コラム発言に対する批判へのお答え

2020.01.02.

私が昨年12月27日のコラム「日本共産党委員長発言(朝日新聞)」で行った志位委員長発言に対する批判に対して、それが間違っているという指摘をFBで行った方がおられ、その方からFBに掲載した文章をメールで送っていただきました。その方は私の文章を受け止めたうえで反論されたので、私としても、その方の指摘について改めて考えました。その方の論点が納得できる内容ではないので、その方の以下の論点に即して私の理解を述べることがその方に対する礼儀であり、義務でもあると考えます。

①中国はアメリカに対抗し、公正、公平な世界を作ろうとしているか
 まず、浅井さんの言われる「「大国主義」と「大国であることを自認・自任すること」とはまったく別物である」は全くその通りで何の異論もない。では、中国は大国であることを自任して、公正、公平な世界を作ろうとしているのだろうか。
 東アジアの平和、特に朝鮮問題でここ20年、中国が積極的役割を果たしてきたのは事実である。6か国協議や、最近では米朝交渉が膠着状態に陥る中、ロシアとともに、国連安保理に朝鮮民主主義人民共和国(以下朝鮮)の制裁緩和決議案を出して、今の緊張緩和の流れを発展させようしている点は評価に値する。
 また、ここでも何回か書いたが、中国は建国以来、気に入らない他国政府を、武力で打倒したことは一度もない事実も特筆すべきものである。
 では、アメリカ・トランプ政権によってグチャグチャにされようとしている国際社会の平和と安定を守るべく一線に立っているのが中国と言えるかと言えば、疑問を持たざるを得ない。
 むしろ、残念ながら、自らの国益の根幹の部分では、国際社会の平和と安定を崩すトランプ政権に妥協しているのではないだろうか。
 その例は、核兵器禁止条約である。朝鮮のように交渉開始には賛成するが、署名はできない(なぜならアメリカの核脅迫を受けているから)ならまだ理解できなくない。しかし、中国の態度はこのようなものでなく、アメリカなどの他の核保有国とともに、この条約成立の妨害をおこなったのである。
 そればかりでなく、2016年アジア国際政党会議で、宣言起草委員会が全会一致で確認した「核兵器禁止条約」の交渉開始を、一方的に覆し、これを批判した日本共産党に「覇権主義」の悪罵を投げつける。この態度のどこに「国際社会の平和と安定を守る」観点があるのだろうか。強い疑問を持たざるを得ない。
 この方が「アメリカ・トランプ政権によってグチャグチャにされようとしている国際社会の平和と安定を守るべく一線に立っているのが中国と言えるかと言えば、疑問を持たざるを得ない」として例に挙げているのは核兵器禁止条約に対する中国の立場です。私は核兵器禁止条約を支持する立場ですが、核兵器に固執するアメリカにその固執する立場を改めさせることなしには核兵器廃絶は不可能であることは明らかです(アメリカが「脅威」と見なす中国(及びロシア)としては自らも核デタランスで対抗せざるを得ない)。この条約はそういう国際政治軍事の厳しい現実を直視するものではないことを指摘せざるを得ません。中国は、核兵器廃絶が望ましいという立場でありながらも、そういう国際政治軍事の厳しい現実を直視しないこの条約を支持できないという立場です。条約に対して消極的という点ではアメリカと結果的に同じ立場ですが、アメリカが核兵器廃絶自体に反対の立場であるのに対して、中国は核兵器のない世界が望ましく、それを目指すという基本的立場ではアメリカと正反対なのです。
中国と日本共産党との間にいかなるやりとりがあったのかは私にはまったく分かりません。しかし、私も購読しているしんぶん『赤旗』の中国に関する報道に関しては、私は常々強い疑問を感じています。中国は中国に対して何事につけても批判的な日本共産党の立場は知悉していますから、核兵器禁止条約交渉開始を巡っても両者の間で激しいやりとりがあっても不思議はないと思うし、その過程で中国が日本共産党を「覇権主義」と「悪罵」するような状況が現れたとしても、それは「売り言葉に買い言葉」の類いであって、そのことをもって中国は「自らの国益の根幹の部分では、国際社会の平和と安定を崩すトランプ政権に妥協しているのではないだろうか」という結論に持っていくのはあまりに乱暴ではないかと思います。私がこの方に期待するのは、中国の対外政策をもっと全面的・包括的に分析して、評価する姿勢です。
②なぜ日本共産党は中国共産党との違いを強調するか
 浅井さんは、日本共産党が中国共産党との違いを強調する点を、強迫観念ととらわれていると言っている。これについては、綱領改定案のポイントが読み込めていない。
 綱領改定案のポイントは、中国を「社会主義を目指す」国としていたのを、そうは言えなくなったのでやめるということである。なぜそうするのか、根拠は志位委員長の綱領改定報告でふれている。
 では、どこに社会主義の展望があるか、志位委員長も言っているが、「発達した資本主義国での変革」が社会主義変革の大道だということ、つまり、日本共産党は、中国のように、党が主導して体制を作り上げるのではなく、日本の民主主義の伝統の上にたって、国民とともに社会主義を目指すし、それが社会主義の大道だということである。
 今まで歴史上存在した社会主義国家は、この中国のように党が体制をつくる国家であるし、大多数の国民は社会主義とはそういうものだと思っている。今回の綱領改定は、日本共産党はそれとは違うと明確に明らかにしたものである。
 この方の指摘(「どこに社会主義の展望があるか、志位委員長も言っているが、「発達した資本主義国での変革」が社会主義変革の大道だということ、つまり、日本共産党は、中国のように、党が主導して体制を作り上げるのではなく、日本の民主主義の伝統の上にたって、国民とともに社会主義を目指すし、それが社会主義の大道だということである」)に即して考えると、「発達した資本主義国」でなければ「社会主義の大道」を歩めないということになり、「発達した資本主義」を実現したことがない中国、ヴェトナム、キューバ、ヴェネズエラ等々は「社会主義の大道」を歩めないということになってしまいますが、それこそ暴論の極致と言うべきではないでしょうか。
確かにマルクス、エンゲルスが想定したのは先進資本主義国における社会主義革命の必然性ということだったとは私も基本的に理解しています。しかし、そのことは先進資本主義を経ずに社会主義を実現することは不可能という結論を導くことにはなり得ません。だからこそ中国は「中国の特色ある社会主義」の実現を目指すと言っているのです。私が昨年12月23日のコラムで紹介したとおり、中国共産党政治局は中国に豊かな社会主義社会を実現するべく大真面目、かつ真剣に取り組んでいます。
 この方は「今まで歴史上存在した社会主義国家は、この中国のように党が体制をつくる国家である」として、「日本共産党はそれとは違う」と言われますが、これはまことに珍奇な主張です。第一に、1960年代までの日本共産党も「共産党独裁」あるいは「共産党執権」という主張を行っていたことは歴史的事実です。しかしその後、日本共産党は先進資本主義国における社会主義への移行として「日本の民主主義の伝統(浅井注:日本に民主主義の伝統なるものが存在するかははなはだ疑問です)の上にたって、国民とともに社会主義を目指す」立場に移行したのです。「党が体制をつくる国家」は社会主義ではあり得ないという結論に飛躍するのはいかがなものでしょうか。第二に、日本共産党が日本独自の道を目指すことに対して中国はなんの批判も異論も行ったことはありません。中国の原則的立場は、それぞれの国の人民がそれぞれの国の条件に即して自らの選択した道を歩むことを尊重するというものです。この方の指摘するとおりだとするならば、日本共産党は他の国のとる道が日本共産党と同じでなければ「社会主義の大道」ではないと主張するのと同義であり、これこそ「大国主義」「覇権主義」的専横ではないでしょうか。
③中国共産党にとって、日本共産党の存在は圧倒的に小さいか
 浅井さんは「今日の中国共産党にとって、日本共産党の重みは決定的かつ圧倒的に小さくなっています」と言うが、何を根拠に言われているか明らかにしていない。
 むしろ、事実は逆で、2017年の前回の党大会、決議案で中国を「新しい大国主義・覇権主義」述べたことに対し、当時の程永華駐日大使が、中国共産党中央の指示で、日本共産党本部に出向き、この内容の削除を求めたのである。
 中国を「新しい大国主義・覇権主義」との認識の当否はここでは触れない。大事な事実は、程大使が日本共産党本部に自ら出向いた点である。
中国共産党にとって、「日本共産党の重みは決定的かつ圧倒的に小さい」のなら、こんなことはそもそもする必要がない。「言わしておけば良い」だけである。そうでないのは、中国共産党にとって、日本共産党の存在が小さくない存在であることを意味しているではないだろうか。
 この方は、「2017年の前回の党大会、決議案で中国を「新しい大国主義・覇権主義」述べたことに対し、当時の程永華駐日大使が、中国共産党中央の指示で、日本共産党本部に出向き、この内容の削除を求めた」と指摘しています。私は事実関係を知りませんが、日本共産党決議案が「「新しい大国主義・覇権主義」述べた」とする部分の削除を中国が求めたとすれば、それは当然だと思います。なぜならば、中国は「大国主義」「覇権主義」には断固反対の立場をあらゆる機会に明確にしており、日本共産党がそれに反する内容の決議を採択することは「事実誤認も甚だしい」からです。もし中国が抗議し、削除を求めなかったならば、それは中国が「大国主義」「覇権主義」であることを黙認する結果になってしまっていたでしょう。この方の主張するように「中国共産党にとって、「日本共産党の重みは決定的かつ圧倒的に小さい」のなら、こんなことはそもそもする必要がない。「言わしておけば良い」だけである」という類いの問題ではありません。小なりといえども日本共産党は国内に一定の支持基盤を持っているし、そういう決議案が採択される結果、日本共産党支持の人々が中国に対してゆがんだ理解を持つことになることについて、中国としては到底黙認することはできないはずです。
 しかし、中国の主流メディアが日本共産党に対して「レッテル貼り」を行ったことは、私の知る限りではありません。日本共産党の「反中国共産党」の立場を十分に理解しているけれども、無視してやり過ごすという「大人の態度」にこそ、「今日の中国共産党にとって、日本共産党の重みは決定的かつ圧倒的に小さくなっています」と私が指摘する根拠の一つがあります。より正確に言うならば、中国は日本共産党云々よりも日中友好の方がはるかに重要です。日本国内に広く横溢している「反中」「嫌中」感情を取り除かない限り、真の中日友好の実現も夢のまた夢であるという深刻な認識も持っています。日本共産党がそういう「反中」「嫌中」感情に迎合する政策を追求することを苦々しく思っていることも間違いありません。しかし、そういうちっぽけな度量しかない日本共産党自体は、中国にとって軽蔑の対象となるだけであり、その点では「言わしておけば良い」という態度なのです。
 浅井さんは、中国、朝鮮半島、イランの分析では、当事者の言い分を、まず当事者になりきって捉えることで、すぐれた分析をされ、私も大いに参考にしてきた。
 また、現在の日本で中国に対するネガティブキャンペーンが張られることに、強い危機感を持ち、日中友好こそ国益にかなう道であることを、繰り返し述べられてきた。この点は、私も全く同感である。
 その浅井さんが、日本共産党に対し、このような捉え方をするのは、きわめて残念でならない。日本共産党の批判が日本で支配的な中国に対するネガティブキャンペーンを助長していると言いたいのかもしれないが、その批判は、説得的でないと言わざるを得ない。
 何事も当事者の主張を知る。それが正確な認識の一歩である。
 私の日本共産党に対する批判の最大の立脚点は、「日本共産党は党利党略だけで中国問題を処理しようとしている。しかし、真の日中友好を築かない限り、アジアにおける平和の実現は期するべくもない。日中友好を基軸に据えた対外政策を本気で追求する日本共産党になってください」ということにあります。そのためには、この方の言う「何事も当事者の主張を知る。それが正確な認識の一歩である」という立場を、日本共産党こそ是非中国に対して適用してください、ということなのです。いまの日本共産党が綱領改定でやろうとしていることは、正にその正反対だからこそ、私はあえて志位発言を批判したのです。