21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

シリア憲法委員会の成立

2019.10.03. (補筆)10.04.

(補筆)
ロシア外務省WSは9月27日にラブロフ外相がニュー・ヨークで行った記者会見での発言及び記者とのQ&Aの内容を掲載しました。記者のシリア問題に関する質問に対してラブロフ外相は、2018年1月28日にロシアのソチで、ロシアがトルコ及びイランの支持で行ったシリア国民対話議会(Syrian National Dialogue Congress NDC)が政治解決に向けた動きが開始される上での転換点だった、憲法委員会の創立並びにその規則及び手続きに向けての基礎がこの会議で据えられた、と述べました。この点について私がコピペしたファイルには記録がなく、結果的に見落としていたことになりますので、補筆として紹介しておきます。

9月16日にロシアのプーチン大統領は、アンカラにおけるトルコのエルドアン大統領との会談の際に、シリア憲法委員会(以下「憲法委員会」)に関する仕事が事実上完成したと述べました(同日付タス電)。さらにプーチンは、残された唯一の問題は委員会の仕事の手続きに関する承認であると述べ、憲法委員会の候補者リストを承認する上でトルコ特にエルドアン大統領が「重要な指導的役割」を果たしたと指摘しました(タス通信はまた、それに先だって、ロシア大統領のシリア問題特使であるロシア外務省のヴェルシニン次官がシリアを訪問し、アサド大統領との間で憲法委員会の委員名簿及び参加者の構成比率を全面的に承認したことについても付け加えています)。そして同日行われたロシア、トルコ及びイランの首脳によるシリアに関する第5回三者会談(注:第1回三者会談は2017年11月にロシアのソチで開催、第2回は2018年4月にアンカラ、第3回は2018年9月にテヘラン、第4回は2019年2月にソチ)の中で、プーチンは憲法委員会形成が完成したと述べました。また、エルドアン大統領も、「首脳会談を通じて憲法委員会の構成についての違いを克服した。我々は直ちに委員会を作る仕事を開始することを決定した」、「委員会設立手続き及び仕事に関するメカニズムについては国連との協調のもとで行われる」と述べました。首脳会談後に発出された共同声明第8項は「三首脳は、憲法委員会の設立及び開始に関する同意並びに委員会の仕事に関するシリア各派の間の合意に関するピーダーセン国連事務総長シリア問題特使の努力を支持することに関する同意を表明した」と述べ、今後の憲法委員会の起動に関する国連の役割にも言及しています。共同声明はまた、シリアの主権尊重及び領土保全を三国が断固支持することも明確にしました。
 このような進展をもたらす重要な契機になったのは本年(2019年)1月23日に行われたプーチンとエルドアンの首脳会談だったと考えられます。会談後の共同記者会見でプーチンは、トルコの安全保障上の利益を確保することを尊重すると述べた上で、1998年にトルコとシリアとの間で締結された条約(アダナ協定)は現在も有効であるとし、これが扱っているのはテロリズムとの戦いであると指摘し、さらに、「この条約は、トルコの南側国境における安全を確保することに関連する多くの問題を扱う法的枠組みである。我々は本日この問題を包括的に、詳しく議論した」と述べました(ロシア大統領府WS)。
 トルコの対中東関係を専門とするトルコ人分析家Sinen Cengizによりますと、アダナ協定第1条は「シリアは相互主義原則に基づき、トルコの安全と安定を阻害することを目的としてシリア領域から行われるいかなる活動をも許さない」と規定しています。この協定が締結されるまでは、シリアはクルド労働者党(PKK)の活動を認めていたのですが、トルコの強い要求のもとで、シリアはPKKをテロ組織と認定し、これにいかなる援助も提供しないことを約束しました。しかし、アラブの春をきっかけとして起こったシリア内戦に際して、トルコがアサド政権と対決する武装組織を支援したことで両国関係は再び悪化し、アサド政権はPKKの自国領域内での活動を容認するようになり、アダナ協定は事実上棚上げの状況に陥ったとされています('Why is the 1998 Adana pact between Turkey and Syria back in the news?' Sinem Cengiz, January 25, 2019 ARAB NEWS)。
 ところが今や、アメリカがアサド政権と対立する材料としてクルド人武装勢力を支持し、また、クルド人武装勢力がアサド政権に対して広範な自治権を要求する状況の下、クルド人武装勢力をテロ組織として徹底的に鎮圧したいエルドアン政権とアサド政権との間に再び客観的な接点が出てきたと見られます。そのチャンスを捉え、眠っていたアダナ協定の息を吹き返させることを通じてトルコとシリアの関係改善を図ろうとするプーチン(というよりはロシア外交)の慧眼・したたかさと言うべきでしょう。1月26日付のイランIRNA通信も、プーチンの動きを賞賛するとともに、「トルコの南側国境における安全を回復する上で、この協定は多くの問題を解決することができるだろう」とする専門家の見解を紹介しました。
 ちなみにシリア政府の反応に関しては、やはり1月26日付のイラン放送UTC通信WSが、「シリア政府は一貫して協定を守っていたのに、トルコ政権が2011年から現在まで、テロリストを支援し、武装勢力を訓練して、彼らがシリア領土を占領することを支持することで協定に違反してきた」とするシリア筋の発言を紹介するとともに、協定を復活してシリアがその領土を支配する状況に戻すことを要求したと伝えました。留意するべきは、シリア政府もアダナ協定を守る意思があることを明らかにしたことです。
 その後も物事は必ずしもすんなりとは進みませんでした(特にトルコが、シリアのユーフラテス東岸地帯に駐留する米軍と手を組んでクルド人武装勢力の動きを牽制する取り決めを結んだことが事態を複雑にしました。しかし、エルドアンはアメリカの協力姿勢が見えないとして、単独でクルド人武装勢力に対抗する軍事行動を取ると公言するに至っています)が、最終的には上記のプーチンとエルドアンの合意の枠組みを遵守する形で憲法委員会成立にこぎ着けたのだと判断されます。そのことは、プーチンがエルドアンとの共同記者会見の中で以下のように述べていることからも窺うことができます。

 我々は、トルコを含む域内のすべての国々が自衛の権利並びに国益及び国境を保護する権利を持つと確信している。そのことはシリアの領土保全を何ら損なうものではないことは、エルドアン大統領も一度としてこの原則に反対したことがないことが示すとおりだ。それどころか、彼はそれ(シリアの領土保全)を全面的に支持している。我々全員がシリアの領土保全を支持しており、(トルコの)安全が確保され、テロとの戦いが解決された暁には、シリアの領土保全は全面的に回復されるだろう。それはすなわち、すべての外国の軍隊はシリアの領土から撤退するということだ。
 プーチンの以上の発言は、シリアがトルコ軍のシリア領内進駐に反対していることを踏まえつつも、トルコの軍事行動は自国の安全確保及びテロリスト(注:PKK)との戦いのためであることにも理解を示し、この二つの問題が解決した暁にはトルコ軍がシリア領内から撤退することをエルドアンが請け負っているとして、シリアに対して理解を求めたものと解釈することができます。この点に関してエルドアンは、三首脳会談後の共同記者会見で、同国に避難した難民がシリアに戻る場合、彼らのための住宅建設を引き受ける用意があると発言しました。彼は建設される地域として、トルコ国境から30kmまでのシリア領土で東西450kmに及ぶ一帯とまで具体的に示しました(ちなみに、エルドアンが示したこの一帯はクルド人勢力が支配している地域であり、クルド人が反発することは必至であるため、物事がすんなりと進むとは考えにくいものがあります。しかもエルドアンは、この建設費用をまかなうために諸外国からの資金取り付けに言及しており、虫のいい話であることは確かです)。
 9月17日付のイランIRNA通信は、トルコの積極的姿勢への転換について次のように分析しました。9月の3首脳会談における最大の懸案問題は反アサド政権武装勢力の最後の拠点であるイドリブ(シリア各地でアサド政権に対抗していた武装勢力が休戦に応じる際、その撤退先として合意されたのがイドリブでした)についていかなる処理を行うかという点にありました。反アサド勢力を支持・支援するトルコとアサド政権を支持するロシア及びイランの立場が食い違っていたからです。しかし、アサド政権の優位が確定した今、トルコにとっての最大の問題はトルコ領内の360万人以上とも言われるシリア難民をシリアに帰還させること及びシリア・クルド人問題の扱いに絞られることになったわけです。トルコが警戒するのは、シリア政府軍がイドリブに対して軍事力を行使した場合、さらに多くのシリア難民がトルコに押し寄せる事態になることであり、また、シリア北部に盤踞するクルド人が勢力を強化することを防ぐ上では、クルド人勢力を利用するアメリカと組むよりも、ロシア及びイランと協力してアサド政権の国内基盤を強化させる方が効果的だと判断したと考えられます。IRNA通信は結論として、アメリカの一貫性のない対中東・シリア政策がトルコの以上の政策転換を招いたとし、勝利者はロシア、イラン及びアサド政権ということになったと指摘しています。
 9月23日付のタス通信は、グテーレス国連事務総長が同日シリア憲法委員会の設立を発表し、これを達成したことについてロシア、トルコ及びイランに感謝したと報じました。タス通信によれば、グテーレスは記者に対し、次のように述べました。
「シリアアラブ共和国政府とシリア交渉委員会(注:サウジアラビアが支持する反対派のアンブレラ組織)との間の、確かな、バランスのとれたかつ包摂的な憲法委員会に関する合意を発表する。この委員会についてはジュネーブで国連が仲介することになっている。政権と反対派との間で達成された進展を歓迎する。私の特別代表は安保理決議2254にしたがってこの合意を仲介した。彼は数週間内に憲法委員会を招集するだろう。」
 「シリア人自身の、シリア人による憲法委員会の開始は、悲惨な事態から抜け出し、すべてのシリア人の正統な願いに合致し、国家の主権、独立、団結そして領土保全に対する強い誓約に基づく安保理決議2254に沿った政治的道のりの開始であり得るし、またそうでなければならない。憲法委員会の開始及びその仕事は信頼及び確信を築く具体的な行動を伴うものでなければならない。特別代表は広範な政治プロセスの前進を容易にするためにその権限を行使する。」
 「私は、ロシア、トルコ及びイランによる合意締結を支持するための外交的行動を評価する。」「私はまた、安保理理事国及び小グループ諸国(タス通信注:イギリス、ドイツ、ヨルダン、サウジアラビア、アメリカ及びフランス)の支持にも感謝する。」
 9月23日には、ピーダーセン特使がシリアを訪問し、ムアレム外相と会談しました。同日のシリアSANA通信によれば、両者は憲法委員会の構成及び同委員会の有効性を保証するためのメカニズムについて話し合ったと伝えています。同通信は、会談後にムアレム外相が国連特使と今後も協力していく用意があると述べたことを伝えました。またダマスカス発の新華社電も、会談後にピーダーセンが両者の会談は「大成功だった」と述べたと伝えました。
 さらに注目されるのは9月24日にタス通信がアメリカも憲法委員会の成立を歓迎したと伝えたことです。それによれば、米国務省は9月23日にプレス声明を出し、以下のように述べました。
 「アメリカは、シリア政府とシリア交渉委員会との間で憲法委員会を作ることで合意が達成されたとするグテーレス国連事務総長の発表を歓迎する。」
 「まだ多くのことが残されているが、シリアの紛争の政治解決を達成することに向けた勇気づけられる一歩である。」「我々は、国連事務総長、ピーダーセン特使、トルコ、ロシア及び小グループが行った、この結果を達成するための仕事を評価する。」(浅井注:イランへの言及なし)
「我々は引き続き国連及び他の関係国とともに政治的道筋を進めるあらゆる努力を奨励するべく関与していくだろう。」
 9月28日付のタス通信は、国連がこの日に「委任事項と中心的手続き規則」を発表し、憲法委員会は2つの決定組織を持つと明らかにしたと伝えました。すなわち、45人からなる小組織は憲法案を起草し、150人の委員全員からなる大組織は憲法を採択することになるそうです。大組織の招集は、小組織の仕事と平行してまたは定期的に行われることになっています。150人のメンバーに関しては、シリア政府から50人、反対派から50人、国連が選任する50人と合意されていました。
 また同日、ピーダーセン特使はタス通信との独占インタビューで、憲法委員会の初会合にはアスタナ・プロセス保証国のロシア、トルコ及びイラン、小グループ(イギリス、ドイツ、ヨルダン、サウジアラビア、アメリカ及びフランス)並びに中国が招聘されると明らかにしました。ピーダーセンは中国招聘の理由として同国が安保理常任理事国であることをあげました。なお、9月30日付のタス通信は、ピーダーセン特使が最初の憲法委員会は10月30日に開催することが予定されていると明らかにしました。
 以上、事実関係を中心に憲法委員会成立の経緯をまとめてみました。これまでの経緯を振り返るとき、憲法委員会の成立が可能になった最大の要因として、ロシアとイランが強力な後ろ盾となって可能となったシリア・アサド政権の全土支配の実現という既成事実をあげるべきです。アサド政権の支配が及ばないのは今や、反アサド武装勢力が最後の抵抗拠点とするイドリブとアメリカ軍が支配するユーフラテス以東の2地域に限られています。アサド政権転覆を目指してきたアメリカ、サウジアラビアをはじめとする諸外国としてもこの現実を受け入れるしかなくなったことが最大の原因です。
 また、国連事務総長シリア問題特使が、2018年末にロシア及びイランと距離を置いていたデミストゥラからロシア及びイラン(さらにはアサド政権)と積極的に意思疎通を図るピーダーセンに変わったことは、ロシア及びイランと国連との間の協力関係を促進することにつながり、そのことがシリア問題の政治解決に向けた動きを加速したとも考えられます。
 ただし、プーチンやロウハニが度々強調するように、アメリカ、サウジアラビア(さらには西欧諸国)が簡単にロシア及びイランと協力するとは考えられません。さらには、トルコとロシア及びイラン(さらにはアサド政権)との関係も微妙かつ複雑です。したがって、憲法委員会が開催されることになっても、起草・採択される憲法案の内容を巡って、小組織及び大組織における駆け引きが激しく行われるでしょうし、ロシア・イラン対アメリカ・サウジ等の国際的対立の構図が憲法委員会のプロセスに大きく影響するだろうことも見やすい道理です。結論として、憲法委員会成立はシリア内戦終結に向けた大きな一歩であるとしても、問題の性質が軍事中心から政治中心に移ったに過ぎないわけで、シリアが再び安定と平和を回復し、荒廃した国内の再建に向かうまでには今後もなお苦難の道が待ち受けていると見ておかなければならないでしょう。