2018.11.22.
私は外務省に勤務していた当時、日本が諸外国と締結した、日本の戦争中の行為に基づく賠償問題に関する条約・協定においては、個人の賠償請求権を含めた取り決めを行うものであり、その結果、当該諸外国の個人の日本に対する賠償請求権の取り扱いは当該諸外国の内政問題として処理されることになる、という理解・認識で政府・外務省は統一されていたと理解しています。その理解・認識から導き出される重要なポイントは、日本の戦争中の行為によって被害を被った当該諸外国の個人が日本に対して請求権を行使する道は閉ざされるということでした。
しかし、日本と韓国が国交を樹立(1965年の日韓基本関係条約)する上では、日本の植民地支配に起因する韓国及び韓国国民に対する賠償問題が最大の争点となったことは周知のとおりであり、この問題は日韓財産及び請求権問題解決・経済協力協定によって法的に「解決」されました。交渉に臨むに当たって日本政府は、日本の戦争行為に基づく賠償問題を処理する上での原則(個人の賠償請求権を含めて決着させる)を貫き、韓国政府は最終的に日本側の主張を受け入れたとしています。日本政府が韓国最高裁の判決に猛然と反発したのは、以上の経緯を踏まえれば、荒唐無稽として退けるわけにはいかない、と私も考えます。
それでは、韓国最高裁の判決の法的判断は誤りであり、不当であると結論するべきでしょうか。この問題について論点を整理し、私の判断を示したいと思います。結論を先に述べれば、尊厳・基本的人権が普遍的価値として国際的に確立した今日、日本の戦争行為または植民地支配によって尊厳・基本的人権を損なわれ、奪われた個人が、自らの尊厳及び人権の回復を求める権利(具体的現れが賠償請求権)は、その個人が属する国家も尊重しなければならず、したがって、国家が個人の権利(請求権)を「代位」して日本と取り決めを行うことはもはや許されず、個人は日本に対して賠償請求権を行使することができる、ということです。
ただし断っておきたいのは、「日本が戦後締結した賠償に関する条約・協定はすべて個人の請求権に関する限り無効である」という結論が直ちに導き出されると即断するわけにはいかないということです。戦後、日本との間で賠償に関する条約・協定を締結した多くの国々も、個人の賠償請求権を含めて国家が日本との間で法的に処理することができるという理解・認識を日本との間で共有していた(国家が個人の人権(請求権)を「代位」して行使することはできないという認識は国際的に確立していなかった)以上、それらの条約・協定は有効である(個人の賠償請求権は自らの国家に対して行使する道のみが開かれている)というべきです。しかし、基本的人権が確立した状況の下におけるこれら諸条約・協定の今日的効力をどのように位置づけるかに関しては、国連国際法委員会などで討議し、国際社会の統一した認識を達成する必要があると思います。ただし、日韓(日朝)間(及び日中間)では、過去の歴史的経緯における問題をも勘案し、南北朝鮮(及び中国)の個人が日本政府に対して賠償請求権を行使することができることを日本政府は認めなければならないと思います。
日本政府の韓国に対する強硬な立場を理解する上では、対日平和条約が規定した個人の賠償請求権に関する規定、及び、その後日本が諸外国と締結した条約・協定における個人の賠償請求権の扱いに関して日本政府が対日平和条約の規定を踏まえた取り扱いを貫いてきたことを踏まえる必要があります。対日平和条約における請求権に関する規定は詳細ですが、個人の請求権に関する規定は、第4条(b)「…連合国は、…戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権…を放棄する」と、第19条(a)「日本国は、戦争から生じ、または戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄…する」です(強調は浅井)。
確認するべきポイントは、①対日平和条約では個人の請求権を含めて放棄することが明記されたこと、及びこの点が重要ですが、②当時は日本だけではなく条約に参加した米欧諸国を含め、国家が個人の請求権をも放棄することができるという理解が支配していたことです。つまり、当時はまだ尊厳・基本的人権は国家といえども「代位」することはできないという認識が成立・成熟するには至っていなかったということです。
その後日本が諸外国と締結した条約・協定では、対日平和条約の上記規定に沿った処理が行われました。
まず日本はアメリカの対中国政策に従い、対日平和条約が発効した日(1952年4月28日)に台湾に逃げ込んだ蒋介石政権との間に日華平和条約を締結しました。同時に締結された議定書の1(b)は「中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、…日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する」と規定しています。さらに、条約に関する交換公文では、日本代表による「中華民国は本条約の議定書第一項(b)において述べられているように、役務賠償を自発的に放棄したので、サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は、同条約第14条(a)2に規定された日本国の在外資産であると了解する。その通りであるか。」という問いかけに対して台湾代表は「然り、その通りである」と答えました。これにより、日本は中国(大陸本土を含む)の個人の対日請求権も消滅したとしました。この点がその後日中間の見解・立場の違いを惹起することになります(詳細後述)。
1952年6月に締結された日印平和条約第6条では、「(a)インドは、日本国に対するすべての賠償請求権を放棄する。(b)…インドは、戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインド及びインド国民のすべての請求権並びにインドが日本国の占領に参加した事実から生じたインドの請求権を放棄する。」と定めます。1954年11月に締結された日・ビルマ平和条約第5条1は、日本軍のビルマ侵攻を反映して日印平和条約より複雑かつ詳細な規定を置いていますが、その2においては「ビルマ連邦は、…戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたビルマ連邦及びその国民のすべての請求権を放棄する」とする規定を置いています。
1956年10月に締結された日ソ共同宣言6も、「ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する。」と定めることで、規定上は前例に従っています(日本政府がシベリアに抑留された日本人のロシア(ソ連)に対する請求権は消滅していないとする立場を明らかにした点については後述参照)。
1957年2月に締結された日・ポーランド国交回復協定第4条(「日本国及びポーランド人民共和国は、両国間の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。」)、1958年1月に締結された日・インドネシア平和条約第4条2(「インドネシア共和国は、…インドネシア共和国のすべての賠償請求権並びに戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインドネシア共和国及びその国民のすべての他の請求権を放棄する。」)も同旨です。
なお1972年9月29日の日中共同声明5(「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」)も同旨であり、日本政府は、日華平和条約は有効であるとする立場から、中国人個人の対日請求権問題も解決済みとする立場がこれで確認されたとする解釈を取ってきたわけです。
日本は以上の積み重ねのなかで韓国との交渉に臨みました。日韓基本関係条約(1965年6月22日締結)と同時に締結された日韓財産及び請求権問題解決・経済協力協定第2条1及びその合意議事録は次のとおり定めています。
第2条1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、…完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。私が11月11日付コラムで紹介した河野外相の発言(「この問題は1965年の請求権協定で、完全かつ最終的に終わった話」「100%、韓国側の責任において(解決策を)考えることだ」「日本は韓国に必要なお金をすべて出してあるので韓国政府が責任を持って補償しなければならない」「1965年の韓日請求権協定で韓国政府は韓国人のすべての請求に対して責任を負うべきだというのが自明だ」)は、上記合意議事録(1)(g)を踏まえ、個人の賠償請求権を含めて国家間の条約・協定で解決・処理するという日本政府の対日平和条約以来の一貫した立場に基づいてなされたものであり、その限りでは突拍子もないものではありません。
合意議事録(1)(g) (第2条)1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題には、日韓会談において韓国側から提出された「韓国の対日請求要綱」(いわゆる8項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており、したがつて、同対日請求要綱に関しては、いかなる主張もなしえないこととなることが確認された。
しかし、1960年代までの状況と21世紀の今日を法的に根本的に分かつものは尊厳・基本的人権の国際法的確立(国家といえども個人の基本的人権を尊重しなければならないということ)です。
国際人権規約はその点を明確に規定しています。すなわち、市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約 1966年採択。1976年発効。日本は1979年に批准)は、前文で人間の固有の尊厳及び市民的政治的権利が尊厳に由来することを定め、「(締約国は)個人が…この規約において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有する」と定めます。そして第7条で「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない」、第8条3(a)で「何人も、強制労働に服することを要求されない」と定めます。そして第2条3は、各締約国が「この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること」を約束しているのです。法律的な「不遡及」原則及び時効などの法律的問題(この点については後述参照)をとりあえず捨象すれば、いわゆる「従軍慰安婦」、強制連行徴用工などの人権侵害問題が以上の国際人権規約の規定に基づいて「効果的な救済措置を受けることを確保」されるべきことは明らかです。
私は年初に断捨離を敢行したため、今では事実確認はネット頼りであることを前もってお断りしておきます。11月16日付の朝鮮日報日本語WSは、金泰勲(キム・テフン)記者署名文章「西欧の旧帝国主義諸国、謝罪するのは「国益に役立つとき」だけ」を掲載しています。西欧諸国が謝罪するに至ったのは以上に述べたとおり尊厳・基本的人権の国際的確立を背景にしたものであることを見落としている点で、この記事は本質的に問題がありますが、事実関係に関する以下の指摘は参考になります。イタリアが「植民地支配の責任を認め」、イギリスが「謝罪」し少額の「支払い」に応じ、旧西ドイツがポーランドに対して「強制労働被害者に賠償を行った」のは、それぞれ1999年、2013年、2000年であるということは、これら諸国が国際人権規約の上記規定に従って取った行動であることは明らかです。
イタリアのリビア植民統治(1911-43年)中、強制収容所に収監されたリビア人およそ7万人が命を落とした。イタリアは56年4月、「リビア経済再建のための寄与金」という名目でおよそ48億リラを払ったが、植民地支配に対する謝罪はなかった。69年のクーデターで政権を取ったカダフィがこの協約を破り、より多くの賠償金を要求すると、イタリアは「56年の和解で債務は清算された」として応じなかった。報復に出たカダフィは翌年、リビア在住のイタリア人およそ2万人を国外追放した。リビアに埋蔵されていた石油とガスが必要だったイタリアは、99年にようやく植民地支配の責任を認めた。…ということは、尊厳・基本的人権に関わる問題に関しては、「不遡及」原則・時効の縛りは及ばないということです。したがって、国際人権規約を批准した日本も、これまでの立場(「個人の対日請求権は各国と締結した条約・協定で解決済み」)を改めなければならないということなのです。
1895年から1963年までケニアを支配した英国も、52年の「マウマウ団の蜂起」を武力鎮圧したことについて、2013年に謝罪。比較的少額となる1900万ポンドをケニア人5228人に支払った。…
西ドイツは、当初から賠償に乗り出していたわけではなかった。代表的なケースがポーランドだ。西ドイツは、ポーランドとの関係回復のため、1970年に「ドイツ-ポーランド相互関係正常化の土台のための条約」(ワルシャワ条約)を締結した。ポーランドは、東ドイツに国家レベルの賠償を要求しないとした決定を西ドイツとの条約にも適用したが「個人被害者の請求権は残っている」と主張した。西ドイツは「ロンドン債務協定で全ての賠償は終わった」と対抗した。72年の外交関係復活を契機として、ポーランドは強制収容所の収監者や強制労働被害に対する個人賠償などを再び要求した。このときも西ドイツは、ワルシャワ条約で終結した問題だとして拒否した。
平行線をたどっていた両国は75年、「賠償という表現を使わない」という条件下で、ドイツがポーランドに借款10億マルクと、強制労役者の年金請求相殺の名目で13億マルクを提供することに合意した。ただし、西ドイツは「強制労役に対する個人賠償は既に解決した」という原則を固守した。バイエル、フォルクスワーゲン、シーメンスなどドイツ側の強制労役受益企業も、ロンドン債務協定を根拠に「賠償責任はなくなった」と主張した。しかし、フォルクスワーゲンが従業員の3分の2を強制労働者で充当していた事実が暴露され、またスイス銀行がナチスに虐殺されたユダヤ人犠牲者の個人口座を破棄しようとして発覚し、雰囲気が変わった。さらに生存している被害者が米国で集団訴訟の動きを見せたことから、ドイツ政府・企業は、国家・企業イメージがそろって低下しかねないと判断し、政治的妥協へと方向を変えた。
2000年にドイツは「記憶、責任、未来財団」を作り、強制労働被害者に賠償を行った。ドイツ政府と6500社余りの企業が参加し、およそ8兆ウォン(現在のレートで約8100億円)規模の財団を立ち上げ、ポーランドはもちろんロシア・チェコ・ベラルーシ・ウクライナ出身の強制労働被害者160万人にそれぞれ350万-1100万ウォン(約36万-112万円)相当を支払った。一方、韓国の裁判所が決定した植民地時代の強制徴用被害者の賠償額は1人1億ウォン(約1020万円)。追加で訴訟を起こす可能性のある人物は少なくとも14万人と推定されている。
以上の検討を踏まえ、日本政府の主張・立場の問題点を整理します。
第一に、日本政府は、国際人権規約の締約国になることによって課せられた、個人の尊厳・基本的人権に対する侵害は許されず、日本が過去の戦争及び植民地支配によって侵害した尊厳・基本的人権に対する救済を講じる責任があることを承認しなければならないということ。
私はたまたま外務省の国際協定課長だった当時に国際人権規約(A・B)の国会承認事務を担当する立場にいました。関係省庁及び与野党関係者と折衝する中で痛感したのは、外務省を含めた人権感覚の希薄さということでした。国際人権規約を批准するのは「国際的にいい顔をするため」であり、この条約の中身を担保するために国内の法整備を積極的に進める(国内法の基本に尊厳・基本的人権という原則を貫徹する)という発想は皆無でした(関連する法改正はゼロ)。外務省を離れた後、子どもの権利条約の国会承認を促進する運動にも若干関わった経験がありますが、関係省庁及び与野党の対応の仕方はまったく同じでした。
さらに言うならば、今回の強制徴用工の問題にしろ、いわゆる「従軍慰安婦」の問題(日韓合意に基づく基金)にしろ、国内世論も安倍政権の対応を是とする声が圧倒的です。メディアを含め、国際人権規約の存在が議論のまな板に乗ることすらありません。この事実は、人権感覚の希薄さという問題は、ひとり国会・官庁だけの問題ではなく、優れて国民全体の問題であることを象徴的に物語っているのです。
しかし、国際社会は尊厳・基本的人権の確立に即した行動を取るに至っています。日本政府及び日本社会に求められているのは国際的常識(法規範)に即して自らの行動を正すことです。
第二に、既存の請求権に関わる条約・協定によって個人の請求権に関わる問題は解決済みとする日本政府の主張は、過去においてはともかく、今日ではもはや通用しないということ。
この点に関しては、日本政府(外務省)の国会答弁において、政府が自ら認めています。ネット上でもよく紹介されているとおり、外務省は、1991年3月28日の参議院内閣委員会における日ソ共同宣言に関わる答弁及び同年8月27日の参議院予算委員会における日韓請求権協定に関わる答弁において、個人の請求権自体がこれらの宣言及び協定によっても消滅することはないとする認識・見解を示しています。特に後者では、柳井俊二条約局長(当時)が次のとおり答弁しました。
○清水澄子君 …これまで請求権は解決済みとされてまいりましたが、今後も民間の請求権は一切認めない方針を貫くおつもりでございますか。確認のために、日ソ共同宣言に関わる外務省の国会答弁は以下のとおりでした。
○政府委員(谷野作太郎君) …政府と政府との間におきましてはこの問題は決着済みという立場でございます。
○政府委員(柳井俊二君) ただいまアジア局長から御答弁申し上げたことに尽きると思いますけれども、あえて私の方から若干補足させていただきますと、‥いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。
その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。
○翫正敏君 …条約上、国が放棄をしても個々人がソ連政府に対して請求する権利はある、こういうふうに考えられますが、これは外務省に答弁していただけますか。本人または遺族の人が個々に賃金を請求する権利はある、こういうことでいいですか。以上の外務省答弁から導き出されるのは以下の諸点です。
○説明員(高島有終君) 私ども繰り返し申し上げております点は、日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。(中略)
○翫正敏君 じゃ、個人がそれを請求しようという気持ちがあって、そういう事実があって、何らかの形で証明する書類を持っている、そういうふうにした場合にそれはどういうふうにしたらいいんですか、それを教えてください。
○説明員(高島有終君) 個人の請求権という点で申し上げますと、個人の請求権を放棄したものでないという趣旨で御説明申し上げておりますが、国際法上の個人の請求権というのはないわけでございます。と申しますのは、個人は国際法上の主体には原則としてなり得ない。したがいまして、個人の請求権を放棄したものでないという趣旨は、あくまでもソ連の国内の法制度上における個人の請求権までも放棄したものでない、こういう趣旨でございますので、個人が請求権を行使するということでございますならば、それはあくまでソ連の国内法上の制度に従った請求権を行使する、こういうことにならざるを得ないと考えます。