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私の文章に対する批評・批判について

2018.10.22.

私は自分が書いた文章の内容(例えばこのコラム)に関してはそれなりの自信と責任を自覚しています。むしろ、世の中にはびこる「通説」について、私が違うと判断することについて積極的に発信することは何らかの意味があるのではないかと考えています。しかし、私は自分の考え、判断を他人様に押しつける気持ちは毛頭なく、私の文章を読んでくださる方が自らの考え、判断をまとめる際の参考、手がかりにしていただけたら幸いだというスタンスです。
 したがって、私の知らないところで、私の文章に対する批評、批判が行われるとしても、私としては「どうぞ、どうぞ」ということであって、それらの批評、批判に対して私がいちいち反応する義務も責任もないと考えています。私が9月29日付で高林敏之氏の批判に答える文章をしたためたのは、そこでも書いたように、ある知り合いの人から同氏の文章を紹介されたからでした。
 正直言って、目の調子は悪く、以上の私の基本的スタンスからも、高林氏の批判に反応する気持ちはありませんでした。しかし、その知り合いの方のメールの文面(チェックしましたが、残っていない)は私が反応することを促していることもあり、最終的に9月29日付のコラム文章を記した次第です。
 ところが、その知り合いは10月12日に、「高林先生が、浅井先生への反論に対して、丁寧に再反論されていました。ご参照いただけたらと思います。」として、再び高林氏の文章のリンク先を知らせてきました。しかも、翌13日付のメールで次のように書き送ってきました。

高林さんの再反論投稿に、下記の通りコメントしました。
浅井さんに対する高林さんの批判投稿を紹介しながら、中国に対する酷い蔑視を感じさせる(また浅井さんへの酷いレッテル貼りも伴う)シェア投稿も見ましたが、そんな方は極少数で、高林さんの批判は深い見識による説得力を持っていて、他の浅井さんへの批判としっかり区別した表現で、浅井さんは記すべきだったと思います。
高林さんと浅井さんとで実り多い議論が行われ、論争の一方を支持される方が相手側の論争者を不当に貶めるようなことがないように願ってます。

私は正直愕然としたし、怒りすら覚えました。目の調子が極端に悪い現在の私は、他人様の批評、批判にいちいち反論するだけのスタミナも時間もありません。しかし、その知り合いの意思を無視するのは悪いかなと思い、高林氏の文章に対して必要最小限の回答を行ったのです。もちろん、その知り合いは私のコンディションのことは知らないですから、再び高林氏の文章のリンク先を送付してくるのは自由です。しかし、それに加えて、私の反論内容が不適切だった(「他の浅井さんへの批判としっかり区別した表現で、浅井さんは記すべきだったと思います」)とし、さらなる議論を行うことまで提起するというのは、正直言って「どういう了見だろう」と思いました。言うならば、相撲の行司が一方の側に立って他方の側を裁いた、ということなのですから。
 以上の次第を公にするのは、もう今回のような愚を繰り返すのはごめんで、他人様の批評、批判に対していちいち反応しないという私の原則を改めて明確にしておきたいからです。知り合いの暗示を無視しては悪いと思って原則から外れた行動を取ってしまった私が悪いのですが、もう二度と今回のような不愉快な思いをしたくはありません。もちろん、冒頭に述べたとおり、自分の文章には責任を持っていますから、直接私にメールしてくださる方には、これからもできるだけお返事したいと思っていますので、その点は誤解のないようにお願いします。