さだ。厚労省は問題が生じても、責任者が頰被りすることが少なくない。この結果、問題は解決されないままだ。
医系技官を批判できない医療界
 なぜ、医療界は医系技官を批判しないのだろうか。それは、医系技官がポストと予算を差配するからだ。時に、その配分は恣意的だ。
 現在議論が進んでいる補正予算では、PCR検査等の体制確保に充てられるのは、わずか49億円だ。これは健康保険がカバーしない公費負担のものだけだが、それでも1日あたり1500件は少ない。安倍晋三首相の国会での「1日2万人」という答弁など、はなから無視している。
 一方、国立病院機構、地域医療機能推進機構には65億円が、一般の医療機関を対象とした緊急包括支援交付金1490億円とは別に措置される。新型コロナ対策で、国立病院機構、地域医療機能推進機構だけを特別扱いする理由は特にない。
 国立病院機構、地域医療機能推進機構は、厚労省が管轄する独立行政法人で、医系技官が現役出向あるいは天下っている。たとえば、後者の理事長は尾身茂氏。専門家会議の副座長を務める元医系技官だ。この組織には石川直子氏という医系技官が理事として出向している。
恣意的に使われる「厚労科研」
 最も運用が恣意的なのは、「厚生労働科学研究費補助金」(厚労科研)と呼ばれる補助金だ。「医系技官の貯金箱」(厚労省関係者)と呼ばれることもある。…
 新型コロナ対策では、結核感染症課が管轄する「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」が主たる厚労科研だ。2019年度は総額3億4320万円を、31人の研究者に配っている。
 このうち13人は、国立感染症研究所の研究者だ。
 さらに9人は、専門家会議、クラスター班の委員が所属する組織の研究者だ。  形式は公募だが、国立感染症研究所を中心に一部の研究者が独占しているのが分かる。
 メディアに登場する有識者の発言は、どのような組織に所属しているかで全く違う。私の知る限り、「新興・再興感染症及び予防接種政策推進研究事業」関係者で厚労省を表立って批判した人はいない。毎年補助金をもらっていれば、厚労省を批判するのは困難だ。…
自治体と厚労省のいびつな関係
 新型コロナ対策を迷走させたのは、このようないびつなムラ意識だ。
 たとえば、PCR検査数の抑制だ。4月10日、西田道弘さいたま市保健所長は、
「病院が溢れるのが嫌で(PCR検査対象の選定を)厳しめにやっていた」
 と公言したことが話題となった。
 保健所長が地域の病床のことまで心配するのは不思議だ。だが実は、西田氏も元医系技官だ。2008年3月に鳥取県福祉保健部次長を最後に退職し、さいたま市に異動した。
 病院が溢れて困るのは医系技官だ。新型コロナを感染症法の二類並みとしたため、軽症者でも入院となった。
 本来、この法律はエボラ出血熱など重症感染症を年頭においたものだ。感染症病床の数は限られている。PCRの数を増やせば、患者を収容できなくなる。彼らは、
「PCRを増やせば医療が崩壊する」
 と奇妙な理屈を言い続けた。西田氏は患者の命より医系技官の意向を忖度したことになる。軽症患者が高齢者にうつし、彼らが亡くなることなど考慮しなかった。…
 医系技官が巣くうのは保健所だけではない。医師不足に悩む地方自治体は格好のターゲットだ。自治体は厚労省とのコネクションを切望するからだ。… 真の専門家登用を
 話を新型コロナ対策に戻そう。
 安倍首相は「PCR検査を増やす」と繰り返し公言してきたが、医系技官には効かなかった。それは、大部分の医系技官が次官や局長を目指すわけではないからだろう。幹部官僚の人事権を振りかざす安倍政権のやり方は通じない。…
 与党には、「日本版の感染症対策司令塔が必要だ」と求める議員が少ない。これは、医系技官が生業としてきた公衆衛生分野への大盤振る舞いを意味する。誰が振り付けているかは言うまでもない。
 果たして、これでいいのだろうか。
 医系技官に求められるのは、医療・医学の知識だ。欧米、韓国の医務技監に相当するポストの人物は、臨床・研究経験を積んだ一流の専門家だ。だからこそ、最先端の医学研究を咀嚼し、臨機応変に対応できた。
 新型コロナ対策は長期戦だ。いま、日本に求められているのは、真の専門家を登用することだ。医系技官制度のあり方を見直す時期に来ている。