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朝鮮「正筆」による中国批判文章

2017.4.23.

4月21日付の朝鮮中央通信は、「21日に発表された正筆の論評「他国の笛に踊らされるのがそんなにいいのか」の全文」と紹介して、「正筆」による中国に対する批判の文章を掲載しました(昨日チェックした時点では、まだ掲載されていなかったように思います)。「正筆」に関しては、2月23日付のコラムに24日に補筆したところで紹介した、やはり中国批判の文章(2月23日付朝鮮中央通信掲載)が最初であり、今回が2回目となります(両文章とも中国に対する名指しは避けています)。2つの文章だけで憶測を逞しくすることは軽率すぎますが、「正筆」署名文章が朝鮮最高指導部の対中国認識の所在を強く反映するものであることは間違いないと思います。
 2月23日付の「正筆」署名文章は、中国が朝鮮からの石炭輸入の暫定停止を決定したことに対する批判でした。しかし、4月21日付の「正筆」署名文章は、中国が経済制裁に執着するならば、「われわれとの関係に及ぼす破局的結果も覚悟すべきであろう」と踏み込んでいます。これは、2月時点と今回の時点における状況の変化を背景としたものであると判断されます。
 すなわち、2月の「正筆」署名文章は、朝鮮の第5回核実験に対する中国の対朝鮮制裁強化措置への反発を表明したものでした。しかし、今回の文章は、米中首脳会談を受けた中国の対朝鮮政策の変化そのものに対する朝鮮最高指導部の対決姿勢を明確にするものです。「破局的結果」が具体的に何を意味するのかは不明ですが、私がコラムで紹介してきた中国の対朝鮮アプローチに対して、朝鮮が「前向き」に検討する意思がないという意思表示であることは間違いありません。
 ただし、中国に対する対決姿勢を表明したからといって、朝鮮が近日中に核実験・ICBM発射実験をすることに直結するわけではありません。今回の「正筆」署名文章にはこの問題に対する言及はありません。私としては、22日付のコラムで述べたように、朝鮮が「①ミサイル開発については、米本土を標的とするICBM開発は行わない、②核実験については、安保理決議に対する対抗措置として行ってきた過去の政策に回帰する、という2点を確立する(アメリカにどのように知らしめるかは別問題)」ことで、当面は核ミサイル実験なしの建軍節(25日)を終えて、とりあえずの危機を乗り切ることが朝鮮にとってベストであると考えます。
 以下に、今回の「正筆」署名文章を紹介します。

 「最近、われわれの周辺国で米国が朝鮮半島水域に前例なく膨大な戦略資産を送り込んで情勢を戦争の瀬戸際へ追い込むことに対しては一言も言えず、それに対処したわれわれの自衛的措置に関連しては「必要な措置」だの、「転換的水準の反応」だの、何のと言って、われわれをどうにかしてみると公開的に威嚇する言葉が吐き出されている。
特に、今後われわれが誰かの「経済制裁」に耐えられないとし、自分らとの関係がどんなに重要であるのかを再考慮してみなければならないだの、われわれに安全を保障し、経済復興に必要な支持と幇助を提供することができるだのとして、ふざけたことを言っている。
4月18日には公式メディアを通じてわれわれが核・ミサイル計画を推し進めたことによって、かつて敵であった米国を自分らの協力者に作ったと言ったが、それならわれわれは今後彼らを果たして何と呼ぶべきであり、どう対すべきなのか。
われわれの自衛的核抑止力は、国と民族の自主権と生存権を守るためにわが軍隊と人民が困苦欠乏に耐えながらもたらしたもので、決して何かと交換するための駆け引き物ではない。
われわれは今まで経済制裁の中で生きてきたが、ただ自分の力でわれわれが選択した正義の道に沿って力強く前進してきた。
弱肉強食が羽振りをきかせるこんにちの現実は、われわれが信じるものはただ自分の力だけであり、自力自強に頼る道だけが生きる道であるという哲理を再び骨に刻みつけている。
もし、彼らがわれわれの意志を誤って判断し、誰かの拍子に引き続き踊らされながらわれわれに対する経済制裁に執着するなら、われわれの敵からは拍手喝采を受けるかも知れないがわれわれとの関係に及ぼす破局的結果も覚悟すべきであろう。
われわれは、敬愛する最高指導者同志の周りに固く団結してわれわれの力で国の尊厳を守り、人民の楽園を立ち上げるであろう。 正筆」