21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

習近平「中国の特色ある社会主義論」

2019.04.07.

4月1日出版の中国共産党理論誌『求是』は習近平が2013年1月5日に新しく中国共産党の中央委員及び候補委員になった党員を対象とした18回党大会精神研修班で行った講話の一部分を「中国の特色ある社会主義を堅持し、発展させるいくつかの問題について」と題して発表しました(3月31日付新華社)。この中で習近平は、「思想解放、実事求是、与時倶進がマルクス主義の魂であり、新しい情勢に適応し、新事物を認識し、新任務を完成するための根本的な思想上の武器である」と彼自身のマルクス主義の本質に関する認識を述べています。
この文章は習近平の以上の認識に立って、「第一、中国の特色ある社会主義は社会主義であって他の何とか主義ではなく、科学的社会主義の基本原則は捨てることはできず、捨てればすなわち社会主義ではなくなる」(思想解放)、「第二、我が党が人民を領導して行う社会主義建設には改革開放前と改革開放後の2つの歴史的時期がある。この時期は互いに連係しているとともに重大な区別がある二つの時期であるが、本質はともに我が党が人民を領導して進めてきた社会主義建設の実践及び探索である」(実事求是)、「第三、マルクス主義は時代、実践そして科学の発展に従って不断に発展しなければならず、固まってしまってはならないのであって、社会主義たるもの従来から開拓の中で前進するものである」(与時倶進)、以上3点について論じます。その上で「第四、我が党は一貫して共産主義の遠大な理想を堅持し、共産党員特に領導幹部は共産主義の遠大な理想及び中国の特色ある社会主義という共同の理想の確固たる信奉者及び忠実な実践者となるべきである」として、「マルクス・エンゲルスの資本主義社会の基本矛盾に関する分析は時代遅れではなく、資本主義は必然的に消滅し、社会主義は必然的に勝利するという歴史的唯物論の観点も時代遅れではない。これは社会の歴史的発展の不可逆な総体的趨勢である、しかしその道は曲折がある。資本主義の最終的消滅、社会主義の最終的勝利は必然的に非常な長い歴史プロセスである」ことを強調しています。習近平の「社会主義論」を理解する上ではとても有益です。
 私にとって印象的なことは、習近平の中国的社会主義に対する確信は、1840年代以後の様々な思想・主張に基づく試みは中国を救うことができず、唯一中国共産党の実践のみが中国を救うことができたという歴史的事実に対する自信と、旧ソ連崩壊及びその後の非西側諸国における西側モデルに従った試みがすべて挫折しているという判断とに立脚しているということです。2013年1月に行われたこの講話の時点ではまだ顕在化していませんでしたが、近年では、アメリカにおける「トランプ現象」、イギリスにおけるEU脱退問題をめぐる議会制デモクラシーの機能マヒ、欧州大陸諸国における選挙(民意反映メカニズムとして米欧が中東諸国(アラブの春)、旧ソ連邦諸国(カラー革命)に押しつけたもの)を通じた右翼勢力の台頭等々、欧米デモクラシーそのものが様々な挑戦に見舞われています。習近平・中国はますます自らの政治システムに自信を深めているのです。
 習近平・中国は政治の民主化に対する取り組みが影を潜めている(人権派の弁護士たちに対する締め付け・取り締まりが強まっている)という批判的見方が日本を含む西側諸国では相変わらず主流です。しかし、追々紹介していくつもりですが、習近平は「中国的民主」の思想・制度・実践に対して自信を持って論じており、「中国の特色ある社会主義」と同じく「中国の特色ある民主」を進めているのです。私は常々、デモクラシーは普遍的価値である、しかし、その具体的あり方(制度・実践)は国によって異なる(デモクラシーはいろいろな顔を持つ)と考えており、いわゆる「西側のモノサシ」を機械的に適用して「中国的民主」はデモクラシーではないと論難する前に、「中国的民主」を「内側から理解する」他者感覚が求められると思います。
 大要を翻訳して紹介するゆえんです。
 ちなみに、4月1日付の人民日報は、習近平のこの講話の中での重要ポイントとして以下の9点を挙げています。2013年に行われたこの講話を雑誌『求是』が掲載した国内的含意が奈辺にあるかを理解する手がかりになりそうです。
-中国の特色ある社会主義は社会主義であって何か他の主義ではないこと
-「中国崩壊論」は途絶えたことがないが、中国の総合国力は日増しに高まっていること
-中国が現在やっているのは「資本社会主義」だという主張は完全に間違っていること
-我々は道(社会主義)、理論、制度に自信を持つべきであること
-ソ連という巨大な社会主義国家が空中分解したことは前轍であること
-前途にはなおはっきり分かっていない問題及び解決が待たれる難題が多くあること
-簡単に共産主義に入ることができると考えるのは実際的ではないこと
-党員幹部が共産主義の遠大な理想を持っているか否かについては客観的モノサシがあること
-一部のものが共産主義は望んでも及ばないものだと考えていることは世界観の問題に関わっていること

「第一、中国の特色ある社会主義は社会主義であって他の何とか主義ではなく、科学的社会主義の基本原則は捨てることはできず、捨てれば則ち社会主義ではなくなる。」
 一つの国家がいかなる主義を実行するか、そのカギはその主義が当該国家の直面する歴史的課題を解決できるか否かを見るべきである。(1840年代以後の様々な模索がすべて失敗したことを指摘した上で)マルクス・レーニン主義、毛沢東思想が中国人民を導いて新中国を成立し、中国の特色ある社会主義が中国を急速に発展させてきたのだ。歴史と現実は、社会主義のみが中国を救うことができ、中国の特色ある社会主義のみが中国を発展させることができるということが歴史的結論であり、人民の選択であるということを語っている。
 近年、国内外で様々な議論が行われている。中国が現在行っているのはそもそも社会主義かという疑問だ。「資本社会主義」というものもいれば、バッサリと「国家資本主義」、新官僚資本主義」というものもいる。これらは完全に間違っている。中国の特色ある社会主義は社会主義である。どのように改革し、開放するにせよ、我々は終始変わらず中国の特色ある社会主義の道、理論体系、社会主義制度を堅持し、18回党大会が提起した中国の特色ある社会主義の新たな勝利を勝ち取るための基本的要求を堅持するのだ。この中には次のことが含まれる。中国共産党の領導のもと、基本的国情に立脚し、経済建設を中心とし、4つの基本原則、改革開放を堅持し、社会的生産力を解放し、発展させ、社会主義市場経済、社会主義民主政治、社会主義先進文化、社会主義和諧社会、社会主義生態文明を建設し、人の全面的発展を促進し、人民全体の共同富裕を段階的に実現し、豊かで強力な民主的文明と和諧的社会主義現代化国家を建設すること。人民代表大会制度という根本的政治制度、中国共産党が領導する多党協力の政治協商制度、民族地域自治制度及び基層人民自治制度等の基本的政治制度、中国の特色ある社会主義法律体系、公有制を主体とし、様々な所有形態が共同発展する基本的経済制度を堅持すること。これらすべては新たな歴史的条件の下で科学的社会主義を体現する基本原則的内容であり、これらを捨て去ったならば、社会主義ではなくなる。
 鄧小平同志はかつて次のように指摘した。「我が国の現代化建設は中国の実際から出発しなければならない。革命にせよ建設にせよ、外国の経験を学び、参考にするように留意するべきだ。しかし、他国の経験、モデルをコピーして導入しても成功する試しはない。この点で我々は少なからぬ教訓を得ている。」過去において全面的にソ連化することはできなかったように、現在も全面的に西側化あるいは何々化することはできない。冷戦終結後、少なからぬ途上諸国が西側モデルを受け入れることを迫られたが、その結果、争いが巻き起こり、社会は乱れ、人々は居場所を失い、今日に至るも安定することができないでいる。(荘子の言葉を引いて)「邯鄲の歩み.他人のまねをして自分本来のものまで失うことがあってはならない」。
「第二、我が党が人民を領導して行う社会主義建設には改革開放前と改革開放後の2つの歴史的時期がある。この時期は互いに連係しているとともに重大な区別がある二つの時期であるが、本質はともに我が党が人民を領導して進めてきた社会主義建設の実践及び探索である。」
 中国の特色ある社会主義は改革開放という歴史的新時期に切り開いたものであるが、新中国が社会主義という基本制度を樹立し、20年以上にわたって建設したという基礎の上に切り開いたものでもある。この問題を正確に認識する上では以下の3点を把握する必要がある。
第一、仮に1978年に我が党が改革開放を実行することを決然と決定し、確固として改革開放を推進し、確固として改革開放の正確な方向を把握するということがなかったならば、社会主義中国は今日のこのような素晴らしい局面はあり得ず、深刻な危機に直面し、ソ連や東欧諸国のような党及び国家の滅亡という危機に遭遇していた可能性がある。同時に、1949年に新中国を創立し、社会主義革命及び建設を進めて、重要な思想、物質、制度にわたる条件を蓄積し、正反両面の経験を蓄積していなかったならば、改革開放を順調に推進することもまた極めて困難だった。
 第二、この二つの歴史的時期は社会主義建設を進める上での思想指導、方針政策、実際工作において大きな違いがあるが、両者は決して互いに切り離されたものではなく、ましてや根本的に対立するというものでもない。我が党は社会主義建設の実践の中で多くの正しい主張を提起したが、当時は真の意味では実行されず、改革開放後になって真の意味で貫徹されることになったのであり、将来においても堅持し、発展させる必要がある。マルクスは早くにこう言っている。「人類は自らの歴史を創造する。しかし、思いの向くままに創造するのではなく、自らが選んだ条件の下で創造するのでもない。そうではなく、遭遇した、既定の、過去から承継した条件の下で創造するのである。」
 第三、改革開放前の歴史的時期に関しては正しく評価するべきである。改革開放後の歴史的時期に基づいて改革開放前の歴史的時期を否定することはいけないし、改革開放前の歴史的時期に基づいて改革開放後の歴史的時期を否定することもあってはならない。改革開放前の社会主義の実践及び探索は改革開放後の社会主義の実践及び探索のために条件を蓄積したのであり、改革開放後の社会主義の実践及び探索は前の時期の堅持、改革、発展である。改革開放前の社会主義の実践及び探索に対しては、実事求是の思想路線を堅持し、主流と支流とを明確に区別し、真理を堅持し、誤りを正し、経験を発揚し、教訓をくみ取り、その基礎の上で党及び人民の事業を引き続き前進するように推進するべきである。
 私がこの問題を強調する理由は、この重大な政治問題の処理を誤ると深刻な政治的結果を生み出すからだ。古の人は「滅人之国,必先去其史」(浅井注:国家の滅亡を導くものは過去の歴史を忘れ、その精神と意思を破壊することにある、とした龔自珍《定庵続鈎沈集》)と言った。国内外の敵対勢力はしばしば中国革命史、新中国の歴史を持ち出して、力の限り攻撃、中傷、悪口を行うが、その根本的な目的は人心をかき乱し、中国共産党の領導及び我が国社会主義制度をひっくり返すことを扇動するということだ。ソ連はなぜ解体したのか。ソ連共産党はなぜ崩壊したのか。一つの重要な原因はイデオロギー分野での闘争が極めて激烈で、ソ連の歴史、ソ連共産党の歴史を全面的に否定し、レーニンを否定し、スターリンを否定し、歴史的ニヒリズムに陥り、思想が乱れ、各レベルの党組織がほとんど機能を果たさなくなり、軍隊も党の領導のもとにはなくなったからだ。最後には、ソ連共産党という巨大な党がバラバラになり、ソ連という巨大な社会主義国家が空中分解した。これは正に前轍である。(毛沢東思想の評価に関する鄧小平の発言を引用してから)考えてみよ。当時仮に毛沢東同志を全面否定していたら、我が党は立っていられただろうか。我が国の社会主義制度は立っていられただろうか。立っていられなかったし、立っていられずに天下大乱となったことだろう。したがって、改革開放前後の社会主義の実践及び探索の歴史を正しく処理することは単に歴史問題であるだけではなく、さらに重要なことは政治問題であるということだ。「建国以来の党のいくつかの問題に関する決議」を探し出してもう一度読むことを皆さんに提案する。
「第三、マルクス主義は時代、実践そして科学の発展に従って不断に発展しなければならず、固まってしまってはならないのであって、社会主義たるもの従来から開拓の中で前進するものである。」
 中国の特色ある社会主義を堅持し、発展させることは一大事業であり、鄧小平同志がその基本的考え方と基本原則を確定し、江沢民同志を核心とする党の第3世代の中央領導集団、胡錦濤同志を総書記とする党中央がこの大事業のために輝かしい記録を書き記した。今日、我々の世代の共産党員の任務はこの大事業を続けて書き記していくことだ。30余年にわたって中国の特色ある社会主義は巨大な成果を獲得し、これに加うるに新中国成立以後にウチ固めた基礎がある。これが中国の立っていられる、そして遠くまで行くことができる重要な基礎である。我々の社会主義に対する認識、中国の特色ある社会主義の法則に対する把握はかつてない新たな高みに達していることは疑問の余地のないところだ。同時に見て取る必要があるのは、我が国の社会主義はいまだ初級段階にあり、いまだはっきり分かっていない問題そして解決を待っている難題に多く直面しているということであり、多くの重大な問題に対する認識及び対処はいまだ不断に進化していくプロセスの中にあるということであって、これまた疑問の余地のないところである。事物の認識にはプロセスが必要であり、社会主義という我々が数十年やってきた事物に対する我々の認識と把握はいまだ非常に限られているのであって、なお実践の中で不断に進化させていく必要がある。
 マルクス主義を堅持し、社会主義を堅持するに当たっては必ず発展という観点が必要であり、我が国の改革開放及び現代化建設の実際の問題、我々が正に行っている事柄を中心とし、マルクス主義理論の運用に着眼し、実際の問題に対する理論的思考に着眼し、新たな実践及び新たな発展に着眼する必要がある。我々が言ってきたように、世界にはすべてに当てはまる発展の道及びモデルはないし、決まり切った発展の道及びモデルもない。我々が過去に獲得した実践及び理論の成果は我々が前進の中の問題に向き合い、解決することの助けになるが、我々が誇りとし、自慢する理由にはなり得ないし、ましてや引き続き前進する上でのお荷物になってはいけない。我々の事業がますます前進し、ますます発展するに伴い、新しい状況、新しい問題もますます増えるだろうし、直面するリスクと挑戦もますます増え、予想もできない事柄に直面することもますます増えるだろう。我々は危機感を強め、安きにおりて危機を思うということでなければならない。思想解放、実事求是、与時倶進はマルクス主義の魂であり、我々が新しい情勢に適応し、新事物を認識し、新任務を完成する根本的な思想上の武器である。全党同志とりわけ各レベルの領導幹部はマルクス主義の発展観、「実践は真理を検証する唯一の基準」を堅持し、歴史の主動性及び創造性を発揮し、世情、国情、党情における変と不変を冷静に認識しなければならず、永遠に「逢山開路、遇河架橋」の精神を持ち、鋭意進取、大胆探索で、現実生活中のそして人々が思想上緊急に解決を必要としている問題の分析解答に積極的かつ巧みに取り組み、不断に改革開放を深化させ、不断に発見、創造、前進がありるようにし、不断に理論、実践、制度の革新を推進する必要がある。
「第四、我が党は一貫して共産主義の遠大な理想を堅持し、共産党員特に領導幹部は共産主義の遠大な理想及び中国の特色ある社会主義という共同の理想の確固たる信奉者及び忠実な実践者となるべきである。」
 マルクス主義に対する信念、社会主義及び共産主義に対する信念は共産党員の政治的魂であり、共産党員がいかなる試練にも耐えうるための精神的支柱である。党規約は党の最高の理想と最終目標は共産主義を実現することであると明確に規定している。党規約は同時に、中国共産党員が追求する共産主義の最高の理想は社会主義が十分に発展し高度に発達した基礎の上でのみ実現できるとも明確に規定している。少しばかり考えただけで共産主義に進むというのは実際的ではない。(鄧小平の言葉を引用した上で)孔子から現在に至るまででも70数代にしかすぎない。このように問題を見るということは我々中国共産党員の政治上の冷静さを十分に物語る。我々の現在の努力及び将来長きにわたっての持続的な努力はすべて、共産主義というこの大目標の最終的実現に向かっての前進であるということを認識しなければならない。同時に、共産主義の実現は非常に長期にわたる歴史のプロセスであり、我々は党の現段階の奮闘目標に立脚し、着実に我々の事業を推進しなければならないということも認識しなければならない。我々共産党員の遠大な目標を捨てれば方向性を見失い、功利主義、実用主義に変わってしまうだろう。中国の特色ある社会主義は党の最高綱領及び基本綱領の統一である。中国の特色ある社会主義の基本綱領を簡潔に言うならば、富強、民主、文明、和諧の社会主義現代国家を打ち立てるということだ。これは、我が国が現在そして長期にわたって社会主義初級段階にあるという基本的国情から出発したものであるとともに、党の最高理想からも離脱しないということである。我々は中国の特色ある社会主義の道を確固として進むべきであるとともに、共産主義の崇高な理想を胸に抱き、党の社会主義初級段階の基本路線及び基本綱領を揺らぐことなく貫徹実行し、直面する一つ一つの仕事を巧みに行うべきである。
 革命の理想は天より高い。遠大な理想のないものは共産党員として失格である。現実の仕事を離れて遠大な理想を吹聴するものも共産党員として失格だ。我が党の90年余にわたる歴史の中で、一代また一代と共産党員が民族独立及び人民解放のために流血犠牲を惜しまなかったのは、この信念があったからこそであり、またこの理想のためだったからこそである。彼らは自らが追求する理想が必ずしも自分の掌中にはないことを知っていたが、一代また一代と続けて努力していき、一代また一代とそのために犠牲となることによって崇高な理想は必ず実現できるということを確信もしていた。正にいう、「主義が真実である限り、首を刎ねられてもたいしたことではない。」今日においては、共産党員、領導幹部が共産主義の遠大な理想を持っているか否かに関しては客観的モノサシがある。それはすなわち、彼が全身全霊で人民のために服務するという根本的信条を堅持することができるか否か、「吃苦在前、享受在後」ができるか否か、「勤奮工作、廉潔奉公」ができるか否か、理想のためには我が身を省みずに必死になり、奮闘し、自らのすべての精力及び生命を捧げることができるか否かということだ。「迷惘遅疑の観点、及時行楽の思想、貪図私利の行為、無所作為の作風」はすべて以上の客観的なモノサシとは相容れない。一部のものは、共産主義は望むことはできても及ばないもの、甚だしきに至っては、望んでも到達できないもの、見ても見えないものであり、うつろではっきりしないものだと考えている。これは唯物史観か唯心史観かという世界観の問題にかかわってくる。一部の同志において理想がはっきりせず、信念が動揺するのは、根本において歴史唯物主義の観点が確固としていないからだ。広範な党員、幹部を教育指導して、中国の特色ある社会主義の共同理想の実践と共産主義の遠大な理想の確信とを統一し、「敬虔にして執着、至信にして深厚」に至るようにするべきだ。確固とした理想信念を持てば、立脚点は高く、視野は広く、度量は広がり、正しい政治方向を堅持し、勝利及び順調なときにおごり性急になることなく、困難及び逆境な時に消沈し動揺することなく、様々なリスクと困難な試練に耐え、様々な腐った思想の侵食に自覚的に抵抗し、永遠に共産党員の政治的本領を保つことができるのだ。
 事実が我々に告げているとおり、資本主義社会の基本矛盾に関するマルクス、エンゲルスの分析は時代遅れにはなっておらず、資本主義は必然的に消滅し、社会主義は必然的に勝利するという歴史唯物論の観点は時代遅れにはなっていない。これは社会の歴史的発展の逆転できない総体としての趨勢であり、ただ道筋が曲折的だということだ。資本主義の最終的消滅、社会主義の最終的勝利は必然的に極めて長い歴史的プロセスである。我々は資本主義社会の自己調節能力を深刻に認識し、経済科学技術軍事方面において西側先進諸国が長期にわたって優位を占めるという客観的現実を十分に考慮し、二つの社会制度が長期的に協力及び闘争することについて各方面の準備を真剣に行うべきである。かなりの長期にわたり、初級段階の社会主義は生産力がより発達した資本主義と長期にわたって協力と闘争を行わなければならず、資本主義が創造した有益な文明の成果を真剣に学び、参考にし、ひいては人々が西側先進国の長所を以て我が国社会主義の発展中における短所と比較し、批判を加える現実に向かい合わなければならない。我々は強固な戦略的レジリエンスを備え、社会主義を放棄すべきだとする様々な誤った主張を断固防止し、段階を超越した誤った観念を自覚的に正さなければならない。もっとも重要なことは、精力を集中して自らの事柄をうまく行い、総合的な国力を高め、人民の生活を不断に改善し、資本主義に優越する社会主義を不断に建設し、主動性、優勢、未来を勝ち取るためにより堅固な基礎を不断にうち固めることである。
 以上の分析を通じて、いかなる道を歩むかという問題は党の事業の成否に関わる第一義的な問題であり、いかなる道を歩むかは党の生命であることをさらに深刻に認識することができる。毛沢東同志は「革命党は人々の導き手であり、革命において革命党が道を誤って革命が失敗しなかった例はない」と指摘した。我が党は、革命、建設、改革の各歴史的時期において、我が国の国情から出発し、中国の実際にマッチした新民主主義革命、社会主義改造及び社会主義建設、中国の特色のある社会主義の道を探索し、形作ってきた。この独立自主の探索精神、自らの道を堅持するという確固たる決心こそは、我が党が挫折の中から不断に覚醒し、勝利に次ぐ勝利へと不断に進んだ要諦である。魯迅先生の名言に、「地上にはもともと道はなかったのであり、歩く人が多くなって道になったのである」というものがある。中国の特色ある社会主義は、科学的社会主義理論のロジックと中国社会発展の歴史のロジックとの弁証法的統一であり、中国大地に根を下ろし、中国人民の意思願望を反映し、中国及び時代の発展進歩の要求に適応した科学的社会主義であり、小康社会を全面的に発展させ、社会主義現代化をさらに推進し、中華民族の偉大な復興を実現するための通らなければならない道である。我々が独立自主の自らの道を堅持し、中国の特色ある社会主義をいささかも動揺することもなく堅持し、発展させる限り、中国共産党成立100年の時には小康社会を全面的に建設し、新中国成立100年の時には富強民主文明和諧の社会主義現代化国家を建設することが必ず実現できるだろう。