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韓国政治:寡頭支配から「市民の集団知性」支配へ

2017.3.28.

3月27日付の韓国・中央日報WS(日本語)は、パク・ソンミン(政治コンサルティング・ミン代表)署名文章「韓国、エリート時代の終焉」を掲載しています。その内容は、私がデモクラシーについて考えていること、また、いわゆる「ポピュリズム」批判の横行に対して強く抱いている違和感と基本的に一致するものです。韓国の「ろうそく革命」の本質についての正しい理解を示しているものだとも思います。文中の米ウェルズリー大学のキャサリン・ムーン教授に関する一節には同感しかねますが、その部分以外は共感を覚えるものでした。特に、「普通の人々の高い市民意識」「責任のある市民の集団知性」という言葉は印象的でした。韓国政治について考える意味ある材料として、紹介させていただきます。

「憲法は大統領を含めたすべての国家機関の存立根拠であり、国民はそのような憲法を作り出す力の源です」
憲法裁判所はこのように宣言することで「大韓民国の主権は、国民に存し、すべての権力は、国民から由来する」という憲法1条2項の尊厳を確認した。大統領弾劾を導き出した市民革命は大韓民国が国民主権主義・法治主義・民主主義に基づいている民主共和国であることを全世界に知らせた偉大な革命だった。
いよいよ「王の法」である君主時代が終焉を告げ、「法が王」である共和時代が開かれた。「大韓民国は、民主共和国である」という憲法第1条1項に初めて命が吹き込まれた歴史的瞬間だ。1987年に大統領を直接選ぶ権利を勝ち取った国民は、2017年大統領を罷免する権利も有することを見せることで、自らの力で民でなく市民になった。
国民は(国民が委任した)公的権力を私有化した責任を追及して大統領の罷免を要求した。国会は234人の圧倒的賛成で要求に応じ、憲法裁判所も全員一致で国民の意思を支持した。
市民の力が大きくなることをみんなが歓迎するわけではない。いわゆる、オピニオンリーダーと呼ばれる一部エリートには大衆の言葉や行動が時には心地悪い。深く考えずに扇動に振り回されるとして軽べつしたりもする。エリートは「ポピュリズム」という言葉で広場の声を切り下げる。エリートは(国を心配する苦心がにじみ出るように)「挙国内閣」や「秩序のある退陣」のような言葉に慣れている。広場から聞こえる退陣・下野・弾劾はなぜか不安で不便で不穏だ。
彼らは自らオピニオンリーダーと信じているため、世論をリードする責任があると感じる。実際に導いていると勘違いしているかもしれない。かなり前に聞いたことのあるユーモアが思い出す。
「ウォールストリート・ジャーナルは米国を導いている人々が読む新聞で、ワシントン・ポスト(WP)は米国を導いていると信じている人々が読む新聞で、ニューヨーク・タイムズは米国を導きたいと思っている人々が読む新聞だ」
社会生態学者のピーター・ドラッカー氏が洞察した通り、今は大衆がエリートになり、エリートが大衆になる時代だ。一言でいうとエリートの終焉だ。エリートが情報力や知識で大衆を圧倒できない。政治家・ジャーナリスト・教授はこれ以上、政治・世論・知識を独占していない。情報や知識が光のようなスピードで流通されている時代には、エリートの権力や権威も同じスピードで没落している。
「大衆は犬、豚です。適当にほえまくって静かになるでしょう」。韓国映画『インサイダーズ/内部者たち』で韓国を牛耳ていると信じる権力エリートが話した傲慢な対話を再び聞くことになるだろうか。
数日前、あるメディアに米ウェルズリー大学のキャサリン・ムーン教授の印象的なインタビューが載せられた。ムーン教授はろうそく集会が「民主的責任性に対する学習の場を提供した」と肯定的に評価しながらも「安定した民主主義でデモは政治参加の正常な方法でなく」、韓国社会の課題は「民主的な制度がデモを通じて表出された国民的要求を受け入れること」と述べた。筆者もろうそくよりは投票の方が力が強く、投票よりは制度の方が力が強いということに同意する。
ムーン教授は「真実を突き止め、法を犯した人々に責任を問うことが法的な方式で公正に終えられなければならない。崔順実(チェ・スンシル)被告、朴槿恵(パク・クネ)前大統領、政府機密を権限のない人々と共有した官僚ら、政府と企業間の腐敗にかかわったり腐敗を助長したりした官僚らがその対象になる。 次の課題は、次の大統領と選出職官僚らが過去6カ月にわたって教訓を得て個人の野望や偏狭な政党政治、あるいはイデオロギー対決でない公務に貢献することだ。一番目の課題は実現するだろうが、2番目の課題、すなわち政治家たちの変化は成し遂げることが難しいだろう」とした。 韓国の民主主義は2つの敵と戦っている。一つは共和政を否定して依然として君主時代を生きる人々との戦線だ。この戦いでは今回、歴史的勝利を収めた。
それよりはるかに厳しい戦いがわれわれを待っている。エリート意識で一丸となった寡頭既得権勢力との戦線だ。権力・会社・法・メディア・学校・政治を私有化した彼らは「不当な取り引き」を通じて金で買えないものも金で買っている。その0.1%の既得権エリートが問題の核心だ。朴槿恵氏・崔順実被告ゲートは彼らの素顔をそのまま表している。最高の権力・資金・知識を持つエリートがみんな監獄に入っている。 それにもかかわらず、依然としてエリートはホテルでワインを飲みながら自身らが引っ張っていかなければこの国がまもなく滅びるだろうと心配をしているが、実際に彼らは国を導く深い洞察や戦略を持っていない。大統領弾劾政局で明るみに出た事実は、この国が少数のエリートが導く国でなく、普通の人々の高い市民意識によって導かれている国ということだ。
一部のエリートが世の中を導いていた時代は終わった。もう残された課題は国を導く能力や責任のある市民の集団知性で大韓民国を引っ張っていく方法を見出すことだ。
エリート時代の終焉をあまりにも心配する必要はない。われわれには世界で平均民度が最も高い偉大な国民、偉大な市民がいるためだ。