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米中外相会談(環球時報社説)

2017.2.19

2月17日、王毅外交部長とティラーソン国務長官がドイツのボンで、トランプ政権になって初めての米中外相会談を行いました。私は2月17日のコラムで、トランプの大統領当選以来の環球時報社説をフォローする形で、凹凸に満ちた推移を整理してみました。2月18日付環球時報社説「中米「大警報」解除 駆け引きの開始」は、正に一連の膨大な社説のシメというにふさわしい内容のもので、トランプ政権下の米中関係が本当のスタート・ラインに立ったこと、しかし今後の足取りは平坦ではなく、予測が難しいものになることを見通しています。2月17日付コラムのまとめとして、社説の要旨を紹介しておきます。

 中米双方が公表した情報から明らかなことは、王毅とティラーソンの中米関係に関する見方はかなり接近しており、ティラーソンはアメリカが一つの中国政策を遵奉することを確認し、米中関係ついて定義すれば友好しかないと述べ、建設的に両国間の違いを処理することを主張した。
 中国側の情報によれば、両国外相は朝鮮問題について突っ込んだ意見を交換した。米側発表の情報によれば、ティラーソンは中国に対して、「中国はありとあらゆる手持ちの手段を使って、朝鮮が安定を壊す行動を節制させるべきだ」と促した。
 王毅とティラーソンの会合は総じて言えば、中米関係のプラス面を伝えており、習近平とトランプが最近行った電話会談でもたらされた両国関係の新局面をうち固めたものであった。今回の会見により、両国外相の意思疎通メカニズムの接続が完成し、運転が回復したに等しく、このことは中米関係をさらに増進する確実性を増やした。
 ワシントンは最近続けさまに、中米関係の既存の枠組みを維持したいという強いシグナルを発している。これは、国際関係の他の分野でもトランプ政権が伝統的路線に回帰していることとも符合するものだ。中米関係は、トランプがツイッターで発してきた鋭い警報から解除されたようであり、今後の両国は、過去ひっきりなしに互いを困らせてきた類の面倒に向きあうことになるだろう。となると、トランプ政権はさらに難しい交際相手になるのだろうか。これが正に頭の痛い問題だ。
 トランプの個性に基づく要素はすでに十分に発揮されたが、今からはルール性が前面に出てくる。しかし、トランプの顧問グループの中には中国に対する偏見がかなりひどく、中国台頭がアメリカのエリート層に及ぼしている危機感も不断に深まるばかりであり、これらの要素が再びトランプの個性と共鳴作用を起こすかどうかは本当に予測が難しい。
 とは言え、以下のような分析はかなり根拠があるだろう。
 第一、過ぎ去ったばかりの摩擦は中米関係に一つの共有の経験を付与し、両国リーダーシップの現実感覚を高めるだろう。トランプの任期中は、ワシントンが理想主義に基づいて物事を揺り動かす振れ幅は今回のそれを超えることはないだろう。
 第二、トランプ政権と中国との間の具体的な利益をめぐる取引はまだ完全には始まっておらず、双方はもめ事を解決する方法及びルールを模索し、自らにより有利になるようにすることを望むことになるだろう。「アメリカ第一」の発想は様々な形で出てくるだろうし、そのことは中国の対応能力を試すことになるだろう。中国に圧力をかける手駒について、トランプ政権はオバマ政権より豊富であるわけではないが、トランプがその現実を理解し、納得するまでには、一定のプロセスが必要となるだろう。
 第三、朝鮮核問題が真っ先に浮かび上がってきているようであり、この問題についていえば、以前より複雑かつ切迫しており、しかも今やTHAAD問題も入り込んできている。明らかなことは、トランプは核ミサイル技術を急速に発展させている平壌に如何に対処するかについてうまい考えがないが、ワシントンは中国が「より強力な措置をとる」ことを強力に働きかけてくるだろうということだ。半島情勢とアメリカの戦術的不確定性という点では、東アジアの他の問題より変数は多いが、中国としては、最良の状況を勝ち取る努力と同時に、事態の変化に対応する十分な準備もするべきである。
 第四、トランプ政権が中国とやりとりする上で、その注意力はオバマ政権のようには「均等」ではなく、特定の利益を獲得することに執着する一方、いわゆる「人権」等の分野ではむしろ「無頓着」になる可能性がある。トランプとアメリカの主流メディアの熾烈な対決の様子を見ると、彼らが中国に不断に難癖をつけるイデオロギー上の同盟を形成することは簡単ではないようだ。多くの人々の予想するように、トランプの政権運営のもとではリベラルな思潮の衰退が加速するだろう。
 中米が対決しないという大きな枠組みを維持していく限り、協力共贏が両国間で不断に自然成長していくだろう。ここ数年の中米関係は一貫して茨の道で、疑惑がますます増え、直接間接の罵りあいも少なくなかったが、両国が「徹底的に争う」ことを制約する要素もますます増えてきており、両国関係の粘着性はますます強くなっている。