21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

参議院選挙:安倍9条改憲を阻止するために

2019.07.05.

私は、最近ある雑誌に「北東アジア情勢と日本の外交・安全保障政策」と題する文章を寄稿しました。同じ雑誌に2年前にも「「安倍9条改憲」に対抗する安保外交政策」と題する文章を寄稿しました。以下に紹介します。
 今回の参議院選挙においては、安倍首相が積極的に9条改憲を争点にしようとしています。維新の会など改憲支持勢力と併せて改憲発議を可能とする2/3の多数派を確保することが狙いであることは明らかです。
 しかし、21世紀の国際環境特に北東アジア情勢の巨大な変化を踏まえるとき、自民党・安倍政権の9条改憲を目指す動きはまったく許せないものです。そのことを明らかにすることが拙稿の狙いです。なお2年前の「「安倍9条改憲」に対抗する安保外交政策」と題する文章は、2017年9月25日のコラムで掲載してありますので、関心のある方には読んでいただけたら幸いです。

北東アジア情勢と日本の外交・安全保障政策を考える
私は本誌2017年8/9月号において、「「安倍9条改憲」に対抗する安保外交政策」と題する拙文を書いたことがある。その内容は今回与えられたテーマで扱うべき事柄と重複する部分が少なくない。他方でこの2年間に北東アジア情勢に関しては刮目するべき2つの大きな変化が起こった。一つは朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)の金正恩による果敢な外交攻勢とそれによる半島情勢の変化である。今一つは、トランプ・アメリカが習近平・中国に対して仕掛けた「貿易戦争」を契機として顕在化した、21世紀国際関係はどうあるべきかをめぐる2超大国の真っ向からの衝突である。
本稿ではまず、この二つの変化の本質を検討し、そのことが日本の外交・安全保障政策に対していかなる課題を提起しているかを考える基礎とする。その上で、自民党・安倍政権が推進してきた外交・安全保障政策が到底首肯できるものではないこと、さらには21世紀の国際環境のもとにおいて憲法・9条に基づく外交・安全保障政策こそが現実的選択であることを論証したい。
1.金正恩外交と朝鮮半島情勢
 金正恩が政権の座についたとき、朝鮮の内外政は多事多難であり、若い指導者のもとにおかれた朝鮮の前途について多くの専門家が極めて懐疑的だった。そのような見方は金正恩が国際社会の批判・非難に一切取り合わず、核・ミサイル開発に突き進んだことによってますます増幅された。
 私も2016年末までは以上の見方に傾いていた。しかし、2017年の金正恩の「新年の辞」(金正恩は政権についた直後の2013年以来毎年「新年の辞」を出している)に接してから、金正恩・朝鮮の変化の可能性に目を向ける必要性を感じるようになった。私は外務省時代に中国内外政の分析を行うに当たって、人民日報などの公開文献を読み込むことで確かな情勢判断を行うことができるという手応えを得ている(1980年代の中国では今日のように情報はあふれていなかったこともある意味幸いしていたかもしれない)。仕事人生を卒業してからは、中国、朝鮮(ハングルを解さないので朝鮮中央通信・日本語版)、そして最近ではイラン、ロシア(両国については英語版)などのサイトを毎朝チェックして情報収集するのが日課になっている。特に金正恩の「新年の辞」はテーマの取り上げ方(順序まで含めて)が毎年ほぼ同じなので経年比較もしやすい。
 トランプが大統領に当選した直後の2017年の「新年の辞」には、「われわれは、アメリカとその追随勢力の核の脅威と脅迫が続く限り、また、われわれの門前で「定例」のベールをかぶった戦争演習騒動をやめない限り、核武力を中枢とする自衛的国防力と先制攻撃能力を引き続き強化していく」という一文がはじめて現れた。私は、アメリカの対朝鮮敵視政策が変われば、朝鮮の核・ミサイル開発戦略を見直す用意があることを示唆した重要なメッセージではないかと直感した。7月4日のICBM発射実験に成功した際の朝鮮国防科学院発表の報道の中では、金正恩が「米国の対朝鮮敵視政策と核威嚇が根源的に一掃されない限り、われわれはいかなる場合にも核と弾道ロケットを協商のテーブルに置かないし、われわれが選択した核戦力強化の道からたった一寸も退かない」と発言し、再び二重否定の表現で「新年の辞」以上に踏み込んで、核ミサイルを「協商のテーブル」に置く用意があることを示唆した。つまり、アメリカの対朝鮮敵視政策終了と引き換えに核・ミサイルを放棄する用意があるという意思表示と読むことが可能である(2017年の年間を通じた朝鮮側公式発言の詳細については、私のウェブ・サイト「21世紀の日本と国際社会」同年12月23日付コラム(以下「コラム」)参照)。
 2018年の「新年の辞」は、核・ミサイル(ICBM)開発成功(対米核デタランスの確立)を背景とした金正恩の果敢な外交攻勢の開始を告げるものだった(2018年1月7日付コラム参照)。その後の2度の南北首脳会談そして6月12日の米朝首脳会談に至る、目を見張る事態の展開は公知の事柄なので省略する。
 果敢な金正恩外交について忘れてはならないのは、冷え切っていた中朝関係を金正恩が劇的に転換させたことだ。3月の最初の「電撃的」訪中(金正恩自身の表現)を皮切りに、金正恩は1年で4回も訪中し(首脳外交は通例相互訪問の形をとるが、金正恩は一切形式にこだわらない)、中朝関係史上でも特筆大書する価値がある習近平・中国との最高首脳レバルでの相互信頼関係を確立した。
 最高首脳レベルでの相互信頼関係に関しては、金正恩とトランプとの間でもかなり機能していると言える。それが劇的に示されたのは、G20大阪サミット後に訪韓するトランプが金正恩に板門店で会いたいとツイートし、実現したことだ(ちなみに、7月2日の中国外交部ウェブ・サイトは王毅外交部長の朝鮮半島に関する発言を紹介しているが、その中で王毅は、G20大阪サミットでの米中首脳会談で、習近平がトランプに対して「アメリカが融通を利かすよう促した」(中国語:「推動美方顕示霊活」)と発言したと異例の言及を行い、この発言がトランプの「ツイート外交」につながった可能性を示唆した)。トランプは「ハロー」と言葉を交わすだけでもいいという姿勢で臨んだが、結果的には50分に及ぶ実質的会談が行われ、2月のハノイ・サミットの不首尾そしてその後の膠着を打開するための実務レベルでの交渉再開が合意された。トップ・ダウンで外交を進めるというのは、金正恩外交の著しい特徴と言えるだろう。
 もう一つ見届けておく必要があるのは、習近平・中国が金正恩外交の要諦を認識し、これを全面的に支持する姿勢を明確にしたことだ。金正恩外交の要諦とは、①対米交渉上の切り札としての核・ミサイル(ICBM)開発完成(対米核デタランスの確立)までは国際社会の批判・非難を馬耳東風と受け流す、②いったん核・ミサイル開発(対米核デタランスの確立)が一段落した上は、それを切り札に積極的外交攻勢に打って出る、③その最終目標はアメリカ(米日韓)の朝鮮敵視政策の終了(朝鮮にとっての安定した安全保障環境の確立)であり、その対価としての核・ミサイル放棄応諾、そして④核・経済建設の「並進路線」から本格的な経済建設路線への転換(2019年「新年の辞」)だ。
 習近平・中国は、金正恩・朝鮮が最終的に核・ミサイルを放棄する用意があることを確信した。そのため、金正恩・朝鮮を全面的に支持する政策を打ち出すこととなったのだ。
 いわゆる西側諸国においては、金正恩・朝鮮が核・ミサイルを放棄するはずがないという見方は極めて根強い。それは、伝統的なパワー・ポリティックス的国際情勢認識に凝り固まった目で金正恩・朝鮮を判断することにしがみつき、以上の金正恩外交の要諦を正確に認識することができないからだ。
 日本、特に自民党・安倍政権も例外ではない。しかし、パワー・ポリティックスは20世紀までの国際政治の歴史的遺産であり、21世紀の国際環境のもとでは淘汰されるべき運命にある。この点を考えるために、米中貿易戦争に端を発する米中確執とその根本問題の所在を考えることとする。
2.米中確執と北東アジア情勢
 「アメリカ第一主義」を掲げるトランプは大統領就任後、露骨な保護主義政策を打ち出した。その最大の標的はアメリカの貿易不均衡の最大の原因である中国であり、2018年7月に中国製品に対する追加関税措置を発動、中国も対抗措置をとり、その後エスカレートしていわゆる米中貿易戦争に発展した。
 中国は当初、トランプ政権の目的が対中貿易不均衡の解消にあると受け止め、交渉による問題解決を目指した。しかしその後、ペンス副大統領、ポンペイオ国務長官をはじめとする政権高官が激越な反中発言を繰り返し行うようになり、次世代移動通信システム・5Gで世界をリードする中国企業・華為(フア・ウェイ)を世界市場から閉め出す政策を打ち出すなど、アメリカの中国に対する攻撃は貿易問題に留まらないことが明らかになってきた。トランプ政権はすでに2017年12月に発表した国家安全保障戦略の中で、ロシアと並んで中国をアメリカに対する最大の脅威と見なす認識を表明している。米中貿易戦争がエスカレートする中で、中国は次第にトランプ・アメリカの対中政策そのものについて深刻な問題意識を持つことを迫られた。
習近平は6月18日、トランプの求めに応じて電話会談を行ったが、その中で、G20大阪サミットの機会に「中米関係発展にかかわる根本問題について意見を交換したい」と述べた。この発言は米中関係史上において極めて異例である。「根本問題」とは何か。それは単に米中関係の今後のあり方ということに留まらず、21世紀世界のあり方そのものをどのように認識し、米中関係をその中でどのように位置づけ、米中両国がどのようにかかわっていくのかという問題提起である。
実は習近平は、米中貿易摩擦が顕在化しつつあった2018年6月に早くも中共中央外事工作会議で「過去100年間でかつてなかった大変化の局面」という提起を行い、中国がおかれた国際環境を総括し、大国・中国の外交が目指すべき方向性を明らかにしていた。その内容について詳述する紙幅はないので、要点だけを紹介する(2018年7月7月8日付コラム参照)。
その最大の特徴は、21世紀国際社会における中国は、ゼロ・サムのパワー・ポリティックス(権力政治)を排し、ウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックスを志向することにあると言える。具体的には、今や名実ともに大国になった中国が、相変わらずパワー・ポリティックスに固執するアメリカに対して、「世界平和を擁護し、協同発展を促進することを旨とし、人類運命共同体構築を推進する」という脱パワー・ポリティックスの思想を対置する。そして中国は、「一帯一路」建設推進、合作共贏(共嬴とはウィン・ウィンの中国語表現)、グローバル・パートナーシップ、グローバル・ガヴァナンス・システム改革等を通じて21世紀にふさわしい国際関係の構築を目指すとした。
ここで断っておきたいことがある。それは「大国」という言葉についての日本国内の独特の受け止め方と国際的な客観的定義・理解(中国はこの定義・理解を共有する)との違いについてである。
日本国内の理解では、「大国」は往々にして「大国主義」と同義であり、批判的な含意を伴う。したがって、習近平・中国が「大国・中国」と公言すると、「中国は大国主義を志向している」、さらには「中国はアメリカと覇権を争おうとしている」という批判・反発が起こるのだ。
しかし、国際政治における「大国」に関する定義・理解は違う。すなわち、世界政府のような国際関係を規律する中心的組織がない国際社会(国際政治のイギリス学派の泰斗であるヘッドレー・ブルがいう「無政府的な社会」(anarchical society))において、大国は国際関係を規律する上で中小国では担えない特別の責任・役割を負っていると認識されている。
確かに、大国は往々にして私利私欲に走り、中小国の権利・利益を踏みにじることがある。特にゼロ・サムのパワー・ポリティックスが自己主張するとき、国際関係は乱れる。今のトランプ・アメリカはその最たるものだ。
しかし、総じて見る場合、パワー・ポリティックスの支配を前提にした上でも、大国が国際ルール(国際法)を率先して遵守し、範を示すことによって国際関係は規律が保たれ、国際の平和と安定を維持することができると広く認識されてきた。19世紀において、ナポレオン戦争後に成立したウィーン体制(欧州協調システム)、20世紀においては国際連盟及び国際連合における大国主導システムがそれに当たる。
これに対して習近平・中国は、グローバル化を最大の特徴とし、世界経済の融合が不可逆的に進行しつつある21世紀国際社会においては、もはやこれまでのゼロ・サムのパワー・ポリティックスの発想は卒業するべきであり、国際社会はウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックスを志向しなければならないという基本判断に立つ。そして前述したとおり、大国・中国はウィン・ウィン(「共存共嬴」)の原則に立った国際関係を構築する役割を担うというのだ。
 今日の時点で習近平の2018年時点での提起に関する中国側のその後の諸文献を読み返すとき、この1年間の中米関係はおおむね習近平の当時の提起に即した形で展開してきたことが確認される。そうであるからこそ習近平はトランプに対して「中米関係発展にかかわる根本問題について意見を交換したい」と発言したことが理解されるのだ。特に環球時報(人民日報系列紙)社説は具体的に次の諸点を指摘した。
「アメリカは最終的に中国に対して何をしたいのか。公平な貿易をしたいのか、それとも中国の発展自体が受け入れられず、中国経済を打ち壊すことが最終目標なのか。」
「中国の対米政策は明確であり、複雑化させる意図はみじんもない。中国にはアメリカに挑戦する戦略的意図はなく、…ゼロ・サムの拡張主義で自国の利益を拡張することはできないと本気で考えているし、…世界覇権を争う意図も能力もなく、…中国外交の第一原則は誰とも仲良くということだ。」
「(中国が完全に受け身であるのに対して、アメリカはますます中国に敵対的になっており、これに批判的な世論もアメリカ社会に現れていないことを指摘した上で)アメリカの政府と主な政治勢力は全面的かつ戦略的に中国をやっつける(アメリカ国内の)動きを放任し、それを煽ろうとしているのか。」
(以上、5月27日付社説)
 「中米が互いを如何に認識し、21世紀の両国関係を如何に定義するのか…。グローバル化が導いた「冷戦」時代とは異なる世界経済の融合のもとでは、(米中)「新冷戦」(というアメリカではやりの考え方)は衝動に駆られた発想に過ぎず、長期的戦略にはなり得ない。」
 「仮にアメリカが「中国打倒」を目指すならば、中国も戦略的に対抗する以外になく、そうなれば、21世紀は波乱に満ちた、悲劇的な世紀になるだろう。」
(以上、6月10日付社説)
 アメリカが中国打倒を目指すのであれば、中国も戦略的に対抗せざるを得ず、21世紀は悲劇的世紀になるだろうというという指摘は重要だ。つまり、アメリカがあくまでもパワー・ポリティックスを追求し、ゼロ・サムの発想で中国に対して「勝つか負けるか」の勝負を挑んでくるならば、中国としては自らの主権を守るために対抗せざるを得なくなる。それは結果的に、米ソ冷戦に類する、誰をも利さない米中「新冷戦」を引き起こすだけであるという警告であるからだ。
3.日本の安全保障政策のあるべき姿を問う
 以上に概述した金正恩・朝鮮及び習近平・中国の外交政策から、私たちが日本の外交・安全保障政策にかかわって読み取る必要があるのは以下の諸点である。
 第一に、自民党・安倍政権の外交・安全保障政策は「北朝鮮脅威論」と「中国脅威論」を大前提とすることで成り立っているが、この大前提がそもそも間違っているということである。
 第二に、自民党・安倍政権の外交・安全保障政策は「日米同盟堅持」を中核に据えているが、21世紀国際環境のもとで根本的に再検討する必要があるということである。
 第三に、各種世論調査結果に示されるとおり、今や優に過半数を超える国民が自民党・安倍政権の「日米同盟」堅持の外交・安全保障政策を支持し、その前提である「北朝鮮脅威論」「中国脅威論」を受け入れている(そういう民意を「忖度」する野党勢力の多くも同調してしまっている)が、それは正しい民意のあり方ではないということである。
 私は冒頭に紹介した本誌掲載の拙文において次のように問題提起した。長くなるが、以上の三点を確認する上で今も有意だと考えるので、引用させてもらう。
「日本の安保外交政策のあり方を考える上での大前提は、日本がいかなる国際的な安全保障環境のもとにあるかを正確に認識することである。このことはイロハのイに属することだが、悲しいことに、敗戦後の日本はアメリカの圧倒的影響力のもとにおかれて独立思考が奪われてしまい、アメリカのプリズムを通して物事を見るクセが付いてしまった。この弊害は保守勢力に著しいが、今日では私たちの思考をも支配するようになってしまった。
私たちが21世紀における日本の安保外交政策のあり方を真剣に考えようとするのであれば、以上の惰性的思考を断ち切り、実事求是で21世紀の安全保障環境を考え、認識しなければならない。21世紀の安全保障環境の特徴を踏まえるためのアプローチとしては、20世紀までの安全保障環境を踏まえた上で、それとの対比で21世紀のそれを把握することがもっとも有意である。」
 その上で私は、20世紀の国際安全保障を支配したのは「国際政治はパワー・ポリティックス(権力政治)である」とする考え方だったが、21世紀に入ってからは、「国際相互依存の不可逆的進行、地球的規模の諸問題の圧力の増大、普遍的価値(尊厳・デモクラシー)の国際的確立」という3つの要素によって根本的な変化が進行し、その結果、「21世紀の安全保障環境の最大の特徴は脱パワー・ポリティックス(脱権力政治ということ)だ」と指摘した。
 私は2年前の以上の指摘は今日でも妥当すると考える。それだけではない。1.及び2.で紹介した、2018年以後の金正恩・朝鮮及び習近平・中国の外交政策は私の以上の指摘の正しさを有力に支持するものだ。
 この判断に対してありうる反論を検討しておこう。一つは、核デタランスを切り札にして対米交渉に臨む金正恩・朝鮮の外交政策はパワー・ポリティックスの論理そのものではないかというもの。今一つは、習近平・中国の外交政策を鵜呑みにすることができるのかとする疑問だ。
 前者に関しては、金正恩・朝鮮がパワー・ポリティックスの論理に立っていることはそのとおりである。しかし、私たちはそこで思考停止しては事柄の本質を捉えたことにはならない。すなわち、金正恩・朝鮮は、アメリカが朝鮮敵視政策を終了すれば核・ミサイルを放棄する用意がある、と明らかにした点こそが重要だ。
 つまり、朝鮮の安全保障環境を保障し、担保する国際的・法的枠組み(具体的には、停戦協定の平和協定への転換、米朝・日朝・南北の関係改善、朝鮮半島非核化、並びに半島の平和と安全を保障する多国間取り決め及びその国連安全保障理事会決定による法的担保等が考えられる)ができることと引き換えに、朝鮮は自らの非核化を受け入れると約束している。簡単に言えば、信頼できる国際的保障・枠組みのもとでの脱パワー・ポリティックスに思想的にあらかじめコミットしているということに最重要ポイントがある。
 習近平・中国の外交政策を鵜呑みにすることができるのかとする見方は、特に米日韓三国で根強い(紙幅の関係で韓国の問題は取り上げない)。
パワー・ポリティックスの総本山ともいうべきアメリカに関しては、私も正直に言って即効薬は思い浮かばない。しかし間違いなく言えることは、多極化の進行を背景に、アメリカの実力は相対的に確実に低下しているし、その傾向は今後も進行し続け、アメリカもいずれかつてのイギリスのように自らの国際的地位を再定義することを迫られるということだ(私は、トランプの「アメリカ第一主義」はアメリカが自らを再定義する長い歴史の始まりだと捉えている)。パワー・ポリティックスから脱パワー・ポリティックスへという歴史の不可逆的な流れにはアメリカといえども対抗することはできないはずだ。
 ちなみに、アメリカの世界的覇権を支えてきたのは圧倒的軍事力・同盟網と世界通貨・ドル(SWIFT支配による金融制裁メカニズム)である。しかし、その双方についてかつての神通力が失われつつあるし、特にトランプ政権の政策はそのプロセスを加速させている。例えば軍事では、トランプ政権自らが地域的な軍事コミットメント縮小、金銭感覚に基づく同盟軽視を強めている。またトランプ政権は金融制裁を乱発しているが、そのことはかえってドルを迂回する決済メカニズム採用への国際的な動きを本格化させている。
 日本に関してはアメリカ以上に複雑な問題を抱えている。パワー・ポリティックスの発想は自民党・安倍政権のみならず、広く国民的に共有されている(「北朝鮮脅威論」「中国脅威論」を安易に受け入れる国民意識)。それにもまして、日中関係の歴史は複雑であり、このことが日本人の対中認識をいびつなものにしている(2015年10月23日付コラム及び前掲本誌拙文参照)。
 私がここで強調したいのは、習近平・中国が強調する「グローバル化を最大の特徴とし、世界経済の融合が不可逆的に進行しつつある21世紀国際社会においては、もはやこれまでのゼロ・サムのパワー・ポリティックスの発想は卒業するべきであり、国際社会はウィン・ウィンの脱パワー・ポリティックスを志向しなければならないという基本判断」は客観的に正しいということだ。そして、「大国・中国はウィン・ウィン(「共存共嬴」)の原則に立った国際関係を構築する役割を担う」という「大国としての役割」に関する自覚(責任意識)は、評価する価値こそあれ、批判・非難するいわれはないということだ。
 私はかねてから、日本はまがうことなき大国であり、国際社会において大国としての役割を果たす責任があることを論じてきた(『大国日本の選択』-労働旬報社(1995年)-)。その日本は平和憲法・9条を有し、21世紀の国際環境のもとで脱パワー・ポリティックスの平和外交を積極的に展開する格好の条件を持っている(前掲本誌拙文)。私の以上の立場・所見からすると、習近平・中国の外交政策は日本がとるべき外交・安全保障政策と、目指す方向性において変わるところはない。
 私は本誌拙文で書いた次のくだりを繰り返す。「憲法・9条に基づく安保外交政策を行う日本が21世紀の安全保障環境に立脚した国際関係のあり方を提唱する中国と共同すれば、アメリカは権力政治の世界戦略を見直すほかなくなるだろう。かくして、21世紀の世界は権力政治から脱権力政治へと根本的に変化するだろう。」
 「いろいろ問題はあるかもしれないが、やはり最終的に安心できるのはアメリカだ」、「いくらきれいごとを言っても、やはり中国は信用できない」という先入主にあぐらをかいて思考停止を続けるのではなく、日本国の主権者として、平和大国・日本の舵取りをするのは我々自身だという責任感を備えたい。そして、平和憲法・9条を持つことに誇りを持ち、確かな国際認識を備え、脱パワー・ポリティックスの国際秩序作りに日本を積極的にかかわらせていくのだという気概を持ちたいものだ。その責任感と気概を我がものとする国民が過半数を占めれば、日本を変えることができ、そうすることによってまた世界も変えることができるのである。