21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

核兵器禁止条約
ー核デタランスの「虚」と「実」ー

2017.7.25.

*あるメディアの求めに応じて書いた短文です。

 7月7日に核兵器禁止条約(以下「条約」)が122ヵ国・地域の賛成によって採択された。しかし、核保有国は、米ロ英仏中はもちろん、インド、パキスタン、イスラエル、朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)を含めて不参加、また、アメリカの「核の傘」(拡大核デタランス)のもとにあるNATO諸国の多くや日本、韓国、オーストラリアも不参加という、おおむね予想されたとおりの結果だった(反対はオランダ、棄権はシンガポール)。
 大量破壊兵器のうち、化学兵器と生物兵器については、これらを禁止する国際条約が成立し、機能している。しかし、同じ大量破壊兵器である核兵器については、核デタランス戦略を推進するアメリカが応じないことが国際規制システム成立に対する最大のネックになってきた。アメリカが核兵器禁止に応じなければ、アメリカの核の脅威に身構えるロシア及び中国が核デタランスを重視する姿勢を改めることは期待しようがなく、それは英仏印等に伝播するし、アメリカの拡大デタランスに依存する同盟諸国も条約による国際的規制に抵抗する結果となるのは当然だ。「予想されたとおりの結果だった」とはそういう意味である。
 もちろん、条約が採択されたことは、核兵器廃絶に向けた大きな一歩であるし、後世の史家がそのように評価することも間違いない。その点を誤解のないように確認した上で、本稿では敢えて「核デタランス」という概念の虚実性を検討し、その検証材料として日本及び朝鮮の条約不参加の意味を考えることとする。
<「核デタランス」の本質と「抑止」>
 「核デタランス」とは、日本語では通常「核抑止」または「核抑止力」と表現されるが、この日本語訳は極めて恣意的かつ不正確であることをまず確認しておかなければならない。
 英語のnuclear deterrenceの本義は、相手の核攻撃(の脅威)に対しては核報復(の脅迫)で対処する決意を当該相手に確信させることにより、当該相手が核攻撃を仕掛けることを思いとどまらせることを意味する。何故当該相手が核攻撃を仕掛けることを思いとどまらざるを得ないかといえば、核報復の破壊力が当該相手にとって到底耐えられない規模・内容のものとなることが自明であるからだ。つまり「核デタランス」の本質は「核で報復するという断固たる決意」にある。
 日本において「核抑止」または「核抑止力」という言葉で通常理解されているのは、「核兵器による戦争抑止効果」、有り体に言えば、「核兵器によって平和が維持される」ということだ。しかし、「デタランス」の上記の本質を踏まえれば、「抑止」「抑止力」という表現が如何に「デタランス」とはかけ離れたものであるかが分かるはずだ。
 広島・長崎を体験した日本国内の広汎な反核感情を無視できない日本政府が、アメリカの拡大核デタランス(「核の傘」)を積極的に受け容れるに当たり、その政策を正当化するために「抑止」「抑止力」という恣意的かつ不正確な訳を当てることで、私たち国民の警戒感を和らげようとし、残念なことに、私たちはそれに丸め込まれてきたということだ。
<「核デタランス」の虚実性>
 「核デタランス」という優れて軍事的な概念について考えるに当たっては、その虚実性をしっかり踏まえることが必要である。
 まずその「虚」について考えよう。具体的には、アメリカの核デタランス戦略が「虚のかたまり」であるということだ。
 アメリカは、広島及び長崎に原爆を投下した後、苦戦した朝鮮戦争において原爆使用を真剣に検討した。その後の経緯は省くが、今日アメリカがミサイル防衛システム構築に本気で取り組んでいるのは、核における絶対的優位を確立する政策を追求しているからだ。「核における絶対的優位」とは、ロシア、中国(したがって当然なこととして朝鮮)による核報復力を無力化するミサイル防衛システムを構築することにより、アメリカが「安心して」核先制攻撃を仕掛けることができるようにするということだ。即ち、「核デタランス」の「虚」である所以の第一は、核デタランス戦略を高唱するアメリカが「核デタランス」そのものを無力化する戦略を追求している点にある。
 より根本的なポイントは、アメリカが原爆の開発に成功した20世紀中葉と21世紀の今日とでは、世界が様変わりしていることだ。国際的相互依存の不可逆的進行は世界を一つにするプロセスを不断に深めている。したがって、アメリカによる「核における絶対的優位」の確立は実は何の意味も持ちえない。核攻撃による「軍事的な勝利」の追求は「世界経済の壊滅」に直結する結果に終わるだけだ。「核デタランス」が「虚」である第二の所以はここにある。
 より本質的には、アメリカの核デタランス戦略の根底にあるパワー・ポリティックスという発想そのものが、国際的相互依存のもとにある21世紀の世界においてはもはや時代錯誤の骨董品と化しているということだ。ところがアメリカはまだそれにしがみついているところに、第三のそして最大の「虚」がある。アメリカをして如何にしてパワー・ポリティックス神話の呪縛から解き放つか、ここにこそ21世紀世界の最大かつ最重要な課題がある。
 しかし、アメリカがパワー・ポリティックスにしがみ続ける限り、アメリカの軍事的脅威に直面するロシア、中国及び朝鮮にとっては「デタランス」は「実」であり続けるし、その連鎖は他の国々にも波及する。すなわち、核デタランスは、軍事的により強力な脅威に直面する国々にとって常に「実」であるというわけだ。
ロシアは一貫して欧州におけるアメリカのミサイル防衛システム構築に対して警戒してきた。それが今、韓国へのTHAAD配備という動きにより、中国もロシアと足並みを揃えることとなった。ごくごく単純化していえば、ロシア及び中国は、アメリカが配備する迎撃ミサイルの数以上の報復用ミサイルを準備すれば、アメリカの先制攻撃を思い止まらせることが可能だ。ロシア及び中国にとって、核デタランスは「実」である所以だ。
<朝鮮の条約不参加>
 朝鮮は、朝鮮戦争以来一貫してアメリカの核戦力を含む軍事的脅威にさらされ続けてきた。朝鮮はこの脅威に対抗するため、ソウルを「火の海」にするだけの火力を38度線上に大量に配備してきた。また1980年代までは、ソ中両国との軍事同盟にもある程度は期待することも可能だった。
 しかし90年代以後、ソ連崩壊及び中国の改革開放政策採用、韓国経済躍進及び朝鮮経済停滞によって朝鮮半島における南北の力関係は圧倒的に朝鮮に不利に働くこととなった。しかも、湾岸戦争以後のアメリカの精密兵器を中心とする軍事力の留まるところを知らない破壊力向上、イラクのサダム・フセイン及びリビアのカダフィがたどった悲劇的運命は、朝鮮にとっては衝撃以外の何ものでもなかった。
38度線上に展開する火力に加え、アメリカ(米韓日)の侵略に対処する核ミサイル開発に邁進することとなったのは、ある意味必然だった。アメリカに対して圧倒的弱者である朝鮮にとって、核デタランスは間違いなく「実」である。
 朝鮮が「先制核攻撃」を持ち出すのは何故かについても考えておく必要がある。米朝の核戦力(及び通常戦力)には圧倒的な差がある。アメリカ(米韓日)の先制攻撃の可能性を未然に封じるためには、先制攻撃の「兆し」に対しても朝鮮は先制核攻撃を行う決意であることを明確にすることは、結果としては朝鮮の壊滅につながるが、アメリカ(米韓日)の先制攻撃を思い止まらせる核デタランスとしては「実」である。
オバマまでの歴代アメリカ政権は朝鮮の政権崩壊・交代を追求してきた。しかし、トランプ政権は「圧力と対話」政策を打ち出した。中露の対朝鮮半島政策及び韓国における文在寅政権の登場により、朝鮮半島情勢に変化が生まれる条件がかすかではあるにせよ現れてきている。アメリカが核デタランス戦略の「虚」を認識し、改めるまでには至らないとしても、対朝鮮政策を変更する可能性は出てきた。
 私たちとしては、ひたすら朝鮮の政策の非を叫ぶのではなく、朝鮮がアメリカの脅威から解放される条件を作りだすことに目を向けなければならない。
<日本の条約不参加>
 日本の戦後保守政治は一貫してアメリカに追随し、拡大核デタランスを含むアメリカの世界軍事戦略をまるごと受け容れてきた。今日では、国民の80%以上が日米軍事同盟を支持するまでになっている。
 しかし、人類史上初めて原爆体験を味わわされた日本がアメリカの核戦略に対する異議申し立てを行う国であったならば、アメリカが核デタランス戦略の「虚」をほしいままにすることができてきただろうか。アメリカはまさにそういう日本が立ち現れないようにするため、「原子力平和利用」神話を含め、日本を飼い慣らすことに腐心してきた。日本政府が取った条約不参加という今回の行動はその今日的帰結にすぎない。
 百歩下がって、米ソ冷戦たけなわの時代に核廃絶を叫ぶのは「理想論」だったかもしれないとしよう。しかし、すでに述べたとおり、国際的相互依存で世界が一つとなり、核戦争を起こすことがアメリカにとっても自滅以外の何ものでもない21世紀の今日、核廃絶こそがもっとも現実的かつ最良の選択であることは明らかだ。それはとりもなおさず、「原爆体験」を人類的遺産として今日に生かすことに他ならない。
 そのためには、私たちは日米軍事同盟そのものをまな板の上に乗せ、アメリカ(米日支配層)の「パワー・ポリティックスありき」の時代錯誤の発想そのものを根本から問いただすだけの覚悟を我がものにしなければならない。
日本政府が条約不参加の道を選んだこと自体、私たちが如何に無力であるかということの証左である。核兵器廃絶を叫びながら、日米軍事同盟を支持することに何の矛盾をも感じない国民の存在が日本政府の対米追随の行動を許し、ひいては今日に至るアメリカの核デタランス戦略の「虚」を許してきてしまったことに、今こそ思いをいたすべきだろう。