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日本メディアの朝鮮半島報道姿勢(韓国中央日報)

2018.03.12.

3月9日付の韓国の中央日報・日本語WSは、「日本、プレーヤーとオブザーバーの間」と題する同紙東京総局長署名文章を掲載し、日本なかんずくメディアの朝鮮及び韓国に関するゆがんだ見方を観察した見方を紹介しています。最後の2段落は「無くもがな」という印象ですが、全体としては正鵠を射ています。私たちの多くが当たり前・常識としていることが、実は決して当たり前でも常識でもないことを反省する格好の題材だと思いますので、参考までに紹介します。

最近、南北対話に関する意見を聞きにきた日本人が話を聞くよりも自分の意見を述べることが多い。たいていは慎重論で始め、こちらの顔色を見て懐疑論で終えたりする。疑問があるからではなく、もどかしさから聞きにくるという感じだ。
日本メディアはもう少し懐疑的だ。基本的に北朝鮮を信用しない。北朝鮮が紙切れにした過去の合意事例、金正恩労働党委員長の矛盾する言動を詳しく扱っている。韓国特使団の説明とは違って核保有の正当性を主張した労働新聞の記事、寧辺核施設で黒鉛減速炉の稼働を示唆する衛星写真(38ノース)、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の誘導システムを改良中というCNNの報道などが続く。金正恩委員長が2012年4月15日の最初の大衆演説を「最後の勝利のために前へ!」というスローガンで終えたことも改めて取り上げられている。このほかミサイル発射を指導する金正恩委員長の姿など好戦的な映像が各テレビチャンネルで放送される。金正恩委員長が口にくわえたオリーブの枝は実は偽物だという話をしたいのだ。突然草を食べて生きていくと言い出した肉食動物を見るような目だ。
日本は韓国に対しても遺憾を表している。北朝鮮と米国の間を行き来する間、対北朝鮮制裁の一つの戦線を担当してきた日本を脇に置いたという不満だ。これは河井克行自民党総裁外交特別補佐が7日にワシントンでした講演の言葉からもにじみ出ている。「南北首脳会談が行われれば核・ミサイル問題の解決に進展がないにもかかわらず政治ショーで緊張が緩和されたように演出されるに違いない」。
米国に対しては苦言を呈することができないが、内心は不安を感じている。孤立を心配しているのだ。これに関連して日本のメディアや専門家がよく使う言葉が「頭越し」だ。知らないうちに自分たちの頭の上で何かが進行することを意味する。韓国式の表現では「ジャパンパッシング」だ。なぜかと思うほど敏感な反応を見せる。のけ者にされているという被害意識も感知される。
日本は過去に米中の「頭越し」外交で大きな被害を受けたことがある。1971年7月15日にニクソン米大統領が訪中計画をテレビ生中継で発表した時のことだ。日本政府はこれを全く知らず、中継放送のわずか数分前に米国から通知を受けた。これが日本政府には相当なショックだった。米国との強い関係を誇っていた佐藤栄作首相が窮地に追い込まれた。5カ月後の12月24日に衆議院であった佐藤内閣不信任決議案賛否討論の速記録を見ると、「頭越し」外交に全く対応できなかったという野党の批判がよく出てくる。結局、これが翌年の内閣総辞職のきっかけになったというのが大半の意見だ。我々にはよく見えないが、日本政界ではまだトラウマとして残っているという。もちろん今この問題で安倍晋三首相を追及するほどの野党は存在しないが、鋭敏になっているのは事実だ。
北朝鮮の核・ミサイルに関して日本は自らを重要なプレーヤーの一人だと見ている。ミサイル・核脅威の半径に入っているため自分たちの問題と考えている。一方、韓国は日本を大きな変数と見なしていない様相だ。制裁の局面ではプレーヤーとして認めるが、交渉ではオブザーバーとして出て行けという。ジャパンパッシングをむしろ痛快に感じる人たちもいる。今は大した問題ではないように見えるかもしれない。しかし小さな亀裂が後には埋めがたい間隔に広がったりもする。
何よりも日本の右傾化の雰囲気を刺激する可能性があるというのが問題だ。北朝鮮がミサイル挑発をすれば地下鉄を止めて避難サイレンを鳴らすのが日本だ。列島侵攻シナリオを描いた空想小説のような本が書店の国際安保コーナーを埋めている。戦争ができる国への復帰を狙う日本の右派には都合の良い環境だ。
北朝鮮の核を扱うには国際社会の支持が欠かせない。今でもそうであり、今後もそうだ。それが現実だ。対話局面にいたるまで韓国政府の努力ばかりが浮き彫りにされたりするが、決して我々独自の力だけで成し遂げたわけではない。類例のない強力な国際的対北朝鮮制裁の成果と見るのが合理的だ。韓国の当局者もよく知っているはずだ。
近く徐薫(ソ・フン)国家情報院長が米国からの帰途に日本に立ち寄るという。この時、今までの対北朝鮮制裁の連携には微動もないという点を確認し、安心させる必要がある。日本が我々とは違う軌道で北朝鮮に対応したり接近すれば我々にも負担となる。北核廃棄を達成するのは友好国が支援しても足りない状況だ。隣国が背を向ければ困るのは我々だ。「我々同士で」という感激は短く、「国際協調」という現実は長い。