21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

「米中貿易戦争」とトランプ政権

2018.03.26.

私は経済問題については分かりませんが、今回、トランプ政権が仕掛けた「米中貿易戦争」は、アメリカの巨大な貿易赤字を生み出した根本原因(新自由主義及び「アメリカ覇権システム」)を見極めようとせず、もっぱら表面的な一つの現象(アメリカの貿易赤字の最大相手国が中国)だけを見て、自らの行動がいかなる深刻な結果を招くかについて考えもしないで暴走したもの、と考えざるを得ません。
私はかつてこのコラム(2016年11月10日)で、「真の問題は、1990年代以後のアメリカ(民主共和両党政権)による内外政治は明らかに八方ふさがりになっており、まったく新しい方向性を模索し、見出すことがトランプ政権に課せられた客観的かつ歴史的な課題ですが、同政権が果たしてそういう課題を認識し、それを担う決意と能力を示すことができるかどうかにあります」と指摘しましたが、今回の暴走ほどトランプの無見識・無能力をさらけ出したものはありません。
 この点に関し、私は別のコラム(同年12月17日)で、以下のように指摘しました。長くなりますが、引用します。

トランプが勝利した第三の要因は、アメリカの世界戦略が全面的に行き詰まっていることに対する一つの答をトランプが示しているということであり、アメリカの有権者(マス)がこれに積極的に反応したということです。
 トランプ勝利の最大の要因は、歴代政権が「世界のリーダー・警察官」であろうとする戦略・政策を追求してきた結果が今のアメリカの窮状をもたらしたとして、これからは「アメリカ第一主義」で行くという主張を全面に押し出したことにあります。
 まず経済では、戦後のアメリカ歴代政権は一貫して、ブレトンウッズ体制、80年代後半からは新自由主義に基づくグローバリゼーションを中心とした世界政策を展開してきました。しかし、その国内的ツケはプア・ホワイトを中心とする潜在的不満層を大量に生み出してきたのです。トランプの「アメリカに雇用と繁栄をもたらすか」「アメリカ第一主義」(例:TPP離脱)の主張はこれらの不満層の琴線に触れるものでした。
 軍事では、米ソ冷戦時代にはソ連、90年代以後は「様々な不安定要因」、そしてオバマ政権では中国、というように脅威対象を移動させながら世界覇権を追求する戦略を一貫して追求してきました。しかし、かつてのソ連はともかく、「様々な不安定要因」はしょせん作り上げたフィクションです。ましてや中国に関しては、アメリカ自身が今や中国抜きの経済は維持し得なくなっている(国際的相互依存システムの中に米中がどっぷりつかっている)中では、やはりフィクションでしかありません(軍事的米中激突はあり得ない)。
 トランプは、そうしたアメリカ軍事戦略の行きづまりを商人的感覚でかぎ取り、「アメリカにとって得か損か」という極めてドライな基準を提起しました。その商人的センスが如実に示されたのがシリア内戦に対する彼の発言でした(テロリストとアサドの双方を敵に回すのはばかげている、テロリストとの戦いにしぼる)。疲弊したアメリカ社会においては、トランプの提起がすんなりと受け入れられる素地ができていると思います。
 政治・イデオロギー(アメリカは仰ぎ見られる「丘の上の町」という確信・使命感)に関しては、正にそういう確信と使命感が以上の経済的軍事的世界戦略の原動力の一つをなして来ましたが、トランプにはそういうイデオロギーは希薄であるとしか考えられません。正に「脱イデオロギー」であるし、彼にイデオロギーらしきものがあるとすれば、商売人としての「損得計算がすべて」ということです。そのことが端的に現れたのは、「一つの中国」原則に対するトランプの突き放した姿勢(台湾と巨額の取引をしていることを無視できない)でした。アメリカのエスタブリッシュメントにおいては、今日なお「丘の上の町」という確信・使命感は健在でしょうが、大衆(マス)にとってはもはやその訴えは響かなくなった状況にあるのだと思います。
 以上のように、トランプの当選を可能にした要因を特定しますと、21世紀の国際政治において問われている問題は何か、という問に対して、二つの根本的答を示すことができると思います。
 一つはいうまでもなく新自由主義の清算です。新自由主義が「新」とされる所以は、古典的自由主義においては、「見えざる手」(市場)に委ねることによって最適の目的(価値)が実現するという楽観的確信(市場はあくまでも価値実現という目標を実現するための手段であるという認識)が座っていたのに対して、新自由主義においては、「見えざる手」にすべてを委ねることが自己目的化したという点にあります。つまり、アメリカの独立宣言以来の普遍的価値の担い手であるはずのアメリカが、今やそれとはまったく無縁な「経済的合理性」(トッド)の盲目的追求に邁進し、そのことが世界的諸矛盾を作りだしているわけです。
 したがって、「脱・新自由主義」後の国際的課題とは、国際社会の民主化(理念)、新国際政治経済秩序の構築(制度)、民意の反映(運動)ということになります。ちなみにこの提起は、丸山眞男のデモクラシーに関するまとめ(私流の整理:「デモクラシーは理念、制度及び運動から構成されており、理念における不断の自己再定義及び民衆の運動による不断の働きかけによって制度を不断に更新していく永久革命」)を応用したものです。
 21世紀国際政治に問われているもう一つの問題は、1945年以来今日まで世界を支配してきた「アメリカ覇権システム」からの決別です。
 私は、トランプの登場は二つの性格があると思います。一つは、トランプの主観的意図とは関係なく、アメリカがその世界覇権システムから決別する歴史的第一歩となる可能性を示しているということです。それは、スエズ危機以後にイギリスが大英帝国を卒業していったことと比肩する出来事として、後世の歴史に記録されるのではないかということです。
 もう一つの性格は、トランプ政権の思想的・体質的限界性ということです。思想的限界というのは、トランプは相変わらず「偉大なアメリカの実現」を呼号しており、21世紀国際社会においてアメリカがおかれている客観的・歴史的位置に対する認識が欠落していることです。体質的限界ということで私が意味するのは、トランプの骨の髄まで染み渡っているらしい商人的発想であり、大衆扇動政治であり、国際社会を社会たらしめている諸ルールに対する無知と鈍感です。したがって、トランプのアメリカが「アメリカ覇権システム」に代位するシステムを構想する可能性はゼロと言っても良いでしょう。それだけではなく、トランプの商売人的勘だけに頼った政策運営の暴走を許すならば、21世紀国際社会は収拾がつかない危機と破滅に陥る危険性があるとすら思います。

すなわち、21世紀の課題は、新自由主義の清算及び「アメリカ覇権システム」からの決別にあります。以上の引用の中で指摘したとおり、トランプは新自由主義が国内にもたらした諸矛盾(特にプア・ホワイト)を独特な嗅覚でかぎ取り、また、「アメリカ覇権システム」がアメリカに追わせる厖大な負担を訴えて選挙に勝利しました。ところが、トランプには新自由主義そのものに正面から向き合い、これに代わる経済思想を提起する能力はありません。また、「アメリカ覇権システム」を批判しながら、それと同工異曲の「アメリカ第一主義」を打ち出しているのですから、なんら積極的な戦略・政策を打ち出すことができないというわけです。
そして、今回のトランプの暴走ほど「トランプ政権の思想的・体質的限界性」をさらけ出したものはありません。それは正に、「トランプの商売人的勘だけに頼った政策運営の暴走を許すならば、21世紀国際社会は収拾がつかない危機と破滅に陥る危険性があるとすら思います」という私の警戒感を裏書きするものです。同時にまた、この暴走は、「トランプの主観的意図とは関係なく、アメリカがその世界覇権システムから決別する歴史的第一歩となる可能性を示している」という私の判断を確認させます。
トランプは、自分の強烈な脅しに対して中国は屈するだろうと高をくくっている観がありますが、これほど致命的な誤りはありません。中国側の立場については改めて紹介しますが、中国の基本は「闘いたくはないが、最後までおつきあいする用意がある」という腰が据わったものです。私の大胆な見通しを言えば、トランプが独特の商売人感覚で非を感じ取り、対中アプローチを機敏に転換するのであればともかく、非を悟らないで固執するならば、惨めな敗北に終わるだろうと思います。そのとき後世の史家は、トランプの今回の行動を「アメリカが世界覇権国家の地位から引きずり下ろされる歴史的第一歩」として記述することになるのではないでしょうか。
 ちなみに、ネットでさまざまな資料に当たって作ってみた、アメリカの国防費、財政収支及び経常収支の2001年から2015年までの推移を示すと以下のようになります(数字はアメリカ政府統計に当たって確かめたものではありませんので、間違いはあるかもしれませんが、大まかな推移を見る上では問題ないと思います)。

     国防費    財政収支     経常収支
2001年度 3130億ドル +1280億ドル  -3900億ドル
2002年度 3570億ドル -1580億ドル  -4510億ドル
2003年度 4150億ドル -3780億ドル  -5190億ドル
2004年度 4650億ドル -4130億ドル  -6320億ドル
2005年度 5030億ドル -3180億ドル  -7450億ドル
2006年度 5280億ドル -2480億ドル  -8060億ドル
2007年度 5570億ドル -1610億ドル  -7110億ドル
2008年度 6210億ドル -4590億ドル  -6810億ドル
2009年度 6690億ドル -14130億ドル  -3730億ドル
2010年度 6980億ドル -12940億ドル  -4310億ドル
2011年度 7110億ドル -13000億ドル  -4450億ドル
2012年度 6850億ドル -10870億ドル  -4260億ドル
2013年度 6400億ドル -6800億ドル  -3500億ドル
2014年度 6100億ドル -4850億ドル  -3740億ドル
2015年度 5960億ドル -4380億ドル  -4350億ドル

素人でも直ちに分かるように、アメリカの世界覇権システムを支える厖大な国防費(よく指摘されるように、アメリカの国防費総額は、第2位から第7位までの国々の国防費総額の合計を上回るのです)がアメリカの財政収支に対する最大の足かせになっています。また、戦後世界経済システムを支配し、1980年代後半以後は新自由主義に基づくグローバリゼーションを推進する中で、世界通貨としてのドルの強みにあぐらをかいて放漫な経済財政運営を続けてきたツケが財政収支及び経常収支の暦年の厖大な赤字という結果を生み出していることも周知の事実です。
 しかしトランプが突っ走るのは、アメリカのこのような経済財政構造の基本問題を根本から正すという意図に出たものではなく、もっぱら「国内でジョブを創出する」、そのためには「中国からの輸入を厳しく制限して、国内の製造業を活性化し、就業機会を作り出す」という、幼稚を極める保護主義的発想に基づいています。
 もう一点、米中貿易戦争が引き金となって、1930年代と同じく、世界に保護主義が蔓延し、世界不況に陥るのではないかという指摘について。私は、当時と今日の状況における決定的な違いは、アメリカだけが保護主義に突っ走っているのであり、中国、EU、日本を含む国際経済全体としては自由貿易を守るべきだという高度な認識の一致があることだと思います。このこともまた、トランプが突っ走ってものたれ死にするだけであり、アメリカの世界覇権システムの臨終を早めるだろうという私の大胆な予測の今ひとつの根拠です。