コラム発言に対する批判へのお答え(続)

2020.01.12.

1月2日のコラム「コラム発言に対する批判へのお答え」に対して、この方から再び反応・疑問をお寄せいただきました。重要な問題提起ですので、再度私の考えを記しておく必要を感じました。興味ある方はお読みください。

第一点:日本共産党の綱領改定は党利党略、「嫌中反中」世論に迎合ということではない
党利党略で中国問題を処理している、もっと言うなら、日本にある「嫌中、反中」世論に迎合しているのかと言えば、それは違うと申し上げたいのです。
共産党は議論を大事にする党です。私はかつてある方から、「常任幹部会の議案は事前配布だ」と言う事を聞いたことがあります。事前に目を通して、会議で議論できるようにしておいて欲しいということでしょう。
今回の中国認識は、前党大会で、中国に新たな大国主義、覇権主義が生じているとの認識を示したうえで、かつ、今回の決議案についても、集団で議論がおこなわれた上の到達なのです。
 日本共産党が議論を大事にする党であるという指摘については、部外者の私がコメントできる立場にはありません。しかし、私が問題視しているのは、日本共産党指導部が中国を公然と批判する綱領改定を発議したこと自体にあります。今日の国際情勢特に日中関係のあり方を含むアジア情勢に対して共産党は本当に真剣に考えているのか、考えたうえでの発議なのか、という根本的な疑問です。これは集団で議論する以前の問題です。
また、「今回の決議案についても、集団で議論がおこなわれた上の到達」であるというご指摘に接すると、私の受けるショックはさらに大きなものになってしまいます。つまり、党指導部だけではなく、共産党員の多くが中国に対して党指導部と同じ認識を共有しているということになるからです。多くの一般の党員の方たちの対中国認識はどのように形成されるのかと考えるとき、私は多くの党員は『赤旗』に示される一定の判断を交えた中国報道によるほかない(他の対中偏向報道に満ち満ちたマス・メディアの報道の影響ももちろんある)と思わざるを得ないし、その結果が綱領改定支持に直結しているのではないかと思わざるを得ないのです。
かつての日本共産党は『国際情勢判断資料』(確かこういう名前だったと記憶しているのですが、間違えていたら許してください)という週刊の資料集を出しており(外務省時代の私にとっても欠かせない刊行物だった)、中国を含む世界の重要文献を翻訳して紹介していました。またかつての中国共産党も『北京週報』を出し、中国共産党の重要文献を日本語に訳して紹介していました。したがって、当時は中国に関心のある者であれば、直接中国側の「生の声」に日本語で接する機会があり、したがって、自分自身で中国認識を深めることができました。しかし、今日では両刊行物はもはやなく、したがって、多くの一般党員を含む日本人の対中認識は『赤旗』を含むメディアの「偏向報道」に支配されざるを得ません。「今回の決議案についても、集団で議論がおこなわれた上の到達」であるという指摘が持つ客観的危険性はここにあります。
私には、日本と中国の友好関係なくしてはアジアの平和の実現は期しがたいという問題意識があります。この重要課題の実現のためには、日中両国人民が互いについての正確な認識を深めることが絶対に不可欠な前提条件だと確信します。日中関係が悪化するとき、中国世論が日本に対して「けんか腰」になることはままあります。しかし、米中貿易戦争に対する中国社会の総じて泰然自若の対応に示されるとおり、中国指導部だけではなく、多くの中国人自体が「大国・中国」に自信を深めていること、また、中国指導部が冷静沈着に米中貿易交渉に対処し、中国経済を含む中国社会の安定を確保している手腕を多くの中国人が評価していることは事実です。そういう中国人の多くの日本に対する認識(ごく一部のネット「世論」を除く)は「嫌日反日」とは基本的に無縁です。ひとり日本の「世論」だけが「嫌中反中」に染め上げられているのです。
私が日本共産党の綱領改定に対してあえて異議を申し立てたのは、そういう行動そのものが「嫌中反中」を助長する以外の何ものでもないからです。事実に即した綱領改定ならまだしも、志位委員長が赤旗及び朝日新聞で述べたところに即して判断する限り、私は日本共産党の対中国認識はまったく間違っているといわざるを得ないのです。それが広範な一般党員の共有する認識であるとするならばなおさら危機感を持たざるを得ません。
第二点:核廃絶と核兵器禁止条約について
浅井さんのおっしゃっていることは、「核兵器に固執するアメリカ」、「この条約はそういう国際政治の厳しい現実を直視するものでない」。ここに尽きると思います。
つまり、浅井さんの持論である、核デタランスはアメリカにとっては虚であるが、中国(そしてロシアも)実であるということを述べたいのだと思います。 私は核保有は麻薬のようなものだと思います。相手の攻撃を抑えるつもりで持ったはずが、いつの間にか、核保有の論理に染まっていく。それは、核保有をすれば、国際社会の中で大きな顔ができるからです。(ちなみに朝鮮は、私の言う核保有の麻薬にはまだおかされていないと思います。核兵器禁止条約の交渉開始に賛成したことが理由です)
いや、中国は核保有をすることで、アメリカの暴走を抑え、大国としての役割を果たそうとしているのだ、と浅井さんはおっしゃりたいのでしょう。では、中満 泉さん(この方の経歴は説明するまでもありません)が「しんぶん赤旗 元旦号」で核兵器禁止条約に入りたくない国に対して、「核廃絶に向けた動きを具体的に示すやり方は他にもあるので、目に見える形で、しかも以前よりもさらに強化して、努力を重ねていく。それを示していく必要があるのではないか」という発言をどう考えたら良いのでしょうか。
中国がもし、それを示しているのであれば、中満さんが触れてもおかしくないはずです。なぜそうでないのか。何も言っていないか、それとも、言ってはいても、中満さんが評価できるものではないと思えるのですが、いかかでしょうか。
それは違うのだ、中国の核廃絶に向けたアプローチはこういうものだというものを事実として示していただければ大変うれしく思います。
 「中国の核廃絶に向けたアプローチはこういうものだ」という点については、私の知る限りではありません。しかし、アメリカが核兵器に固執する戦略を改める用意・兆しを示すときには、中国はそれに対応する用意があると判断します。なぜならば、中国は「核兵器が平和をもたらす」というアメリカの主張にはまったく与しておらず、核兵器廃絶(さらには全面軍縮)が世界の平和と繁栄の実現に不可欠だという主張には無条件に与しているからです。
 問題は、中国からすれば、国際政治軍事の厳しい現実を踏まえない核軍縮・廃絶の議論はユートピアに過ぎないという点にあると思います。この1,2年来の米中貿易戦争を通じてあらわになったアメリカの台頭・中国に対する敵意(共和党右派だけではなく、民主党にも広範に共有されている)はホンモノであり、この厳しい現実に如何に対処するかが、中国にとって最大かつ最重要な問題なのです。このような状況の下では、核兵器禁止というユートピアについて語る条件がそもそも存在しない、と中国は考えているでしょう。私は、そういう中国の国際情勢認識を理解するものです。
 私は自らを理想主義的現実主義者と自認しています。その意味は、達成したい理想・目標を設定するとともに、そこに到達するための現実的方途・道筋を示すことを自らに課すということです(手前味噌になりますが、私の「21世紀こそ9条の出番」とする9条論が一例です)。私は核兵器禁止条約については支持するものですが、それは条約に込められた理想を支持するからです。しかし、核兵器禁止条約採択国際会議における議論を見るとき、核兵器禁止という理想を現実にする説得力ある道筋に関する真剣な議論が行われたとは、寡聞にして知りません。中国に「挙証責任」があるのではなく、「核兵器禁止条約に中国が賛成しろ」とする側に、中国が賛成できるようにするための道筋を示す(理想主義的現実主義の立場をとる者の)責任があると思います。
 私は広島に6年間滞在して日本における「核廃絶」運動について観察しましたが、観察すればするほど、日本の運動の「独りよがり」について失望せざるを得ませんでした。「核兵器は絶対悪」(絶対悪であることは、パワー・ポリティックスの発想に頭を占領されたものを除けば、私を含めて誰もが認める)の一点張りで、その結果、日本の運動はユートピアの世界の独りよがりにどっぷりつかっているからです。「核デタランスはアメリカにとっては虚であるが、中国(そしてロシアも)実である」という私の指摘は、日本の運動のユートピア的性質に対する批判でもあるわけです。
 核兵器が存在し続けることを改めるには、元凶であるアメリカの核政策を批判することを根本に据えるべきです。その根本を踏まえたうえで中国(ロシア、インド、パキスタン)の核政策に対して実事求是の判断を行うべきだと私は考えるのです。
第三点:社会主義を目指すこと
ここは説明不足もあり、私の言いたいことが充分伝わっていないようです。 以前も申し上げたと思いますが、私は社会主義とは民が主人公にあることだと思います。…
中国共産党は統治で決定的な失敗をしており、それが教訓になっている。浅井さんの著書で読んだ記憶があります。それは、新たな政策を実施する場合の慎重さ、人材登用のありかたに表れていると思います。私が、統治に責任を持とうとしていると評価するゆえんです。
しかし、それでも、「民が主人公」になる立場を目指さないと最終的にはうまくいかないと思います。以前もメールしましたが、習執行部が「民が主人公」をどう目指そうとしているのか私には見えないのです。
 中国共産党が先の19期4中全回コミュニケでももっとも強調しているのは正に「民が主人公」という思想です。中国では「人民当家作主」という表現で表しています。あるいは何事につけても「以人民為主」に出発点を置かなくてはならないとも口を酸っぱくして言っています。4中全回後習近平指導部は「不忘初心牢記使命」を主題とする、党員・組織を対象とする全国的な思想教育・実践貫徹キャンペーンを展開してきましたが、「初心」「使命」の要諦は「為人民服務」です。
 では、なぜ中国共産党が領導するのか。中国共産党によれば、中国現代史において中国共産党こそが「為人民服務」に対してもっとも忠実な政党であったし、それ故に中国共産党は抗日戦争を戦い抜き、国共内戦に勝利し、新中国を建設したのです。確かに大躍進、文化大革命の誤りは犯したけれども、中国共産党は自らの過ちを総括する自浄能力を示し、鄧小平のもとで改革開放政策に乗り出し、今日の成果を獲得し、その実績は広範な中国人民に認められているし、「為人民服務」の宗旨・初心を忘れず、これに忠実であり続ける限り、中国共産党が中国人民を領導していくことが正しい道だと確信しているのです。領導党である中国共産党がもっとも自戒しているのは党員特に指導的立場にある党員の腐敗・汚職・堕落です。習近平指導部は党紀律機関を格段に強化しています。私が毎朝チェックしている中新網WSでは、ほとんど毎日といってもいいぐらいに腐敗・汚職・堕落党員の摘発記事を目にします。
 鄧小平、江沢民、胡錦濤までの中国共産党は、確かに米欧諸国の「共産党独裁批判」の攻勢に対して受け身的であり、いわば「自己弁護」的でした。しかし、習近平指導部は違います。彼らは中国共産党が領導する中国の統治体制、ガヴァナンス・システムに対して確固とした自信を持っています。その自信は改革開放政策が達成した実績に基づくものですが、今ひとつ重要なのは、米欧の統治体制、ガヴァナンス・システムが2008年のリーマン・ショック以来明らかに制度疲労をあらわにし、しかも有効な対策を講じ得ないでいるのに対して、中国はその試練を克服し、さらなる躍進を遂げてこられたのは中国共産党領導の統治体制の優位性にある、という自信を深めていることにも由来します。
 さらに私が注目するのは、習近平指導部は「中国の特色ある社会主義」の実現を目指しているわけですが、社会主義の特徴的要素は中国の伝統的政治思想の中に見いだすことができることを強調している点です。例えば社会主義の根幹である「以人民為中心、全心全意為人民服務」「人民当家作主」の思想は中華文明における「重民」「安民」等の民本思想と相通じている、といったごとくです。このように、中国の伝統的政治思想の中に社会主義の本質的要素と相通じる要素がもともとあったとする指摘は優れて習近平時代になってからです。ここにも私は習近平・中国の自信の表れを感じます。
 ちなみに、中国共産党の理論誌『求是』は「中国穏健前行」という理論問題解明・解説のシリーズものを出している最中です。私は、このシリーズものが完結した暁には機会を見てコラムで紹介したいと思っているのですが、まずは1月1日のコラムで書いたように、私の考えてきたことを本にまとめる作業に集中したいので、シリーズの解説は先のことになりそうです。しかし、中国が社会主義建設に大真面目でかつ真剣に取り組んでいることは前にも言ったとおりです。その中心に座るのは「民が主人公」(人民当家作主)なのです。