21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

朝鮮外務省スポークスマン談話と米朝交渉

2019.06.08.

朝鮮外務省スポークスマンは6月4日、アメリカ・トランプ政権に対して談話を発表しました。朝鮮中央通信は「朝鮮外務省代弁人、米国が敵視政策に執着し続けるなら、朝米共同声明の運命は約束されない」というタイトルで紹介しましたが、談話はむしろ、シンガポール・サミット(第1回米朝首脳会談)朝米共同声明発出1周年(6月12日)を前に、トランプ政権に対して米朝交渉再起動に向けた行動を促すものです。談話は以下のように述べています。

朝鮮民主主義人民共和国政府はこの1年間、6・12朝米共同声明で宣明された新しい朝米関係を樹立して朝鮮半島での恒久的かつ強固な平和体制を構築し、朝鮮半島の非核化を実現するために絶え間ない努力を傾注してきたし、戦略的決断を求める実践的措置を主動的に取ったことをはじめ、できる限りの努力を尽くした。
しかし、残念ながら米国はこの1年間、朝米共同声明の履行に意図的に顔を背け、われわれの一方的な核放棄だけを固執してわれわれを力で圧殺しようとする企図をより露骨にさらけ出した。
全世界の大きな関心と期待の中で、ベトナムのハノイで行われた第2回朝米首脳会談で米国は「先核放棄」の主張を固執して千載一遇の機会を逃がす最大の失策を犯したし、これは朝米対話の展望に暗い影を落とした。
米国が朝米共同声明を履行しようとする真摯な姿勢と誠実な態度を持って問題の解決に少しでも役に立つことをしたなら、朝鮮半島の非核化問題もかなり前進したはずであろう。
朝鮮民主主義人民共和国国務委員会の委員長同志は歴史的な施政演説で、朝米間に根深い敵対感が存在している状況で6・12朝米共同声明を履行していくには、双方が互いの一方的な要求条件を棄てて各自の利害関係に合致する建設的な解決法を探さなければならず、そのためにはまず、米国が現在の計算法を捨てて新しい計算法をもってわれわれに接近するのが必要であると述べた。
6・12朝米共同声明は、世界と人類に対して朝米両国がした公約であり、双方が共同で責任を持つべき課題である。
朝米間の初の首脳会談で両国首脳が直接サインした6・12朝米共同声明を大事にし、今後もその履行に忠実であろうとするわれわれの立場と意志には変わりがない。
しかし、対話の一方である米国が自国の義務を捨て、あくまで対朝鮮敵視政策に執着し続けるなら、6・12朝米共同声明の運命は約束されない。
今や、米国がわれわれの公明正大な立場にどのように応えるかによって、6・12朝米共同声明が生かされるか、でなければ反故になるかという問題が決定されるであろう。
歴史的な6・12朝米共同声明発表1周年に際して米国は当然、この1年間を振り返らなければならないし、もっと遅れる前にどれが正しい戦略的選択になるのかを熟考しなければならない。
米国は現在の計算法を変えて、一日も早くわれわれの要求に肯定的に応える方がよかろう。
われわれの忍耐心にも、限界がある。
 私が注目したのは、金正恩が4月12日の施政演説で述べた「双方が互いの一方的な要求条件を棄てて各自の利害関係に合致する建設的な解決法を探さなければならず、そのためにはまず、米国が現在の計算法を捨てて新しい計算法をもってわれわれに接近するのが必要である」という部分を再確認していることです。この発言には二つの含意が込められていると思います。一つはトランプが提起した「ビッグ・ディール」には朝鮮が応じることはあり得ないこと(「米国が現在の計算法を捨てて新しい計算法をもってわれわれに接近するのが必要」)、もう一つそしてさらに重要なことは、朝鮮としても5つの安保理制裁決議の撤廃という要求について弾力的に臨む用意があることを示唆していること(「双方が互いの一方的な要求条件を棄てて各自の利害関係に合致する建設的な解決法(を探す必要がある)」)です。
ハノイで開催された第2回朝米首脳会談は具体的成果がないまま終了した直接の原因は、寧辺核実験場廃棄の見返りに5つの安保理制裁決議の撤廃・終了を要求した朝鮮に対して、アメリカが突如「ビッグ・ディール」を持ち出したことにあるのは公知の事実です。朝鮮は自らの提案が民生にかかわる限定的要求 (軍事的中身は含まれない) としたのですが、アメリカは5つの決議の中身は朝鮮に対する制裁のハード・コアの部分であり、朝鮮の要求は実質的に「制裁全面撤廃」要求に等しいと見なしたわけです。商売人的発想のトランプの直感は「朝鮮がそこまで要求するならば、ビッグ・ディールにも応じる用意があるのではないか」と読んだ可能性があります。相手の思惑に対する相互の読み違いの結果、交渉は不調に終わりました。
 ところで、膠着した朝米交渉を打開する可能性は大きく言って二つあると思います。一つは、朝米が互いの「読み違い」の原因を踏まえて要求内容を調整して歩み寄ること(以下「前者」)です。今一つは、「読み違い」を生んだそもそもの原因を踏まえ、「読み違い」が起こらないように軌道修正を試みることです。具体的には、第1回首脳会談で合意された「段階別、同時行動原則」に基づき、最終目標(朝鮮半島の非核化と半島の平和と安定の実現)に至る行程表(グランド・デザイン)を作る原点に戻ること(以下「後者」)です。
 前者に関しては、朝鮮がすでに提起している寧辺核施設廃棄に対してアメリカが対応措置としてとるべき措置について朝米が改めて合意点を探ること(例えばですが、制裁決議5つからいくつかを選び出すこと、あるいは、制裁堅持のアメリカの立場がかたいのであれば、開城工業団地再開、金剛山観光事業再開、南北鉄道道路連結事業など、南北間の合意で実施できるものを見合い措置とすること)が考えられます。しかし、このアプローチの大きな難点は、今後も相互の「読み違い」によって交渉が行き詰まるという同じことの繰り返しは避けがたいということです。
 金正恩の4月12日の施政演説を注意深く読めば、金正恩は以上の2つの可能性のいずれにも応じる用意があることを示唆していることが分かります。すなわち、「互いの一方的な要求条件を取り下げ、各自の利害に合致した建設的な解決法」を見いだす必要に言及したのは前者に、また、「アメリカが正しい姿勢でわれわれと共有できる方法論を見いだした上で第3回朝米首脳会談の開催を提起するなら、われわれとしてももう一度は会談を行う用意」があると述べたのは後者に対応するのです。
 朝鮮外務省スポークスマンの6月4日の談話は明らかに前者の可能性を前提としていると判断されます。しかし私は、金正恩は後者の可能性にも含みを持たせていると考えます。そのことを示唆するのは、金正恩が施政演説の最後で「朝鮮半島に恒久的で揺るぎない平和体制を構築するために、世界のすべての平和愛好勢力としっかり手を携えていく」という発言を行っていることです。
 金正恩は昨年対米交渉に臨む重要な節目ごとに訪中し、習近平との間で揺るぎない朝中信頼関係を築きました。また、本年4月25日にはウラジオストックでプーチンと会談し、朝鮮半島問題解決に対するロシアの全面的支持を確保しました。そして中国とロシアは夙に後者を提案しているのです(2017年の中ロ外相共同声明)。
 金正恩としては、前者の可能性(「今年の末までは忍耐強くアメリカの勇断を待つ」)を残す(朝鮮半島問題解決に前向きなトランプが政権にある間に交渉をまとめ上げるというメリットは捨てがたい)とともに、今後は中ロ両国の支持を背景にして後者による問題解決の可能性も追求する(トランプにすべてを賭けることのリスクも大きい)という、いわば二段構えで対米交渉に臨もうとしているのではないかと思います。