イドリブ情勢とエルドアン外交

2020.03.08.

3月5日、トルコのエルドアン大統領がロシアを訪問し、シリア問題についてプーチン大統領と6時間に及ぶ首脳会談を行い、イドリブ地域における停戦問題で合意を達成しました。合意内容は両国外相が発表するとされましたが、ロシア外務省英文版WSには7日時点で載せておらず、英文タス通信も詳細を伝えていません。報道によると、イドリブを横断しているM4ハイウェーの南北両側6キロを「安全コリドー」とし、15日からロシアとトルコが合同でパトロールすることが主な内容だと報じられています(16日付け新華社モスクワ電)。ロシア及びシリアの専門家は、合意内容から見ると、シリア政府軍が最近支配下に収めたシリア北西部に対する現状をトルコが認めるものであり、シリア政府に有利な内容だという見方を示しました(同電)。ただし、この新華社電は、合意内容は積極的要素を含むが、前途は予断を許さないとするのが大方の見方だとも伝えました。
 私は2月22日のコラムでこの問題を取り上げた際、中国の中東問題専門家である劉中民のエルドアン外交に対する厳しい分析を含む見方を紹介しました。劉中民は、3月4日付け環球時報で、トルコがイドリブで軍事衝突を拡大する動機と目的について分析する文章を載せています。この文章はロシア・トルコ首脳会談の前に書かれたものですが、イドリブ情勢の帰趨はエルドアンが自国、地域及び世界にかかわる認識を改めることができるか否かがカギだという結論を示しているのは卓見だと思います。私もかねがねエルドアン外交の毀誉褒貶の激しさに振り回されてきましたが、劉中民の分析は胸にストンと落ちるものがあります。
 なお、シリアに関する日本のマス・メディアの報道はシリアに対する偏見に満ちた西側報道を丸呑みにするものであることを、この機会に明らかにしておく必要を感じます。例えば、シリアで活動しているホワイト・ヘルメット(国際NGOとされる)ですが、彼らの活動資金は米英から出ており、彼らがシリアにおいて国際テロ組織(アル・カイダの後継組織であるアル・ヌスラ戦線)と密接に協力していること、シリア政府軍が毒ガスを使用したという報道及び「証拠写真」は彼らが出所ですが、その信憑性ははなはだ疑わしく、彼らがでっち上げたものである可能性が極めて高いことは、国内報道で見たこともありません。しかも、科学兵器禁止機関(OPCW)の調査及びその報告が西側諸国の強い影響の下で操作されている可能性が大きいことについて、ロシア外務省のザハロワ報道官は度々定例記者会見で告発していますが、日本を含む西側諸国はだんまりを決め込んでいます。
 もう一つ、シリアのアサド政権の転覆を目論んできた米欧諸国はイドリブに盤踞する「反政府勢力」にテコ入れしており、西側メディアも反アサドの立場から「反政府勢力」を肯定的に描き出しています。しかし、この「反政府勢力」の中心におり、各勢力を束ねる最大の組織は、安保理決議で「テロリスト」として認定されている、アル・カイダの後継組織であるアル・ヌスラ戦線です。ロシアが支援するシリア政府軍がアル・ヌスラ戦線に対する掃討作戦を行うことは安保理決議で認められた「テロリズム掃滅」の一環です。日本の報道は、シリア政府軍の攻勢で難民になることを強いられた人々の嘆きの声だけを拾っていますが、それは明らかに「アサド政権=悪者」という前提に立っていることが明々白々です。
 私も難民になることを強いられる人々の苦境に目を塞ぐものではありません。しかし、原因(テロリストのイドリブ居座り及びアメリカ、トルコ等のテロリスト支援)については口をつぐみ、結果(難民発生)だけを大々的に報道するのは、私に言わせれば、ジャーナリズムの良心を備えているのかという問題です。

<劉中民「イドリブを「テコ」にするトルコ」>
 現在、トルコとシリアの衝突が大規模戦争に向かうのか、トルコとロシアはシリアで戦火を交えるのか、欧州は再び2015年の難民危機に直面するのか、といったことが国際世論の注目の的になっている。しかし、世界がもっと理解に苦しむのは、トルコが不断にシリアとの衝突をエスカレートしようとする動機と目的は何かということだ。
 筆者の見るところでは、トルコはアサド政権を転覆する目標を放棄したことがなく、ただ時に応じてその表現が異なるというにすぎない。このプロセスの中でトルコが演じている行動は極めて矛盾したものだ。すなわち、トルコはアサド政権転覆の既定目標は一貫して堅持しているが、西側及びロシアが主導するさまざまな政治解決メカニズムにも首を突っ込み、しかもシリアに対して軍事行動を発動するという有様だ。
 次にイドリブ問題についていえば、トルコが政策的苦境に陥っているのはやはりその矛盾した行動とその困難ということにある。トルコの外相経験者の言によると、トルコは相変わらず自らが支持する反対派勢力を温存し、将来の政治プロセスを通じて彼らがアサド政権に取って代わることに期待を寄せている。しかし、トルコがイドリブで軍事プレゼンスを維持することに合法性を付与しているのは、ロシア主導でトルコも参画しているアスタナ・メカニズムとロシアとトルコの間のソチ合意に基づく具体的取り決めである。ところがトルコは、過激派組織を反シリア政府派から隔離するという自らの約束は実行していない。これこそがトルコの対シリア政策における二面性の典型的現れである。もうひとつ、イドリブ問題におけるトルコの困難は、トルコがこの問題を利用して欧州を牽制し、米露関係におけるバランスをとるテコにしようとしていることにある。
 トルコがアサド政権転覆に力を入れる根本の原因は、「アラブの春」以来の世界情勢及び地域情勢に関する認識、そしてこれに基づいて確定した対外戦略にある。
 地域情勢からいうと、トルコ政権は「アラブの春」を、新版「トルコ・モデル」を推進して地域における主導権を実現する上での絶好のチャンスと見なしている。これこそは、エジプトなどのアラブ諸国の政治体制転換、シリア問題、リビア問題、カタールとサウジアラビアの断交といった地域問題でトルコが過激な政策を採用する根本的理由である。しかし、地域情勢、アラブ諸国の政治体制転換、ホット・イッシューの複雑性そしてトルコの政策に内在する矛盾により、トルコはこれらの問題について「当初計画」を推進することはできないし、エジプト、サウジアラビア、イスラエル等地域大国との関係も異常に緊張している。トルコがシリア問題で異常なまでに執心するのは、トルコが相変わらず、いわゆる穏健なイスラム勢力をシリアに据えることにより、新版「トルコ・モデル」つまりイスラム的デモクラシー・モデルを実践しようと願っているからである。このことは、トルコが長年にわたってエジプトのイスラム同胞団を断固として支持し、シシ政権と対決することをいとわないことと一脈通じるものである(浅井注:シリアのアサド大統領は最近、ロシアのメディアのインタビューにおいて、エルドアンがエジプトのイスラム同胞団(イスラム原理主義)の強い影響下にあると述べました。中東問題にド素人の私には何のことか見当もつきませんでしたが、劉中民の以上の分析でその意味が分かりました)。
 グローバルな面では、トルコはもはや西側追随の役割に甘んじず、ましてや東西に挟まれた境遇と身分とには満足しておらず、発言及び役割において世界大国となる道を極力追求している。このことも、シリア問題において、トルコとロシア、欧州及びアメリカとの関係を異常に複雑にしている。
 短期的に見るとき、イドリブにおける衝突が局部的にエスカレートする可能性は排除できないが、トルコもロシアと全面衝突するつもりはないと度々表明しており、トルコとしてはロシアとのバーゲン交渉を通じて情勢をコントロールしたい気持ちが依然として大きい。しかしそのためには、トルコが自国、地域及び世界に対する認識を改めることができるかどうかがカギとなるだろう。