21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト

トランプ政権と国際秩序

2017.3.28.

5月12日に『季論21』編集委員会が主催するフォーラム(文京シビックセンター)で、アメリカ政治の西崎文子さんと対談することになっています。主催者から、基本的な考え方をまとめた短文を用意するようにという指示があったので、以下のとおりまとめてみました。

トランプ政権の登場は、①大方の予想をくつがえすいわばハプニングであったこと、②国際関係の視点から言えば、トランプが選挙戦中に打ち出した主張の多くが米歴代政権によって確立した対外政策をくつがえすことを公言していたこと、③より本質的には、トランプの「アメリカ第一主義」が米エスタブリッシュメントのアイデンティティともいうべき伝統的自負(普遍的価値の唱道者+世界的ヘゲモニーの担い手)とは無縁であることにより、第二次大戦後に確立した米主導の国際秩序に対して戦後最大の攪乱要因として立ち現れた。しかし、冷静に観察すれば、トランプ政権が戦後国際秩序において長年にわたって蓄積されてきた宿弊を暴き出す役割は客観的に果たすとしても、「アメリカ第一主義」という狭い視野しか持ちえない同政権が21世紀にふさわしい国際秩序創造の主導的役割を担うことはあり得ないことは明らかである。
すなわち、トランプ当選というハプニングに動転して世界的失笑を買う衝動的行動に出たのは安倍首相ぐらいで、世界の大勢は形勢観望でやり過ごした。また、「一つの中国原則」をめぐる顛末は、トランプの思いつきでは国際関係の基本原則をぶち壊すことは簡単ではないことを端的に示すものだった。したがって、私たちが考えなければならないのは主に上記③についてである。
トランプ当選を可能にした原動力の一つは、アメリカ主導の「グローバリゼーション」に取り残されたプア・ホワイトだと言われる。イタリアの五つ星運動そしてイギリスにおけるEU離脱派の勝利の原動力も、EU統合に対する批判層の存在だったと指摘されている。米欧及びこれに追随する日本の主要メディアは、ロシアにおけるプーチンやフィリピンにおけるドゥテルテに対する高い国民的支持率などもひっくるめて、「ポピュリズム」の台頭として批判的・警戒的に捉える。
しかし、第二次大戦後のブレトン・ウッズ体制は主にアメリカのデザインによって形成された。新自由主義の台頭及びソ連崩壊を受けて、1990年代後の世界経済はやはりアメリカ主導の「グローバリゼーション」を加速させた。それらはあくまでアメリカのエスタブリッシュメントの伝統的価値観に基づく、「アメリカにとっての利益=世界経済にとっての利益」とする基本命題に立脚している。戦後日本の歩みをふり返れば理解されるとおり、経済「自由化」及び「グローバリゼーション」への動きは様々な抵抗に遭遇したし、確実に多くの社会的弱者を生み出してきた。アメリカを含めた上記「ポピュリズム」現象に共通するのは、アメリカ主導の「自由化」及び「グローバリゼーション」に対する強烈な異議申し立てである。「トランプ現象」を他のいわゆる「ポピュリズム」諸現象と分かつのは、「自由化」及び「グローバリゼーション」推進の本丸(アメリカ)において反旗がひるがえったという点にあるに過ぎない。
トランプ政権の登場の意味を戦後国際秩序のあり方との関連で考える上で見過ごしてはならないもう一つの重要なポイントは、デモクラシーのあり方に関する認識及び現実が世界的に19世紀当時の水準に留まったままであり、21世紀にふさわしい進化・発展を遂げていないという問題である。これは、世界各国においてそうであり、また、国際秩序においてはさらにそうである。
丸山眞男の定義を私流に敷衍すると、デモクラシーとは「理念+制度+運動」の3要素から構成される。ところが、制度としてのデモクラシーは19世紀に形作られた間接デモクラシーが、21世紀の今日においてもそのまま君臨している。しかし、デモクラシーの本義である人民主権(理念)は、主権者である人民の不断の意思表示(運動)によってのみ鍛えられ、自らを充実させるという、いわばプロセスとしてのみある(永久革命としてのデモクラシー)。もちろん、マス・デモクラシーの時代において、制度としての間接デモクラシーは今後も不可欠だ。しかし、制度としての間接デモクラシーは運動としての直接デモクラシーによって不断に検証されることによってのみ、デモクラシー(人民主権という理念)を制度的に担う機能を維持することができる。
デモクラシーに関する以上の理解を踏まえて上記「ポピュリズム」諸現象を見るならば、米欧の既存のエスタブリッシュメントが間接デモクラシーを実質的に支配して国内的、国際的に君臨してきたことに対する各国人民の異議申し立てに本質があることが理解できる。
以上の2点(「自由化」及び「グローバリゼーション」による積弊並びにデモクラシーの機能不全)を踏まえて、「トランプ現象」を含めたいわゆる「ポピュリズム」諸現象の本質を整理するならば、①貧富の格差(国内)及び南北問題(国際)を生み出した「自由化」及び「グローバリゼーション」に対する客観的問題提起、②国内では硬直し、老化が進んだ、また、国際では未発達(後述参照)に留まっている間接デモクラシー(制度)に対する人民主権(理念)及び直接デモクラシー(運動)の双方からの根本的異議申し立てである。
もちろん、「アメリカ第一主義」のトランプ政権の貧弱な思想的体質は、「自由化」「グローバリゼーション」を克服する、デモクラシーの理念を体した新しい国際政治経済秩序を構想する能力を持ち合わせていない。この課題を担いうる、また担うべきは優れて各国の主権者・人民であり、そのためには各国人民が成熟した判断力を備えることが不可欠となる。情報革命が進行する21世紀の現代において、国内及び国際の双方において、マス・デモクラシーを如何に真正なデモクラシーたらしめるか、それこそが私たち主権者一人一人が自らの課題として考えるべき根本問題である。
特に、21世紀にふさわしい国際秩序を構築する課題はほぼ手つかずの未開拓の領域である。現在の国際秩序は基本的に主権国家を成員とする「無政府的な社会」(ヘドレー・ブル)である。国連憲章は、国家主権、主権の対等平等、内政不干渉、紛争の平和的解決など、国家関係を規律する基本原則を定めた。しかし、国際の平和と安全に関する権能は5大国が拒否権を持つ安保理の専管事項とした。デモクラシーに反するその弊害は、皮肉なことに米ソ冷戦終結後のアメリカの一極支配によって露わになった。したがって、21世紀世界(各国人民)が取り組むことを求められているのは、デモクラシーを国家単位だけではなく世界規模でも実現するという課題である。その具体的内容はきわめて複雑かつ多岐にわたることを指摘しておきたい。