21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

ゴラン高原帰属問題に関するトランプの暴走

2019.03.29.

3月21日、アメリカのトランプ大統領は、「イスラエル国家及び地域の安定にとって戦略的及び安全保障上極めて重要なゴラン高原に対するイスラエルの主権を、52年後の今アメリカが全面的に承認する時である」とツイッター上で述べました(ちなみに、「52年」とはイスラエルがシリアとの戦争でゴラン高原を占領した1967年を指します)。そして、25日にイスラエルのネタニヤフ首相とホワイト・ハウスで会見したトランプは、ネタニヤフが見守る中で宣言に署名し、署名に使ったペンをネタニヤフにプレゼントし、「これをイスラエル国民に贈ってほしい」と発言しました。トランプの暴走の極みであるゆえんは、「イスラエルにとっての戦略的及び安全保障上の重要性」を理由としてイスラエルが戦争によってシリアから奪った土地に対するイスラエルの主権を承認するという、国連憲章(特に戦争を違法化した第2条4項)を歯牙にもかけず、イスラエルの占領を不法・無効とし、シリアの領土主権を再確認した安保理決議471(1981年 アメリカも参加)をも無視した暴挙だからです。
 中ロ両国はもちろんのこと、アラブ連盟、湾岸協力機構というアラブ諸国を束ねる地域的国際機関、イラン、エジプト、トルコ、ヨルダン、クウェート、カタール、レバノン、パレスチナ、パキスタンなどのイスラム諸国等、多くの国々・国際機関(国際NGOも含む)が即座にトランプの暴挙に反対し、シリアのゴラン高原に対する領土主権を承認する立場を堅持する立場を表明したのは当然なことです。特に、安全保障理事会常任理事国である英仏及び非常任理事国であるドイツ、ポーランド、ベルギーのEU加盟5カ国が結束して3月26日に声明を発表し、「5カ国のゴラン高原の地位に関する立場は周知のとおりで変化せず、国際法並びに安保理関連決議特に決議242及び497に基づき、5カ国はゴラン高原を含めイスラエルが1967年6月以後に侵略占領した領土に対する主権を承認せず、これらの被占領地はイスラエルの領土ではないと考える」とする立場を明確にしたことは、如何にトランプの行動が暴走の極みであるかを余すところなく明らかにしています。また、中ロ英仏がトランプの暴走を「国際法違反」と断じたということは、アメリカを除く安保理常任理事国すべてが一致しているということでもあります。安保理決議でお墨付きを得たイランの核合意(JCPOA)からトランプ政権が一方的に脱退し、イランに対して再び制裁を科す行動(これ自体安保理決議違反)に出たことに対する中ロ英仏の反対という構図が再現しているのです。
グテーレス国連事務総長の副報道官も3月22日、「安保理決議及び総会の決議においてはゴラン高原の地位という問題について極めて具体的な記述があり、ゴラン高原の地位にはいかなる変化もない」と述べました。さらに3月27日に安保理はゴラン高原問題に関する会合を開催しましたが、その席上で政治担当のディカルロ次長は明確に「(国連のゴラン高原に関する)立場は、安保理及び総会の関連決議、なかんずく安保理決議242(1967)及び497(1981)に反映されている」と述べました。ロシアのラブロフ外相は3月25日、求めに応じてポンペイオ国務長官と電話会談を行いましたが、「ゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認しようとするアメリカの意図は、深刻な国際法違反に通じうるものであり、シリア問題解決プロセスを妨げ、中東情勢を深刻にさせるものである」と明確に釘を刺しました(ロシア外務省英語版WS)。
 しかし、国際社会がトランプ政権の暴挙に対して反対の立場で結束しているとは断言できない状況があることも事実です。トランプが「地域の戦略的及び安全保障上の重要性」というのは具体的には「イランの脅威」を指しています。イスラエルのネタニヤフ首相はシリア内戦でアサド政権を軍事支援するイランがゴラン高原を窺おうとしていると警鐘を乱打し、シリアに展開するイラン軍に対する攻撃を辞さないと公言してきました。また、シリア、レバノン(特にヒズボラ)、イラク、パレスチナ(特にガザを支配するハマス)との協力関係を深めるイランに対しては、サウジアラビア、UAEを筆頭とするいわゆるスンニ派諸国も警戒心を高めています。本年に入ってから2度の中東諸国行脚を行っているポンペイオ国務長官の目的が、これら諸国とイスラエルがイランを共通の敵とすることで長年の敵対関係を解消させることにあることも周知の事実です。
 欧州諸国がトランプ政権の暴走に反対の立場を明確にしているのとは対照的に、安倍政権はトランプ政権に対する気兼ねが優先するのか、これまでのところ(3月28日現在)明確な立場表明を行っていません(念のためにネットでチェックしてみましたが、引っかかるものはありません)。JCPOAについては支持する立場を明らかにしてきていることとの対比でもその消極性が明らかです。トランプ政権の国際法を足蹴にする「ならず者」以外の何ものでもない行動に対して、安倍政権がグズグズしているのは到底許されることではありません。
私がはなはだ遺憾に思うのは、安倍政権の無為無策を批判し、明確な立場表明を行うことを要求する声が国内で起こらないことです。思うに、シリア内戦に関してはアサド政権批判一色のアメリカ発の情報を鵜呑みにして垂れ流してきた日本のマスコミの報道姿勢が、国際社会を社会として成り立たせることをかろうじて支えている国際法・国連憲章を公然と無視するトランプ政権の暴挙に直面しても、相変わらず「不都合な真実」と向き合うことから目を背けさせており、そのことが安倍政権の不作為を助長しているのではないでしょうか。ここにも日本社会の深刻な「病理」を見る思いがします。
 なお、3月27日付の朝鮮中央通信は、朝鮮外務省スポークスマンの発言を以下のとおり紹介しています。本筋からは離れますが、私が個人的に興味深く思ったのはこの記事ではアメリカ特にトランプに対する言及がないことです。トランプというまったく予測不可能な人物が朝鮮半島問題の前途を大きく左右するだけに、朝鮮としては細心の注意を払っていることを垣間見る思いです。

朝鮮外務省代弁人 ゴラン高原はシリアの神聖な領土
【平壌3月27日発朝鮮中央通信】朝鮮外務省のスポークスマンは、シリアのゴラン高原問題に関連して27日、朝鮮中央通信社記者の質問に次のように答えた。
ゴラン高原がシリアの不可分の神聖な領土であることは、世界が全て認めており、すでに国連安保理と国連総会でもこれに関連する決議が採択された。
ゴラン高原に対するシリアの領有権を否定するのは、シリアの自主権を侵害することになり、これは不安定な地域情勢をいっそう悪化させる結果を招きかねない。
われわれは、占領されたゴラン高原を取り戻し、国の自主権を守り、領土保全を成し遂げるためのシリア政府と人民の闘争に全面的な支持と連帯を送る。
以上を紹介した上で、この問題に関する中国専門家2人の分析(要旨)を紹介します。中東情勢に暗い私にはとても勉強になるものでした。一人は中国現代国際関係研究院中東所所長の牛新春、今一人は复旦大学アメリカ研究中心教授の張家棟です。
牛新春「ゴラン高原 アメリカのエゴと実利主義の反映」(3月27日付環球時報)
 これまでのところ、アメリカを支持した国家は一つもない。そのことはこの問題に関する人心の向背を明示している。
 歴史的に見れば、ゴラン高原はシリア、イスラエル及びレバノン3国の辺境地帯の1800平方㎞の高原で、元々シリアの領土であり、1967年の中東戦争でイスラエルが軍事占領し、現在までイスラエルは1200平方㎞を支配している。法律の文言からいうと、1981年にイスラエル議会は法律を成立してゴラン高原を併合し、イスラエルの法律、行政管轄権を同地に適用した。同年、安保理は全会一致で決議497を採択し、イスラエルの併合は無効とし、イスラエルが法律を撤回することを要求した。当時のレーガン政権はイスラエルとの戦略協力協定の署名を遅らせた。つまり、アメリカを含む全世界がイスラエルの同地に対する主権を承認しなかったのだ。さらにイスラエル自身も同地に対して主権を有するとまでは公式には宣言していなかった。というのは、イスラエルとシリアとの和平協議の中で、ゴラン高原と引き換えにシリアからイスラエル承認を取り付けることが一貫して基本原則だったからだ。
 イスラエルとシリアとの同地に関する接触は2008年が最後であり、同地の主権帰属はホット・イッシューではなかった。この状況の下でアメリカが突然この「冷たい問題」を熱くさせたのは、トランプ政権の中東政策の自然な結果であるとともに、それにもましてアメリカ及びイスラエルの指導者の選挙政治の必然的結果である。
 1979年にエジプトとイスラエルの和平条約成立の調停に成功したアメリカは、歴代政権のすべてがアラブ諸国とイスラエルとの間の適度なバランスを維持する政策を採り、「土地と平和を交換する」基本原則を一貫して支持してきた。すなわち、イスラエルが1967年に占領したアラブ諸国の領土を返還し、アラブ諸国のイスラエル承認を取り付けるということだ。
 しかし、イスラエル・ネタニヤフ政権が右傾化を深めるのに従い、イスラエル国内の政治勢力の間では「土地と平和を交換する」ことに対する支持が下がってきた。トランプが政権について以後、アメリカは「アラブとイスラエルとのバランス維持」「土地と平和を交換する」というアメリカが長期にわたって堅持してきた原則を捨て去り、まずはエルサレムをイスラエルの首都と承認し、現在はまたゴラン高原がイスラエルの領土であると承認したのだ。トランプ政権及びその支持層の政治ロジックに基づけば、この2回の承認はいかなる事実の変更でもない。なぜならば、事実上イスラエルの現在の首都はエルサレムであり、事実上ゴラン高原はイスラエルの統治下にあるのであって、アメリカとしては事実を承認したに過ぎないからである。
 現在のアメリカ政権のロジックによれば、道義、国際法、正義は国際関係においていかなる場所もなく、事実上の軍事占領だけが唯一の事実であって、正に赤裸々な強権政治のロジックなのだ。今回の承認はトランプ政権の頭に血が上った即興的な行動ではなく、早くから準備が行われてきたことは明らかである。2018年の国連総会はイスラエルのゴラン高原占領を非難する象徴的で拘束力のない決議を例年どおりに票決に付したが、アメリカは歴史上初めて反対票を投じた。最近、国務省が出した人権報告では、ゴラン高原に対する言い回しが「イスラエル占領下の」から「イスラエル支配下の」に改められた。今、アメリカが正式にゴラン高原はイスラエルの領土だと承認したのは、こうした一連の修正の自然な帰結なのだ。
 また、トランプがこの時期に正規の行政命令に署名したのはアメリカ及びイスラエルの選挙政治の影響を受けているのは明らかだ。4月9日にはイスラエルの総選挙があり、目下の世論調査ではネタニヤフの苦戦が明らかであり、トランプがイスラエルの選挙が白熱化している時にゴラン高原問題を担ぎ出したのは偶然ではあり得ず、精魂込めた布石の結果である。署名セレモニーの場で、トランプが署名したペンをネタニヤフに贈る際、「このペンをイスラエル国民に贈る」と言ったのは明らかに選挙の際の常套手段である。
 同時に、この決定はトランプの2020年の大統領選挙の景気付けとしても悪いものではない。2016年の世論調査が明示したように、アメリカ人の56%は親イスラエルだ。しかも、共和党支持者の間での親イスラエルの割合は民主党支持者よりも26ポイントも高い。したがって、今回の行動はトランプ及びネタニヤフ個人にとって政治資本を稼ぐことになる。
 中東地域及び世界の長期的発展という観点から見るとき、ホワイト・ハウスの今回の決定によって被害を被るのは中東諸国と世界の平和であり、その中には当然アメリカとイスラエルも含まれる。傷を被ることがもっとも深刻なアラブ社会は当面アメリカに抵抗するだけの能力を有していない。目下のところレバノンで小規模な街頭デモがあったということだが、その規模はわずか数十人である。しかし、長期的に見れば、今回のアメリカの行動は重大かつ間接的にマイナスの結果をもたらす可能性がある。
 まず、アメリカのアラブ世界における信用と名誉はさらに傷つき、アメリカが推進しているパレスチナとイスラエルの和平に関するいわゆる「世紀協議」は打撃を受けるだろう。アメリカの元々の計算ではイスラエル総選挙の後に適当な時期を見て協定本文を提起するという算段だった。しかし現在では、いかなる時に協定本文を持ち出しても、関係国家の反対に遭遇するだろう。
 次に、イスラエルがシリアとの和平プロセスの中で発揮できる影響力は時とともに弱まり、事実上すでに道はふさがっただろう。
 第三に、アメリカがシリア和平プロセスで発揮できる影響力も次第に縮小し、シリア各派のアメリカに対する怨恨も明らかに増大し、それに伴って生じる可能性はイラン、トルコ、ロシアへの接近である。
 最後にそしてもっとも重要なことは、第二次大戦後のもっとも基本的な国際規範がむしばまれたということだ。戦争を通じて他国の領土を併合することはできないということが国連憲章の基本原則だ。アメリカの今回の行動は罪悪的先例を切り開いてしまった。国連安保理としては新決議を提出して決議497の内容を再確認するべきだろう。そのときアメリカはおそらく拒否権を発動するが孤立は免れず、全世界と対立する立場に立たざるを得ないだろう。
張家棟「トランプ パレスチナ・イスラエル「世紀協議」のテスト中」(3月27日付中国網)
 トランプが今この時期を選んで政策変更を宣言したのには以下のいくつかの要因がある。
 一つはトランプが長期にわたってイスラエルを支持する政策を支持してきたこと。2018年5月にトランプが在イスラエル大使館をエルサレムに移転したことは一つの歴史を作った。国務省の人権報告がゴラン高原について「イスラエル支配」という表現に変えたことは政策変更のための予行演習だった。
 一つは中東情勢を利用してイスラエルに戦略的ボーナスを与え、さらなる収益拡大を図ること。中東はもはや伝統的なイスラエル対イスラム世界という戦略的構図ではなく、イスラエルとスンニ派諸国が協力してイランが指導するシーア派陣営と対決するという構図に変化した。このことはアメリカとイスラエルに良好な戦略的チャンスを与えている。昨年アメリカが大使館を移転したとき、国際社会の広範な批判を受けたとはいえ、その反撃は限られたものであり、アメリカとイスラエルはアラブ・イスラエル関係についてさらに画策する空間があると判断した。
 一つは資源的な利益推進という重要な要因があること。ゴラン高原はこの地域における重要な水源地であり、イスラエルにとって水資源はすこぶる重要である。イスラエルはまた2015年にこの地域で大量の石油資源の存在を発見し、アメリカの石油会社のイスラエル子会社に採掘許可を与えている。このことは両国が政治的冒険を行う経済的推進力となっている。
 一つはトランプがイスラエルの右翼政治勢力の選挙を応援しようとしていること。4月9日に前倒しの総選挙が行われるが、今回のトランプの行動はリクードに対して「重要な外交上の勝利」を送ったことになる。
 しかし、今回の行動はアメリカ及びイスラエルとスンニ派諸国の臨時的「同盟関係」にとって危機になる可能性がある。サウジアラビアなどがアメリカ及びイスラエルと軍事協力を行うことに対しては、これらの国々の中で深刻な世論の圧力が長期にわたって存在している。今回の問題はスンニ派諸国内部の政治圧力をさらに増大させ、イラン等をしてイスラム世界の中で優位に立たせるだろう。極端な場合には、連鎖的な国内及び国際の政治的反応を引き起こし、中東の勢力構造を動揺させる可能性がある。
 客観的にいって、イラン、シリア等はすでに抗議してはいるが、国家としての実力、反撃能力及び選択しうる手段は極めて限られており、カギとなるのは国際社会なかんずくアラブ世界の反応如何である。これまでのところ、アラブ世界の反応は曖昧だ。この2年間アメリカは、トランプの女婿であるクシュナーの主導のもとでパレスチナ・イスラエル問題の「世紀協議」を推進している。報道によれば、この「世紀協議」はパレスチナ建国、ゴラン高原帰属、パレスチナとイスラエルの国境画定等の一連の問題を対象としているという。アメリカはすでにヨルダン、サウジアラビアなどのアラブ諸国に対してロビー活動をしきりに行っている。アメリカが今回ゴラン高原帰属問題を提起したということは、政治的準備がなかったというわけではなく、一部のアラブ諸国指導者の承諾あるいは黙認を得ている可能性すらある。
 総じて見るとき、アメリカとイスラエルが同意したとはいえ、短期間で国際法上の地位及び国際社会の承認を得ることはあり得ない。もちろん、アメリカとイスラエルが国際社会の態度を顧みることもあり得ない。より可能性が高いのは、トランプ自身が「様子見」の態度であり、まずはテストし、起こりうる反応を見定めた上で最終的な決定を行うということだろう。