「ポピュリズム」再再考

2017.3.5.

私は、2016年12月18日付のコラム「「ポピュリズム」再考」で、第二次世界大戦終結後今日までの世界をリードし、牛耳ってきた西側エスタブリッシュメント及びその奉じる制度としてのデモクラシーが、今や草の根からの挑戦・異議申し立てに直面していることに対し、これらエスタブリッシュメントがこの挑戦・異議申し立てを無責任な「ポピュリズム」として非難・排撃しようとしている世界的現象を批判する文章を記しました。
私の批判における中心的な問題意識は、制度としてのデモクラシーは、マス・デモクラシー以前の19世紀までに成立したものであり、20世紀以後のマス・デモクラシーの時代においては、旧態依然の制度が機能不全・、マヒを起こしていることに今日の様々な問題の根本的原因があるということです。しかし、このコラムで指摘しなかったもう一つの重要なポイントがあります。それは、西側エスタブリッシュメントが1980年代以後、「市場経済」の名のもとにおいて新自由主義に基づくグローバリゼーションを世界に押しひろげる戦略をとってきたことに対しても世界規模の抵抗・異議申し立てが起こっているということです。この2つの要素(マス・デモクラシーをデモクラシーたらしめる理論的・実践的・制度的な欠缺及び西側エスタブリッシュメントによる世界経済支配)が相乗して今日、西側エスタブリッシュメントが「ポピュリズム」と一括して非難する現象を生み出しているのです。いわゆる「トランプ現象」は、その集中的な表れですが、しかし単なる一例に過ぎません。以上の2つの要素を踏まえて「トランプ現象」について分析することによって、「ポピュリズム」について広まっている様々な認識上の混乱現象を整理することができると思います。  実は、私がこの分析作業をする必要があると気付かされたのは、2月17日付及び18日付の日本農業新聞WS所掲の、堤未果氏文章「アメリカファーストの実像」(上・下)をたまたまネット上で読んだことでした。堤氏は次のように指摘しています。

 「オバマ前大統領が2009年の就任時に掲げたチェンジが幻想に終わり、今度こそ変わりたいと米国民が未来を託して誕生したドナルド・トランプ大統領。一握りの超富裕層が私物化した政治を国民の手に取り戻し、再びこの国を「自由で偉大な米国」にするという就任演説に国内外から多くの期待と不安を集め、新政権はスタートした。繰り返し出てくるキーワードは「アメリカファースト」。日本のマスコミは「保護主義」「孤立主義」などと報道しているが、正確には「国内優先主義」だ。
 環太平洋連携協定(TPP)離脱や北米自由貿易協定(NAFTA)見直しとはすなわち、過去数十年、米国が主導してきた行き過ぎたグローバル資本主義にいったん待ったをかけること。雇用が人件費の安い途上国に流れ、国内産業が破壊される上に、利益はグローバル企業が本社を最低税率地域に移してしまうので税金として米国に還元すらされない。
 8年前、この悪循環を止めるべきだと訴えて大統領になったオバマ前大統領は、グローバル企業群や金融業界から巨額の献金を得ていたため、就任後は公約を翻した。「共和党から民主党に変えてもダメ」「白人から黒人に変えてもダメ」「結局政治が金で買える商品に成り下がっていることが元凶なのだ」。そう気付いた多くの国民によって選ばれた、政治は素人だが利益業界のひも付きでないトランプ大統領は、今そうした企業が生産拠点を国内に戻した際の税金優遇措置や「他国で安く作った商品を米国内で売る際の高課税などの政策」を着々と進めている。」

 私も、TPP等の指導理念は「市場至上主義」の新自由主義であり、堤氏が示唆するように、「アメリカ第一主義」を掲げたトランプは客観的には新自由主義に挑戦する役割を果たしているとは思います。そのもっとも顕著な表れは、トランプ政権が3月1日に公表した通商政策に関する報告書で、「WTOにおける紛争解決の手続きについて、「米国に不利な決定がされた場合、それは米国の法律を自動的に変えるものではない」として、決定に従う必要がないとの姿勢を示した」(3月2日付朝日新聞夕刊)ことです。
しかし、トランプの「アメリカ第一主義」が世界的な公正な経済秩序の実現につながるものであるかどうかは全くの別問題です。トランプの度重なる放言からは、世界的な公正な経済秩序という問題意識自体が欠落しています。したがって、トランプ政権の行動について、以上のように肯定的に描き出す堤氏の判断は一面的にすぎるという批判は免れないと思います。
 私は、デモクラシーの理念・態様(タテ軸)と経済に関する理念・態様(ヨコ軸)との相関関係の中に、世界の様々な現象を位置づけることにより、21世紀の世界が今日直面している問題状況を整理することができるのではないかと考えました。

間接デモクラシー             アメリカ
            EU  
        中国      
      G77/非同盟運動        
          伊(五つ星)/英(EU離脱)    
        ロシア/フィリピン      
    トランプ政権          
              安倍政権
独裁政治(≓ポピュリズム) ナチス/ドイツ            
  保護主義           新自由主義

以上の図については説明が必要です。
まずタテ軸の間接デモクラシーと独裁政治(≓ポピュリズム)について。デモクラシーの原点は人民主権(民が主)です。そのもっとも直接的な制度的保障が「一人一票」です。しかし、古代ギリシャの都市国家であればともかく、すべての人民(国民)が主権者として政治参加する現代において、しかも統治の対象が無限に肥大化していく状況に対して、主権者・人民(国民)が統治主体として、国家のすべての意識決定にかかわることを可能にする直接デモクラシーの制度は工夫されるに至っていません。むしろ、人権・デモクラシーの発祥地ともいうべき欧米諸国においては、様々な形の間接デモクラシーの制度(典型的な形態はイギリス型議会制デモクラシーとアメリカ型大統領制デモクラシー)が編み出され、20世紀以後に欧米列強の植民地支配を脱したAALA諸国においても様々な形態の間接デモクラシーの制度が模索されてきました。
しかし、ワイマール憲法下の間接デモクラシーの現実に不満を募らせたドイツ国民は「一人一票」の直接デモクラシーを行使することによって、ヒトラーによる独裁政治に道をひらきました。ヒトラーは正に、ドイツ国民の現実政治に対する不満感情に訴えて、自らの政治的野心の実現を追求したポピュリストであり、ポピュリズムの実践者でした。私たちが直視しなければならない事実は、「一人一票」の直接デモクラシーが独裁政治(≓ポピュリズム)を生み出したということであり、間接デモクラシーが機能しない場合には、直接デモクラシーが独裁政治(≓ポピュリズム)を生み出す可能性を持っているということです。
以上をまとめるならば、次のように説明することができます。すなわち、タテ軸は、いうならば、中間に理念・制度(ただし現実としてあるのは「一人一票」のみ)・運動としての直接デモクラシーが位置し、一方の極限として制度に偏向する間接デモクラシーがあり、他方の極限として運動に偏向する独裁政治(≓ポピュリズム)があるということです。様々な現実政治の諸形態は、間接デモクラシーと独裁政治(ポピュリズム)との間のどこかに位置することになります。
ただし、「独裁政治(≓ポピュリズム)」と表現したように、独裁政治とポピュリズムとを区別するべき画然とした違いがあることに留意するべきです。独裁政治が独裁である所以は、選挙を通じて(あるいは暴力手段で)政権を掌握した上はその権力を独占し、非暴力的な手段による権力の移行の可能性を遮断する点にあります。それに対してポピュリズムの場合、憲法の定める「一人一票」の直接デモクラシーによる審判(政権交代の可能性)を承認します。西側エスタブリッシュメントを代表する米欧メディアは、ロシアのプーチン、フィリピンのドウテルテ、トルコのエルドアン等を「独裁者」と決めつけますが、彼らはポピュリスト(ポピュリズムの担い手)ではあるとしても、立憲主義そのものを否定するわけではなく、独裁者とする決めつけは失当です。
 次にヨコ軸の保護主義と新自由主義については、多くの説明は必要ないでしょう。私流の理解ですが、保護主義と新自由主義とを分かつもっとも重要なポイントは、前者においては経済(市場)に対する政治(国家)の優位を主張するのに対して、後者においては政治(国家)に対する経済(市場)の優位を主張することにあります。両者の中間に位置するのが経済(市場)と政治(国家)とのバランスのとれた分担を目指す立場であり、歴史的にいえば古典的自由主義が該当すると言えると思います。
 上図は厳密なものではなく、西側エスタブリッシュメントによってポピュリズムとして一括りにされて非難・排撃される傾向の不当性を示す概観図として理解してください。すなわち、私の理解をいえば、イタリアの五つ星運動及びイギリスのEU離脱派は「一人一票」の直接デモクラシーを制度的に行使することによって、新自由主義に対する異議申し立てに成功したケースであり、ポピュリズムとは無縁です。
また、ロシアのプーチンについていえば、ソ連崩壊後の政治的経済的混乱によって苦しめられていたロシア国民の感情に訴えることで強力なリーダーシップを掌握したという点においてポピュリスト的リーダーであることは確かとしても、彼はあくまでもロシア憲法の枠組みを守って政権運営を行っています。政治的に見るならば、プーチンとトランプはほぼ同類とみることが可能です。しかし、経済的に見るならば、経済に対する政治的介入を公然と追求するトランプと、経済と政治とのバランスある分担を重視するプーチンとの間に大きな隔たりがあります。
 冒頭に引用紹介した堤未果氏の文章の言わんとすることは、「英国の欧州連合(EU)離脱の背景には、EUの巨大官僚支配から抜けて主権を取り戻したいという、国民の声があった。フランスやイタリア、フィリピンでも、自国第一主義的な主張をする政治家が支持を得ているのは決して偶然ではない。米国民が選んだ「自国ファースト」によって結果的に環太平洋連携協定(TPP)を免れた私たち日本人も、この流れにしっかりと乗り、貴いものを守るチャンスに変えるべきだろう。」、「日本にも成熟した地方ネットワークが存在する。それは、地方局や地方紙の視聴者・読者であり、JA組合員の組織だ。政府が主導する農協改革のように、JA全農の株式会社化やJA事業の分割などを進め、組合員優先の体制を崩そうとする動きに、毅然と反論していかなければならない理由はここにある。組合員の暮らしの向上を第一の目的とする協同組合で、巨大資本によって買収できない、鉄壁の「組合員ファースト」であるJAのような組織こそ、失ったものを取り戻そうとする世界中の民と、国境を越えてつながることができるからだ。」ということにあります。
 つまり、五つ星運動やEU離脱派をデモクラシー及び経済の両面から正当に評価し、日本としてもその方向を目指すべきだということが堤氏の提起の趣旨なのです。私もこの提起に賛同します。私からして惜しむらくと感じたのは、堤氏の文章がもっぱら経済という上図のヨコ軸的尺度でトランプ政権を「積極的」に評価し、タテ軸的尺度で評価した場合のトランプ政権の重大な問題点を素通りしていることです。
 最後に、上図における中国の位置づけについては、特にタテ軸との関連で疑問を覚える人が多いと思います。「共産党独裁の中国が間接デモクラシーと言えるわけがない」という批判です。ここでは、私の理解を述べるよりも、リチャード・ヤング著『非西側デモクラシーの謎』("The Puzzle of Non-Western Democracy"2015年5月)と題する本の一節を紹介します(電子本なのでページは紹介できません)。ヤングはこの著作において、デモクラシーをデモクラシーたらしめる基本的要素を整理した上で、アジア・アフリカ・ラ米の国々において採用され、模索されている様々なシステムについて実証的に検討を加え、非西側モデルの中にも西側モデルが注目し、重視するべき民主的な形態が生み出されていることを指摘しています。

 グローバルな力関係の変化があまりにも大きいので、西側民主国家としては、伝統的にまったく非民主的とされてきた政治制度のもとで発展させられてきた「答責性(accountability)」及び「代表性(representation)」(というデモクラシーの2大メルクマール)が正統性を有するか否かについて真剣に検討する必要がある。中国のケースは概念上の主要テーマ・チャレンジである。中国の支持者は、中国は西側デモクラシー諸国よりも答責(responsiveness)及び自らを正すこと(self-correction)についてより良く学んでいると主張する。これらの支持者の主張によれば、中国は市民を協議の場に関与させる頻度において、西側デモクラシー諸国よりも優っており、西側よりも能力主義的であり、公的正統性源泉をより深く生み出すことにおいて西側諸国よりも成功しており、私的自由についても、制度を転覆しようとするものを除いて、その範囲を広げてきている。中国人の観点からすると、歴史的にいって、政党はデモクラシーにとってごく最近になって付け加えられたものであり、デモクラシーにとって不可欠な要素ではなく、条件付のものに過ぎない。中国の指導者は、合理主義の方が自由主義よりもより民主的であるとする。彼らの主張によれば、少数派の集団的行動の問題を克服してより民主的な結果を提供する点においては、国家の強力な行動の方が個人の権利の単なる保護よりもより民主的な結果をもたらす。もちろん、以上の主張は全面的に説得力があるというわけではないが、ごく最近まで決めつけられていたほどにはまともではないとは言えないだろう。