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習近平:弁証法的唯物論(理論誌『求是』掲載文章)

2019.01.15.

中国共産党の理論誌『求是』本年1月号は、習近平が2015年1月23日に中央政治局の集団学習の際に行った「唯物弁証論(弁証唯物主義)は中国共産党員の世界観及び方法論」と題する講話(文章)を発表しました。日本内外では、中国はもはや社会主義を離脱しているという受け止め方が広がっています。しかし、習近平・中国は自分たちが実践しているのは中国という土壌におけるマルクス主義の実践であるという確信に立っていることは疑う余地のない事実です。『求是』が発表した習近平の文章は、習近平・中国がマルクス主義哲学をどのように認識し、実践しているかを理解する上で貴重だと思います。また、中国が内外政をどのように認識し、どのように戦略・政策を立案し、実行しているのかを理解し、認識する上でもまたとない手がかりを提供していると思います。私自身について言えば、外務省に入った当時から『毛沢東選集』、『レーニン選集』を通じて唯物弁証法をかじった人間であり、習近平のこの文章はすんなり頭に入ってくるものでした。
 今回の文章から理解できることは、習近平の認識の基本は毛沢東とほぼ同じであるということ、及び(私がこれまでに目にしている中国側指摘にもあるとおり)習近平はマルクス主義哲学の基本的要素の多くは中国思想史上に手がかりが得られることを強調しており、この文章でも随所に中国古典の記述を紹介していることからそのことが確認できるということです。
中国社会主義における認識論及び方法論を理解する上で参考価値が高いと思いますので、要旨を紹介します。

 弁証唯物主義は中国共産党員の世界観及び方法論である。毛沢東同志はかつて、マルクス主義にはいくつかの学問があるが、基礎にあるのはマルクス主義哲学であると述べたことがある。彼が革命戦争時代に記した「本本主義に反対する」、「実践論」、「矛盾論」などの著作、社会主義建設時代に記した「十大関係を論じる」、「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」などの著作は、弁証唯物主義の世界観及び方法論を柔軟に運用して、鮮明に中国的な特色を持つマルクス主義哲学思想を形成し、我が党が弁証唯物主義を掌握し、運用する上での輝ける模範となった。
 鄧小平同志は弁証唯物主義を運用して実際の問題を解決することに極めて優れていた。彼は社会主義初級段階の主要問題を把握し、経済建設を中心にすることを堅持しなければならない、実践によって我々の仕事を検証して「三つの有利」の基準を堅持しなければならない、「石橋を叩いて渡る」を堅持して計画と市場、先富と共富等の関係を巧みに処理しなければならないと強調した。(江沢民及び胡錦濤の発言も続いて紹介)
 今日、我が党は人民を導いて「二つの百年」の奮闘目標を実現し、中華民族の偉大な復興という中国ドリームを実現しようとしており、そのためにはマルクス主義哲学・知恵の栄養を受け入れ、さらに自覚的に弁証唯物主義の世界観と方法論を堅持、運用し、さらに巧みに実際の仕事において現象と本質、形式と内容、原因と結果、偶然と必然、可能と現実、内因と外因、共(通)性と個性の関係を把握し、弁証的思惟、戦略的思惟能力を強め、様々な仕事をさらに巧みに行わなければならない。
 現在、我が国の実際及び時代の条件を結びつけ、弁証唯物主義の世界観と方法論を学び、運用し、以下のいくつかの問題を重点的に解決する必要がある。
 第一、世界は物質によって統一されており、物質が意識を決定するという原理を学び、掌握し、客観的実際から出発して政策を制定し、仕事を推進することを堅持すること。世界が物質的に統一されているという原理は弁証唯物主義のもっとも基本的で核心的な観点であり、マルクス主義哲学の礎石である。(エンゲルスの該当する指摘を引用して)この観点に従う上でもっとも重要なことは、すべてを客観的実際から出発し、主観的願望から出発しないということである。
 現代の中国にとっての最大の客観的事実とは何か。それはすなわち、我が国は引き続き長期にわたって社会主義初級段階にあり続けるということである。このことは、我々が現在を認識し、将来を計画し、政策を制定し、事業を推進する上での客観的基点であり、この基点を離脱することはできず、そうしなければ過ちひいては破滅的な過ちを犯す可能性がある。(そういう過ちを犯すものがいることを指摘した上で)なぜこのような問題が出現するのか。なぜ繰り返し出現するのか。思想的根源から見れば、すべてを実際から出発するということをやり遂げていないからである。
 もちろん、客観的実際は凝り固まったものではなく、不断に発展し、変化するものである。「変化とは天地の自然なり」("変化者、乃天地之自然" 浅井注:老子)。すべてを実際から出発することを堅持し、社会主義初級段階という基本的国情が変化しないことを見届けるとともに、我が国経済社会の発展の各段階において新たな特徴が現れてくることをも見届ける必要がある。我が国の社会生産力、総合国力、人民生活水準は歴史的な飛躍を実現し、我が国の基本的国情の内実には不断に変化が発生し、我々が直面する内外のリスク、当面する難題にも重要な変化が発生している。過去において長期にわたって我々を苦しめたいくつかの矛盾はもはや存在しないが、新たな矛盾は絶えず生まれ、その中の多くはかつて遭遇したことがなく、対処したことがないものだ。我々は内外の環境の変化を正確に把握し、我が国経済発展の段階的特徴を弁証的に分析し、我が国の異なる発展段階における新たな変化、新たな工作上の特徴を正確に把握し、主観的世界を客観的実際にさらに符合させ、実際に基づいて仕事方針を決定するということ、これこそが我々がしっかりと記憶しておかなければならない工作方法である。
 さらに指摘しておく必要があることがある。弁証唯物主義は世界の統一性がその物質性にあることを強調するが、物質に対する意識の反作用を否定するわけではなく、この種の反作用が時には極めて巨大であると認識している。我が党は、精神は物質に変化し、物質は精神に変化するという弁証法を強調する。したがって、我々は理想信念教育、思想道徳建設、イデオロギー工作を片時もおろそかにしてはならず、社会主義核心的価値観を大いに育成し、広め、豊かな時代的息吹を備えた中国精神によって中国の力を凝集しなければならない。
 第二、事物の矛盾的運動という基本原理を学び、掌握し、問題意識を不断に強化し、前進中に遭遇する矛盾に積極的に向き合い、解決すること。中国人は古くから矛盾という概念を知っていた。いわゆる「陽と陰、これを道という」("一陽一陰之謂道" 浅井注:易経)。矛盾は普遍的に存在するものであり、事物が結びつく実質的内容及び事物が発展する根本的動力であり、人の認識活動及び実践活動は、根本的にいえば、不断に矛盾を認識し、不断に矛盾を解決するプロセスである。
 問題とは事物の矛盾の表現形態であり、我々が問題意識を強め、問題志向を堅持することを強調するのは、矛盾の普遍性、客観性を承認するからであり、矛盾を認識し、解決することをもって工作局面の突破口を打開することに巧みである必要があるからである。現在、我が国は発展の要の時、改革の攻略の時、矛盾の顕在の時に入っており、我々が直面している矛盾はますます複雑で、過去からの長期的に蓄積してきた矛盾もあれば、古い矛盾を解決するプロセスの中で新たに生まれた矛盾もあり、多くのものは情勢及び環境の変化に伴って新たに出現した矛盾である。これらの矛盾の多くは、この発展段階で必然的に出現するものであり、避けることも迂回することもできない。
 我が党が人民を導いて革命を行い、建設を行い、改革を行うのは、すべて中国の現実問題を解決するためである。仮に矛盾を見て見ぬふりをし、ひいては矛盾を回避し、覆い隠し、矛盾の前に萎縮してしまい、矛盾がますます悪化していくのを座視するのであれば、積弊によって挽回困難となり、最終的には取り返しのつかない損失を作り出すに違いない。「千丈の堤は螻蟻の穴により潰る;百尺の室は突隙の煙により焚る」("千丈之堤以螻蟻之穴潰;百尺之室以突隙之煙焚" 浅井注:韓非子)。矛盾が蓄積して一定の程度に達すれば質的な突然変化が発生する。矛盾に相対する正しい態度は、矛盾に直接向き合い、矛盾の相補い合う特性を運用して矛盾を解決するプロセスにおいて事物の発展を推し進めるということであるべきである。
 第18回党大会以後、我々は国内総生産の伸び率だけを重視するのではだめで、経済発展方式の転換を加速して経済構造を調整し、生産能力の過剰を解決すること、全面的に改革を深化して全面的に法に基づいて国を治めること、生態文明建設を強化すること等々を提起したが、これらはすべて波及面が広く、内的連結性が強い深層レベルの矛盾を狙い撃ちするものである。仮に我々が困難を迎え撃ち、情勢を利用して有利に導き、山にぶつかって道を開き、川に遭遇して橋を架けるということをしなければ、これらの矛盾は不断に積み重なり、さらには不利な方向に転化し、最終的には障碍要因ひいては破壊的力となってしまう可能性がある。
 果敢に矛盾と向き合い、矛盾を解決するに当たっては、主要矛盾と副次矛盾、矛盾の主要面と副次面を把握することに注意する必要がある。「綱を秉れば目自ずから張す、本を執れば末自ずと従う」("秉綱而目自張執本而末自従" 浅井注:晋代楊泉《物理論》)。複雑な情勢及び煩雑な任務に対処するに当たり、まずは全局観が必要であり、様々な矛盾に対して心中に成算を持つとともに、主要矛盾及び矛盾の主要方向を優先的に解決し、それによってその他の矛盾の解決を導く必要がある。第18回党大会以来、我々は全面的な小康社会の建設、全面的な改革深化、全面的な法に基づく治国、全面的な厳しい党管轄を協調的に推進することを提起してきた。この「四つの全面」を推進するプロセスにおいて、我々は全体的な計画を重視するとともに、「重点」を捉まえることをも重視してきた。例えば、全面的な小康社会建設について全面的なアレンジメントを講じるとともに、「小康か否かのカギは農民にあり」と強調してきた。全面的な改革深化についてトップによる設計を行うとともに、重要領域及びカギとなるポイントを重点的に捉まえることを強調してきた。全面的な法に基づく治国を推進するとともに、中国の特色ある社会主義法治体系を以て総目標及びすべてのとっかかりであると強調してきた。全面的な厳しい党管理について一連の要求を提起するとともに、党風廉政建設を突破口にし、人民大衆の意見が強い「四風」問題、腐敗を行うことをためらい、できず、しないという問題に着実に取り組んできた。いかなる工作においても、両点論を語るとともに重点論をも語る必要があるのであり、主と副とがなく、それを区別しないで十把一絡げにするのでは工作をうまく行うことができない。
 第三、唯物弁証法の根本的方法論を学び、掌握し、不断に弁証法的思惟能力を強化し、複雑な局面を操作し、複雑な問題を処理する能力を高めること。「事には必ず法あり、然る後成るべし」("事必有法然後可成" 浅井注:朱熹)。我々の事業が深く発展していけば行くにしたがい、弁証法的思惟能力を不断に高めていく必要がある。現在、我が国社会の様々な利益関係は極めて複雑であり、局部と全局、当面と長期、重点と非重点といった関係を巧みに処理し、プラスとマイナスを権衡してプラスをとりマイナスを避け、もっとも有利な戦略的決定を行うことが我々に求められる。我々が全面的に改革を深化するに当たっては、木を見て森を見ずであってはならず、改革の系統性、全体性、協同性を突出させる必要がある。同時に、改革を推進する中で、異なる地域、異なる業種、異なるグループの利益要求を十分に考慮し、各関係者の利益の交差点及び結合点を正確に把握し、改革の成果が人民全体により多く、より公平に行き渡るようにする必要がある。
 唯物弁証法を学び運用するに当たっては、形而上学の思考方法に反対するべきである。我が先人たちは早くからこの問題を認識しており、多くの故事が形而上学を批判し、風刺している。たとえば、盲人摸象、鄭人買履、坐井観天、掩耳盗鈴、揠苗助長、削足適履、画蛇添足、等々。世界において、形而上学はもっとも省エネである。なぜならば、勝手なことを言うだけで客観的な事実の裏付けもいらず、客観的事実に基づく検査も受け入れないからだ。しかし、唯物弁証法を堅持するには、大いなる気力を発揮し、じっくりと時間をかける必要がある。我々は一方において調査研究を強化し、正確に客観的現実を把握し、真正に法則を把握する必要がある。また他方においては、静止的にではなく発展的に、片面的にではなく全面的に、バラバラではなく系統的に、単一孤立的にではなく普遍的連携的に事物を観察し、様々な重大な関係を適切に処理する必要がある。主観主義、形式主義、機械主義、教条主義、経験主義のいかなる見方もすべては形而上学の思考方法であり、実際の工作においては良好な結果を得ることができない。
 第四、認識と実践との間の弁証法的関係を学び、掌握し、実践第一の観点を堅持し、実践の基礎の上で理論的創造を不断に推進すること。実践という観点はマルクス主義哲学の核心的観点である。実践が認識を決定するということは、認識の源泉であり動力であり、また、認識の目的であり帰結である。認識は実践に対して反作用を有し、正確な認識は正確な実践を推進し、誤った認識は誤った実践を導く。我が国古人の知行合一の論述が強調したのも認識と実践との関係についてである。たとえば、荀子の「不聞不若聞之,聞之不若見之,見之不若知之,知之不若行之」、西漢・劉向の「耳聞之不如目見之,目見之不如足践之,足践之不如手辨之」、宋代・陸游の「紙上得来終覚浅,絶知此事要躬行」、明代・王夫之の「知行相資以為用」、等々。我々が様々な工作を推進するに当たっての根本は、実践に依拠して本当の真実を導き出す必要がある。
 我が党は一貫して理論工作を重視し、理論は必ず実践と相統一しなければならないと強調している。理論がいったん実践から乖離するならば、硬直した教条になってしまい、活力と生命力を失う。実践は正しい理論の指導がなければ、「盲人騎瞎馬,夜半臨深池」(浅井注:《世説新語》)という冒険主義に陥る。法則に対する理論の指摘が深くなればなるほど、社会の発展及び変革に対する牽引作用はますます顕著なものとなる。我々が中国の特色のある社会主義を堅持し発展するに当たっては、理論の役割を高度に重視し、理論的自信と戦略的定力を強化し、反復した実践及び比較を経て得られた正しい理論に対して朝三暮四、あれこれ迷うことがあってはならず、確固として堅持する必要がある。
 実践には終わりはなく、理論創造にも終わりはない。党及び人民の事業を停滞させないためには、まず、理論上の停滞があってはならない。我々は時代の変化及び実践の発展に基づき、不断に認識を深化させ、不断に経験を総括し、不断に理論の創造を進め、理論の指導と実践の探求を弁証的に統一し、理論の創造と実践の創造との双方向コミュニケーションを実現し、この種の統一と双方向コミュニケーションの中で21世紀中国のマルクス主義を発展させるべきである。