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実現しなかった米朝ハイ・レベル接触

2018.02.23.

2月20日付の米紙ワシントン・ポストは、アシュリー・パーカー署名記事「直前のキャンセルまでペンスは北朝鮮関係者と会うことになっていた」(Pence was set to meet with North Korean officials during the Olympics before last-minute cancellation)を掲載しました。この記事は、ペンス大統領及びホワイト・ハウスのスタッフへの取材を中心にまとめたものです。
長い文章ですが、そのあらましは、CIAがペンス訪韓の際に会いたいという朝鮮側からの言葉を得たことに始まり、次いで韓国側からも会合をセッティングする仲介役になる用意があるというイニシアティヴもあって、動き出したとしています。その結果、2月10日の午後に青瓦台で会合を行うことに米朝双方が合意しました。ペンスが訪韓に出発する前にホワイト・ハウスで限られた参加者による議論が行われました。そこで決まった方針は、「大統領の見解は、朝鮮側は我々が公に言っていることを額面どおりに受け止める必要がある」("The president's view was that they need to understand that what our policy is publicly and what we are saying publicly is actually what we mean")とする、トランプ政権の「超強硬政策」を確認するものでした。そして実際にペンスは、会談予定までの間の韓国滞在中にそのように行動(沈没した天安記念館訪問、脱北者との会見、朝鮮に17ヶ月抑留された後に死亡した青年の父親を開会式の日にもてなす、開会式における南北合同チーム入場に当たっては座ったまま)しました。ペンスのスタッフによれば、朝鮮側は、会合をキャンセルするに当たって、ペンスが新たな制裁措置を発表したこと及び脱北者とあったことに対する不満を表明したといいます。
 この記事は、韓国国内で大きな反響を呼んでいます。2月21日付の朝鮮日報日本語WSは、「任鍾ソク(イム・ジョンソク)大統領秘書室長は21日の国会運営委員会での答弁で、平昌冬季五輪の開会式(9日)に出席したペンス米副大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正党第1副部長との会談が直前に中止になったとの米メディアの報道について、「確認できない」と具体的な言及を避けた」「南北で進められている対話や、韓国と米国が緊密に協力している内容に関してはこの場で全て公表できない」と理解を求めた、とする聯合ニュースを報道しました。
同日付の中央日報日本語WSも、この記事に即した上で、「アイアーズ副大統領秘書室長は「北朝鮮はペンス副大統領のメッセージを緩和し、平昌五輪を自分たちの宣伝舞台として譲歩を引き出そうとして会談にこだわったが、副大統領は歴訪初日に明らかにした通り美しい写真で殺人政権を目隠ししようとする戦略を阻止した」と述べた」、「別の高官は「朝米間の仲裁の役割をしながら会談を取り持とうとしたのは韓国政府」と話した」という独自取材の内容も付け加えました。
 2月22日付の中央日報日本語WSは、韓国政府側の対応をも踏まえたさらに詳しい記事を掲載しました。記録に残すため、以下のとおり紹介しておきます。「北朝鮮の突然の取り消しの背景は確実ではない。文大統領が金与正氏に会って米朝対話を強調し、核問題に対する北朝鮮の態度が変わらなければ米国の強硬な圧力も続くだろうと説明すると、今会っても得することがないという判断をした可能性がある」と指摘する中央日報のこの記事の判断は「当たらずとも遠からず」でしょう。

 10日、推進されていたが失敗に終わった米朝高官会合は韓国が水面下で積極的に動いた。 金与正・北朝鮮労働党第1副部長が平昌オリンピック出席のための北朝鮮高官代表団に含まれるという事実を統一部が公式発表したのは7日午後3時57分だった。だが、実際、政府はすでに1月から金与正氏の訪韓の可能性まで念頭に置いて米朝接触の土台作りに着手した。WPの報道と政府消息筋の伝言に基づいて徹底したセキュリティーの中で進められた始末を再構成してみた。
WPは多数のホワイトハウス官僚らを引用して米国が米朝会合に対する最終決定を下した時点を2月2日、秘密会合が決定されるまでかかった時間は2週間だと説明した。韓国・米国・北朝鮮の間で1月中旬ごろから議論が始まっていたことを示唆する。WPは米朝接触関連議論が具体化し始めたのは米中央情報局(CIA)が「北朝鮮がペンス副大統領の訪韓途中で会うことを望んでいる」という話を入手したからだと報じた。初めての米朝接触に対する計画は韓国が提案したとも報じた。この過程で国家情報院の叙勲(ソ・フン)院長が率いる国家情報院とCIA間のチャンネルが主要な役割を果たしたと見られる。
文在寅大統領とドナルド・トランプ大統領間の電話会談でも兆しは見え始めた。トランプ大統領は平昌を機にした米朝間高官接触に対する肯定的な信号を送った。両首脳は1~2月に3回にわたって電話会談を行った。1月4日の通話でトランプ大統領は「南北対話の過程で我々の助けが必要であれば、いつでも知らせてほしい」と述べた。10日の通話では「適切な時点と状況の下で北朝鮮が望む場合、米朝対話は開かれている」とより進展した反応を見せた。トランプ大統領はこの通話を前後に米朝会合に対するCIAの報告を受けたと見られる。
これを機に米朝両側を説得するための政府の努力も加速化したが、表面では全くそのような気配を見せなかった。1月19日、外交安保部署業務報告で外交部は「南北対話と米朝対話間の好循環を成し遂げるよう努力する」と原則的な立場を繰り返すだけだった。
トランプ大統領の最終承認が出た2日の状況は緊迫した。WPはトランプ大統領がこの日、ホワイトハウス会議で決定を下したと説明した。会議にはトランプ大統領とペンス副大統領、ハーバート・マクマスター国家安保補佐官などが参加し、電話でマイク・ポンペオCIA局長もつながった。この他にレックス・ティラーソン国務長官、ジェームズ・マティス国防長官も参加した。
トランプ大統領はこの日午前、安倍晋三首相、文大統領と相次ぎ電話会談を行った。文大統領との通話が先だったのか、米朝会合に対する最終承認が先だったのかは確かではない。ただし、午前11時(現地時間)がトランプ大統領がCIAから毎日情報動向の報告を受ける時間で、ホワイトハウスが韓米首脳間電話会談に関する報道資料を出した時点が午前11時11分だった点を考えると、電話会談後に最終決定が下されたと考えられる。文大統領はこの日、トランプ大統領との電話会談で「ペンス副大統領の訪韓が〔韓半島(朝鮮半島)の平和の定着に向けた〕重要な転機になるよう願う」と明らかにした。
トランプ大統領の承認が行われると、米官僚らの反応も徐々に変わり始めた。金曜日である2日に決定が下され、週末と休日である3~4日を過ぎて5日にティラーソン国務長官が先に口を開いた。中南米歴訪中に記者会見で「北朝鮮といかなる形であれ、会う機会があるか様子を見てみよう」と話した。
同日、アジア訪問の途に上ったペンス副大統領も航空機給油のために経由したアラスカのエルメンドルフ・リチャードソン総合基地で北朝鮮との会合の可能性について「トランプ大統領は常に対話を信じると明らかにしてきたという点を申し上げたい」と話した。
米朝間秘密会合が実現しても実際にペンス副大統領が8日夜韓国に到着する時までも具体的な事項が確定していなかったという。9日午後に青瓦台で10日午後に会うことが決定されたとWPは説明した。
10日午前、金与正氏らは青瓦台で文大統領と2時間46分間の面会と昼食会を開いた。青瓦台関係者は当時、金与正氏らのその後の日程に対して「確認することはできない」と明らかにした。予定通りであれば、南北昼食と米朝会合が引き続き行われたはずだ。だが、青瓦台高位関係者はこの日、昼食後の記者会見でも「文大統領が早急な米朝対話の必要性を述べた」と明らかにしただけだった。
WPは米朝接触が10日午前までも有効だったと説明した。そこで考えられる北朝鮮側の取り消し通知は金与正氏が文大統領と会った直後に行われたのではないかという推測も出ている。北朝鮮の突然の取り消しの背景は確実ではない。文大統領が金与正氏に会って米朝対話を強調し、核問題に対する北朝鮮の態度が変わらなければ米国の強硬な圧力も続くだろうと説明すると、今会っても得することがないという判断をした可能性がある。今後続く米朝交渉で主導権を先取りするための戦術的選択でもある。
ペンス副大統領室関係者は「北朝鮮が取り消しを通知しながら、ペンス副大統領が脱北者に会い、新しい対北朝鮮制裁を加えると発表したことに不満を示した」と伝えた。WPは「ペンス副大統領と北朝鮮の接触の目的は交渉でなく、強硬な立場を伝えることだった」と明らかにした。 米朝会合は失敗に終わったが、25日平昌冬季五輪の閉会式にトランプ大統領の娘・イバンカ氏が参加するだけに、北朝鮮代表団の出席の可能性も一部では提起されている。
こうした中で政府の「セキュリティー維持」は続いている。政府が南北関係の最高イベントである米朝会合を斡旋したが、国民は米マスコミの報道を見てこれを接する状況になった。当局者は21日、WPの報道が出た後にも「確認することがない」という公式立場で一貫している。