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「日本の対韓アプローチ」批判(ハンギョレ2文章)

2019.07.20.

7月19日付のハンギョレ日本語版WSは、ペク・キチョル論説委員署名コラム「民族主義ではなくヒューマニズムだ」(以下「ペク文章」)及びシン・グァンヨン中央大学社会学科教授署名文章「東アジアの未来は過去の歴史の結び目をほどくことから」(以下「シン文章」)を掲載しています。
 ペク文章は、「強制徴用は、端的に言えば人の問題、ヒューマニズムの問題だ。普遍的人権の問題という話だ」とあるように、「ヒューマニズム」と「普遍的人権」とを同義に扱っています。一般論としてはそれでもいいのですが、「強制徴用」という法的問題を論じる場合には両者の区別を明確にする必要があると思います。すなわち、強制徴用はヒューマニズムという思想的観点から認められないのですが、それ以上に、普遍的人権という国際人権法という確立した法規範によって許されてはならないのです。
 私はそのことを2018年11月22日のコラムで次のように説明しました。

1960年代までの状況と21世紀の今日を法的に根本的に分かつものは尊厳・基本的人権の国際法的確立(国家といえども個人の基本的人権を尊重しなければならないということ)です。
国際人権規約はその点を明確に規定しています。すなわち、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約 1966年採択。1976年発効。日本は1979年に批准)は、前文で人間の固有の尊厳及び市民的政治的権利が尊厳に由来することを定め、「(締約国は)個人が…この規約において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有する」と定めます。そして第7条で「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」、第8条3(a)で「何人も、強制労働に服することを要求されない」と定めます。そして第2条3は、各締約国が「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を約束しているのです。
 また、国際人権法が確立して以後の国際的実践に鑑みれば、尊厳・基本的人権にかかわる問題に関しては「不遡及」原則・時効という法的縛りは及ばないことも明らかです。したがって、国際人権規約を批准した日本も、これまでの立場(「個人の対日請求権は各国と締結した条約・協定で解決済み」)を改めなければならないということなのです。
 ペク文章はヒューマニズムと普遍的人権を同義にとらえた上で、ヒューマニズムに基づいて議論を展開している点で難がありますが、「ヒューマニズム」を「普遍的人権」に置き換えて読めば論旨はすっきりします。
 またシン文章は、「帝国主義と冷戦の遺産の中で行われている東アジアの変化と関連がある‥今回の事態に対する理解はもっと歴史的なアプローチを必要とする」という立場から「日本の朝鮮侵略と奪略がちゃんと清算されていない状態から韓日関係が始まった」ことに現在の日韓関係紛糾の原因があることを説いています。私にとっては何らの違和感もない分析ですが、一つには韓国でも私と基本的に同じ認識をしている人がいるのだなという親しみを感じたこと、今一つには文科省の歴史教科書の叙述を「史実」と受け止めている40歳代以下の日本人にとっては、日韓関係がこじれている原因は日本側にあることを認識する簡潔な教材になるだろうと思ったことから紹介する次第です。
ペク・キチョル論説委員署名コラム「民族主義ではなくヒューマニズムだ」
 ジョージ・オーウェルの『ウィガン波止場への道』には、1930年代の英国炭鉱労働者の実状が生々しく描かれている。斜めに横になり、這うようにして切り羽に入り、からだを自由に伸ばすこともできずに作業する炭鉱労働は、本当に苦痛だ。オーウェルが描いたこの惨状は、日帝強制占領期間の強制徴用朝鮮人労働者と大きく変わらない。
 映画『軍艦島』は、1940年代に炭鉱に徴用された朝鮮人の苦難を描いた。日本人との戦闘場面などは、過度の想像力のせいで、かえって実状を理解しにくくする側面がある。軍艦島の徴用工は、一日に12時間以上も採掘に動員され、病気・栄養失調・溺死などで亡くなっていった。
 強制徴用朝鮮人は、炭鉱・製鉄所・造船所などで苛酷な労働搾取に遭い、給与もまともに受け取ることができなかった。外出も統制され、殴打と監視の中で危険な仕事をした。国際労働機構(ILO)は1999年、これをILO29号協約に違反した強制労働と判定した。
 強制徴用をめぐる韓日間の軋轢が激化して、「官製民族主義」論議が起きた。文在寅政府が時代遅れの民族主義の観点で接近し、国の経済を危険にさらしているということだ。竹槍に義兵など、誤解を招く表現がなかったわけではないが、強制徴用を民族主義の観点だけで見ているというのは事実ではない。
 強制徴用は、端的に言えば人の問題、ヒューマニズムの問題だ。普遍的人権の問題という話だ。これは、日本軍「慰安婦」が韓日間の民族的問題ではなく、人類普遍の価値の問題であることと同じだ。帝国主義の軍隊に踏みにじられた「慰安婦」は、ヒューマニズムに立った女性・人権の問題だ。強制徴用もまた帝国主義の企業に蹂りんされた朝鮮人労働者の問題なので、ヒューマニズム的普遍性を持つ。
 国際人権法の視点で見れば、強制徴用被害者の踏みにじられた人権を回復し賠償する問題は、いかなる人為的装置でも制限できない。一国の法や政府の決定、裁判所の判決、ひいては国家間の協定をもってしても人間の天賦の権利を抑制することはできない。
 韓国と日本の裁判所は、判決でこれを確認した。2007年、日本の最高裁判所は中国人強制徴用被害者判決で個人請求権が実体的に消滅していないと述べた。1965年の韓日協定で、請求権資金を渡された韓国の場合はちょっと複雑だ。だが、2012年と2018年に韓国の最高裁(大法院)は、韓日協定によって個人請求権は基本的に制約されないと判決することにより、この問題の性格を明確にした。
 1965年以後、時代の流れが大きく変わり、過去の問題がヒューマニズム的観点から新たに提起されたのに、両国政府はまともに対処できなかった。「慰安婦」合意の破綻は、ヒューマニズム的な過去の問題に対して両国政府が不得要領だったことを示した象徴的事件だ。
 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は2005年、韓日協定文書の公開を契機に強制徴用問題をなんとか解決すべく努力した。政府が乗り出し慰労金を支給し、その延長線上で2012年にはポスコも100億ウォン(約10億円)を出捐することにした。盧武鉉の解決法は、自分たちの力で被害を救済しようとする「政府積極主義」だったという点で示唆するところが大きい。
 安倍晋三が、他でもない過去の歴史に、ヒューマニズムの問題に経済報復を突きつけたのは、幼稚なふるまいだ。文在寅大統領は、野党時代に徴用訴訟の弁護人であっただけに、ヒューマニズムの原則に忠実に見える。ただし、李舜臣(イ・スンシン)発言などは、民族主義に寄り添っているのではないかとの誤解を生じさせかねない。
 安倍の策略は、経済と安保の次元で韓国をひざまずかせようとしているという見方が多いが、なおさら民族主義では対処しがたい。韓日問題は、民族主義ではなくヒューマニズムの観点で接近してこそ道徳的優位を持ち、正しい解決法に近付くことができる。民族主義に捕われれば、感情対決の悪循環が続くだけだ。国内的にも反日・親日フレームで争うことは、お互いに傷つくだけの敵前分裂になるのが常だ。
 深刻で緊急な外交対決や経済戦争において、ヒューマニズムに何の意味があるかと思うかもしれない。だが、ヒューマニズムこそ強力だ。すべての力の源泉はヒューマニズム、すなわち人間らしさにある。外交や経済もヒューマニズム的土台がなければ、力を得ることはできない。ヒューマニズムに立って、正道を進むことは、当面の解決に汲々とするより長い観点で対処する道であり、現実において多様な方法で柔軟に接近することを意味する。
 強制徴用の被害者たちは、日帝強制占領期間の"キム・ヨンギュン"であり"双龍(サンヨン)自動車解雇労働者"であり"全泰壱(チョン・テイル)"だ。
シン・グァンヨン中央大学社会学科教授署名文章「東アジアの未来は過去の歴史の結び目をほどくことから」
 日本の「輸出規制」で始まった韓日間の対立が連日紙面を飾っている。安倍政府が日本企業の高純度フッ化水素など3品目の韓国への輸出を規制して始まった貿易摩擦は、経済分野にだけ留まらず拡散されている。
 ハンギョレも材料・部品の対日依存度と日本のホワイト国(からの排除の可能性)などを報道し、部品の依存性の現実を報道した。また、日本の商品の不買運動と日本旅行の予約キャンセルのムードなどの現実も報じた。「輸出規制」をめぐる韓日間の対立に対する日本と英米圏のメディア記事も報道し、外国でこの問題をどのように認識しているかも伝えた。相対的に、中国や台湾など東アジア諸国の反応は多く取り上げられなかった。
 今回の事態に対する理解はもっと歴史的なアプローチを必要とする。帝国主義と冷戦の遺産の中で行われている東アジアの変化と関連があるためだ。
 東アジアは帝国主義と冷戦の遺産が残っている唯一の地域だ。日本は「脱亜入欧」を掲げ、追撃の発展に成功した。西欧帝国主義をまねて領土拡張を図り、朝鮮を植民地にした。人類歴史上、最も残酷な戦争だった第2次大戦をひき起こし、朝鮮の若い男性と女性を死地に追いやった。
 戦争は日本の敗北で終わったが、日本の保守政治勢力は過去の歴史に対する反省の代わりに、過去の栄光を懐かしがっている。反省は自虐だと批判し、歴史歪曲を通じて帝国主義時代を賛美している。
 こうした日本は冷戦の産物だった。第2次世界大戦直後、当時のドイツ・イタリア・日本に対抗して共に戦った米国とソ連が互いに対立する冷戦体制が作られた。1947年にソ連駐在米国大使館の外交官だったジョージ・ケナンは、X(エックス)というペンネームで「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿した文章で、民主主義を脅かすスターリンの膨張主義に対応してソ連を遮断する戦略の必要性を力説した。ハリー・トルーマンが彼の見解を受け入れ、ソ連、中国と協力して北東アジアの平和体制を構築するというルーズベルトの案を破棄し、ソ連と中国を包囲するトルーマン・ドクトリンを宣言した。
 冷戦体制の登場で、日本で連合軍司令部が試みた脱軍国主義民主化改革も中断された。連合軍司令部は戦犯処刑を最小化し、日本軍国主義勢力を復活させ、ソ連に対応する「逆コース」と呼ばれる政策を推進した。日本は戦犯国家ではなく、ソ連と中国の膨張を防ぐ米国のアジアのパートナーに変貌した。
 さらに、日本は1950年の朝鮮戦争で超好景気を享受した。米国が地理的に近い日本で戦争物資を調達したことで、朝鮮戦争の3年間で日本は米国から計25億ドルの収入を上げた。当時日本の首相の吉田茂は、朝鮮戦争を"天の恩恵"と言った。植民地で苦難を負った朝鮮半島は戦争で焦土化されたが、日本は超好景気の戦争特需を得た。
 冷戦体制で、米国は1965年の韓日協定を通じて韓日国交正常化を図り、共産圏に対抗するようにした。朴正煕(パク・チョンヒ)政権は大学生らの大規模な反対デモにもかかわらず、戒厳令を宣布して韓日基本条約を性急に調印した。日本の朝鮮侵略と奪略がちゃんと清算されていない状態から韓日関係が始まったのだ。
 20世紀末、東アジア経済は大きく変わった。1995年から日本が長期不況を置かれる間に、中国は2009年に日本を追い越し、G2国家として急浮上し、韓国も世界11位の経済大国に成長した。現在、国内総生産(GDP)規模は、中国、日本、韓国の順で8:3:1ほどに狭まった。日本の保守勢力には受け入れがたく、また恐ろしくもある現実だ。
 東アジアは電子製品の生産で国際分業体制が最も発達した地域だ。東アジアの企業らは、日本、韓国、シンガポール、中国、マレーシア、ベトナム、タイなど多数の国々の企業で生産された部品を利用して付加価値の高い完成品を作る。グローバル水準でも生産ネットワークが統合されている。政治的目的でこのようなネットワークを遮断することは、韓国だけでなく世界各国企業と消費者に損害を与える市場かく乱行為である。
 東アジアの未来は過去の歴史の結び目を解くことから始めなければならない。欧州とドイツの歴史が示すように、加害国の持続的な謝罪とともに、さまざまな国が共栄や共存の未来を一緒に模索するようになるとき、新しい東アジアを夢見ることができる。