中国の人権概念

2020.04.14.

私の基本的人権(以下「人権」)・デモクラシーに関する基本的理解は、①人権及びデモクラシーは普遍的価値として国際的に確立している、②人権及びデモクラシーの実現の態様は国によってさまざまであり得る、ということです。
200近い国家からなる国際社会にとって、人権とデモクラシーをあまねく実現することは21世紀の最大の課題の一つです。そういう意味では「国際的な課題」です。しかし、各国は歴史、文化、経済的発展段階等において実にさまざまです。人権・デモクラシーの実現は、自国の国情をもっともよく知る各国人民が自ら担うべき課題です。それは、各国の内政に属します。他国が自らの価値基準・判断を押しつけることは厳に慎むべきです。内政干渉は許されません。
 私は正直言って、日本はまだ人権・デモクラシーの後進国であると判断しています。日本における人権・デモクラシーの実現ははなはだ不十分です。私たちの人権・デモクラシーに関する認識もはなはだ不徹底です。ところが、私たちは他の国の人権問題が国際的に取り上げられると、すぐにそれに流されます。しかも、他国の人権問題を取り上げるのはもっぱら欧米メディアです。つまり、私たちは、欧米諸国のモノサシに基づいて他国の人権・デモクラシーのあり方を批判しているのです。
特に私たちがことのほか好んで取り上げるのは中国の人権・デモクラシー問題です。私たち日本人の中国に対する感情はとても複雑です。そういう私たちの感情をくすぐるのが、中国の人権・デモクラシーに対する欧米メディアの批判論調です。私は、最近の日本共産党の中国批判のエスカレーションは、こうした国民感情をも読み込んだ、「科学的社会主義」とはほど遠い、党利党略の産物と判断します。「改定綱領学習講座」での志位委員長の「講義」を読んで、私は心底がっかりしました。
私の志位委員長に対する「ガッカリ感」は、4月11日付けの『赤旗』に掲載された「中国・武漢「封鎖」解除受け 志位委員長が要望」と題する一面掲載記事を読んで、もはや決定的になりました。彼はツイッターで次のように表明した、とあります。
「武漢が封鎖解除、中国当局は「抑え込み」を宣言。ならば求めたい。どういう対応をやってきたのか、その政治的・科学的情報の全貌を世界に公表し、世界と共有すべきだ。中国の初動に重大な遅れがあり、背景に言論の自由の欠如があったことは明らかだが、それも含めて教訓を世界と共有し、協力すべきだ。」
志位氏は、個人としての志位和夫と公党委員長たる公人としての志位和夫という基本的区別もわきまえていないとしか考えられません。その低次元さは、歌手・星野源のSNSに便乗した安倍晋三氏と正に五十歩百歩、目くそ鼻くその類いです。中国の武漢封鎖解除に至るまでの行動については、WHOと密接に情報共有し、WHOは中国の対応を高く評価しています。北京には赤旗特派員もいるのに、志位氏は何も知らされていない「裸の王様」なのでしょうか。それとも、「耳障りの良いへつらいだけを好み、良心的発言をする者は遠ざける」トランプなのでしょうか。かつて、共産党の高い分析力、判断力に多くを学んだことがあるものとして、私は志位・共産党には絶望しかありません。
少し走りすぎました。今日、私がコラムに書き留めたいのは、中国人権問題にかかわる共産党の批判の誤りを明らかにする意味を込めて、中国共産党が「人権」をどのように捉えているのかについて、中国の公式文献の内容を紹介することです。紹介するのは2019年9月22日に国務院新聞弁公室が発表した「中国人権事業発展70年」白書、その中の「二 人民を中心とする人権理念」の部分です。結論から言いますと、私は冒頭に述べた私の基本的理解から言って、中国の人権についての考え方は理解できる、ということです。

 新中国70年の人権発展に関する実践を経て、中国は、人権の普遍性という原則と中国の具体的実際とを結びつけ、かなり系統的な、人民を中心とする('以人民為中心')人権理念を形成した。その基本点は以下のものを含む。
人権は歴史的かつ発展的なものである。人権は一定の歴史的条件の下における産物であり、歴史的条件の発展に従って発展するものでもある。各国の発展段階、経済発展水準、文化伝統、社会構造は異なり、向き合うべき人権発展の任務及び採用する人権保障の方式もまたそれぞれ異なる。人権発展の道の多様性は尊重されるべきである。人権の普遍性原則と各国の実際とを結合させることによってのみ、人権の実現を効果的に促進することができる。世界各国の人権保障においては、最高のものはなく、より良いものがあるだけである。世界には、すべてに当てはまる人権発展の道及び保障方式のモデルはなく、人権事業の発展は自国の国情及び人民の必要に従って推進することができるのみである。
生存権及び発展権は筆頭に来る基本的人権である。貧困は人権を実現する上での最大の障害である。物的手段の生産及び供給なくしては、人類の他の一切の権利の実現は非常に困難か、不可能である。生存の権利の有効な保障及び生活の質の不断の向上は、ほかの人権の享受及び発展にとっての前提であり、基礎である。近代中国は長期にわたって外からの侵略を受け、国家は貧しく、落ちぶれ、人民の困難と苦しみは耐えがたく、語るべき権利もなかった。中国人民は、貧困を免れ、飢餓を免れることが生存の基であることを知悉している。長年にわたり、中国は一貫して、人民の生存権を解決し、人民の発展権を実現することを第一任務とし、不断に生産力を解放し、発展させ、貧困を除去し、発展水準を高め、人民のさまざまな権利を保障するための基礎的条件を創造することに力を尽くしてきた。
人権は、個人の人権と集団の人権との有機的統一である。個人の発展なくしては集団の発展はない。同時に、集団の中においてのみ、個人は全面的な発展を獲得することができる。現代中国の人権の実践においては、集団的人権の発展を重視するとともに、個人の人権を保障することも重視し、両者を相互に統一し、協調し、促進してきた。個人の人権を集団的な人権と統一することによってのみ、人権の最大化を実現することができる。中国は、国家の富強、民族の振興及び人民の幸福を一体的に融合して発展させる中で、各個人及び人民全体に対してさまざまな権利を保障するべく努力している。
さまざまな権利を全体として推進することは人権実現の重要原則である。さまざまな人権は相互に依存しており、分かつことはできない。中国は、さまざまな権利の発展について、統合協調、統一配置、均衡促進を堅持しており、経済的、社会的、文化的権利と公民的、政治的権利とのバランスのとれた発展を確実に推進している。中国共産党第18回党大会以来、中国共産党と中国政府は、経済建設、政治建設、文化建設、社会建設及び生態建設の「5元一体」という総体的布石を統合的に推進し、全面的な小康社会建設、全面的な改革深化、全面的な依法治国、全面的な従厳治党という「四つの全面」の戦略的布石を協調的に推進し、中国人権事業の全面的発展を推進し、人権の全体的発展という思想を体現してきた。
人民の獲得感、幸福感、安全感は人権実現を検証する重要な基準である。麗しい生活に対する人民の志向を実現し、維持し、発展することをもっとも広範な人民の根本的な利益として据え、人民大衆の獲得感、幸福感、安全感を不断に高めることは、中国共産党執権の核心的精神である。人権事業における人民の主体的地位を堅持し、人民の利益を最高至上の位置に置き、人民が良い日々を送るようにし、発展の成果をより多く、より公平に人民全体に及ぼし、各個人がより良く自らを発展させ、幸福に生活するようにし、各個人が恐怖を免れ、脅迫を受けないようにすることは、人々が十分な人権を享受することを実現するという真理の要諦である。
公正合理包容は国際的な人権ガヴァナンスにおける基本原則である。国際社会は、平和、発展、公平、正義、民主及び自由という人類の共同の価値を堅持し、人の尊厳及び権利を擁護し、より公正合理包容のグローバルな人権ガヴァナンスの形成を推進するべきである。中国は一貫して、国際人権事業の健康な発展の唱道者、実践者、そして推進者であり、人権を政治化し、あるいは人権の「二重基準」を行うことに反対し、国際社会が公正に、客観的にかつ非選択的に人権問題を処理することを推進している。中国は国際人権交流、対話と交流に深く関わり、各国とともに人類運命共同体の構築を推進し、世界の麗しい未来を切り開いていく。
人の自由で全面的な発展を促進することは人権の最高価値の追求である。各個人の自由な発展は、すべての人の自由な発展の条件である。人権の主体は人であり、人権事業の発展は、根本的にいえば、人の発展であり、人が自らの潜在的能力を実現するための条件を創造するべきである。中国が小康社会を全面的に建設し、中華民族の偉大な復興というチャイナ・ドリームを実現するということは、とりもなおさず、人民がより良い教育、より安定した仕事、より満足な収入、より信頼できる社会保障、より水準の高い医療サービス、より快適な居住条件、よりすぐれた環境を得ること、そして、各個人がより尊厳をもって自らを発展させ、かつ社会に貢献し、共同で人生で輝きを放つチャンスを共有し、共同で夢を実現するチャンスを共有し、人民の福祉を増進し、人の全面的発展を促進することである。