21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

安倍政治に対するハンギョレ社説の問題提起

2017.4.4.

3月31日付及び4月2日付のハンギョレWSに掲載された同紙の二つの社説を読んで、改めて安倍政治が内外政治に引き起こしている底知れぬ害毒に粛然と襟を正される思いを味わいました。多くの蛇足を付け加える必要はないでしょう。歴史をひん曲げようと突き進んでいる安倍政治に対して、圧倒的に多くの日本人が今や完全に無関心を決め込んでいることの恐ろしさを痛感せずにはいられません。森友学園問題についても、安倍夫妻の関与という問題はきわめて重大なのはもちろんです。しかし、海外メディアがより重大な関心を寄せているのは、同学園が推進しようとしていた反動的歴史観に基づく教育方針ですし、それは正にハンギョレ社説が指摘する安倍政治の本質に直結しているのです。(本文中の強調は浅井)

[社説]LA少女像判決に沈黙する韓国外交部の屈辱(3月31日付ハンギョレWS(日本語))

 米国連邦最高裁が27日、カリフォルニア州グレンデールに設置された「平和の少女像」撤去を要求する日系極右団体の訴訟を棄却した。米国の韓国人団体が「慰安婦」被害者の痛みを記憶し日本の戦争犯罪を告発しようと建設した少女像に対する日本の執拗な妨害工作に終止符を打ったのだ。  2013年7月に建設されたグレンデール少女像は、外国に設置された初めての「慰安婦」少女像だ。2014年2月、正体不明の日系極右団体がロサンゼルス連邦地方裁判所に撤去訴訟を提起して法廷闘争が始まった。裁判所は1,2審で共に原告敗訴判決を下したが、この団体は訴訟を最高裁まで引っ張った。日本政府も米連邦最高裁に第三者意見書を提出し「少女像は米日同盟に害を及ぼす危険がある」という脅迫性の主張まで展開した。菅義偉官房長官は判決直後の28日、定例ブリーフィングで「極めて遺憾」と論評した。
 韓国外交部のチョ・ジュンヒョク報道官は同日、定例ブリーフィングで「韓国政府の立場があるか」という質問に「米連邦政府と地方政府間の権限問題に関する法的争点に関連した事案」とし「(外国の)裁判所判決に韓国政府として意見を出すことは適切でないと見る」と答えた。29日、中国外交部の陸慷報道官は定例ブリーフィングで同じ質問に対し「判決に賛成する。慰安婦を強制動員した第2次大戦当時の日本軍国主義の厳重な反人道的犯罪だ」と述べた。韓国と中国の政府報道官論評がさかさまになったようだ。 少女像を中国が建設したのか、我が同胞が作ったのか、こんがらかるほどだ。
 韓国政府がこのように「川向こうの火事見物」のような姿勢を取るのは、「12・28慰安婦合意」を意識したためと見える。合意案には「国際社会で慰安婦問題に関して相互に非難を自制する」という内容が入っている。しかし、日本政府は米連邦最高裁に少女像撤去意見書を提出しており、判決後には「遺憾」を表明し、今後も継続的に立場を出すと公然と騒いでいる。加害者と被害者が逆転したようだ。
 在外同胞が十匙一飯でお金を集めて少女像を設置し、日本の極右団体の訴訟にまきこまれ3年間苦しんでいる時、グレンデール市議会は「少女像を守る」と言い、現地の法律会社の弁護士は無料で弁論に立った。その間、韓国政府は何をしていたのか。今は少女像判決に「歓迎する」という一言も言えない。被害者には申し訳なく、国際社会には恥ずかしい。

[社説]70年ぶりに復活した日帝の「教育勅語」(4月3日付ハンギョレWS(日本語))

 
 日本政府は31日、「教育勅語」を学校で生徒らに教えることができるという方針を閣議(閣僚会議)で政府公式の立場として採択した。「朕惟フニ」で始まる教育勅語は1890年に「明治天皇」が日本帝国臣民の修身の道徳教育の規範を定めるために制定したものだ。随所で「爾(なんじ)臣民」という言葉を使うなど王が臣下に下す教旨の形式を帯びている。
 内容を見ると「国家に緊急なことが起これば義勇をつくして公のために奉仕することによって天地とともに窮りなき皇室につくさなければならない。かようにすることは、ただに王の忠良な臣民であるばかりでなく」など、個人を国家そして天皇のための道具とする基調が元にされている。一言で言えば、すべての国民は天皇に忠誠をつくさねばならないという全体主義と軍国主義の理念が核心のメッセージである。教育勅語は日本が第2次世界大戦で崩壊した後の1947年の教育基本法によって学校現場から消えたが、今回の閣議の方針で70年ぶりに墓からよみがえったわけだ。
 批判的な思考が形成される前の子供の時から全体主義や封建的観念、そして天皇を崇拝して服従すべしという主張をうのみした場合、成人してもなかなかその考えから逃れられなくなるはずである。第2次大戦末期の特攻隊の「神風」の根もこの教育勅語から生まれたといえる。さらに教育勅語は「間違いがなく」と明示しており、対話と討論を拒否して無条件に命令に従えという、権威主義的で独善的な態度を育てうる。自由な個人とその個人の安全と権利を保障する国家の役割、国民主権と個人の尊厳という現代的国家観とはあまりにもかけ離れている。
 安倍晋三首相は同盟国を訪問するたびに日本と同盟国が民主主義と人権、法の支配などの価値観を共有していると話す。そのような主張と教育勅語は絶対に共立しえないのに教育勅語を押しつける理由が何なのか訊ねたくなる。
 19世紀に明治天皇が帝国主義臣民に下した教育勅語を21世紀の日本の子供たちが身につけて育ち、将来の日本社会を構成することになるという想像をしただけでもぞっとするほどだ。また、これは北東アジアの平和と共存にも深刻な害を及ぼすことになるだろう。安倍首相は現在、歴史と未来に深刻な罪を犯している。