21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

中国の対台湾政策
-高林敏之氏の批判に答える-

2018.09.29.

知り合いの方から、高林敏之氏の浅井批判の文章が同氏のブログに載っているという紹介とそのURLを教えていただきました。私は高林氏を存じ上げないのですが、私のコラムの文章「当代随一のならず者国家「アメリカ」と中国・エルサルバドル国交樹立」(8月25日)を読まれて、中国の対台湾政策に関する私の評価は「中国共産党体制の外交や国際問題認識に対する批判的見識が乏しい、というより、いささか同調し過ぎる」という批判を行われていることを知りました。まず、同氏の文章を紹介します。

 浅井基文氏はたいへん見識と良識のある元外交官であり学識者で、氏の著述からは学ぶところが非常に多い。特にDPRK外交や同国を取り巻く情勢に対する非常に客観的な見方は、今の日本において大いに必要とされるものだと思っている(これまでも何度かシェアさせていただいた)。
 しかしながら、浅井氏の論説は―かつて外務省中国課長だったこともあって中国政府や公営メディアの論調を引用されることが非常に多いのだが―中国共産党体制の外交や国際問題認識に対する批判的見識が乏しい、というより、いささか同調し過ぎるという欠点も強く感じられる。
 ここでシェアする論説は、かかる浅井氏の弱点が如実に表面化したものだと思われる。
 タイトルを見て胸騒ぎを覚えたので一読したが、トランプ政権による外交の無法ぶりを批判する前半にはほぼ全面的に同意するが(イラン核問題合意からの脱退に加えて、エルサレム問題に関する行動もその無法ぶりを示すものとして挙げてよいだろう)、後半にはほとんど同意できない。同意できるのは、エル=サルバドルと中国の国交樹立に対する米国の批判が、米国自身の外交原則に矛盾するという指摘のみである。これに対する中国の反論を、トランプ政権の無法な外交政策に対する「真剣」な批判として受け止めるべきだとは思えない。
 蔡英文政権が発足して以後、中国の台湾に対する圧迫はいささか常軌を逸していると言わざるを得ない。世界保健機構(WHO)総会から台湾(馬英九政権下の2009年から2016年までオブザーヴァーとしての参加を認められていた)を排除する圧力(2017年まで在任した香港人マーガレット・チャン事務局長のもとで招待状が送られなくなったことに留意したい)、民間の台湾正名運動を理由とした台中市からの第1回東アジア・ユースゲームズ開催権剥奪(東アジア・オリンピック委員会の会長は中国の劉鵬氏で、同会長と中国、香港、マカオだけで理事会の9票中4票を占めていた)、航空会社に対する「台湾」の名を地図から削除するよう求める圧力は、その典型的な例である。
 民間の台湾独立派が「中華民国」に代わって「台湾」の名を定着させようという運動を展開しているとはいえ、民進党政権は(台湾世論の大勢が「中華民国在台湾」の現状維持を支持していることを承けて)少なくとも公式には「チャイニーズ・タイペイ」として国際的なフォーラムや競技会に参加する現状の変更を求めていない。にもかかわらず台湾の国際的な参加の場を剥奪するのは、まぎれもなく無法な圧力だと言わざるを得ないだろう。「チャイニーズ・タイペイ」として台湾が様々な国際舞台に参加することは、中国自身が合意した国際取極めとして長年履践されてきたことであり、台湾政府が自ら「チャイニーズ・タイペイ」の名を放棄しない限り、政権交代によって台湾の参加を左右してはならないことは明らかだからだ。
 中国がこうした国際合意を踏みにじって台湾を圧迫している状況を何ら問題視せず、トランプ政権のエル=サルバドルに対する「内政干渉」をイラン核問題合意離脱と同列に扱い、その批判の論理として他ならぬ中国の論理を援用するというのは、いかがなものだろうか。
 すでにかなり前から中国との国交樹立を考えていたと思われるエル=サルバドルのファラブンド・マルティ国民解放戦線(FMLN)政権との国交樹立が、蔡英文総統のベリーズ訪問直後に発表されたのは、計画的な嫌がらせ以外の何物でもないように思われる。
 特に残念なのは、浅井氏が現在も台湾と国交を有する17ヵ国の名を列挙したうえで「グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、パラグアイ及びバチカンを除けば、私も地図上でどこにあるかを記憶できていません」と書いていることである。
 正直だと言えばそれまでかもしれないが、浅井氏は仮にも元外務官僚であり国際政治学者である。《あの国の場所は知りません》なんて軽々に書いてよい立場ではないだろう。《オセアニア、カリブ海、アフリカのミニ国家(その多くは小島嶼国)なんて取り上げるにも値しない》という蔑視が匂う。浅井氏自身の信用のためにも重々反省してほしいところだ。
 中国の内外政に関する私の評価は甘すぎる・中国に同調しすぎだ(さらには、「浅井は「親中」だ」)という批判(レッテル貼り)は、私が外務省に勤務していたとき(特に在中国大使館勤務時代)以後、同僚からもまたメディアの中国専門家諸氏からもしばしば頂戴したものです。しかし現実の中国は、私の「あまい分析・予想」をも超絶する成長を遂げて現在の超大国・中国が存在しています。
また、高林氏は、私が「公営メディアの論調を引用されることが非常に多い」ということ(それはその通りです)を「欠点」として見ておられます。その一方で高林氏は、私の「DPRK(朝鮮)外交や同国を取り巻く情勢に対する非常に客観的な見方」については高く評価してくださっています。 しかし、指摘しておく必要があるのは、私の朝鮮に関する「客観的な見方」と高林氏が高く評価してくださる分析も、朝鮮中央通信の報道(日本語)を丹念にフォローすることに基づくものなのです(私は広島時代に朝鮮語を習得したいと一念発起したのですが、数回にわたる憩室炎による入院で挫折)。
私が外務省時代に習得した最大の確信は、中国の公開された様々な文章を丹念に読み込むことを通じて中国の実像を、その内面から理解し、把握することができるし、また、そうしなければならない(つまり他者感覚を駆使して理解することに努める)ということです。私はその確信(他者感覚)に基づいて朝鮮についてもコツコツとフォローしてきました。私は朝鮮問題の専門家ではありませんが、朝鮮中央通信(日本語)というまったく限られた情報源でも、これを時系列的にフォローすることで浮かび上がってくる傾向・変化を「眼光紙背に徹する」意気込みを持続することによって読み解くことを通じて、1990年代以後の朝鮮外交をかなり正確に捉えてきたという自負があります。中国と朝鮮の公式報道に等しく拠りながら、一方(朝鮮)については客観的な見方をしており、他方(中国)については「中国共産党体制の外交や国際問題認識に対する批判的見識が乏しい、というより、いささか同調し過ぎる」という評価になるというのは、私からすれば理解できないことです。
まず事実関係として指摘しなければならないことは、「民進党政権は(台湾世論の大勢が「中華民国在台湾」の現状維持を支持していることを承けて)少なくとも公式には「チャイニーズ・タイペイ」として国際的なフォーラムや競技会に参加する現状の変更を求めていない」という高林氏の指摘には巧みな表現による重要な事実への言及回避があるということです。つまり、「少なくとも公式には‥現状の変更を求めていない」という言い回しです。すなわち、そういう表現をとることによって、中台関係のあり方に関する蔡英文の核心的主張については立ち入っていないのです。蔡英文の主張について詳しく立ち入って紹介する余裕はここではありません(トランプ政権になってから、特に今年に入ってからの事実関係については、高林氏の批判に触発されて、これまでの中国政府および主要論調を整理する作業を進めていますので、近い将来に紹介するつもりです)が、ここではとりあえず、Wikipediaの記述を紹介することで代えます。Wikipediaの記述は時に不正確ですが、次の叙述部分は、大筋の事実関係において間違っていません。つまり、蔡英文の中台関係のあり方に関する主張は、「一つの中国」原則(の代名詞である「九二共識」)を認めないことに最大の問題があるということです。高林氏はその点を巧みに回避しているのです。しかし、まさにその点において、中国は蔡英文政権に対して強い警戒感を持たざるを得ないという根本的な問題があります。
 1980年代後半に中台間の民間交流が一部解禁されたのに伴い、1991年に中台双方が民間の形式で窓口機関を設立(中国側:海峡両岸関係協会、台湾側:海峡交流基金会)、当局間の実務交渉が始まった。当初、中国側は「一つの中国」原則を協議事項に入れるよう強く要求したが、台湾側は「中国とは中華民国である」とする立場を譲らず拒否した。しかし、1992年の香港協議を通じて「一つの中国」原則を堅持しつつ、その解釈権を中台双方が留保する(いわゆる一中各表)という内容で口頭の合意が成立したという。これが九二共識といわれるものである。(中略)
 「九二共識」肯定派の連戦国民党主席が2005年4月29日、胡錦涛共産党総書記との国共トップ会談を行い、両党の合意事項として初めて「九二共識」の文言が明記された(ただし「一中各表」は盛り込まれなかった)。民進党政権下の行政院大陸委員会は、「九二共識」は存在しないとの公式見解を発表したが、国民党は当時の双方のやりとりの中に合意が存在したことがうかがえる資料が存在するなどと主張して「九二共識」を党の政治綱領に盛り込んだ。
さらに、2008年総統選を経て政権を奪回した国民党の馬英九総統が「九二共識」を基礎に中台関係を促進すると方針を決定した。 (中略)
 2012年総統選に出馬した民主進歩党主席・蔡英文は、「九二共識」の存在を認めないとする従来の党見解を継承し、これに代わる「台湾コンセンサス」(台湾共識)の国内法制化を目指すと表明した。馬英九は「台湾コンセンサスの中身が明らかでない」「九二共識を基礎としてきた協議は進められなくなり、両岸関係は再び不安定になる」などと批判している。蔡は2016年総統選の選挙戦で「九二共識」は唯一の選択肢ではないと主張、当選を果たしている。(以下省略)
 さらに中国が警戒感を増幅せざるを得なくなっているのは、上海コミュニケ(ニクソン大統領)、米中国交正常化コミュニケ(カーター大統領)及び対台湾武器輸出に関わる米中コミュニケ(レーガン大統領)においてアメリカがコミットした「一つの中国」原則(それ以後の歴代政権はこのコミットメントを継承)を、トランプ政権が公然と踏みにじる動きを強めていることです。蔡英文政権はトランプ政権の言動を無条件で歓迎しています。
 高林氏は、「「チャイニーズ・タイペイ」として台湾が様々な国際舞台に参加することは、中国自身が合意した国際取極めとして長年履践されてきたこと」と主張されています。しかし中国は、台湾が「一つの中国」原則にチャレンジしない限りにおいて台湾が国際的な、政治的色合いを伴わない活動に限って「チャイニーズ・タイペイ」として参加することを認めてきましたが、台湾が「一つの中国」原則にチャレンジするとなれば話は別になるのです。言葉を換えていえば、蔡英文政権が「一つの中国」原則を守ると公に約束さえすれば、中国は蔡英文政権に対する「いじめ」をやめることを私は確言できます。
高林氏は「蔡英文政権が発足して以後、中国の台湾に対する圧迫はいささか常軌を逸していると言わざるを得ない」と主張されますが、中国のこのような「圧迫」(高林氏)とも映る行動は、蔡英文の政治主張+特に今年に入ってからのトランプ政権の国際法・ルール破りによる「一つの中国」原則に対する公然とした挑戦に直面して余儀なくされた、「一つの中国」原則を防衛するための防戦的対応であるというのが事実です。
 以上が私の高林氏の批判に対する回答です。
しかし私はこの機会により本質的な問題を提起しておきたいと思います。それは、高林氏の私に対する批判の根底に、多くの日本人に共通する、中国共産党政権(さらにいえば、急速に「大国」として立ち現れつつある中国)に対する特別な先入主があるのではないかということです(高林氏は無縁であると思いますが、多くの日本人の場合、この先入主に加えて、根強いアジア蔑視・中国蔑視の働きも加わります)。その先入主(蔑視)故に、私の中国分析は「偏っている」という判断になるのです。
さらに台湾に関しては、多くの日本人の中に様々な要因の働きによる特別な感情の働きが加わります。"同じように日本の植民地だったにもかかわらず、韓国(及び朝鮮)には根強い反日感情があるのに、台湾はおしなべて「親日的」だ"という受け止め(私が外務省派遣の語学留学で1963年に行ったのが台湾でしたが、台湾の中にある「親日」感情は、実は台湾解放時に渡ってきた国民党軍があまりにひどかったので、「植民地時代の方がマシだった」という受け止めの裏返しに過ぎないことを、私は知ったのでした)。"中国(中国共産党政権・「大国」中国)に対する先入主の裏返し"としての台湾に対する同情・思い入れ(「弱いものいじめ」をする中国はけしからんという感情の働き)"。"「大国」中国に対する牽制材料・防波堤としての台湾"というパワー・ポリティックス的発想(今の安倍政権が典型例)等々。高林氏自身はこれらの感情の働きと無縁だとは思いますが、高林氏の上記「浅井批判」が多くの日本人に無条件で受け入れられるに当たっての土壌となっていることは間違いありません。
 そして、もう一つの多くの日本人に共通する重大な問題として、「歴史に対する無頓着」があります。つまり、軍国主義・日本のアジア諸国に対する侵略・植民地支配の歴史は、多くの日本人の頭から消え去ってしまっています。しかし、朝鮮半島の南北分裂も、中国と台湾の対立という問題も、すべては日本という国家が犯した侵略戦争(中国・台湾の場合)及び植民地支配(朝鮮半島の場合)に根本的原因があります。
戦後の保守政治は一貫してこの「過去」を消し去ろうとしてきました(いわゆる「歴史教科書の書き換え」「皇国史観」)。そして現実に、ますます多くの日本人が「過去」を知らないように仕向けられています。しかし、いわゆる「中国問題」「朝鮮半島問題」を考える場合、歴史という根本問題を無視した議論はしょせん「井の中の蛙」「自己中」であり、国際的な批判・検証に耐えうるものではありません。率直に言って、高林氏の上掲文章もこの点において重大な問題があると指摘しておく必要があると思います。