21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

中国の日本に対する忠告

2017.8.27.

日本に対する中国側の見方を表す最近の2つの文章に考えさせられました。一つは、アメリカがとった朝鮮に対する単独制裁措置に同調して、日本政府が朝鮮に対してとった新たな単独制裁措置に中国企業等が含まれたことに関する8月26日付環球時報社説「中国、日本企業数社を制裁して、日本にレッスンを受けさせるべし」、もう一つは、ニューズウィーク(日本語版)最新号に載った「大予測 日本を待ち受ける二つの未来」と題する記事に触発されて、馮昭奎(日本研究の大御所的存在で、現在は中国社会科学院名誉学部委員,全国日本経済学会顧問,中国中日関係史学会副会長)が8月25日付環球時報で発表した「「中等国」こそが日本の「常態」」と題する文章です。

1.日本の対朝鮮制裁措置にかかわる批判とアドバイス

<中国外交部報道官の発言>

8月25日の中国外交部の定例記者会見において、同日、日本政府が朝鮮に対する制裁措置を決定した中に中国の5企業及び1個人が含まれていたことに関する中国のコメントを尋ねられた華春瑩報道官は、次のように答えました。

 中国は一貫して全面的に安保理決議を履行している。同時に、いかなる国家であれ、安保理決議の枠組みの外で単独制裁を行うことに対しては断固反対であり、とりわけ中国の企業、個人に対するものにはそうである。
 日本が、中国の厳正な立場を顧みず、ことさらに一定の国家に追随し、中国の企業及び個人に対して単独制裁を行うことに対し、我が方は強烈な不満と断固たる反対を表明する。中国は、日本が直ちにこの誤った行動を中止することを要求する。仮に日本が独断専行するならば、そのことによって作り出される結果について責任を負うべきである。

<環球時報社説>

環球時報社説は、上記の華春瑩報道官の発言の最後の部分(「日本が独断専行するならば、そのことによって作り出される結果について責任を負うべきである」)を受けて具体的提案を行ったものと位置づけられます。その具体的提案の内容もさることながら、私が改めて強く印象づけられたのは、社説で示された中国側の日本保守政治(具体的には安倍政治)に対する強い嫌悪と軽蔑でした。
 人によっては、社説の示す嫌悪と軽蔑とに感情的に反発したくなるかもしれません。しかし、社説は、「本来であるならば、日本はこのようにうじうじする必要はないのであり、周囲の世界に対する疑心暗鬼を捨て去り、おおらかな気持ちで時代の変化に向きあえば良いのだ」、「日本は中米関係における起伏をコントロールし、中米間で主体的かつ戦略的なバランサーとなることができるのであり、本来であるならば、現在のように下品でこせこせ振る舞うべきではないのだ」というきわめてまっとうなアドバイスをしていることを、私としては的確に読み取るべきだと思います。
実は、私は最近法律家6団体主催の勉強会でお話しした際、21世紀の日本の安保外交政策のあり方ということで、環球時報の日本に対するアドバイスと同じ趣旨を強調したのです。お話の内容は『法と民主主義』という雑誌の依頼で原稿にしましたので、近くこのコラムでも紹介する予定をしています。
 以上をお断りの上、社説の大要を紹介します。

 アメリカが22日に中露の関係企業及び個人に対する単独制裁を発表後、日本政府も閣議で朝鮮に対する単独制裁措置を決定し、制裁対象には新たに6企業及び2個人が含まれることになったが、そこには中国の4企業及び1個人が含まれた。これは、最近の1ヶ月で2度目となる、アメリカに追随した中国の企業及び個人に対する制裁である。中国外交部の華春瑩報道官は即日、「中国の厳正な立場を顧みず、ことさらに一定の国家に追随」した行動に対して「強烈な不満と断固たる反対」を表明した。
 客観的に言って、日本の制裁措置はこの4企業と1個人に対して一定の損失を与えるかもしれないが、中国経済全体からいえば、その影響はきわめて微々たるものだ。しかし、このやり口は悪らつであり、中国の利益、司法主権及び国際ルールに対する侵犯である。アメリカが行う単独制裁に対し、我々はその覇道に対して反感を抱く。しかし、日本がこのように行うことに対して抱く感情は、悪人を助けて悪事を働く小者の行いということだ。
 日本は幾度となくアメリカに追随して追加制裁を行ってきている。これは一つには、アメリカに忠誠心を表明するということで、これは日本にとって最大の政治だ。もう一つは、「中国を押さえ込む」行動なら何が何でもということであり、その効果たるや取るに足りないものとは言え、好きなことはいくらやっても疲れないし、「ちっぽけな悪事だからやらないということにはならない」ということのようだ。
 アメリカにせよ、日本にせよ、単独制裁を行うことは、まずすべて不法である。しかしより重要なことは、それが悪い先例の道をひらき、当面の情勢に対して「面倒を増やす」効果しか起こさないということだ。米日が考えているのは、単独制裁を通じて当事国を超越した「裁判権」を獲得したいということであり、しかも、責任を中露に押しつけることによって中露の国際的なイメージを損なうということである。これはまったく身勝手な発想によるものであり、無責任きわまりなく、中露は絶対に受け入れない。朝鮮核問題に関しては、国際社会は国連の決議のみを認めることができる。米日が不法な単独制裁を行うことに対しては、中露等諸国としては米日にそれ相応の代価を支払わせなければならない。
 中国が米日の単独制裁に反撃するに当たっては、日本に対する報復を重点とするべきであり、中国としては火力を集中し、強力な対抗行動によって日本に屈辱を味わわせるべきである。アメリカは悪事の仕掛け人だが、日本はウィーク・ポイントであり、中国の伝統的な戦略は相手方のウィーク・ポイントを攻撃することにあり、我々としてまず「弱いヤツを探して懲らしめる」のだ。アジアの国々の中にはアメリカと行動を共にし、ワシントンの手先となろうとするものがおり、そうすることが100%正解と考えているものもいるが、中国としては、この種の悪行に対して随時打撃を与え、彼らが抱いている幻想を突き破るべきだ。
 中国にとり、日本の若干の企業を制裁する理由を探し出し、これらの企業を日本のいびつな国家戦略の屈辱的な生け贄とすることは難しいことではない。
 日本の戦略的な矜恃及び品格は、世界第3位の経済大国として本来持つべきそれとはまったくふさわしくないものである。日本の構想力はあまりにもちっぽけであり、国家としての戦略的な注目点は常にエキセントリックで、世界的にまったく認められていないそろばん勘定と奇抜な愛憎の絡み合いに基づいて、自らが追い求める政治大国の地位を追求している。しかし戦後72年を経た今、日本がその目標から隔たること、いまやヒマラヤ山脈を隔たるに留まらない。日本の政治屋は戦術的にはクレバーだが、戦略的には往々にして偏執的で、短視眼、さらには愚か者の手合いがいる。
 東京は、自らを堅くアメリカに縛り付けると同時に、中国の台頭に対して根深い警戒と排斥の念を抱いている。この戦略的な選択は必ずしも恒久的な安定感をもたらしておらず、むしろ常に構造的な矛盾に陥ることになっている。即ち、中米関係が好転すると、日本は落ち着かなくなる。中米関係が悪化すると、日本としては嬉しいけれども恐れでおののくという気持ちも混ざる。中米における山あり谷ありという関係の常態化は、日本にとっては常に気がもめる状況を作り出している。本来であるならば、日本はこのようにうじうじする必要はないのであり、周囲の世界に対する疑心暗鬼を捨て去り、おおらかな気持ちで時代の変化に向きあえば良いのだ。
 本年は日中国交正常化45周年の年である。歴史の経験が証明するとおり、中日関係が良好なときは日本がより独立的であり、中日関係がまずいときは日本がより独立的ではなくなる。日本は中米関係における起伏をコントロールし、中米間で主体的かつ戦略的なバランサーとなることができるのであり、本来であるならば、現在のように下品でこせこせ振る舞うべきではないのだ。
 朝鮮核問題に立ち戻れば、朝鮮がミサイル発射実験を行うたびに、日本の方向に飛び、日本海に落下する。日本は、もっと建設的な態度で朝鮮核問題の解決に参与するべきである。ところが日本は、ちまたの低レベルな興味本位で、朝鮮核問題で「自分に好都合な結果を引き出す」ことを考え、朝鮮核問題の戦略レベルにおいて「錠をこじ開けて盗みに入る」をことにしているかのようである。今回、中国としては、この心がけが正しくない地域のメンバーに対してレッスンを受けさせてやるべきである。

2.馮昭奎署名文章

私が広島平和研究所の仕事を終えて東京に戻り、中国メディアをフォローするようになってから10年以上になります。その間、馮昭奎の文章には何度か接していますが、年ごとに対日観が厳しくなる中国言論界の中で、馮昭奎は日本に対して温かい眼差しを忘れない数少ない識者という印象がありました。しかし、今回の文章を見ると、さしもの馮昭奎ですらこのような対日認識を明らかにすることになったのかという感慨に襲われます。
 とはいえ、馮昭奎の指摘する「現在の日本の為政者たちは完全に実事求是の精神に背を向け、安倍首相は相変わらず「大国・日本の夢」を見ており、憲法改正を通じて「戦争できる」日本にしようとしており、そのために「中国脅威論」を極力鼓吹し、そのなすところは明らかに日本の基本的国情から深刻に乖離し、平和的発展という時代の要請にも背を向けている」、「日本にとっての真の敵はその間違った内外政策にあるのに、その鬱憤を中国にまき散らしているということは、自らを知るという明に実に欠けるものである」という指摘は、私が常日頃感じていることであり、馮昭奎の真意も日本に対する誠心誠意のアドバイスなのだと思います。
 要旨を紹介します。

「(①東アジアの超大国は中国で、日本はその周辺の中等国であることは1000年以上にわたる東アジアの「常態」だ、②日本がアヘン戦争後の100年間リーダー的地位にあったのは一時的なことに過ぎない、③最近30年間に日本が徐々にリーダー的地位を失ったのは「常態」回帰だ、とするニューズウィークの指摘を紹介した上で)筆者は、この3つの見方はきわめて実事求是だと考える。中国の学者も、国土面積が世界62位、人口が11位の日本は中小国家という「定め」にあるとする類似した見方をとっている。ここで言う「定め」とは「歴史的常態」を指している。
 日本がアヘン戦争後の100年間リーダー的地位にあったのは明らかに「非常態」だ。…要するに、「産業及び科学技術両革命」の興隆とお隣・中国の「大にして弱、かつ落伍」は、日本が強大化に向かうに当たって掴もうとした「2大チャンス」だった。…
 第二次大戦後、日本は世界第2位の経済大国となり、一時期は世界でもっとも競争力がある国家となったが、これは、戦後の日本人の発奮努力の成果であると同時に、日本が戦後の「新2大チャンス」を掴んだ結果でもあった。一つは、戦後科学技術革命の源であるアメリカをよりどころにしたこと、もう一つは戦後の「ベビー・ブーム」がもたらした、人口構造が比較的若かったということである。
 今日、日本はすでに「超高齢化社会」及び「人口減小社会」に突入し、「ベビー・ブーム」は早々と「高齢ブーム」に変化し、日本の多くの学者は国家の前途に対して懸念を表明するに至っている。2016年には日本の人口は33万人減少、農業、漁業、小売業、サービス業から製造業に至る生産現場ではすでに至るところ人手不足問題、2020年代には620万人の減少が見こまれ、その後は毎年100万人の減少という局面、2024年には人口の1/3が65才以上、2033年には1/3の家屋が無人、介護が得られない老人は不断に増加し、将来的に毎週4000人が「孤独死」という可能性、等々。
 仮に有効な改革措置が講じられないと、数十年後の日本は「廃墟だらけ」の情景を呈し、第二次大戦後の「戦争廃墟」から、遠くない将来における「平和廃墟」となる。以上は、日本の有識者が現実の状況に基づいて発出している実事求是の予測及び警告なのだ。
 ところが、現在の日本の為政者たちは完全に実事求是の精神に背を向け、安倍首相は相変わらず「大国・日本の夢」を見ており、憲法改正を通じて「戦争できる」日本にしようとしており、そのために「中国脅威論」を極力鼓吹し、そのなすところは明らかに日本の基本的国情から深刻に乖離し、平和的発展という時代の要請にも背を向けている。特に日本の為政者は、日本の「大国化の夢」を本当に制約する要因が日本自身の置かれた条件と国情とにあるということを認識するに至っていない。換言するならば、日本にとっての真の敵はその間違った内外政策にあるのに、その鬱憤を中国にまき散らしているということは、自らを知るという明に実に欠けるものである。
 筆者が思うに、日本がいま本当になすべきことは、中国の発展を囲い込み、牽制するという間違った政策を真に言行一致で改めるということである。