21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

イギリスのEU脱退問題(新華社論評)

2019.03.31.

EU脱退問題をめぐるイギリス政治の混迷ぶりは目を覆うばかりのものがあります。私も頭がパンクするような思いでその混迷ぶりを眺めてきました。そのような私にとって、3月29日付の新華社記者の2つの論評はすっきりとイギリス政治の混迷の根底にある問題点を整理して示すものでした。一つは「英国「脱EU」沈思録」、今ひとつは「英国「脱EU」反思録」であり、題名から明らかなとおり対をなすものです。前者はイギリスのEU脱退混迷に伏在する問題点として、イギリスのみならずEU加盟諸国に共通する問題として、民生及び経済発展のあり方をめぐる様々な立場の衝突、利害関係の衝突が政治的衝突に転化して収拾がつかなくなってしまったこと、地域統合と国家的利益の間の矛盾の顕在化、経済のグローバル化に伴って起こっている問題を反グローバル化というアプローチで解決することは不可能、と整理しています。また後者は、EU脱退問題が引き起こしたイギリス政治の混迷に焦点を絞り、「脱欧」(EU脱退)が「拖欧」(EU問題引き延ばし)(脱も拖も中国語の発音は同じtuo)に変化してしまったこと、「脱欧」問題でイギリス政治が身動きできなくなったこと、「脱欧」問題で勝利者はないこと、と整理しています。EU脱退問題に関してはもちろん様々な切り口からの分析が可能だと思いますが、私には今回の2つの新華社記者論評は非常に納得がいく内容でした。ここでは、参考までに前者の要旨を紹介します。

述評:英国「脱欧」沈思録(新華社記者・桂涛)
 2016年6月の「EU脱退国民投票」以来、「脱欧」プロセスは一貫して人々の神経を揺り動かし、西側システム、経済のグローバル化及び地域統合プロセスを観察する上での窓口となるとともに、人類社会発展の経験教訓を映し出す鑑ともなって、人をして深く考えさせることになってきた。
<「脱欧」は民生と発展という問題を反映している>
 イギリスの「脱欧」の本質を究めてみると、100年近くにわたって地縁上の影響力が不断に衰えてきたイギリスの主体的な自己調整と欧州及び世界との関係並びに自己再規定という最新の試みということである。この試みの背後にあるのは数百年にわたるイギリスと欧州との関係という問題であるが、それ以上にイギリス自身の発展及び民生という問題である。
 問題は、「不平則鳴」という時代の声だ。イギリス北部の「ラスト・ベルト」を訪れて老人たちと話をすれば、古くからの工業地帯の衰退がイギリス人にもたらした困窮と憤怒とを感じ取ることができる。ストークはイギリスで「脱欧票」の比率がもっとも高い地域の一つであるが、現地の人たちは自らの収入が過去10年増えていないことにすこぶる不満である。数字がこの憤怒の源をもっとも雄弁に説明する。「脱欧支持がもっとも高い地域」の住民の年間収入は「脱欧反対がもっとも高い地域」よりも40%も低い。
 この情緒は国際金融危機のショックに始まり、ミドル・クラスの収入増加の停滞で蓄積され、移民流入及び難民危機の衝撃によって加速され、最終的に「脱欧」問題で爆発した。イギリスの指導者もこの憤怒と不満を感じ取っている。メイ首相は何度も「「脱欧」は英欧関係変革という問題だけではあり得ず、特に「捨て去られた」と感じている人々にとってはイギリス国内の現状を変革するべきだという問題である」と強調してきた。
<利益をめぐる争いが「脱欧」を政治の賭場にした>
 国民投票という方法で「脱欧」の是非を決定するということがイギリス政治における一連の政治的バクチの始まりとなった。一部メディアが評したように、西側の「デモクラシーの母国」がデモクラシーの困難に遭遇した。多くの人々が投票に際して投じたのは英欧関係に対してではなく、現状に対する不満表明の手段であったに過ぎない。ソーシャル・メディアが伝えるのは「事実」ではなく「情緒」であり、右翼政党指導者による「脱欧後のイギリスは毎週3.5億ポンド負担が減る」などといったウソ八百がポピュリズム感情をあおり、これらの要素が合わさって政治家たちの負け賭博を導いた。「脱欧」交渉が始まってからは、保守党内、政権党と反対党の間、イギリス各地方で「脱欧」をめぐる争いが起こり、国民、世論そして政界のすべてが深刻に引き裂かれた。政党の中には「反対のための反対」をするものが現れ、スコットランド政府はこの機に乗じて「スコットランド独立第二次レフェレンダム」を言い出し、イギリスとEUとの交渉が難局に陥った際に何度も値段をふっかけた。最近では、政権党と反対党の中に「反逆議員」がともに現れ、彼らは議会内で独立グループを結成し、「独立派」として投票するようになった。「脱欧」という国の経済と人民の生活に関わる重大な政策問題が今や党派及び利益団体によって縛られる事態になっている。
<地域統合と国家的要求との間での調整上の困難が出現している>
 イギリスの「脱欧」はEU崩壊の開始となるだろうと予言するものもいるが、これはやや大げさすぎる。あるいは、欧州統合が遭遇しているジレンマがイギリスの「脱欧」の誘因の一つではないかというものもおり、この見方には一定の道理があるかもしれない。EU加盟から40年以上もたった今、イギリスは何故にEUに対する関心を失ったのか。EUの東方拡大に伴って、欧州統合は「深層水域」に入った。東方拡大は古くからの加盟国にとっては経済的利益になるが、加盟国間の経済レベル及び価値観の違いは衝突と分岐を引き起こし、利益をめぐる駆け引きは不断に団結精神と衝突し、欧州統合の夢と国家本位主義はしばしばぶつかることになっている。債務危機がユーロ圏を揺るがせ、難民危機がEU内部の果てしのない論争を引き起こし、高福祉政策は維持が難しくなり、失業率は高止まりとなり、多くの欧州諸国でポピュリズムが台頭してフランスで街頭デモが起こるなど、欧州大陸の苦しい状況に接して、イギリスには脱EUの意志が徐々に生まれることとなった。
 しかし、分裂の種は早くから伏在していた。これまでの数十年間、イギリス人はEUが制定した単一通貨、欧州統一などの野心的な目標に対しては冷淡だった。欧州議会選挙に対する投票率は30%以下で、EU加盟国中最下位の一つである。また、EUが制定した産業及び貿易の一体化政策もサービス業の密集度が世界最高の国の一つであるイギリスにとっては受け入れにくいものだった。
 国民国家と統合とをどのように適合させるのか。統合拡大のステップは如何にあるべきなのか。統合プロセスの中で新加盟国に如何に対処するべきか。欧州統合がここまで進んできた今、これらの問題はすべて真剣に考えて妥当な処理をする価値のあるものである。
<経済グローバル化による問題は「反グローバル化」では解決できない>
 ある意味合いにおいて、イギリスの「脱欧」はグローバル化プロセスの中で出現した問題である。「脱欧」を選択したイギリス人の中には、グローバル化は自分たちの生活条件を必ずしも改善しなかったし、人と資本の自由な移動、科学技術の猛烈な進歩はむしろかつての良き日を二度と戻さないと考えたものもいる。彼らはグローバル化によって「裏切られた」と感じたのだ。
 しかし、グローバル化がもたらした問題は「反グローバル化」によって解決するすべはない。あなたがあって私があり、私があってあなたがあるという現代の世界においては、「主権、国境及び資金を奪い返す」という「脱欧派」の熱情を以てしてもEUとの間で話をつけるすべはないのであり、まさにそうであるが故に「脱欧」交渉が泥沼に陥っているのだ。しかも、「脱欧」を選択したことによってイギリスの経済及び政治にはすでに巨大な不確実性が持ち込まれている。「脱欧」が持ち込んだ不確実性によってイギリスが支払う代価は果たして我慢する価値があるものなのか、イギリス人一人一人が胸に手を当てて自らの判断を行うことを迫られている。