21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

金英哲訪米と米朝交渉

2018.06.05

<金永哲訪米の成果>
5月30日に朝鮮の金英哲労働党副委員長が訪米し、ニューヨークでポンペイオ国務長官と会談し、その上でワシントンに赴いてトランプ大統領と会見し、金正恩委員長の親書を渡しました。今回の訪米で明確になった最重要ポイントは、米朝間のビッグ・ディールの輪郭が明確になったことでしょう。即ち、ポンペイオが議会証言で明らかにしたように、アメリカが要求するCVIDと朝鮮が要求するCVIGとを取引するということです。念のため確認しておけば、CVIDとは、完全(complete)、検証可能(verifiable)、不可逆(irreversible)な核廃絶(disarmament)であり、CVIGとは、完全、検証可能、不可逆な体制保証(guarantee)です。
ポンペイオは議会で、朝鮮の非核化(に関する合意)と朝鮮の体制保証(に関する合意)について法案として米議会の承認を得ると明言しました。米議会の承認を得ることは、もともとアメリカに対して積もり積もった不信感を持ち、また、アメリカとの合意がいつ何時反古にされるか分からない(イラン核合意が典型例)という不信感を抱く朝鮮に対して、イラン核合意の前轍を踏まず(オバマ政権は共和党が多数を占める議会承認を得ることが困難であったためにこれを回避した)、議会承認の法律として、政権交代による影響を受けにくい(もっとも、トランプ政権はオバマ政権の作った重要法案を次々にまな板に乗せてはいますが)縛りをかける意味があります。
 また、金桂冠第一次官の第二談話(5月24日)は、「「トランプ方式」というものが双方の懸念を共に解消し、われわれの要求条件にも合致し、問題解決の実質的作用をする賢明な方案になることを密かに期待したりもした」と述べたように、朝鮮もトランプが目指す「短期決戦」方式そのものにはメリットを感じていることを明らかにしました。私が5月27日のコラムで指摘したように、「トランプ政権が長続きする保証はまったくなく、次のアメリカの大統領が「朝鮮の政権交代を追求しない」保証もないわけです。朝鮮としても、トランプ政権の追求する「短期決戦」にできるだけ応じ、朝鮮の体制保証と複雑を極める朝鮮半島の非核化という課題をできるだけ短期間に完成させたいという発想があっても決しておかしくはありません」。
 ただし、「短期決戦」の考え方自体にメリットがあるとしても、相互不信の固まりである米朝関係を踏まえ、かつ、アメリカの追求するCVIDが一瞬にしてすべてを実現することは不可能であるという軍事的技術的常識を踏まえれば、一定のプロセスを踏まなければならないことは自明の理です。その点に関して、金永哲との会見を終えたトランプは、「それ(シンガポール12日会談)は始まりだ。一度に(非核化が)実現できるとは言わないし、そう言ったこともない」とし、「それ(非核化)はプロセスだろう」としながら「一度の首脳会談で実現できると話したことはない。だが、関係が構築されるだろうし、それはとても肯定的なこと」と話しました(トランプの発言部分は6月4日付ハンギョレ・日本語WSからの引用)。「プロセス」という単語を9回もくり返したとのことです(同)。これは、これまでCVIDにかかわる軍事的技術的常識を弁えていなかった彼がようやくその常識を我がものにしたことの表れです。
また、トランプは金英哲に「急ぐな。私たちは速く進むこともでき、ゆっくり進むこともできる」と話したと紹介するとともに、金正恩が非核化を「慎重にすることを望む。走って行くことはしないだろう」とも話しました(同)。つまり、これまでのトランプ政権は「まず朝鮮の非核化、その後でアメリカによる体制保証」という強硬姿勢でしたが、この点でも弾力的に対応する用意・可能性を示唆したのです。つまり、朝鮮が主張する「同歩的措置」(中国とロシアが主張する「ダブル・トラック同時並行」、9.19合意で合意された「行動対行動」原則)の合理性をある程度は理解・認識する学習能力を身につけたということです。これらの発言は米朝交渉をより現実的基盤の上に乗せることに資するものであり、低レベルのトランプ政権を前提として考える限り、高く評価するに値するでしょう。
蛇足ですが、日本のマス・メディアが、トランプの上記発言は「朝鮮に譲歩したもの」とか、「成果を挙げることを急ぐトランプが朝鮮側に歩み寄った」と評しているのには唖然とさせられます。自分たちが安倍首相の高唱するCVID方式に同調しておきながら、CVIDが本質的に膨大な作業量を必要とし、したがって一定のプロセスを必要とする本質を内包しているという軍事的技術的常識を、日本のマス・メディアはまったく理解していないことを客観的に暴露しているからです。
 閑話休題。トランプはまた、金永哲との会見後、米朝交渉が続く間は「最大限の圧力ということは言いたくない」とも発言しました。「最大限の圧力」を言い続ける安倍政権にとっては痛撃です(6月3日付の朝日新聞も、安倍政権が当惑していると報じていました)が、これまた、古今東西を問わず、すべての合理的な外交交渉における当然の前提条件・常識です。外交のズブの素人であるトランプもようやく最低限の常識を我がものにしたということでしょう。ただし、圧力は継続するとも発言しました。しかし、この発言も、段階的に圧力の度合いを弱めていく可能性を排除するものではないことにこそ注目するべき積極的要素が内包されていることを見て取るべきでしょう。
 若干脇道にそれますが、安倍政権の硬直した姿勢を端的に物語るエピソードを紹介します。6月3日付の韓国中央日報日本語WSが伝えた以下の報道です。

「国防部の宋永武長官、国際会議で日本防衛相の演説に釘刺す」
国防部の宋永武(ソン・ヨンム)長官が、日本の防衛相の「対北朝鮮批判」基調演説に対し釘を刺した。宋長官は2日にシンガポールで開かれたアジア安全保障会議の基調演説後の質疑応答過程で、日本の小野寺五典防衛相の基調演説を取り上げて批判した。
宋長官は「(日本が過去に)北朝鮮にだまされ続けたからと未来もだまされ続けると考えるならどのように(北朝鮮と)交渉し平和を創出するのか。小野寺防衛相が会見(基調演説)時に(北朝鮮が過去にした)約束について言及したが、それは過去のことであり、指導者は変わった」と指摘した。
これに先立ち小野寺防衛相は基調演説で、「25年の歴史を振り返れば北朝鮮がとても先制的で肯定的な態度を見せながら突然国際社会のすべての平和努力を無視し武力措置を取ったことがある」として北朝鮮の平和協定破棄事例に言及した。
小野寺防衛相は「北朝鮮は1994年に米朝基本合意書に合意したのに継続して秘密裏に核兵器を開発し、2005年に6カ国協議共同合意書を出しながら初めての核兵器実験を行った。単純に対話に乗り出したからと北朝鮮に見返りを提供すべきではない」と批判した。
これに対し宋長官は「未来に向かう道で、約束を保障する見方からいま思い切った決断をして出てくる北朝鮮を理解してくれるよう望む。北朝鮮の住民や金正恩委員長も現体制をそのまま維持しながら改革開放して住民の生活を向上させ、国際社会に同じ一員として進んでいくということにわれわれは焦点を置いて支援すべきで、それに対して疑問を持ち始めれば前に進みにくくなるだろう」と強調した。

<今後の交渉のポイント>
 板門店では米朝実務交渉が精力的に行われており、その成果如何が6月12日の米朝首脳会談の中身をどれだけ濃いものにするかを左右することになります。ただし、トランプが認めたように、朝鮮半島非核化と朝鮮体制保証は一朝一夕でなるものではあり得ないことを踏まえれば、米朝首脳会談は「朝鮮半島非核化と朝鮮体制保証」のプロセスの終着点ではなく出発点となる重要にして象徴的な出来事、と認識しておく必要があると思います。トランプと金正恩との間では、CVIDとCVIGの交換を基本合意し、できるだけ短期間のプロセスで交渉を達成するという基本合意を行うことができるだけでも「成功」と位置づけるべきだと思います。それにプラスアルファとしてどれだけ具体的な合意が盛り込まれレルかは「お楽しみ」ということでしょう。
 問題は、米朝交渉ですべてを解決できるほどことは簡単ではなく、韓国、中国及びロシア(プラスアルファとして日本)を含む国際的取り組みが不可欠であるということです。
(CVID「合意」とCVIG「合意」)
 ポンペイオの議会発言そのものにまず問題が伏在しています。つまり、「朝鮮の非核化(に関する合意)と朝鮮の体制保証(に関する合意)について法案として米議会の承認を得る」と言いますが、どの時点で米議会の承認を得るのか、また、いかなる合意について承認を得るのかについては何も語っていないのです。プロセスとしての米朝交渉の本質を今や認めたトランプ政権が、どの時点でいかなる内容の「合意」について議会の承認を取り付けるかは、朝鮮の態度如何にかかってきます。したがって、「言うは易く、行うは難し」なのです。
 つまり、朝鮮は非核化措置を段階的に行うわけですが、アメリカも同歩的にそれに見合うだけの措置(安保理決議に基づく及びアメリカが単独でとっている制裁の段階的な解除、米韓合同軍事演習の質量両面にわたる段階的縮小等)をとらなければなりません。アメリカとしては、朝鮮が非核化措置を早急に完成させることを要求しますが、朝鮮としては、アメリカによる体制保証を確実なものにする「合意」の議会承認取り付けなしには非核化措置だけを先行させることには当然強く抵抗するはずです。
(朝鮮の体制保証)
朝鮮の体制保証に関して言えば、朝鮮は最大限の確実な保証を確保することが至上課題であるはずです。ポンペイオが述べた米議会による法律としての承認を確保するということは、イラン核合意(JCPOA)が国連安保理決議というお墨付きを得た(国連憲章第25条により、アメリカもその決議を尊重する義務を負った)にもかかわらず、トランプ政権は一方的に脱退する決定を行うことで、JCPOAを紙くず扱いにしたことを踏まえれば、確かに一定の意味があります。しかし、すでに述べたように、トランプ政権自体が、オバマ政権の成立させた重要法案をことごとく目の敵にし、廃止、修正を図ってきたことを踏まえれば、これとて朝鮮に対する絶対的保証となるかどうか疑問です。
朝鮮としては、中国及びロシアが確実な保証人となることを確保し、アメリカをできるだけ確実に縛る国際的な枠組みを作ることを要求する可能性が高いと思われます。国連安保理決議の中でアメリカをきつく縛る内容を作ることができるのか、それとも安保理決議に加え、米中露三者(あるいは米中露南北プラス日本?) による朝鮮体制保証の特別合意を作るのか。いずれにせよ、米朝だけで問題を解決することは不可能であることは明らかでしょう。
なお、文在寅大統領が提起し、板門店宣言でも明記された終戦宣言を行う問題及び休戦協定を平和協定に代える問題については、トランプが6月12日の米朝首脳会談で原則同意を与える可能性があると思います。ただし、この二つの問題についても、6月3日のコラムで紹介したように、朝韓米三者で行うことに関しては、中国は強い異論を隠しません。休戦協定の当事国である中国(朝鮮半島問題に重大な利害を持っている)は、国際法的に見ても、休戦協定を平和協定に代える上では正統な当事国(韓国は非当事国)です。中国の立場を明確に理解している朝鮮は、朝韓米中の四者で行うことを主張するだろうと思われます。
(朝鮮の非核化)
 朝鮮の非核化に関しても、問題は山積みです。「検証可能」「不可逆」の問題はきわめて複雑ですが、技術的性格であって政治的ではありません。問題は、「完全」とは何を意味するのかにあります。
第一、アメリカは「核兵器だけではなくミサイルも含む」としていますが、宇宙条約で万国に認められている宇宙平和利用の権利も朝鮮から奪うつもりだとすれば重大問題です。アメリカとしては、これを突破口にしてイランのミサイル開発を規制する手がかりにしようとする魂胆があるのは見やすい道理です。しかし、イランに関する核合意(JCPOA)に強くコミットしている中国とロシアは、アメリカのこのような企てを見逃すはずはありません。
 経済建設に邁進する新路線を採用した朝鮮としては、宇宙開発を一定期間凍結することには応じうるとしても、宇宙条約上の権利そのものを放棄することには強い抵抗があるはずです。また将来的には、南北関係が進展する中で、朝鮮のロケット技術と韓国の資金力プラスIC技術によって南北共同で宇宙開発を行う可能性もあり得ます。
第二、アメリカはNPTで非核兵器国に認められている原子力平和利用の権利まで朝鮮から取り上げるつもりだとすれば、これも重大な問題です。アメリカとしては、やはりこれを突破口にしてJCPOA見直しの手がかりにしたい魂胆がありありです。
しかし、朝鮮がこの権利を簡単に放棄するとは思えません。朝鮮が経済建設を進めるに当たっての重大なボトルネックの一つは電力不足です。1994年の米朝枠組み合意は、朝鮮が核開発を断念することの見返りとして、アメリカが主導して朝鮮に対する原子力発電所建設を行うことを主内容としていました。南北関係の改善が進めば、韓国による朝鮮に対する原発提供も議題に上ることは見やすい道理です。朝鮮がNPTで認められている原子力平和利用の権利を主張する可能性は大きいでしょう。
 また、アメリカの主張はNPT体制そのものをなし崩し的に崩すものであり、NPT体制堅持の立場の中国及びロシアも朝鮮の立場を支持することは明らかです。JCPOA堅持の立場からも、中露がアメリカの主張に待ったをかけることになるでしょう。
第三、「完全」というとき、朝鮮が蓄積してきた核開発にかかわる「知識」も「消去」するという極端な主張まで行われています(核開発研究者の国外移住を主張する「珍説」まで飛びかっている)。ここでは、「歩留まり」をどうするのかといった重大な軍事的政治的国際法的な問題を内包しています。
(朝鮮半島の非核化)
 アメリカにとっての問題は「朝鮮の非核化」ですが、2003年に6者協議が開始されてからの問題は「朝鮮半島の非核化」です。具体的には、朝鮮の非核化と朝鮮に対するアメリカの核政策撤廃・終了です。「朝鮮に対するアメリカの核政策」とは、2003年の6者協議開始当時はアメリカの韓国に対する核デタランス(核の傘)が対象でした。しかし今日の時点では、アメリカが韓国に配備しようとしているTHAAD問題も加わっています。
 核デタランスの問題は、アメリカの世界的核戦略にかかわるだけに、アメリカとしては簡単に応じるわけにはいきません。また、アメリカが応じることに対しては、アメリカの「核の傘」を積極的に受け入れている日本(安倍政権を含む歴代保守政治)が強烈に抵抗するでしょう。
 THAADに関しては、私がコラムで度々指摘してきたように、中国とロシアは、アメリカによるTHAAD配備は中露に対する戦略的核包囲網の一環であり、戦略的核バランスを崩し、核軍拡競争を引き起こすものとして強く反対しています。アメリカと韓国はこれまで、THAAD配備は朝鮮の核ミサイルに対処するものと主張してきました。その主張は、朝鮮が非核化すれば合理的根拠を失いますから、アメリカとしてはTHAAD配備を当然に中止すべきです(文在寅政権としてもこれを支持したいところでしょう)が、アメリカが唯々諾々と従うとは考えにくいところです。
(まとめ)
 以上から明らかなとおり、朝鮮の体制保証にしても、朝鮮の非核化にしても、朝鮮半島の非核化にしても、米朝だけで解決できるものではなく、韓国さらには中露(及び日本)を含む国際的取り組みが不可欠です。したがって、米朝首脳会談を受けた米朝直接交渉と並行して、6者協議を再起動させるかどうかを含めた多国間交渉のプロセスも開始されなければ物事は前進しないでしょう。朝鮮が多国間交渉を歓迎するであろうことは見やすいところですが、問題はトランプ政権がそれに応じる用意があるかどうかです。唯我独尊のトランプですので、この点について今のところ判断する材料はありません。今回の金英哲訪米に際して若干なりとも「学習能力」があることを示したトランプがさらにこの能力を身につけるかどうかが引き続きカギとなるのではないでしょうか。