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朝鮮「並進路線」の正確な認識の勧め(李敦球)

2018.03.01.

2月28日付の環球網WSは、同日付中国青年報所掲の李敦球署名文章「朝鮮が堅く守っているのは経済建設及び核武力建設並行路線」を転載しました。私はこの文章を読んで、正直頭をぶん殴られた思いを味わいました。原文に当たることの重要性を自覚しているはずの私自身が、知らず知らずのうちに李敦球が文中で鋭く批判している過ちを自ら犯していることを思い知らされたからです。
 朝鮮の文献では一貫して「経済建設及び核武力建設並行路線」であって「核武力建設及び経済建設並行路線」ではないという李敦球の指摘はきわめて重要です。李敦球は学者としての矜恃を堅く守って禁欲的な叙述に徹していますが、朝鮮側記述における経済建設と核武力建設の配列の順序の意味することを正確に理解することなしには、私たちは朝鮮の基本戦略に関する正しい認識を養い、備えることはできない、という彼のメッセージを読み取ることは難しいことではありません。
 憶測を交えることを許していただけるならば、2月16日のコラムで紹介した、2月8日付の朝鮮中央通信が紹介した中国の「偏った」朝鮮批判に対する正筆署名文章も、李敦球が今回の文章を執筆した動機の一つになっている可能性はあると思います。地味な文章ですが、あえて要旨訳出の上紹介する次第です。

 最近、朝鮮問題あるいは朝鮮核問題を論述する際に、いわゆる朝鮮「核武力建設及び経済建設並行路線」(または朝鮮「核経並進」戦略)という呼び方が時々一部の国内メディアに表れており、そういう引用と伝え方が広がって、一種の習慣にまでなっている。このことは、真相を知らない読者が誤って、朝鮮は本当に上記の呼び方の路線または戦略を持っていると考えてしまうゆえんになっている。
 朝鮮は「核武力建設及び経済建設並行路線」(または朝鮮「核経並進」戦略)を制定したことがあるだろうか。答えはもちろん否である。朝鮮の公的メディアが最初に如何に報道したことから見てみることにしよう。2013年3月31日付の朝鮮中央通信は、朝鮮労働党中央委員会全体会議が31日に平壌で行われたこと、会議は「経済建設及び核武力建設並行路線」を実行すること、すなわち、自衛的な「核武力」の開発を強化すると同時に、さらに大きなエネルギーを経済建設に投入することを決定したことを報道した。朝鮮の「経済建設及び核武力建設並行路線」がはじめて明らかにされた。
 つまり、「経済建設及び核武力建設並行路線」であって、「核武力建設及び経済建設並行路線」(または「核経並進」戦略)ではない。あるいは、「経済建設」と「核武力建設」とは並行関係にあるのでありどちらが先でも良いのであって、この二つの言い方の間にはたいした違いはないと考えるものもいるかもしれない。しかし、学術カテゴリー及び方法論的に見た場合、このような見方は誤りである。これは小さな学術問題ではなく、多くの深層的問題を反映している。本文は、朝鮮の「経済建設及び核武力建設並行路線」の是非及び発展の傾向について論じるものではなく、学術規範の角度から、以上の現象が形成された原因及びその危害性について検討するものである。
 第一、2013年3月31日から今日に至るまで、朝鮮指導者の発言にせよ、朝鮮メディアの報道にせよ、すべて一貫して「経済建設及び核武力建設並行路線」という言い方であり、変更されたことはない。一般論として、いかなる国家においても、路線、政策、戦略等の制定に当たっては比較的安定しているし、厳粛なのであって、朝令暮改はあり得ないし、その構成及び順序を気ままに変更するということはなおさらあり得ない。したがって、「核武力建設及び経済建設並行路線」または「核経並進」戦略等の言い方には根拠はなく、その本質は、作者の意図に基づくねつ造か改ざんである。普通の学生及び読者が読む際に原文に当たってチェックするということはなく、それが朝鮮自身の言い方であると理解してしまうため、改ざんを経た上に引用されて発表されることを経ることにより、客観的に読者をミスリードすることにならざるを得ない。
 第二、仮に「並行」関係であるとしても、元々の前後の順番及び構成を勝手に変更して良いというわけではない。「並行」等の表現は同一または類似の意味はあるが、前後の順序は気ままに並べたということではない。どのように配列するかということは作者の主観的意図を反映している。したがってこの角度から見たとき、「経済建設及び核武力建設並行路線」と「核武力建設及び経済建設並行路線」(または「核経並進」戦略)とは本質的にまったく違う事柄である。
 第三、朝鮮は現実において、ある段階においては経済建設よりも核武力建設をさらに重視しているのだから、「核武力建設」を「経済建設」の前に置くべきだと考えるものもいるかもしれない。これはその人の個人的な理解であり、正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。個人的な理解が正しいか否かにかかわらず、個人的な理解に基づいて原文の順序及び構成を変更することはできない。仮に個々人が自らの理解に基づいて原文を変更し、さらに原文として引用を使うということになれば、読者は原文及び元来の意味は何かを知ることができなくなる。個人が自らの理解及び観点を文章にすることはその人の権利であり、自由だが、個人の理解に基づいて原文を改ざんすることの理由とするべきではない。
 第四、韓米日などの国外のメディアにおいては、事実ではない朝鮮関連報道が常に表れており、ひどいものは朝鮮を黒とし、悪魔化するものすらある。数年前、朝鮮三池淵管弦楽団団長の玄松月は韓国メディアにおいて何度も死んだし、銃殺、砲殺等々ありとあらゆる殺され方まで描かれ、それらの記事は多くのメディアが転載し、流布されることになった。しかし、今回の平昌冬季オリンピック開催に当たり、玄松月は3度にわたって韓国を訪問し、韓国では小さくはない玄松月ブームを引き起こした。こうした韓米日等における事実ではない朝鮮関連報道は、中国国内の作者及びメディアの一部に対しても一定の影響を生み出している。その影響を受けた一部の人たちは、知らず知らずのうちにゆがんだ考えを養い、ついには習慣となってしまっている。国内の学者による改ざんを経た後に出現した、上述の「核武力建設及び経済建設並行路線」(または「核経並進」戦略)は、直接的または間接的に以上のことと関係がある可能性がある。
 第五、一般的にいって、厳格な学術的訓練を経た学者は、研究においてまた著作に当たって原文を引用する必要があるときは、原文の内容、文字、順序及び構成を意識して尊重するのであり、これは大多数の学者が一貫して遵守する学術規範及び学術慣例である。ところが現実には、学術的姿勢が浮ついており、功を急ぎ、学術研究の基礎がきわめて薄っぺらいのに、マスコミを利用し、大衆を煽り取り入ることによって「成功」するものが少なくない。本年元旦以来、朝韓関係が緩和し始め、さまざまなレベルにおける交流が徐々に展開し、半島情勢の流れは明らかに昨年より好転しているというのに、2018年の朝鮮半島情勢は高度の危機あるいは戦争に見舞われるとメディアで書き立てる学者が相変わらずいる。その目的は言わずとも明らかである。最近のメディアでしばしば現れる「核武力建設及び経済建設並行路線」(または「核経並進」戦略)とする現象は一つの新しい例証である。