21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

米ロ関係の文明史的分析(環球時報社説)

2017.9.3.

トランプ政権は8月31日、7月28日にロシアが同国駐在の米外交人員755名の削減を要求したことに対する報復措置として、ロシアの在サンフランシスコ総領事館などの閉鎖を命じました。しかし、ロシアが取った措置の背景には、昨年12月、オバマ政権が、米大統領選に対するロシアの干渉を理由として35名のロシア外交官等の退去を命じたこと、また、本年7月、アメリカ議会がロシア(及びイラン、朝鮮)に対する制裁法案を可決したことがあります。
 9月2日付の環球時報は、「モスクワ ワシントンの冷たい仕打ちに二度と情熱をもって接することはないだろう」と題する社説を掲載し、米ロ間のこの一連のやりとりの背景にある、ロシアと西側との間に横たわる根深い溝の存在という文明史的遠因にまで遡った分析を行っています。私にはこういう文明史的視点に立った分析の正否を判断する備えはありませんが、考えさせられる内容があることは間違いありません。
 私がさらに興味を引かれたのは、中国(及びインドその他の独自の歴史と文明を持つ国々)と西側諸国との関係を考える上でも、米ロ関係の底流をなす文明史的問題が等しく存在するという社説の認識です。しかも、かつての米ソ二極構造の再現は新興諸国の台頭という21世紀世界ではもはやあり得ないことであるとする社説の指摘は、21世紀における国際秩序のあり方・方向性を考える上でも示唆に富むものです。
 また、以上の社説の指摘を他人事と考えることは許されないとも思います。日本がアメリカに追随し、「価値観を共有する西側の一員」と自己規定して得意(?)になっていることは、社説の観点からすれば滑稽きわまりないことです。なぜならば、日本もロシア、中国、インド等と劣らない歴史と文明を備えた存在であり、したがって、アメリカ(西側)との関係のあり方において直面している課題は同じであるはずだからです(アメリカが日本を「受け入れている」のは、日本が自尊心もなくへりくだり、這いつくばって、付属物になることに甘んじているからだけのことです)。そもそも、日本人がどれほど「西側の価値観」を共有しているかに関して言えば、それをもっとも鼓吹する安倍首相がもっとも復古的な思想の持ち主であるにもかかわらず、多くの日本人がそういう安倍首相に違和感を覚えなくなってしまっている現実が、客観的に厳しい問いかけをしているのではないでしょうか。
 ということで、社説の要旨を紹介します。

 米ロ間の「お前が殴れば、俺も殴り返す」式の制裁及び反制裁のやりとりはずっと続いており、アメリカの大統領が替わっても停まることがない。とは言え、そのレベルは、相手の筋骨を痛めるまでにはなっていない。…ホワイトハウスの今回の行動は、対露関係における(トランプの)身の潔白を証明しようとする考慮も含まれている。
 米ロ間の戦略的対立の溝がさらに広まることはないが、かといってますます狭まるということもあり得ない。米ロは永遠に2本の道を走行する車であり、自分たちの道を走り続けるだろう。歴史上、ロシアはかつて幾度となく西側と軌道をつなぐことを試みたが、どんなにつなごうとしても「一緒になる」ことはなかった。冷戦後の現実もまた、ロシアという車はロシアの道を走ることだけができるのであり、西側の「道路システム」はロシアという車を当たり前のように排除することを証明している。
 西側はロシアを受け入れることはあり得ない。それは、異なる文明、異なる宗教という原因があり、とりわけロシアは体格精神ともに堂々としており、文明も根が深く葉は茂っており、西側としては、ロシアに対して、「融合」できないどころか逆に「改造」させられてしまうのではないかという恐怖感を免れないのだ。アメリカとしては、欧州全体あるいはグローバル規模での構想の中で、ロシアに対して尊厳を感じることができる地位を与えようとはしないし、与えることもできない。ロシアとしても、西側が期待するように、西側の付属物になる用意はない。ロシアが引き続き分裂を重ねでもしない限り、西側が少しずつロシアを「融合」していくということにはならないだろう。しかし理屈は同じで、西側の箍が緩むことになれば、ロシアが双方の辺縁地帯の国々を少しずつ「融合」していくことがあり得るかもしれない。
 ロシアのスーパー・マーケットや商店の豊富な品揃えを見るだけでも、ロシアに対する制裁の効果が限られていることが分かる。土地が広く物も豊かな、かつ、グローバル規模の産業連関に未だ完全には溶け込んではいない大国に対しては、この種の制裁はせいぜい政治的な「鬱憤晴らし」ないしはジェスチャーのようなものだ。
 近年におけるロシアの強面ぶりについては、その文明の孤高性と傲慢性という両面的性格への回帰とみられがちだが、もう一つ見落とされがちな問題は、ロシアの強面ぶりは西側文明が不断に弱まっていることによってもたらされた結果でもあるということだ。アメリカのメディアの中には、アメリカの混乱はロシアが作り出したものだとする印象を与えることに躍起になっているものもあるが、本当の原因は、アメリカの政治が衰弱し、民意が分裂していることが、ロシアをますます強大のように見せているのであり、そのことがますますアメリカ人のロシアに対する憂慮と疑いを深めているということなのだ。
 米ロの衝突の他の一面は、西側文明が他の文明と和諧的に共存し、同じ舞台で共に踊る道筋を探し出していないということである。このこともまた、国際秩序に関するアメリカの見方がロシアの利益と不断に衝突を起こす根本原因でもある。しかし、米ロ間の力比べが引き起こすことができる世界的な関心度はもはや過去とは比べものがなく、両国はもはや全世界をして線引きをしていずれかの側に立たしめるだけのパワーはない。例えば、アメリカの仲間だった欧州諸国ですら、いまやアメリカと行動をすべて共にすることはなくなった。中国を代表とする新興諸国の台頭は世界の政治的枠組みを変化させ、グローバルな構造に新たなバランスを作り出しており、そのことは世界が二つに分かれるとか一つに雪崩を打つということをあり得なくしている。
 総じて言えば、ロシアはアメリカ及び西側に対しては弱者だが、そのロシアが「西側への溶け込み」に失敗してきたことは、中国、インドその他の新興大国に対して深刻な印象を与えている。つまり、力ある大国が西側に接近することを通じて、ワシントン及びその盟友による心からの戦略的配慮及び受け入れを期待することは現実的ではないということだ。モスクワは、ソ連を排斥しようとする西側の敵対的慣性をずっと受け続けているが、その原因はといえば、ロシアがソ連のパワーの大部分を保っており、そのために、ワシントン及び盟友の眼中にある「原罪」を洗い流し切ってしまっていないからに過ぎない。
 今回の米ロ関係改善の失敗により、モスクワ及びワシントンの双方は、相手をさらに見極め、また、自分自身を見極めることになるだろう。今後は長期にわたり、モスクワがワシントンの冷たい仕打ちにもかかわらず情熱をもって接することはないだろう。モスクワは、自らの戦略的な定力を再構築することに力を尽くすことになるだろう。