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シリア情勢:クルド人勢力の動きとアメリカ

2018.07.31.

シリア情勢は、ロシア及びイラン(+レバノンのヘズボラ)の強力な支援を得ているアサド政権軍が全土の60%の支配を回復し、南西部及び北西部に残るIS(イスラム国)残党の制圧に注力している状況です。そうした中、アメリカの強力な軍事支援を受けてきたクルド人勢力(シリア・クルド民主党(PYD) 及びその軍事部門であるクルド人民防衛隊(YPG))はシリア北東部(国土の25%を占めるといわれている)を支配しています。アメリカはこのクルド人勢力支配地域に軍事基地を建設することで、アサド政権に対する軍事的圧力を行使し、アサド政権を牽制するとともに、ロシア及びイランのプレゼンスを牽制してきました。
 問題をさらに複雑にしているのはトルコの動きです。トルコ国内には、クルド系の合法政党である人民民主党(HDP)と非合法組織で、エルドアン政権がテロリストと決めつけて弾圧対象とするクルディスタン労働者党(PKK)があります。エルドアン政権は、シリアのPYD及びYPGをPKKと結びついたテロリスト集団とし、彼らがトルコと国境を接するシリア北東部を支配することはトルコに対する脅威を構成するとして、2016年以来越境攻撃しています。エルドアン政権はもともとアサド政権の追い落としに動いていたわけで、そのエルドアン・トルコがロシア及びイランとともに、いわゆるアスタナ合意に基づいてシリア問題の政治的解決の一翼を担う行動も取っているということで、エルドアン政権の真意・目的が奈辺にあるかは実に見極めにくい状況です。
 以上の背景のもと、7月29日付の人民日報・海外版WS(海外網)は、次のように、クルド人勢力がダマスカスに代表団を送り、アサド政権と交渉したことを報道しました。なお、文中に言う「シリア民主軍」はYPG、シリア民主委員会はPYDのことだと思いますが、何分シリア問題にはずぶの素人なので、原文直訳のままです。

 28日、クルド人を主体とする「シリア民主軍」のもとで設立された政治機構である「シリア民主委員会」は、シリア政府と協商委員会を設立し、戦争終結及び「民主、分権のシリア」建立のためのロード・マップ制定を協議することを決定したと述べた。アサド政権は今のところ確認していない。
 これに先立ち「シリア民主委員会」主席のイルハム・アハマドは、「シリア民主軍」はシリア政府との交渉に力を尽くすとして、次のように述べていた。「我々は、(交渉の)チャンネルが開かれなければならず、…シリア政府の参画なしには、憲法、政治プロセスなどの問題は解決が得られようがない。」
 シリアの将来的方向性に関しては、双方の立場の違いは一貫して明らかだった。クルド人はシリア政府と協議して、自らの支配地域で自治を実現するとし、アサド政権は全面的支配の回復を希望していた。クルド人は2016年に一方的に「連邦区」設立を宣言したが、シリア政府はこれを承認しなかった。
 しかし、クルド人自治問題は昨年から転機を迎えた。昨年末、シリアのムレアム外相は「自治の形式」は「交渉可能」と表明した。本年5月には、アサド大統領がクルド人の政治的要求に対して反応し、「シリア民主軍」に対する「交渉のゲートは開いている」と表明した。
一見唐突に感じる報道ですが、7月6日付の中国網所掲の、中国の民間シンク・タンクである安邦(ANBOUND)所属の蘭順正研究員署名文章「トルコとアメリカが手を結んだことへの報復でクルドがシリア政府と「縁組み」?」を読むと、上記報道で紹介された事実関係が決して唐突ではなく、クルド人勢力はアメリカがトルコと手を組む動きを示したことに対して失望し、アサド政権に対して歩み寄る政策に転換したことを背景としているらしいことを理解することができます。
 私はこれまで、アサド政権の国内的優位は確実になりつつあるけれども、アメリカがクルド人勢力を支持して、シリアの領土的統一回復を妨害し続ける限り、シリア問題の政治的解決への展望はなかなか開けないのではないかと判断していました。蘭順正の文章は一通り読んでいたのですが、上記記事を見た上で読み直してみると、きわめて慧眼で、今日の事態の展開を的確に予想していたことが理解できました。
端的に言えば、トランプ政権の対シリア政策は迷走しており、とてもアメリカに自分たちの未来を託すことはできないと判断したクルド人勢力が、隣国イラクでもクルド人自治区が成立していることにも鑑み、シリアでも同じような方式でアサド政権と折り合いをつけようと動いているのではないかと思われます。アサド政権としても、こうしたクルド人の動きはアメリカの影響力・妨害を排除することに資するものであり、クルド人勢力をも巻き込んだシリア問題の政治的解決に資するという判断に立って、クルド人との交渉に踏み切ったのではないでしょうか。
 複雑を極めるシリア情勢ですので、物事がすんなり動いていくとは考えにくいですが、シリア問題の政治的解決を阻み、妨害する最大の要因であるアメリカの今後の出方を見る上でも、蘭順正文章は重要な示唆に富むものですので、要旨を紹介します。
 中東のメディアAl Monitor WSの報道によると、アメリカがシリア・クルド武装勢力を「放棄」する傾向がますます明らかになってきたため、彼らはシリアの「懐」に身を寄せる可能性があると言う。シリア・クルド人組織の指導者の発言を引用したこの報道は、アメリカがトルコ政府とマンビジの将来に関するロード・マップについて合意を達成したとき、クルド人組織を参画させず、彼らに知らせることもしなかったと報じた。しかもこの合意はクルド人武装勢力と政権組織にマンビジを撤去することを強い、クルド人の利益を犠牲にすることを内容とするもので、そのために広汎なクルド人の反対を呼び起こした。この「四角形のゲーム」において、トルコとアメリカの関係が熱を帯びるに従い、クルド人勢力がシリア及びロシアに傾いていくことは当然考えられることである。
 もともと、中東の混迷の中から次第に成長してきたクルド人武装勢力は、これを一貫して支持し、庇護してきたアメリカに感謝感激のはずだった。アメリカは、IS及びシリア国内のその他の反政府武装勢力が勢いを弱めると、シリア北部の大きな地域を支配していたクルド人勢力を、シリア情勢を左右するための有力なテコとしようとした。しかし、アメリカとクルドの間に有力な「楔」を打ち込んだのがトルコだった。トルコはNATOの一員であるとともに中東の大国の一つであり、情、実力、影響力のいずれから言っても、クルド武装勢力はその比ではなく、アメリカとしては絶対にトルコと関係を悪くするわけにはいかない。しかも、トルコとクルドの葛藤は他国が二言三言言えば解消するという代物ではなく、アメリカはこのために長期にわたって進退両難の立場におかれてきた。
 近年、アメリカがクルド人勢力を重視してきたことは、トルコをして、一方ではクルド武装勢力に対する軍事行動、他方ではシリア及びロシアに対する接近、さらにはイランと積極的に協調する行動に追いやった。事態の重大さを意識したアメリカとしてはクルド人を見捨てる以外になかった。エルドアンは6月18日、トルコとアメリカが達成した協力のロード・マップに従い、トルコとアメリカの軍隊が合同でマンビジを巡察警備しており、クルド「人民防衛隊」は同地を離れつつあると明らかにした。
 クルド人からすれば、アメリカはますます頼りにならなくなったわけであり、しかも自らの力には限界があるので、外からの援助を頼るのは当然のことである。AL Monitor WSによると、従来は高度の自治獲得を堅持してきたクルド人組織がシリア政府との統一プロセスに関する和平交渉において「口を弛めた」という。同WSの取材を受けた匿名の消息筋は、クルド人は一つの政治的実体であるシリアを分裂させる意図はなく、ダマスカス側の提起する提案に「耳を傾ける」用意があると述べた。シリア政府が6月にクルド人勢力の支配する地域に代表団を派遣した際も、クルド人武装勢力はその入域要求を受け入れた。また、クルド人勢力が支配している地域において活動するその他のグループもシリア政府との和解プロセスを支持している。
 しかも、過去をふり返ると、クルド人武装勢力はアメリカに頼ってきたが、長年にわたってシリア政府との関係も比較的融和的であり、ISとの戦闘の過程でも両者の間には一定の黙契があり、ISが支配していた領域をクルド人武装勢力が奪回した後、シリア政府に引き渡してきたケースは少なくない。また、トルコ政府に対しても、シリア政府とクルド人との間には共通の利益が存在する。シリア政府から見れば、クルドの独立傾向は内憂であり、トルコは好ましい隣国ではない。
 そもそもトルコははじめからアサド退陣の立場だったのであり、現在その主張はしていないが、将来にわたってその主張をぶり返さない保証はない。しかも、トルコの越境攻撃の対象はクルド人だったとは言え、クルド人を追い出した後の土地をトルコまたはそれが支持する反政府勢力によって支配されることになれば、それを追い出すことはさらに難しくなるわけで、シリア政府からすれば誰が勝つことが望ましいかは難しいところだ。本年2月、トルコ軍がアフリン攻撃に向かったとき、シリア政府を支持する武装勢力がアフリン地区に入り、現地民衆のトルコ軍に対する抵抗を支援したという報道もある。つまり、クルド人とシリア政府が連合してトルコに抵抗するというのはそれなりの基礎があるということだ。
 クルド人がシリア政府に「オリーブの枝」を差し出したという報道が事実とすれば、シリア政府がそれを受け入れる可能性はきわめて大きく、そのことは、アメリカがクルド人武装勢力をして反政府武装勢力に仕立て上げる狙いを打ち壊すことができるとともに、トルコをも牽制することができることとなる。あるいはまた、クルド人は本気で和平交渉を望んでおらず、アメリカに対して圧力をかけようとしているだけだとしても、シリア政府としては、クルド人に調子を合わせることによってシリア西南部で進めている戦闘のための時間稼ぎができるわけで、西南部での大局が定まるのを待った上で、そこからの軍事力を加えれば、シリア政府軍はさらにクルド人支配地域に対する主導権を握ることもできるだろう。